第八十三話 逃走
フード人間が何もしない内は、こちらから手を出す必要はない。
まだ向こうに敵対の意志があるかどうかが分からないからだ。
襲い掛かってきたゴリラの主であることを考えると、少なくともさっきまでは俺たちを武力でもってどうにかするつもりだったのは確かであろう。
だが、今その気が続いているかどうかは微妙なところで、ゴリラがやられたり攻撃が防がれたりしたことで戦意を失っている可能性があるのだ。
向こうが仕掛けて来るならこちらも引くつもりはないが、話して和解できるのならそれが一番なのだ。
ここまでして和解なんてそんなことにはならないだろうとは思いながらも、俺たちは睨み合いを続けた。
互いが互いにプレッシャーをかけ合い、牽制する。
それは精神的に消耗の激しい行為であったが、我慢比べなら俺は負ける気がしなかった。
事実、先に折れたのは向こうだった。
様子をうかがうつもりだったのに、何も動きがないからしびれを切らしたのだろう。
追跡を振り切るための妨害系の呪術をいくつか発動し、逃げて行ってしまった。
とっ捕まえて目的やゴリラについて問いただしてやれたらそれがベストだったのだが、やはりそう簡単に思惑通り動いてくれるなんてことはないのだろう。
俺はひとまず戦闘を避けられたことに満足する。
というのも、恐らく奴は呪術師として相当な実力を有している。
負ける気はしないが、ただで負けてくれるなんてことはないだろう。
それに、今やり過ごせたような空気になっているが、まだ奴の呪術がすぐそこに設置されているのだ。
あれほどの実力者が置いて行った呪術。
一体どんなものが使えて、何を選んで置いて行ったのか。
俺はそれが気になり、とりあえず見て分かる範囲で解析してみた。
それらの多くは移動性能に関するデバフや、拘束系の呪術、障害物となる呪術などであったが、その中に一つ、凶悪なことに即死系の呪術が混じっていた。
その配置もいやらしいことに、拘束系の呪術のすぐ近く。
下手に近付くとそれだけでくらってしまいそうな配置である。
きっと睨み合いをしていた時に用意していた攻撃も置いて行ったのだろう。
こんなものを放つつもりで対峙していたのかと思うと、恐ろしくなってくる。
俺がそんなフード人間の容赦のなさに若干の恐怖を覚えながらも感心していると、緊張した場の雰囲気に呑まれて動けなくなっていたチンピラたちが我に返ったようで俺に詰め寄って来た。
「おい! 今捕まえられただろ!」
「余裕ぶっこいてそれかよ!」
「クソ! 腰抜けが!」
自分たちは守られるだけで何もしていなかったくせに、好き放題言いやがる。
俺は咄嗟に言い返してやろうとしたが、喉まで出た言葉をぐっと飲みこんだ。
ここで言い返してしまってはこいつらの思うツボ。
感情的になって良いことはない。
俺は自分に冷静になるように言い聞かせた。
「そんなにとっちめてやりたいなら、自分たちで行けば良い。場所なら教えてやるから」
だから、俺が逃げるフード人間にどうにか付けることのできたマーキングによって分かる居場所を教えてやることにした。
俺はわざわざ敵の隠れている本陣に出向いてまで報復しようとかそんなことは考えないが、チンピラたちはやたらといきり立っている。
このマーキングは再び攻撃を仕掛けてくるなど何かしら俺たちの害となる動きをフード人間が取った時のためのものだったが、チンピラ三人で奴を懲らしめることができるなら行ってもらって一向に構わない。
こちらとしては脅威がなくなればそれ以上警戒する必要もなくなるし、願ったり叶ったりな話なのだ。
その辺りのことを理解しているのかいないのか、その判断はできなかったが、チンピラたちは自分がフード人間に敵わないことは理解しているようで、何も言い返しては来なかった。
そんなこんなで襲撃をしのいだ俺たちは、動けないでいるチンピラたちを置いて、勇者たちが泊まる宿に向かった。
確か名前を『風と雲』と言ったか、それはどこか和のテイストを感じさせるデザインの宿だった。
エルがさっき俺が泊まっている宿を見て格の違いを嘆いていたような気がしたのだが、この宿も中々に上等な宿である。
流石に冒険者街のど真ん中にあるということからも分かる通り他地区の宿には到底及ぶようなものではないが、冒険者街にある宿の中ではトップクラスの質、それでいて金銭的に余裕がない人でも泊まれるくらいのお手頃価格、正直なところここに来た初日にこの宿を探し当てていたら、確実に泊まっていたと言える自信がある。
それほどまでにサービスの揃った宿であるのにもかかわらず、エルはぶつぶつと文句を言っている。
俺の利用している宿を見た後でこういう反応になってしまうというのはある程度仕方のないことだとは思うが、宿の目の前でそういうことをするのはやめておいた方が良いのではないだろうか。
特に注意はしなかったが、無駄なトラブルを回避するためにも、勇者たちにはもう少し自分の言動を見直してほしいと思った瞬間であった。
「明日も今日と同じ時間に訓練場か?」
何か話を振らないといつまでも愚痴り続けそうな気配がしたので、俺は修行の話題を持ち出した。
明日の集合について、もう一度確認しておく。
「ああ、基本的にはいつも朝訓練場が開く瞬間から中に入れるようにしてもらっている。何かしら他の目的で使う場合には事前に知らせてくれるそうだ」
いつの間にそんな手続きをしたのか、コウスケが訓練場の使用状況について説明してくれた。
ギルドが無理をしていないかと少し心配になったりはしたが、訓練場が毎日使えるというのはとてもありがたいことである。
使えるというのなら、遠慮なく使わせてもらおう。
「分かった。訓練内容の調節とか俺の方でやることも多いから、使えない日がある時は分かり次第すぐに教えてくれ」
そう言って、俺たちはそれぞれの宿に戻った。
その道中、俺は歩きながら今日の襲撃に思いを巡らせていた。
結局目的は分からず仕舞いだったが、あれだけの実力者が俺たちを狙う理由となると、考えられる理由はそう多くはないように感じた。
どんな理由、目的があるにせよ、今後も同じようなことが続くだろう。
勇者たちの強化を含め、魔王だけでなく身近な敵にも備えておかなくてはならない。
その日、俺は眠りに就くまでその対策を考えていた。




