やくそく
私が、馬鹿な主人だったのだと身を持って知らされた日から数日。
目の前で深く頭を下げる見慣れた淡い薄緑の髪の彼女に、何も言えずにいた。
その姿を見れて嬉しくて。安堵して。
あれから思い出す度に私の意志とは関係なく止めどなく溢れる涙がまた頬を伝っていく
「お嬢様の命令に反したこと、申し訳御座いませんでした。ですがこのオリヴィア、反したことに後悔はしていません。」
頭を下げながら素直に言うオリヴィアの声は真剣で嘘偽りないけれど、少しの怯えが混ざっていて思わず微笑みが浮かぶ。
優しい貴女は私のためにその選択をしてくれたのだと、無事に帰って来てくれた今なら思える。
「オリヴィア。」
「はい、お嬢様。」
「顔を上げて、私を見なさいな。」
その命令に従い顔を上げたオリヴィアが泣く私を見て顔を歪め、目いっぱいに涙を溜めた。
そんな彼女の頬を両手で包み、滲む視界に映る桃色を見つめて震える唇を開き
「―――ごめんなさい。」
包んだ頬に流れる涙が私の手を濡らして、震えたか細い声を上げたオリヴィアに言葉が詰まりそうになって、それでも伝えなければと紡ぐ。
「無理をして、ごめんなさい。
オリヴィア達の事を思っていたけれど、それは私の自己満足で、貴女達にとって辛い事だったのだと、アーグが…、オリヴィアが、身を持って教えてくれました。」
「お、じょうさま…、」
「…ずっと、心配を掛けてごめんなさい。」
幼い頃から言われた。
『傷モノになられてはいけません。貴女は王妃になるのですから。』
私は、私の心配をされるという概念がなかった。
私が居なくなれば、アーグは利益や給金を失うからその心配をしているのだと思っていた。
強く生きることに重きを置くアーグに、私自身の心配をされているなんて思ってなかったから。
オリヴィアは二度と失いたくないから必死で、人を守る概念が強いだけなのだと思っていた。
私でなくとも、身近な人の為に優しく温かいぬくもりを与えて、その人を大切にするのだろう。
そこに、ルーナリアという人間はいないのだと。
私が大切に思う人がそんな軽薄で、酷な人なわけがないのに。
「ごめん、なさい…、ごめんなさい…っ」
溢れて止まらない涙に声を詰まらせてしまう。
オリヴィアが私に弱いことを知っているのに、泣いて謝るなんて卑怯だってわかってる。
でも、泣くことを知った脳が止めてくれない。
あぁ、本当に私はどうしようもない人間だ。
「ごめんなさい…っ、」
謝る事しか出来なくて、滲んで歪む先のオリヴィアの表情がわからない。
笑っているかしら。
それとも呆れている?
だけど、頬に添えた手が絶えず濡れていて、小さな嗚咽が微かに聞こえてくる。
「どうして、オリヴィアも泣くのですか…?」
「お嬢様が、泣いていらっしゃるからです。お嬢様が…っ、気付いてくださったからです…ッ」
自身も泣きながら私の目元に手を伸ばして流れ落ちる滴を優しく指で拭ってくれた。
その指の優しさを初めて知って、どうしようもない感情を抱く
「お嬢様がわたし達を大切に思ってくださっている事は、有難くもわかっています。けれど、わたし達がお嬢様を大切に思っているのだと知っていただけなかったのは辛かったですっ、」
「…っはい、」
「誰も傍に居ないのに無茶をして、それが何ともないことのように微笑って過ごされる姿に、胸が張り裂けそうでした…っ!」
「ごめんなさい、」
震えた、けれど強さを持つ声と言葉に目が熱くなって涙が零れ落ちてはまた溢れてくる。
ジクジクと痛む胸が苦しくて、だけどその痛みがとても、とても幸せなものだと感じた。
「大切なのです、貴女が。ルーナリアという優しい御方をお慕いしているのです。」
その声は柔らかくて、優しくて。
ふんわりと温かくて。
「ごめ、んなさっ、ごめん、なさい…っ、ごめんなさい…ッ」
優しい言葉を掛けてくれたのに私は謝る言葉しか出てこなくて、立っていられなくなって床に座り込んでしまった。
こんな情けない姿を見せてしまうのは怖い。
でも、抱き締めてくれる手が、ぬくもりが、
私をそれで良いと言ってくれているようで―――
「わたしのお嬢様はとても優しくて可愛くて綺麗。だけどとっても不器用な愛らしい人です。」
「っ、おり、ぃあ…っ、ごめ、ごめんなさっ、ごめんなさい…っ、うぅっ、ごめんなさいっ」
なんて言えば良いのかわからないの。
嬉しいのに、どうすれば良いかわからない。
「っとに、バカな飼い主持つと大変だ。」
呆れたような、喜ぶような声の主が私の頭をクシャクシャと撫でる。
少し痛くて、でもとっても優しくて。
「ぁーぐ、うっ、っご、ごめんなさいっ、わたっくし、ずっ、ずっとバカでっ、ごめ、んなさいっ、」
「お嬢のごめんは聞き飽きたっつの。」
「っ、だっ、て、ほかっに、なんて…っゆ、かっ、わかっんなく、って…ッ、」
そんなことを言われたことはない。
フランさんも一定の距離をとっていた。
私に触れる人だって居なかった。
全部が初めてで、とても優しくて怖い。
「んなもん、思ったこと言や良いだろーが。」
「おもっ、たこと…っ、ご、めんなさっ、って、おも、ったの。」
「おお。」
「やさし、くてっ、うれしい…っ。で、もっ、ど、かえしったら、いいのか、わっ、わからっ、」
「マジで泣くの下手な。なんつってんのかわかりずれーわ。」
「っ、ごめっなさ―――」
「―――すかぽんたん!何でそういうこと言うの!男は黙って涙拭く!」
「ってえ、」
スパーンッと良い音を立ててアーグの頭を叩いたオリヴィアが私をぎゅうっと少し強く抱き締める。
嬉しくて、苦しくて。
ボロボロ零れ落ちる涙がオリヴィアの肩を濡らすのを申し訳ないと思っても、抜け出そうとは思えなかった。
そんな狡い私の背中を優しく擦ってくれるオリヴィアが柔らかい声で言う。
「どうしたら良いかわからない時は、されたら嬉しいことをしてみるのも良いかもしれませんよ。わたしだったら、お嬢様がわたしを抱きしめてくれるのとか嬉しいです。抱きしめられてくれるのも嬉しいです。可愛くて良い匂いしますよ流石お嬢様。」
「や、じゃない…っ?」
「っ、可愛くてどうにかなりそうではありますが嫌なわけありません!どんとこいです!」
少し上擦ったオリヴィアの言葉を信じて、行き場を失くしていた手をおずおずと伸ばしてオリヴィアの背中に回す
ぎゅっ、と力を込めると私を抱き締める腕に優しい力が乗って、目頭が熱を持って涙を零す
目が溶けてしまいそうなほど熱くて、喉がひりつくように痛くなって苦しい。
なのに、すごく嬉しくて満たされる。
「ったく、」
悪態をつきながら私の頬にハンカチを当てて雑に拭ってくれるアーグに、少し躊躇いながら手を伸ばすと躊躇うことなく私の手を取ってくれた。
大きくて、温かい。
柔らかくて、温かい。
幸せだと、苦しくなった。
いつかは消えてしまう、失ってしまう、離れてしまうモノだから。
もう求めないと決めた。
私が大切に思って、それに合わせてくれてるだけで良いのだと。
だけどそれはこの二人にはそれが悲しくて苦しいことなんだと、初めて知った。
悲しくて苦しいことなんだと思ってくれる。
私の言葉、行動に心を費やしてくれる。
そんなに幸せなことって、ないと思う。
繋いだ手も身体も、失いたくないから。
二度と、悲しくて苦しい思いはさせたくないから。
「あーぐ、」
「おぉ。」
ぶっきらぼうでも優しくて。
「おりゔぃあ、」
「はい、お嬢様。」
ふんわり柔らかくて温かくて。
「ずっと、いっしょにいて…っ」
幼い子供がおねだりするような声で、言葉で。
それでも私の大切は嬉しそうに応えてくれる。
「しつけーよ。ずっと居てやる。」
「オリヴィアはお嬢様の傍にいますよ。」
互いの利益のための利害関係じゃなくて。
悲しみを埋めるための体の良いモノじゃなくて。
雁字搦めにしたこの誓いを、いつか二人は後悔する日が来るのだろうか。
だけど、怯えた考えはもう止めよう。
きっと大丈夫。
この手も、このぬくもりも、
離す気はもうないもの。
「やくそく、ですよ?」
ふいに浮かんだ表情は自分でも思わぬほど、あどけないものだったと思う。
今年最後の更新になります☺
2020年、たくさんの事がありましたがお付き合い頂き本当にありがとうございました!
来年2021年もお付き合い頂けたら幸いです。
各地でかなり雪が降るみたいなのでお気を付け下さいませ。
皆様良いお年を✨




