春休み
「おはようございます、お嬢様。」
私の一日は嬉しそうなオリヴィアの声で始まる。
「おはよう、オリヴィア。」
「今日は良い天気ですよ。外でピクニックするのも良いかもしれません。」
「本当?でしたら、お昼はサンドイッチを一緒に作りましょう。」
「はい!」
にこにこと笑うオリヴィアに朝の準備を手伝って貰いながら、窓から差し込む眩い朝日と仄かにする焼き立てのパンの香りに自然と微笑みが浮かぶ。
春休みを迎えて数日。
領地に戻る事なく学園で過ごす穏やかな日々を充実していた。
「おはよう、アーグ。」
「はよ…」
寮室のリビングのソファで寝そべる私の赤い猫が眠そうにしながら返事をくれる。
朝の鍛錬を終えているのか少し濡れた紅い髪を側にあったタオルで拭いてあげると、ウトウトと目を閉じてしまった。
「ふふっ。アーグ、起きてご飯にしましょう?」
「……、」
特に何も言わずダイニングテーブルに着くアーグにくすくす微笑って、オリヴィアの手伝いをしようとキッチンへ向かうとパン籠を用意してくれていた。
「これだけで大丈夫ですからね!」
「お皿運べますよ?」
「わたしの仕事ですからね。お嬢様はテーブルでゆっくりしていてくださいませ。」
「ふふっ、今日はなぁに?」
「お嬢様の好きなきのことベーコンのクリームスープですよ。」
「まあっ。私、オリヴィアのクリームスープ大好きよ。嬉しいわぁ、早く用意しましょう?」
「可愛過ぎますお嬢様ぁ…!!あっ!ま、待ってくださいっ、お嬢様…!」
あわあわと慌てるオリヴィアを微笑ってやり過ごしてテーブルに運ぶと、呆れた表情のアーグがパンを取ろうとするのでぺしっと叩き落とす。
「駄目よ、揃ってから。」
「ケチかよ。腹減ったー」
「そう言うならアーグもお手伝いしてくれる?」
「無理。」
「はっきり言いましたねぇ」
のんびりとした緩い会話を楽しみながら朝食の準備をして、これ以上するとオリヴィアが泣くので大人しく椅子に座る。
「脚の調子はどう?」
「問題ねえ。」
頬をテーブルにくっつけて欠伸をするアーグの新しい脚は、数日慣れるまで歩くことも困難で一時は不安を抱いていたけれど、本人が自分なりに訓練をする様子を見て私も何か出来ないかと考え、試行錯誤でする毎に感覚が戻ってきたようで今では切る前と変わらないらしい。
本当に良かった。
「お待たせ致しました。」
「ありがとう、オリヴィア。」
「んふふっ。お嬢様にそう言って頂けるだけでとっても幸せですから〜んふふっ!」
「ふふっ、ありがとう。」
でれでれと表情を崩すオリヴィアに微笑いながら、テーブルに並べられた朝食に目を輝かせる。
きのことベーコンのクリームスープに、鮭のムニエル、野菜スティックと焼き立てのオリヴィア特製バゲット。
どれもこれも私が好きな物で嬉しい。
「ありがとうオリヴィア、とっても嬉しいわぁ。」
「んふふふっ!喜んで頂けるだけで――」
「それもうきーたし。早く。」
「デリカシー!!」
でれっとした表情をムッと変えてアーグの前にドンッと鶏の丸焼きを置いたオリヴィアがいそいそと席に付く。
三人一緒に食べるご飯はさらに美味しい。
「いただきます。」
「いただきます。」
「どうぞ〜。おかわりもありますからね!」
喜びに満ちたオリヴィアの声と共にクリームスープを食べて、その味にホッと息を付いて味わう。
「今日も美味しいわぁ。」
朝食を終えると学園の提出物をする。
自分の物が終わると高等部一年であるアーグの提出物を借りたり、アーグとオリヴィアを交えて問題の出し合いをしたりと楽しく勉強をしている。
「あら…。」
「どうされました?」
「この問題集、三年生の物ではないかしら…。習っていないもの。」
「あー確かに三年の時のやつだな。去年やった。」
「知らせに行きますか?」
「ええ、お願いできる?」
勉強が終われば二時間ほど刺繍や編み物をする。
寮室のカーテンやテーブルクロス、クッションカバー、枕カバーなどは完成させているのでまた新しいクッションを作っている。マンダラ柄の刺繍を両面にするので時間が掛かってとても楽しい。
休憩の合間にマーケットで販売するハンカチやブローチ、ブックカバー、コースターなども作る。
最近はレース編みで花を作るのがとても楽しい。
寮室の壁や棚にはそれらが飾られていて、たまにクラスメイトや女性の先輩後輩にプレゼントしたりするのも楽しくて嬉しいなぁと思っている。捗ってしまって困るけれど。
「お嬢様、紅茶を御用意致しました。」
「ありがとう、オリヴィア。…良い香りねえ。」
「ディンブラです。ミルクもありますよ。摘めるクッキーも用意して―――半分食べられてる!!」
「クッキーはお嬢のがうめぇな。」
「当たり前でしょう!?わたしが素晴らしいお嬢様に勝るクッキーが作れるとでも!?お嬢様に食べて頂きたかったのに…っ、泥棒猫め!」
「あらあら、ふふふっ。とても美味しいわぁ、ありがとう、オリヴィア。一緒に食べましょう?食べ終えたらお昼を作りましょうねえ。」
オリヴィアの作ってくれたクッキーと紅茶を三人で楽しみ、出来上がった物を囲んでいくらで販売出来るか、どの年齢層に売れるかとか、今日の夕飯の話をしたり、鍛錬の話、王都の話をしたりと楽しくお喋りをする。
途中で眠ってしまったアーグにタオルケットを掛けて、オリヴィアと二人で女子会をしてみたり。
「てっ、てて、手を繋いだのですか…!?」
「繋いだと言うより、その…」
「はぁん…っ。照れてるお嬢様可愛い…。」
「……、」
「ぶほぉあっ、尊い…」
そのままキッチンに移動してお昼のサンドイッチを一緒に作り、折角だからとパウンドケーキも焼く。午後にまた三人で食べるために少し大きめで焼いてその間に卵、ハムレタス、お肉、朝の鮭のムニエルを挟んで、デザートにもなる苺ジャムとカスタードのサンドイッチを作る。
後は白菜だけのヘルシースープと、アーグの為のお肉を二切れ焼いて朝の取っておいたバゲットに豪快に挟む。
「お嬢様、本当にお上手ですね…」
「ふふっ、サンドイッチは挟むだけだもの。」
「手際が良いんです!」
「ありがとう。昔からフランさんのお手伝い、と言うよりも我儘で色々させてもらっていたから…」
「めちゃくちゃ可愛いですね!」
「ふふふっ。オリヴィアはそればかりねぇ、嬉しいけれど照れちゃうわぁ。」
「ぼぁうふぉっ、ぎゃんかわぁ…」
「奇声止めなさいねえ」
「はい!」
楽しくて、楽しくて、楽しくて。
微笑みが絶えることのないほのぼのとした時間が、とても楽しくて幸せで。
失くしてしまう前に気付かせてくれた事に、本当に心の底から感謝している。
アーグにも、オリヴィアにも、リアム殿下にも。
大切にしなければいけないと殊更思う。
大切な二人を大切にしたいから、私自身の事も考えないといけない。
それがどういった事かは手探りだけれど、まずは私の身体を考える事を重きに置いて二人の反応を伺う日々。それもまた、擽ったくて嬉しい。
誰かに心配されるということの重圧が嬉しくて堪らないなんて、そんなことを言えば少し困った顔をされるかもしれないけれど。
「お嬢様、明日の聖女様とのお茶会に着るドレスに合わせるピアスと髪飾りがリズから届きました。」
「まあ!本当?ありがとう。」
「ギリギリ届いて良かったですね!」
にこにこと渡してくれた箱を受け取り、ウォークインクローゼットの中のドレッサーに置きに行き、その側にあるドレスに目を細める。
マキシ丈の白地に全面薄桃色の刺繍がされた春らしいドレスは私が一年以上掛けて作った渾身のもの。
刺繍の腕前は最早本職の方々と張るほどだと言われましたので正式の場でも良いのでは、とワンポイントのものを試しに着て何も言わず招かれたお茶会に着て行くととても評判になったので、次は王城に着ていこうという挑戦。
かなりプライドが掛かっているけれど、このドレスの出来は本当に過去一番と言っても過言ではない。
薄桃色の糸で刺したのは春の花。
花を足元から上に吹き上がるように散りばめたバランスは完璧と言える。間の感覚も花が風に巻かれている描写も表せている。
けれどそれらをすべてをチュールで隠してふんわりと見せる。ただ、このチュールは白い細糸で緩い蔦を下から上に刺しているので重なると可愛いのだ。
V字の胸元には白の蔦と薄桃の花をしたかったのだけれど、それは視覚的に私の好みではなかったので最近流行りのレース編みでネックレスを作った。
足元は白のハイヒールに踵から同様の柄を刺して合わせてみた。靴に刺すのは力が必要でかなり消耗したけれど出来栄えは自画自賛したいほど良い。
ピアスと髪飾りは遠方からリズが作って贈ってくれた桃色と紅色の花が二つ揺れる対のもので、こちらも本職の方々と張るほどである。
私だけの、世界に一つのドレス。
「すっごく可愛いです、このドレス。」
目をうっとりさせてトルソーに着せたドレスを見つめるオリヴィアにふわっと頬が緩む。
「私が誇れる趣味ですもの。」
「はうっ…自信満々に微笑む女神…眼福ッ。」
口元を押さえて涙を流す大袈裟なオリヴィアにくすくす微笑いながらドレスに手を伸ばす。
滑らかな素材の感触に自分の刺した刺繍が馴染んでいるのが嬉しくて、一から全て自分一人ですることはこの先ないと思うと少し寂しいけれど…
「髪型はハーフアップかしらねえ。」
「緩く巻いてするとふわふわした印象になって良いと思いますよ。髪飾りも合わせられますから。」
「可愛くしてね?」
「もちろんですお嬢様!何もしなくてもお嬢様は世界一可愛いですけど着飾ったお嬢様はもうっ、もう凶器の位置になるほど可愛いですもん!」
出会った頃から変わらないオリヴィアの私贔屓に微笑って、明日のお茶会に持つ御土産の話をした。
ルーナリアにとって刺繍は生活をする上で軸、というか大切なモノです。
優しい思い出の詰まったモノはずっと大切にしたいものだと思います。




