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ソウルガーデン~宵に咲く花  作者: 木柚 智弥
パートナーであるために
8/19

示された心


「こちらへお入りください」

 事務の女性に案内され、理事長室の隣にある会議室に、室内用サングラスをかけた拓巳くんと僕が連れ立って入ると、五十代前半に見える男女三人と、もう少し若い女性一人が、すでに楕円形のテーブルの奥に着席していた。

 向かって右の端に座るその女性には見覚えがあった。学園祭の前日、中庭でぶつかったあの美しい人だ。今日は明るい髪を後ろに小さくまとめ、ベージュのツーピースを着て、あのときよりも薄い色のサングラスをかけている。

 隣に座る、格子柄のジャケットに髭もじゃの男は美術部顧問、陰山(かげやま)幸人(ゆきと)だ。反対隣に座る、パリッとしたスーツ姿の男女は多分、理事長の息子と娘とやらだろう。

 僕たちが室内の半ばで立ち止まると、男性のほうが席から立ち上がって拓巳くんに声をかけた。

「ようこそ高橋さん。私はこの度、理事長の職に就任しました郷田(ごうだ)(ひろし)です。今日はご足労おかけしました。どうぞ、手前の席にかけてください」

 どうやら新理事長は決まっていたらしい。いかつい顔のわりに柔和な郷田の態度に、今日は保護者の出で立ちとして、ダークグリーンの三つ揃いで決めた拓巳くんの背中から緊張が消えた。彼は真嶋さんの手によると思われる、長髪をきっちりと襟足で結わえて整えた頭を軽く下げ、椅子を引き出して席に着いた。僕も同じく一礼してからその隣に座る。

「今日は、同じく副理事長に就任しました妹の住吉(すみよし)京子(きょうこ)、美術部顧問の陰山先生、そして新しく理事に加わるこちら、大学で声楽の講師をしておられるミス・オースティンに同席していただきます」

 郷田の紹介で、それぞれが会釈をしていく。それに応えた拓巳くんがサングラスを外そうとすると、正面に座る郷田新理事長が手を上げて制した。

「あ、どうぞそのままで。我々は行事で何度も高橋さんをお見かけしていますから、事情を把握しております」

 隣の住吉京子も陰山幸人も頷いている。僕がこの学園の付属小に入ってから約十年。〈衝撃の美貌〉の威力はここまで浸透しているようだ。それに対し、オースティンと紹介された女性が不思議そうな顔をし、郷田は彼女を向いて説明した。

「ああ。あなたは昨年までロンドンにいらしたからご存じないですね。高橋和巳君のお父様はちょっと事情がありまして、あまりサングラスを外せないのです」

「まあ。では私の目のように光に弱いのですね?」

「……ええ。眩しいので話がしづらくなるのです」

 ――ただし、こっちが。

 郷田のつぶやきは彼女以外の全員に届いた。

「わかりますわ。では、私の失礼もお見逃しいただけますわね」

 ミス・オースティンの言葉に拓巳くんは軽く頭を下げた。彼女は僕にも目線を向け、僕が会釈を返すと微笑みを浮かべた。覚えてくれていたようだ。

「では、本題に入りましょう」

 郷田は手元の雑誌を差し出した。俊くんの写真が掲載された週刊誌だ。ふとテーブルを見ると、僕たちが来るまでに目を通していたのか、他にも数冊の雑誌が四人の手元に置かれていた。

「この雑誌に書かれていることが事実ですと、我々としては、生徒の管理に問題が生じると考えています。高橋さんにはまずそこをお聞きしたいのですが」

「それはまったくのデタラメです」

 拓巳くんは落ち着いた声で答えた。

「芸能界ではよくありがちなことです。ある場面の一部だけを切り取って、いかにもそれらしく加工する……これも同じです」

 イヤ、この場面、まんま抱きついてたから。……とは心にしまっておいた。

「これは加工されたもので、でっち上げだとおっしゃるのですか」

 吉住京子副理事の質問にも、拓巳くんは同じくスラッと答えた。

「ええ。最近は手口も巧妙なので」

「では、記事の内容はいかがなのです。これは学園祭での出来事でしょう? 普段もそれに近い行為があるからこそ、このような写真が加工されてしまうのではありませんか?」

 ここで僕が拓巳くんを向くと、彼も頷いて理事たちに言った。

「それについては、その場所に居合わせました息子が説明したいそうです」

 すると、全員の目が僕に集まった。僕は怯まないように背筋を伸ばし、はっきりとした言葉を心がけた。

「小倉蒼雅先生は、この日はもともと僕の展示作品を見るために足を運んでくださったのです。けしてその雑誌に書かれているような、学生を誘惑したりする人柄ではありません」

 高校生ごときカンタンに誘惑しちゃえるけど、したかったわけじゃない。

「でも和巳君。蒼雅さんならいつもはちゃんと女性の装いで来るじゃないか。この前は違ったよ? 目的が違うからとは思わないのかい?」

 俊くんと面識のある陰山幸人教諭が質問してきた。

「バンドをやっている小倉雅俊(マース)には、今までも数々の噂が……いや」

 噂、といいながら拓巳くんを見てしまった陰山は、どうやらサングラス越しに射抜かれたようだ。

「音楽活動をなさっているときも、基本的な性格は同じです。マースとしてのイメージは、プロモーションビデオやコンサートで見せる表現に、尾ひれがついてできたもので、先生自身の人柄とはかなり違います。あの日は別の理由があり、わざわざあのような服装にしてくださったんです」

 そこで言葉を切ると、郷田が促してきた。

「理由を教えてください」

「……先日開かれた個展で、先生は来場したこの学園の生徒から、ISの性別であることについての侮辱的な発言を受けました。ですので、ここにいつもの姿でいらっしゃるのを僕が心配したのです」

 陰山が聞いてきた。

「小倉蒼雅の装いで来ることを?」

「そうです。あまりにプライバシーを傷つけるような発言だったため、学園祭でその生徒の目に触れる可能性があることを僕が警戒したのです。先生はその気持ちを汲んでくださいました。結果としては裏目に出てしまいましたが」

「その、プライバシーを傷つけるような発言をした生徒とは誰です?」

 吉住副理事の質問に、しかし僕は首を横に振った。

「僕自身は訴えたい気持ちなのですが、先生ご自身が、相手はまだ学生だから大事にするのはよくないとのお考えなので、この場で彼の名前を出すのは控えたいと思います」

「ほう、それは感心な……」

 郷田理事長が感銘を受けたように言葉を漏らした。いい流れだ。

「小倉蒼雅先生は素晴らしい作品を生み出す優れたアーティストです。僕は先生に学ばせていただいていることに誇りを持っています」

 郷田や吉住、ミス・オースティンが頷いた。しかし小倉雅俊を多少、知っている陰山幸人は首を傾げた。

「でも、じゃ、ここでは何をしていたんだ? この生徒は誰? 和巳君はそこにいたんだろう?」

「それは……」

 僕は少し躊躇した。ここで、その写真の生徒が問題発言の当事者であると言ってしまうと、この場面で何もなかったとは誰も思わないだろう。今のいい印象を損ないかねない。かと言って、これを説明するには優花を出す必要がある。この写真はどう見ても学園の奥庭、男女二人の生徒と奥庭でバッタリしましたなどと伝えたら、別の意味でまずい。優花はせっかく落ち着いたのだからそっとしておきたい。では、見も知らぬ男子生徒に俊くんが、抱きついたとは言わせないまでもこんなに接近した写真を撮られる、どんな理由があるというのか……?

「和巳君?」

 陰山教諭の催促に、僕はハラをくくった。

「ファンサービスです」

「ファンサービスだって?」

「はい。小倉先生は極力目立たないようにしてくださったのですが、人目を避けて奥庭にご案内し、売店の食べ物でもてなしていましたら、どこで見かけたのか、生徒が追いかけて来てしまいました。興奮して騒ぎそうだったその生徒を、先生が〈今日は特別〉と言って、握手と軽い抱擁をしてあげて内緒にするよう諭し、事なきを得たのですっ」

 一気に言い切ると、隣の拓巳くんから震えが伝わってきた。爆笑したいのをこらえているに違いない。

「ああ、なるほど。それなら納得」

 陰山教諭は頷いて引き下がった。するとホッとする間もなく今度は吉住副理事が口を開いた。

「ファンサービスで、男子生徒に抱擁なさる方ですか……」

 彼女は拓巳くんに向き直った。

「音楽活動などでは、いつもそうなのですか?」

「……いつもではありませんが、まあ時々はあります」

 ない、といったら僕が嘘を言ったことになってしまう。実際、ロックの世界ではファンとの熱いふれあいはよくあることだ。ただ〈T-ショック〉では、拓巳くんはリクエストに応えてくれないし、祐さんにはダレも気軽に触れられない。結果としてファンサービスが一番多いのが俊くんになるのだ。そんなメンバーに対し、「おまえらサービス少なすぎ!」と、常々俊くんは怒りぎみだ。

「高橋君も、男子生徒ですよね……?」

 吉住副理事の眼差しに疑惑の色が滲んだ。やはり小倉雅俊という人物は、生徒を預けるには相応しくないのでは? との雰囲気が流れ始めた。

 うう、あれ以上説明のしようが……。

 すると少し俯いていた拓巳くんが顔を上げた。

「自分は父親として、息子は今までどおり、小倉蒼雅の弟子でいいと思っています」

「高橋さん」

 吉住副理事を、拓巳くんは手を上げて制した。

「要するに皆さんは、小倉雅俊という人物が子どもを預けるに相応しい分別、特に身持ちといった点の分別を、どの程度持ち合わせているのかに、疑問を抱いているんでしょう?」

 理事長たちは頷いた。

「実は、小倉から皆さんに見せてほしいと頼まれたものがあります。もうすぐここに届くと思います」

 僕が驚くと、拓巳くんはチラッと目の端で僕に笑いかけ、再び正面を向いた。

「彼、いえ、ここでは彼女と表現しますが、小倉蒼雅には、長年想いを寄せている人物がいます」

 ……!

 僕は咄嗟に体に力を入れて動揺を押さえた。拓巳くんは構わずに続けた。

「彼女は特殊な体質の持ち主ですから、その人物と正式に一緒になれるかはわかりません。ですが俺の知る限り、もう七年来、彼女はその人物一筋です」

「まあ……」

 ミス・オースティンが感じ入ったような声を漏らした。

「確かに、小倉には色々な噂が飛びます。けれどもそれは、バンドのリーダーとして常に注目を浴びるマースの、パフォーマンス的な部分です」

 私生活は違います、と拓巳くんは続けた。

「ステージを降りた小倉はストイックです。楽曲の作成は常に真剣勝負、トップであり続けることは生易しいことではありません。周囲の者を寄せ付けなくなります」

 俊くんの曲に対するクオリティへのこだわりは関係者の間でも有名だ。

「絵画ではその分、彼女の表現者としての姿勢が浮き彫りになります。内面が現れるといいますか、彼女に唯一安らぎを与えてくれる、その人物への想いが作品に滲みます。その作業風景は、息子の成長にも大きな影響を与えているのです」

 拓巳くんが口を閉じると、吉住副理事が問いかけた。

「その方がいるから、そういった分別には問題がないと? ストイックな芸術家とおっしゃる人々は、時に刺激を求めたりするようですが」

「確かに。けれども彼女は違います」

 拓巳くんがそこまで言ったとき、ドアをノックする音とともに外から声がかかった。

「失礼します。こちらにおられる高橋様宛にお荷物が届きました」

「入りなさい」

 郷田理事長が声をかけると会議室の扉が開かれ、二人の配送スタッフに担がれて、黒板一枚ほどの大きな段ボールが運び込まれた。

「こちらで外してよろしいですか?」

 拓巳くんが頷くと、スタッフの二人は慣れた手つきで段ボールを開き始めた。その作業手順を見て、僕はそれが何なのかに気がついた。

「まさか……」

 拓巳くんを見ると、サングラスの顔にうっすらと笑みが漂っている。僕の脳裏に昨日の拓巳くんと俊くんの様子が浮かんだ。

「もしかして、沖田さんにあれこれ指示していたのは」

「そうだ。今の自分を知らしめるに、これ以上のものはないからと」

「そんな、これほど大切なものを……」

「おまえを転校させるわけにはいかない、ってな」

 そのためだけに――。

 言葉を失うと、さすがは美術部顧問、陰山教諭が早速席を立った。

「おう。これは絵じゃないのか?」

「そうです。小倉蒼雅から託されました」

 答えた拓巳くんが立ち上がったとき、それが姿を現した。

「じゃあ、そこの台に乗せて壁に立てかけてくれ」

 指示に従って、ちょうど壁に添って置かれた細長いテーブルの上に、慎重に乗せられたその絵は――。

「どうぞ。小倉蒼雅、七年の想いが昇華された作品です」

 隣に立った拓巳くんが指し示したのは、紛れもなくあの個展の目玉、三部作のうちのひとつ〈宵月〉だった。

「おお……」

「まあ――」

 残りの三人も僕とともに立ち上がり、作品に見入った。

 月の輝きに照らされる、地を埋めつくすような雪の花――。

 陰山教諭が少し興奮気味に言った。

「やあ、これは凄い。今までの作風とはだいぶ違うね。個展に行かれなかったから、知らないでいたよ」

「そうなのですか?」

 吉住副理事の質問に、陰山は頷いた。

「蒼雅さんは、どちらかというと風景を色でイメージした現代アートに近い作風でした。これはいつになく写実的な、でも彼女のイメージする花だ」

「素晴らしい。雪の結晶の花弁、というのが珍しいですな」

「妖しいほどに美しくざわめく夜の花の喜び、でしょうか」

 郷田、吉住の二人は、目を見張りながらもありきたりの感想だ。すると、それまで言葉少なだったミス・オースティンが、感動も(あらわ)に口を開いた。

「素晴らしいですわ……この静寂、その中に秘められた喜び。まるで、想いのひとつひとつが結晶に込められたような、雪の花びらの細やかさ……この作者は、過去に辛い経験をなさったことがあるのですね?」

 拓巳くんがサングラスの奥で目を見張った。

「なぜ……わかりましたか」

「この、夜空にちりばめられた光の粒です。よく見ると、月からこぼれた涙なのですわ」

 凄い――。

 僕は感心した。そのことは、僕でさえすぐにはわからなかったのだ。

「おそらく、苦難の過去の上に、この喜びがあるのだと伝えたいのですね。歓喜の中に垣間見える悲しみの記憶……作者の生きざまが見えてくるようですわ」

「さすがね、セラ。感性の豊かな人は違うわ」

「でも、そう感じません? 京子」

「ええ。なんだか妖艶な雰囲気だと思ったのだけど、そのきらきらとした輝きが涙だとなると、ずいぶん違って見えるわ」

 郷田も陰山もその解釈を聞き、それぞれに頷きながらテーブルに戻った。席に着いた拓巳くんが、相対する四人に顔を向けた。

「小倉蒼雅からの伝言です。『自分は今、精一杯生きている。過去を形作ってきたものから未来へ向けて、全霊を傾けて進んでいる。そのすべてを、弟子、高橋和巳に感じ取ってほしいと願っている』以上です」

 俊くん……!

 心の震えが止まらない。拓巳くんが口を閉じると、しばらくは誰も言葉を出せないようだった。それぞれが感慨深そうに、なおも〈宵月〉に見入っている。やがて最初に切り出したのは、ミス・オースティンだった。

「私は、この小倉蒼雅という方は、たいへん誠実であると感じますわ。特にこのお弟子さんへの対応には、かなり心を砕いているのだと思います。きっと責任感の強い方なのですわ」

 郷田理事長が彼女を見た。

「なぜ、そうわかりますか」

「この絵を原物で届けたからです。個展を開くような画家の方なら、作品を示したいのであればレプリカを用意するはずです。でもそれでは伝わらないと、つまりは正確に伝えたいと望んだのですね。それは、お弟子さんへ誠実な姿勢の表れですわ」

「僕も同感です。パンフレットやレプリカじゃ、この作品の真のメッセージは伝わってこない。しかし自己中心的な画家であれば、どんな理由であろうと、弟子のためにわざわざ原物は出しませんよ」

 二人の意見を聞いたところで、郷田理事長が口を開いた。

「では、この件に関しては不問ということでいいだろうか」

 吉住副理事が息を吐いた。

「そうですね。様子を見させていただきましょう。そのまま何事もなければよし、ということで」

 あとの二人もそれに頷き、郷田が僕を見た。

「高橋君。小倉蒼雅先生に伝えてください。『あなたの心を、我々は確かに見せていただきました。これからも精進してください』と」

 感極まった僕はすぐには返事が返せなかった。

 原物で届けられた〈宵月〉。こんなにも深い想いを見せられて、どうして平静でいられるだろうか――。

 僕の肩を拓巳くんが軽く叩いた。

「よかったな」

 そして僕に椅子から立つよう促し、並んで向かいの四人に一礼した。

 早く俊くんに報告したい――頭を下げながら、僕は役目を果たした安堵に満たされていた。運命の転機がすぐそこまで来ているとも知らずに。


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