第六話 日本語
予期せぬ出来事に目を見開き驚きの表情を男に向けると、男は俺の反応を見てニヤリと笑った。
この男や子供たちが話していた言語が俺の知っているものとは違っていたため、元の世界の言語は通じないのだと思っていたのだが、一体これはどういうことなのだろうか。
『はは、いい顔だ。なぜ俺がお前の世界の言語を喋ってるんだ、とかそんなこと考えてんだろ? 分かるぜ』
母国ならぬ母世界恋しさに、ついに幻聴が聞こえるようになってしまったという可能性も考えたのだが、やはり男は日本語を話している。
幻聴ではないようだし、もちろん空耳でもない。
『と言っても原理は簡単なことなんだけどな』
では、なぜ? どうやって? という疑問が湧いてくる。
と同時に、子供たちが使っていないことから公用語ではないにせよ、この世界のどこかでは日本語が通じる、あるいは日本語話者が一定数いるのではないかという期待も湧き上がってきた。
もしそうならばいくらか生きやすいところで生活ができるだろう。
『俺がお前の世界の言語を話せるんじゃなくてな、これは魔術で話したことの真意が伝わるように変換しているんだ。俺からはお前にどう聞こえてるかは分からんが、きっとこの世界の言語に一致するものはないと思うぜ』
話せるとしたらいわゆる極東の国とかがあるのだろうか。
と、そんなことを考えている間に、男が何か大事なことを言った。
魔術とか言語とかあるとかないとか言っていたようだが、念のためもう一度聞きたい。
俺はポカーンと開いていた口を引き締め、縋りつくように男を見つめる。
すると、
『ん? なんだ、聞こえなかったか? もう一度言うからちゃんと聞いておけよ。これは魔術で翻訳しているだけで俺を含めてこの世界の住人がお前の世界の言語が話せる可能性はほぼゼロだ』
なんと、男は日本語を話しているのではなく、魔術を使っているのだった。
日本語が使えると舞い上がっていた俺は「ほぼ」と言いながらも実際には全くいないのだと察して、ベッドの上で崩れ落ちる。
『お前本当に良い反応するなあ。異世界人ってことは分かってんだが、その様子だと中身まで子供って訳じゃなさそうだな』
俺とは対極的に楽しげな男の声が聞こえる。
なんで俺が異世界から来たことを知っているのか気になったが、頭に血が上り始めた俺はすぐに忘れてしまう。
そのまま男に恨みを込めた眼差しを向けるが、できたのはそれだけで文句を言うことはできなかった。
だから代わりに子供たちのように騒いでやることにしたのだが、この時思いもよらないことが起こった。
「あうあうあー、うあーあー(自分だけ楽しそうにしやがって、ふざけんな)」
『お、やっと喋ったな。案外強気じゃねえか』
「うあ? うーうーあうあうあ?(は? 俺はただ声を出しただけなんだが?)」
『そうだな、それが喋ってるって言ってんだよ』
この男は急に何を言い出したのだ?
俺が発することのできる声なんて赤子が泣くような声だけだぞ。
……ってことは、
「うう? ああうああうあ?(まさか、言いたいことが分かってんのか?)」
だとしたら、もしかして今までの悪態は全部聞かれていたことになる。
それはあまり良くないとは思ったが、苛立つ俺はそんなことどうでも良くなっていた。
『言ったろ? 魔術で話したことの真意を伝えてるんだ。声さえ出せばたとえそれが言語ですらなかったとしてもその裏に隠された真意は読み取れるってことだ』
説明を聞いて、またバカにしたようなことを言っているな、と不快に感じたが、すぐに俺は「魔術」という単語に意識を集めていた。
結界があった時点で半ば確信していたが、やはりこの世界には魔術というものがあるらしい。
それも言語翻訳なんて便利な魔術が使われているくらいには発展しているのだろう。
それならこの世界の人間が恐ろしく強いのも身体強化の魔術が普及していると考えれば納得がいく。
貧弱で努力なんてものはしたくない俺でも、どうにか生きていけそうだ。
「あうあう。あーあうあ、ううあ?(なるほどな。便利な魔法だが、俺でも使えるようになれるか?)」
『魔法じゃねーよ、魔術だ。そうだな、訓練すれば使えると思うぞ』
訓練すれば、か。
つまりは俺の頑張り次第。
極力努力はしたくなかったが、最低限のことはする必要がありそうだ。
それに、魔法と言ったら訂正された。何が違うのだろうか。
「ううう、あああ?(魔法と魔術って何が違うんだ?)」
『大元は同じなんだが、魔法ってのは詳しく分かっていないもののことを指す。それに対して詳しく分かっているのが魔術だな』
ほうほう、要はよく生物の番組で見かけた「なんのためにするのかはまだ分かっていません」ってやつだな。
魔法学者みたいな連中が研究を頑張っているのだろう。
いや、いるのかすら分からんが。
『魔術に興味があるなら俺が教えてやることもできる。酷な話だがお前は捨て子だからな。生きるためには強くなって冒険者になる他にないだろう。なんなら、剣でもなんでも、興味があるのを言ってくれれば一通りは指南できる。拒否でもしない限りはこの孤児院とも保護施設とも言える我が家で育てるが、どうする?』
どうやらこの男、俺をここで育ててくれるらしい。
親のいない俺に最早選択肢はないだろう。
それに、男の強さは俺がこの目で見て分かっている。ここにいるのが安全だ。
「あう。あうあう(それは助かる。色々と教えてくれ)」
『おう、任せとけ』
こうして俺の異世界での生活が、ひとまずは始まることとなった。
「」内が一般的に話される言語で、『』内には作中で話している言語から見て外国語が入っています。
翻訳は「I like cake」を『私はケーキが好きです』と訳すような扱いです。必要に応じて横文字も使います。
世界が違うので厳密には別の生物でも大体同じなら「牛のような生物」を『牛』と言うようになっています。
以上、言語表記の説明でした。