第百六十九話 暗闇
一時休憩、とはいえ明かりの全くない森の中ではそう易々と休息がとれるわけではなく、周囲を警戒しながら、今後について改めて話すことになった。
「とりあえず、ここがどの辺りなのかを確認したい。教会からどれくらい進んできたかは覚えているか?」
まずは何と言っても現在地の確認だ。ヴォルムはそもそも教会のあった町が地図の上ではどの辺りに位置しているのかもよく分かっていなかった。そこで頼りになるのはリフィルの土地勘だけ。走っている時は彼女の指示を聞いていたから、それが間違っていなければすぐにここがどこなのかが判明するだろう。ただ、時折追手がいることを想定してゴチャついた走路を取ったため、もしかしたら正確な位置情報は分からなくなってしまっているかもしれない。それでも、ヴォルムはどの方角にどのくらい進んだかを感覚的につかんでいるから、そこのすり合わせができれば大まかな位置くらいは割り出せるはずだ。
ヴォルムの質問を聞いて、リフィルは一拍置いてから胸を張って立ち上がった。自信満々といった表情である。
「任せてください! 私、こう見えても方向感覚には自信があるんです。今は地図を持ち合わせていないので伝えるのが難しいですけれど、正確な位置を把握している自信がありますよ」
なんと頼もしいことか。妙に軽く感じられる身体を精一杯動かして移動してきたから、方角はともかく距離までは分からないと思っていたのだが、杞憂だったようだ。早速、次に進む方向を決めるためにも、聞いておこう。
「で、どこなんだ、ここは」
「ヴォルムさんに言われた通り、追手が簡単に追って来られないように国境を越えました。一番近くの国境を目指しましたから、戦場からは間反対の国境を越えたところと言えば良いでしょうか。方角としては教会から南西の方角に進んだところです」
「戦場になっているのは北側の国境……。それで、一番近くの国境を目指したら南西……。国の形が確かこんなだったから……。よし、なんとなくではあるが、現在地がつかめた気がする」
これで一つ、問題が解決した。しかし、ヴォルムたちが抱えている問題は一つではない。逃亡が急だったのもあって準備不足なのだ。その証拠に、今、手元には何もなかった。着の身着のまま、身に着けていたものがそのまま装備と持ち物。武器になりそうなものはポケットサイズの刃物一つだけ。それを使ってサバイバル的なことができなくもないが、追手を気にして火が起こせず、水と食糧も持ち合わせていない状態では何もできないと同義だった。
「それで、ここからどこに行くんですか? ヴォルムさんの目的を果たすなら、最終的には国に――戦場に戻ることになると思うのですが、流石にこのまま突撃するなんて言い出しませんよね? 命を捨てるために逃げてきたわけじゃないんですから」
リフィルも早急に次の手を打たないと危ないと理解しているのか、ヴォルムがどう考えているのかを聞いてきた。もちろん、この不安定な状態で戦場に戻るつもりはない。ヴォルムは部隊をまとめる隊長ではあったが、それは統率力と頭の良さを買われて任命されたものであって、個人の戦闘能力が評価されたわけではないのだ。武器も持たずにあの場に戻っても、生きていられるのはたったの数秒――いや、それどころか戦場に立つ前に不審人物として殺されるかもしれない。戦場とはそういう場所なのだ。一度軍を裏切って戦場から抜け出してしまった以上、あそこに戻れば全てが敵。その全てを相手取っても負けないだけの力が必要なのだ。
しかし、果たしてそんな力を手に入れることができるのだろうか。生命エネルギーを消費して戦っていた時の自分ならまだ分からないが、こうして通常状態の自分をいくら鍛えても、そんな一騎当千の強者になれるとは思えなかった。協力してくれる仲間を探すにしても、都合よく強者がいて、しかもどう考えても危険で不利な事しかない場所について来てくれるとは考えられなかった。
先が見通せない不安を抱えたまま、しかし、このまま黙ってもいられないヴォルムはここから同じく南西の方角に村か町か、とにかく人の住む区画があったことを思い出した。
「まずは食料を確保したい。このまま進んだところに人が住んでいるはずだから、そこで食料を恵んでもらおう。急に飛び出してきたもんだからこっちから差し出せるものは持ち合わせていないが、そこは心優しい人が住んでいることを祈るしかないな。そうだ、リフィルは服の中に何か入ってたりはしないか? あったとしてそれを使うかどうかの決定権はリフィルにあるが、把握しておいた方が良だろう。俺はこのナイフ一本だけで、他は金銭も食糧も持ってない」
ヴォルムが取り出したナイフを再びポケットの中に入れ直している間に、リフィルはやたら布の枚数が多い修道服のあちこちを手で触って確かめていた。それから服の中に手を突っ込みいくつかの瓶を取り出した。
「解毒薬と、魔力回復薬が何本かと、十字架のネックレス、それから護身用のナイフは私も持っています。ネックレスには退魔のまじないがかけられているので、物理的に遮断できる結界ほどではないですが、魔物を退ける効果があります。こちらを認識していなくて、興奮状態でないような魔物がなんとなくこれを避けてくれるそうです」
「へぇ、さっきから警戒しているが、魔物が寄ってこないのにはそういうからくりがあったんだな」
「はい。安心することはできませんが、肩肘張って、神経を擦り減らすほど警戒はしなくても良いかと。ただ、追手が来るとしたら人間ですから、そっちの警戒はしておかないといけないんですけどね……」
それでも十分だ。こんなところに退魔のまじないを無視するような強力な魔物がいるとは考えづらいし、興奮している魔物も同様だ。今のような夜には人よりもそういった魔物の方が怖い。それを心配しなくても良いというだけで精神的にだいぶ楽なのだ。
「どちらにしても、警戒は任せろ。気配を探るのは俺の方が得意そうだからな」
「そうですね、私は教会に何人帰って来たかも分かりませんでしたから」
「……拗ねてる?」
「拗ねてないです」
にっこりと笑うリフィル。暗闇で見たからか、その笑顔はどこか恐怖を感じさせるものだった。




