第八十四話 束の間の平穏
襲撃を受けた翌日、俺は何事もなく朝を迎えることができた。
特にあれ以上の襲撃があるとは思っていなかったから予想通りと言ったら予想通りなのだが、それでも狙われているのではないかという神経質になる状況で平和に朝を迎えることができたのは、精神衛生上大きなことである。
朝起きた。朝日を浴びた。ホッとした。
これだけで、俺は今日一日頑張ろうという気持ちになれた。
そんな明るい気分で俺は身支度をしながら、収納空間から生肉を取り出して、フォールに与えた。
以前はペットに餌をやるような感覚でやっていたこの動作も、今では仲間に料理を振る舞うくらいの感覚で行っている。
それくらいにはフォールが俺の中で大事な存在になっていた。
フォールは危ないからと戦闘には参加させていなかったが、少なからず俺たちと一緒に過ごしている内に、何かしら変化があったはずである。
今度時間を見付けてフォールの戦闘能力を測ってみよう。
考え事で頭を使ったからだろうか、欠伸が一つ。それはそろそろ身支度も終わろうかという俺のものだった。
それからもう一つ。今度は俺が欠伸をしているのを見ていたのが移ったフォールのものだ。
狼だから口の中が見えると凶悪なように見えてしまうが、その後に見せる眠たそうな表情は大きく凛々しい姿にそぐわず、かわいらしさを感じるものだった。
肉を食べ終えたフォールと共に、俺は隣の部屋へモミジとユキを回収しに向かう。
出発する準備が終わっているかどうかは分からないが、とにかく声を掛けに行くのだ。
ドアを叩くと、すぐに返事があった。
「もうちょっと! 三分だけ待ってて!」
声の主はモミジ。
何をしているのかとドアに耳を当てて中の音を聞いてみると、ドタドタと走りまわりながら何やら小言を言っているようだった。
察するに、中々支度をしないユキの世話をモミジがしているのだろう。
ユキには直してほしい所ではあるが、俺はその光景を想像して微笑ましいものだと思った。
それからきっかり三分後、少し疲弊しているモミジと、まだまだ寝足りないといった様子のユキがドアを開けて出て来た。
「ごめん、待たせちゃったかしら」
「……遅く、なった」
長い付き合いであるし、別にこんなことで謝らなくても良いような気もするのだが、流石しっかり者というか、律儀なもので、モミジはこういう時の一言を忘れない。
俺はこういう気遣いというものが苦手で一言足りなかったり、一言多かったりしてしまうことがある。
幸い今までそれが原因で大きなトラブルになったことはないが、今後ないとも限らない。
見習って気を付けていこう。
俺は早速二人に全然待っていないという旨を伝えて、冒険者ギルド――そこに併設された訓練場へと歩みを進めた。
今日はその道中でチンピラに絡まれるようなこともなく、屋台で購入したパンを朝食として齧りながら至って穏やかに目的地に辿り着くことができた。
ちなみに、屋台のパンは固めで水分が少なく、まだまだ発展途上、改良の余地ありといった印象だった。
本来スープに浸したり何かソースを絡めたりして食べるものだとしたらそれでも良いのだろうが、屋台でそんなものを売っているとは考え難く、つまりはそれだけで食べるために作られているのだとしたら、やはり中にチーズや果物、チョコレートのようなものがあるならそれを入れるなどの工夫が必要になって来るだろう。
パン屋の陳列棚も見たが、どこも同じようなラインナップだったことからこの問題は屋台に限った話ではなく、この世界全体が抱える問題だということが分かる。
それは俺にとっては悲しいことに他ならないのだが、パンを扱う商売をしている人たちにとっては一概にそうとも言えない部分を隠し持っている。
世界全体でレベルが低いということは、逆に言うと何かしら工夫をして成功できたなら、そこが一極集中でパンの市場を独占できるようになるということなのだ。
消費者として、俺は美味しいパンが食べたい。
俺はまだ見ぬ天才パン職人が現れることを祈った。
まだ朝の早めの時間帯で人の少ない冒険者ギルドの建物。
俺たちはそこに入るや否や、訓練場、ではなく食堂に向かった。
来る時間が悪いと食材がなくて料理が出てこないこともあるこの食堂。
多分今も肉料理などは頼んでも出てこないだろう。
朝食も食べた後だし、ではなぜ俺たちはここに来たのか。
それは、その目的が飲み物を買うためであるからだった。
起きてから飲料らしい飲料を何も飲んでいない。
それなのに水分の少ないパンを食べたのだ。
喉が渇いた。それが俺たちの総意だった。
俺は様々な種類のジュースを八つと、フォール用の水を頼んだ。
きっと今訓練場で頑張っているだろう勇者パーティのみんなへの差し入れもこれには含まれている。
修行の時は厳しいことを言うつもりではあるが、努力を認めて適宜労ってやるのも俺の仕事の一つ、大切なことだ。
これくらいで彼らのモチベーションが少しでも上向くなら、俺はそこに掛かるコストはある程度無視しようと思っているくらいなのだ。
俺は飲み物が入ったグラスが八つと水の入った深皿を載せたお盆を食堂のおばちゃんから受け取り、訓練場に入る。
そこには既にいくらか修行をしたであろう形跡が見える勇者パーティの面々が揃っていた。
こうして誰も欠けずに集まれているのを見る限り、昨日あれ以上の襲撃を受けることはなかったのだろう。
俺は全員が無事だったことに安堵し、声を掛ける。
「おはよう。これは頑張ってるお前らへの差し入れだ。好きなの飲んで良いぞ」
ジュースの載ったお盆を差し出す俺を見て一瞬、勇者たちは訝し気な顔をしたが、すぐにこれが単純な厚意から来るものだと察したのか、嬉しそうに受け取った。
ここで一瞬でも疑われたというのがまだどこか心の奥で俺を信頼しきっていないことに起因するのだと思うと、俺は少し悲しい気持ちになったが、最悪の出会いを果たした俺からの差し入れを笑顔で受け取ってくれるだけ関係性は良くなっているのだと考えることにした。
残されたジュースを飲みながら、こうして修行している時点で矛盾する願いではあるのだが、このまま穏やかな生活が続けばどれだけ良いかと、ふとそんなことを思った。
俺が飲んだジュースはグレープフルーツのように酸味の中に薄らと苦味がある爽やかな味をしていた。




