第五話 見知らぬ天井
目が覚めると、そこには見知らぬ天井があった。
短期間で何度も意識を飛ばしていたせいでいい加減に起きるのがおっくうになってきていたのだが、ここに来てやっと、待ち望んだ展開になったようだ。
俺はそれに心が躍るのを感じながらも、まずは状況確認だと身体を起そうとする。
だが、その意に反して身体は思ったように動いてはくれなかった。
そこで思い出したのだが、今俺は赤子で、かろうじてはいはいができる程度の筋力しか持ち合わせていないのであった。
それでは仕方ない、と何とか動かせる部分を使って辺りを見回すと、どうやらここは木造建築の一部屋で、俺がいるのはそこにあるベッドの上だということが分かった。
更に言うとベッド以外には、すぐ横に置かれた背の低いタンスとその上に置かれたランプ。奥にはカーテンが開いた小さな窓がある。
まさに寝室、といった感じの部屋だ。
しかし、それ以上は何も分からなかった。
そもそもこの部屋にはものがあまり置かれていないというのもあるのだが、探索を続けようとしたその時に部屋に入ってきた何者かによって、俺の行動が止められてしまったのである。
「――! ――――!」
ドアを勢いよく開け放ち、そんな声と共に入ってきたのは四、五歳くらいに見える女の子だった。
「――! ――――!」
女の子は繰り返しそう言うと、俺のいるベッドに向かってくる。
それからベッドに上ると、俺の目の前にどかっと座った。
そして、硬直している俺の顔をキラキラと眼を輝かせながら見つめてきた。
俺に幼女趣味はない、というか小さい子は総じて苦手なのだが、こんなにも近くで見つめられると流石に恥ずかしい。
正直なところ今すぐやめてほしいのだが、その意思が伝わることはなく、逃げられるわけでもないので、この子が満足するまではこの状態のようだ。
それが続いたのは果たしてどれくらいの時間だったのだろうか。
俺の体感ではとても長い時間そうしていたように感じたその時、女の子は満足したのか最後に偉そうに頷いてからどこかへと走って行った。
本当に何を考えているのか分からないが、ひとまず落ち着くことができそうだ。
それができたら、もう一度探索をしてみよう。
そう俺が安堵していると、今度は開いたままのドアから複数の足音が近付いてくるのが聞こえた。
走っているようで、ドタドタと迫ってくるその音には何とも言えない圧迫感があった。
なんとなく先の展開が読めてしまった俺は、それが外れることを祈りながらドアの方を見る。
しかし現実はいつだって非情で、次の瞬間、そこから入ってきたのは男二人に女四人、計六人の子供たちだった。
「―――! ―――!」
「―――――。――――――」
「――! ――――!」
なだれ込むように入ってきた子供たちは、みんな口々に何事か叫んで、ベッドの周りを囲うように走り回っている。
全く何を言っているのか分からない叫び声というのものには恐怖しかなく、おそらく子供たちは好意的な意思を持って叫んでいるのだろうが、それでも恐ろしいことに何ら変わりはなかった。
きっと、辺境の先住民に囲まれでもしたら今の俺と同じ感覚に陥ることだろう。
あまりの恐ろしさにこれは狩りの儀式なのではないかと不安になったくらいだ。
そんな斬新な恐怖体験に俺が身を縮めていると、ドアの外から新たな声が聞こえた。
「―――、――――――――――。―――――」
聞き覚えのある声。それが聞こえた方を見ると、そこには俺を助けてくれた男が立っていた。
子供たちは一瞬動きを止めると、ギャーギャーわーわーと騒ぎながらその男に走り寄った。
男は特に迷惑する様子もなく、子供たちを宥めて優し気な笑みを浮かべている。
一目で互いのことを好ましく思っているのだということが分かる何とも微笑ましい光景だった。
今見えている状況だけを切り取ると、俺が元いた世界の保育園や幼稚園という施設が思い出される。
そうだとするとこの男は保育士か何かということになるのだが、この世界の保育士とは狼の群れを圧倒できる強さがないと務まらないのだろうか。
そんなことはないだろうとは思うが、もしそうだった時のことを考えると、俺はこの世界でやっていける気がしない。
どうにかしてその辺のことを早く知りたいところである。
俺が考察をしている間も、男と子供たちは戯れていた。
そして、子供たちが大人しくなってきたところで、男は子供たちを引き連れて部屋の外へ出て行った。
俺のことを気遣ってくれたのだろう。ありがたいことだ。
それから数分間、俺は中断されていた部屋の探索をした。
が、俺では開けることのできないタンスの中以外は既に見終えたところで、新たな発見と言っても子供たちが暴れたせいで少しカーテンが乱れていたりベッドのシーツがしわくちゃになっていたりすることくらいしか見つけることはできなかった。
他にすることもないのでまだ何か、何かあるはずだ、と半ば狂気的な探索が始まろうとしていたが、それは男が再び部屋に入ってきたことによって阻まれる。
よく考えてみれば俺は森で保護された捨て子、とかそんな感じの立場にある。
そんな俺の様子を見に来てくれたのだろう。
言語が分かれば色々と話ができるのだが、それは高望みが過ぎるというものだった。
さっきは人間の強さとかその辺について知りたいと思ったが、俺はそもそもこの世界に関しての知識がない。
強さがどうなっているのかだけでなく、この世界に関しての知識がなければ生きていくのは難しいだろう。
特に礼儀や常識が違ったら、知らぬ間に無礼を働いて殺されるなんてこともあるかもしれない。
金銭や言語についても分からないと困ることしかなさそうだ。
早く、この世界のことを知りたいところである。
こうして俺が男を眺めて勝手なことを考えていると、それまでただ俺のことを見ているだけだった男が口を開いた。
『さっきは騒がしくてすまんな。みんな新入りが来たってはしゃいでんだ』
そこから放たれた聞きなれた言語に、俺は思わず思考を止め、反射的に男に目を向ける。
そう、男が話したのは紛れもない、日本語だったのだ。