9、イルバンシュ子爵の落日
「うぎいいっ」
「に、逃げろっ、命を惜しめえっ」
人間たちの悲鳴が心地いい。私は都市キュリランスの表門にいた。
「全く退屈です。この程度の攻撃魔法で引きあげるとは。進軍します!勇者アスコット一味を捕らえるのですっ」
すでに我が主ヴィル様は街の中に侵入している。ビゼルッテもすでに潜入済みだ。あとは私と同じ幹部のバルゴンドが表門、裏門から攻め込むことになっている。城門の防備など、たかが知れている。問題は我ら魔族退治のために集まった冒険者パーティーのことだ。
ヴィル様とビゼルッテが片づけることになっている。ヴィル様は素晴らしいお方だ。武闘派のバルゴンドを一撃の元に倒してしまった。それを見ていた私とビゼルッテはヴィル様に屈服した。すでに魔王のことなど、どうでもいい。大賢者の能力を持ったヴィル様は魔族・人間などいうどうでもいい分類を飛び越えた。人智を越えたお方だ。
問題はどうやって、ビゼルッテ、バルゴンドと差を付けるかということだ。そのためには。
「アルメナ様の保護、か」
気の利く部下を演出するために私は勇者の泊まる宿屋を襲撃することにした。本当はこの街の総司令官・イルバンシュ子爵一族の確保という命令だったが、仕方ない。ヴィル様のお身内を保護することこそがヴィル様に気に入られる第一歩だ。
『マーモデウスって変わってるわねえ。そんなに人間が好きだなんて』
ビゼルッテに昔言われた言葉がまざまざと蘇る。私の名はマーモデウス、人間への興味は魔族一強いと自負している。
*****
私は報告を聞いて、飲んでいた紅茶を吐きだしそうになった。
「魔族の大軍が表門から侵入、だと」
「はっ、ゴブリンの大部隊です。数はざっと千を越えましょう」
私は勇者を見る。勇者の顔は硬直していた。まさか魔族の方から攻め込んでくるとは。眩暈を覚えるが、ここは逃げるしかるまい。
「私は勇者です。魔族を迎え討ちます。エレノア、カルデ、行くぞ」
「待って下さい。勇者様、私もっ」
娘のティナが席を立った。
「好きにするといい」
勇者は答えると、颯爽と屋敷の外に出ていく。私は馬車を用意させるように命じた。
「子爵様、どこへ?」
「近くの都市ノブ―ルに逃げる。急げ」
嫌な予感がする。今回の魔族をアスコットらのパーティーで抑え切らないと私は魔族に殺される。そんなのはごめんだ。
「奥様は?」
「知らせるな!騎士だけ乗せろ。とにかく私を守れ!」
馬車にはあと席が三つ。騎士を乗せる。あと御者は使用人のテッドを使う。口の堅い幼馴染だ。信用できる。
「ふう、やれやれ。これで逃げ」
首に剣が突きつけられた。アスコットが私の首に剣を突きつける。
「子爵、発育のいい娘をお持ちだ。たっぷりとかわいがってあげますよ。ああ、馬車は僕らが使います」
ティナは気を失ったのか、カルデとエレノアに抱えられている。馬鹿なっ、さっき外に出ていったのはフェイクだったのか!
「あんたがクズだってのは勇者レミットを晒し物にしてたから気づいてたよ。宰相閣下もあんたみたいな小物生きてよ―が死んでよ―がどうでもいいだろうしさ。あ、馬車だけはもらっていくよ。さようなら」
ば、馬鹿なっ、この勇者め、鬼か。わ、私は貴族だというのにっ。
「ティナを捨てて、私を選んでくれ。ま、まだ王都に娘がいるんだ。その子たちをあげるからっ」
「やだ。ティナがいい」
私は強引に馬車から引きずり出され、尻もちをつく。勇者はにやにや笑っているだけだ。
ああ、失敗した。この若造の正体に気づかなかったとは!