第七十九話 整理運動
魔術の修行において誰もが直面する壁として、魔力の枯渇や、魔術行使による疲労感というものがある。
これは魔術に限った話ではなく、他のエネルギーを使った時にも言えることなのだが、エネルギーを扱うにはそれ相応の集中力が必要になる。
要は身体ではない部分が疲れるのだ。
それは運動して身体が疲れたり勉強して脳が疲れたりするのと同じで放っておいても治るが、運動後のストレッチのように積極的な休養を取り入れることで症状を軽くしたり、治りを早くしたりすることができる。
具体的に何をすれば良いのかと言うと色々あるのだが、基本的にはどの方法も原理は同じで、魔力行使によって体内で偏ってしまった魔力に外部から他の魔力を当てるなどして、正常――全身均一に魔力が通っている状態に戻すのだ。
魔力が体内から枯渇すると身体が重く感じたり、虚脱感や倦怠感に襲われたり、酷い時は意識を失うようなこともあるのだが、魔術の修行後の疲労感の正体は、言ってしまえば部分的な魔力の枯渇。
身体の中の特定の部分に魔力が集まったせいで別の場所から魔力がなくなっているという状態なのだ。
常に自身の魔力を制御しきっていられるなら話は別だが、一つのことに集中していないとこなすことのできないような修行をするのに、魔力のことを気にしていられる余裕などというものはない。
それで手先足先などの末端部で魔術を操るのだ。
体内の魔力に偏りが生じるというのは当然のことのように感じられることだろう。
さて、肝心のストレッチの方法だが、今回は時間のかからない手ごろなものを紹介しよう。
と言うのも実はこれ、ガッツリやろうと思ったら数人がかりで時間をかけてやることになってしまうのだ。
だから、今回は自分一人でできる簡単なものだ。
簡単だが効果の方は俺がちゃんと保証する。
まずは疲労感の原因、魔力の偏りを解消する。
これをするには前提条件として魔力操作がある程度できる、できなくとも体内の魔力を感知するくらいのことができないとお話にならないということは言っておこう。
要は偏っている魔力を身体中に流して均一に満たせば良いので、自分で体内の魔力を動かして均せば良いのだ。
魔力を使って疲れているのにそんなことができるのかと思うかもしれないが、それすらもできなくなる程身体を酷使したのなら今すぐ絶対安静で寝かせるべきなのだ。
これはあくまで疲労回復を促す行為。
倒れた人間を修復するようなものではない。
運動後のクールダウン――整理運動を思い浮かべてもらえば理解できるだろう。
とは言え、流石に運動と魔術では勝手が違う。
運動の場合はこれで終わりでも良いかもしれないが、魔術はこれではまだ足りないのだ。
これまたヴォルムに教わった世間的には知られていない知識なのだが、体内の魔力というものは動かしたり変質させたりすることで体外に出て行こうとするようになるらしい。
つまり意図的に留めておかないと、どんどん流れ出してしまうというわけだ。
魔力回復を早めるには、そうやって外に出て行こうとする魔力を体内に閉じ込める処置をするのが効果的なのだ。
では、そのために何をすれば良いのか。
手っ取り早いのは魔術が外に出て行かなくなる装飾品を付けることだ。
腕輪や指輪、ブレスレットなど、装飾品に魔力を留めておく作用を持たせることで、簡単に行うことができる。
ただこれらの装飾品は魔術を使う妨げになることが多く、魔術師などの魔術がメインの職種の人間にはあまりお勧めできない。
身体強化などの自身の身体にだけ作用するような魔術を使うだけの近距離戦闘員なら常時身に着けておけば良いと思うが、現時点ではともかく、将来的に勇者パーティのメンバーは皆魔術を使うことになるだろう。
よってこの方法は却下である。
そこで俺が提案するのが、魔法陣。
実はこれ、俺が自身の修行中に考案したもので、手軽さ、効果どちらを取ってもとても優れた方法なのである。
せこいように思われるかもしれないが、まだ魔法陣の利便性をいまいち理解していない彼らに学びたいと思わせるための宣伝も兼ねている。
用意するものは魔力を通すインク。
普段は紙や布などに魔方陣を描く時に使うものなのだが、今回は身体に直接描くために使用する。
ここまで言えばもう分かったと思うが、体内の魔力を留めておく魔術が発動するように設計した魔法陣を、手や顔など目立つ場所に描いておいて、寝たり休憩したりが終わった時に消す、というのが俺の勧めている方法の全容だ。
欠点としては特段簡単に描けるわけではない魔方陣を完璧に覚えておかないとできないという点が挙げられるが、これも回数を重ねるうちに気にならなくなるだろう。
魔力を通すインクに関しては品質を問うような使い方ではないので、適当に見付けた安いものを常備しておけば良い。
と言うか水に魔術を込めれば魔力を通す液体はできるので、色がないという書きづらさを無視できるのならそれでも良いのだ。
ちなみに、設置型やら持続型やらと呼ばれるタイプの魔術なので、魔力操作で描いて発動させるという方法はできなくはないが、やる意味がない。
ここまで説明して、俺は勇者たちに魔力の均一化をするように促す。
今日修行の様子を見ていた限り、これくらいのことは難なくできるようになっているだろうというのが俺の見解なのだが、果たして実際はどうだろか。
ある程度時間がかかるだろうと踏んで、俺は収納空間から取り出したインクと紙で魔法陣の見本を描いておいた。
五分ほどして、どうやら全員成功したようなので、魔法陣の見本を見せた。
魔力を固定する作用と魔術の発動、維持に必要な魔力を外から持って来る機構を取り入れた簡単な魔法陣。
誰でも描けるというほどの簡素なものではないが、勇者たちであれば三回も描かないうちに覚えてくれるだろう。
まずは見よう見まねで描いてみる。指導を入れるのはそれからだ。
今度は見本があったからか、勇者たちはそれを滞りなく自分の手に写した。
描き切った瞬間に発動するタイプの魔法陣なので、それぞれが完成させた瞬間に自分の体内で起こった変化を感じ取ってリアクションをとっているのが面白い。
俺はその様子を眺めながら、朝になったら落とすのを忘れないこと、中途半端に消すと別の魔術が発動してしまう可能性があるから気を付けること、それから修行前のウォーミングアップ――魔術であったら、魔力操作をして体内の魔力の動きを良くしておく――も取り入れることを伝えて、座学の時間をお開きにした。