第七十六話 習慣
俺は水球を手に乗せ、ブルー――魔術未経験者の方が成功させやすい理由を含めたこの修行についての説明を始めた。
「まず、そんなにショックを受けないでほしいってのは言っておくとして、この修行が何に繋がるかを教えよう。これは、無詠唱魔術の訓練だ」
俺は手に乗った水球をグニグニと変形させた。
「魔術の発動時にする詠唱っていうのは、習ったことがある人もいると思うが、魔術発動に必要な設定を詠唱によってしている。だがその設定は必ずしも詠唱が必要ってわけではないんだ」
細く延ばした水の塊を今度は掌の上でグルグルと飛び回らせる。
「要するに、まず魔力を込めて、その量に応じた規模の属性ごとの事象を作り出す。それから形を決め、速度やら広がり方やら、威力を決める。そして発射。この工程を魔力操作で出来れば良いんだ」
俺は飛び回らせていた水を空に向けて発射し、はじけさせる。
「つまり、発射しない状態で保っておけば、ブルーみたいに手の上に留めておくことができるってわけだ」
分かったか?
そう訊くと、ユウカが質問があるのか、少し控えめに手を挙げた。
「なんだ?」
「いまいち、未経験者の方が成功させやすい理由が分からなかったのですが……」
そう言っている間にも徐々に挙げている手が下がっていくほどに控えめな発言ではあったが、内容的には、この場にいる殆どの人間が同じことを思っていただろう。
言い訳のように聞こえてしまうかもしれないが、俺はこういう、他人に何かを教えるという行為を今までしてこなかった。
だからと言うか、何と言うか、分かりやすく説明したり、他人に伝えたりするのが苦手なのだ。
今も未経験者云々を話すつもりでいたのに、魔術発動の話しかできていない。
もっと台本を作るくらいに準備をして行けば順序立った説明ができるのだが、さすがにこんな初歩の時点で台本を作っているようでは、先が思いやられる。
「そうだな、それは、魔術経験者――特に詠唱による魔術の発動をしていた人からすると、いつも自動でやっていたことを手動ですることになるから、ゼロからやるより難しく感じるってことだ。慣れが悪い方向に作用するんだ」
数秒考え、頭の中で整理をしてから、俺はユウカの質問に答えた。
ユウカはありがとうございますとだけ小さな声で返し、修行に戻った。
すると、そのすぐ数分後に、ユウカが手の上に水球を留めておくことに成功した。
さすがは魔術を得意とする勇者と言ったところか、このままのペースで鍛えれば三日も掛からずに戦闘の中に無詠唱魔術が取り入れられるようになるだろう。
と言うか既に水球の扱いはブルーよりも上手くなっており、なんなら別の属性でも同じ修行を始めていた。
「スマル先生! これ、できるようになれば経験者の方が上達は早いかもしれませんね!」
珍しく――と言っても俺の前で見せないだけかもしれないが――テンション高めなユウカがそんなことを言ってくる。
はしゃぐその姿からは、成功した喜び、達成感、優越感が感じ取れた。
相当嬉しかったのだろう。
さながらジャグラーのように様々な属性の球をあちらこちらへ飛ばしては手に戻し、手に戻しては飛ばし、を繰り返していた。
何より驚いたのは、その球の数が同時制御で九つも出ていたことだ。
まだ俺の方が多くの魔術球を操ることができるが、すぐに抜かされるという気配が、何の根拠もないまま俺の中に渦巻いた。
とそんなことを考えていると、今度ははっきりとエルの手が挙がった。
「これのメリットは何? 使わないはずのブルーには必要なのかしら」
いつか学校で授業を受けていた時を思い出して指名して当ててやると、エルは少し不機嫌な様子でこんなことを言ってきた。
メリットと必要性。
簡単なようで、説明しづらい内容だ。
良い質問ではあるから、よく考えて答えなくてはならない。
「まずメリットだが、無詠唱で魔術が発動できるようになると、いちいち詠唱する必要がなくなるから発動までが早くなる。それから、詠唱によって相手に何の魔術を使うのかがバレなくなる。そして、急に発動するから、相手の意表を突くことができる」
まだあるにはあるのだが、一旦ここで区切ってエルの反応を見る。
さっきと変わらず、不機嫌そうなままであった。
「他にも自由度が上がるとかいろんなことがあるんだが、割愛するとして、実はデメリットもあることを話しておこう」
圧倒的に便利そうに見える無詠唱魔術にも、デメリットがある。
そう聞いた瞬間、俺はエルが微かにだが反応を示したのを見逃さなかった。
「今やってるように、慣れるまでは発動すら難しい。つまり練習しないと実践では使い物にならない。これがまず一つ。それから、精神的な乱れや疲労から魔力操作が不安定になると発動しなくなったり、狙った魔術とは別の魔術が発動してしまったりってこともある」
そんなものは修行でどうにでもできるのだが。
俺がその文言をあえて言わないでおくと、エルが口を開いた。
「無詠唱、魔王が攻めて来るまでに習得できるのかしら」
それは言葉を聞いただけでは単純に不安の表れのようにも聞こえるが、俺にはどうも「無意味だからやめましょう」と言っているように聞こえた。
なるほど、このやり口なら表面的には反抗しているようには見えない。
それだけ頭が回るのならだからこその修行だということに気付きそうなものだが、やはり人間、願望や感情に流されやすい部分があるのだろう。
弱い部分が出てきていることには気付いていなさそうだった。
「できなかったらできなかったで良いんだよ」
そこで俺は、必要性についての話を持ち出した。
「無詠唱ができなくても、自分が詠唱なしでできる工程だけ簡略化すれば詠唱の短縮になるし、そもそもこれは仕組みを理解するためにやっているだけであって、真面目に初級の魔術を使えるようになろうと思ってやってるわけじゃないからな」
「じゃあ、何を目指して……?」
「もっと上。まぁ魔術をメインウェポンとして使う場合に限るが、上級魔術を無詠唱で扱えるくらいにはなってほしいところだな。ブルーには防御系の魔術があるから、それを覚えてもらうのも良いかもしれないな」
ようやくエルは自分がどれだけ程度の低いことを言っていたのかを理解したようで、何も言わずに修行に戻って行った。
みんなが修行の意図、意味を理解したところで疲労が見えてきたので、一旦休憩を挟むべく、俺は土属性魔術で机と椅子を作り出した。
勿論無詠唱で。
これを見て便利だから使えるようになりたいと思ってくれれば良いのだが、どうにも詠唱という一般常識に囚われ、まだ未練があるように感じた。




