第百六十八話 逃亡
自分が持っていた情報と違う。その事実にリフィルはおろおろと取り乱していた。隠し事をしようという時に予想外のことが起こったのだから仕方ない。しかし、今パニックになっても何も進展しない。ヴォルムは事前に考えていた通りに提案した。
「俺と一緒に来るか、ここで反逆者として死ぬか、選べ」
その言葉にリフィルの動きが止まる。数秒間固まって、なお言っている意味が理解できなかったのか首を傾げた。
「その、何をしようと、しているのですか……?」
「簡単な話だ。ここから逃げる。それについて来るか、ここに残って敵国の軍人を匿った反逆者として処刑されるか、って話だ」
シスターが一人帰ってくるくらいだったらどうとでもなったかもしれないが、司教が帰ってくるとなると話が変わってくる。戦争の作戦を立てたりする中枢に参加しているような人物だ。ヴォルムのことを見つけたら確実に排除しにかかってくるだろう。会話をする余地もなく攻撃を仕掛けられるかもしれない。そうなった時に、正直今のヴォルムには勝算がなかった。軍部の中枢に参加している魔術師と、部隊をまとめることで価値を生み出していたヴォルム。実際に向かい合ってみるまでは不確かとは言え、司教の方が戦闘能力が高いと考えるのが妥当だった。それに、取り巻きのシスターも魔術を教わっているのなら人数的にも戦力差は明白だ。そうでなかったとしても、現状、極力戦闘は避けるべきである。どう転んでもここは敵地。できる限り穏便に抜け出す努力を欠かしてはいけないのだ。
「どうするんだ。時間はないぞ」
「えっ、あ、でも、逃げないって……」
依然として混乱した様子のリフィルを急かすように声をかける。それでも逃げないと約束したことは覚えていたみたいで、ささやかな反論を受けた。確かに、逃げないと言った。ここから勝手に出て行かないことを約束したのは事実だ。だが、それが成立するには重要な前提があった。それは、この教会が安全であること。リフィル一人しかいない間の教会は少なくとも引きこもっていれば外に情報が洩れる心配のない安全な場所だった。だから出て行かないと言えたし、二日後にシスターが一人帰ってくるにしたってどうにかできると思っていた。しかし、最早ここは安全な場所ではない。むしろ、ここに留まれば留まるほど危険だ。それはリフィルにとっても同じ。だが、状況を理解できていないリフィルには、ヴォルムが何を言っているのかも分からなかったようだ。
それならば説明をすれば良い。説明して、説得すれば分かってくれるはずだ。混乱していてもリフィルは馬鹿ではないのだから。しかし、もう時間がなかった。こうしてやり取りをしている内にも司教たちはこちらに迫ってきている。今すぐ出ていくか、でなければもう見捨ててしまおうか。所詮は敵国の民、どうなろうと知ったことかと見捨てる選択肢がヴォルムの頭に浮かぶ。残酷な選択肢であったが、それを選ぶのがやむを得ないのであれば、ためらいなく選べるだけの覚悟がヴォルムにはあった。それでも、やはり助けてくれたリフィルには生きていてほしい。最後にもう一度だけ問いかけることにした。
「生きるか、死ぬか。どっちが良い」
できるなら死んでほしくない。そんな意思を込めて、ヴォルムはリフィルの瞳をじっと見つめた。気圧されてリフィルの動きが再び止まる。一拍置いて、ゆっくりと口が開いた。
「死にたくは、ないです」
その言葉を聞いて、ヴォルムは窓から飛び出した。
「もうそこまで来てる。急げ!」
それでもなお何が起こっているのか分からない。そんな顔をしたリフィルを一旦無視して、町の外へと走った。その際、リフィルが服装もあってあまり機敏には動けず抱えて走ることになったのだが、いわゆるお姫様抱っこの体勢で抱えた時にあることに気付いた。
軽い。リフィルの体重が見た目より軽かったというのもあるかもしれないが、それにしたって軽かった。いや、正確には軽く感じられた。思わず失礼を承知で体重を聞いてしまったが、その数値は想定の範囲内だった。それが想定以上に軽く感じられる。そこから導き出されるのはヴォルムの身体が強化されているということだった。
一体何が要因となってそんな現象が起こっているのか。リフィルが魔術を使っている様子はない。となると、自分自身に要因があるということになる。しかし、もちろん意図的に身体強化の術を行使しているなんてことはないし、不要な場面でわざわざ魔力を消費するようなことはしない。一瞬考えたくらいでは答えが見つかるはずもなく、今はとりあえず楽に運べるならそれで良いかと置いておくことにした。
「すぐに追ってくる気配はないが、あの部屋を見られたら良からぬものがあそこから逃げたことがバレるだろう。捜索隊が出されるかもしれない。そうなった時に安全なように国境を越えるつもりだ。道案内を頼むぞ」
「は、はい。分かりました。任せてください!」
結局、リフィルに何も説明できないまま、ヴォルムたちは国境を越え、戦争相手の領土内に侵入した。
「説明、してもらえますか?」
すっかり日も落ちて暗くなったので、森の中で休息する。火をおこすと場所を教えるようなものなので、焚火はなしだ。
「まず、誰かが教会に入って来た、あるいは帰って来たわけだが、その人数が四人だったんだ。聞いた話によれば教会から出ていた人数ピッタリ。つまり、司教が帰って来たってわけだ。出て行かないという約束は教会が安全であることを前提としている。それが崩れた以上、俺にはあそこに留まる理由がなかったんだ」
「一旦、それを信じましょう。もう引き返せないところまで来てしまいましたから。それで、私を連れだしたのはどうしてですか」
「理由は二つ。まずは道案内役だ。俺も地図を見たことがないわけじゃないから、ある程度の地理感覚はある。ただ、現在位置が正確につかめない限りはその知識は活かせない。それをすり合わせるために連れ出した。あとは、その、死んでほしくなかったからだ。バレたら処刑ものなんだろう? 俺が関わったせいで死んでほしくなかったんだ」
納得してもらうために、包み隠さず全部話した。適当に嘘を吐く必要もなかったし、それで見破られたらこれ以上の協力は見込めなくなってしまう。味方がほぼいない現状、信頼できるのは半ば強制的に引きずり込んだとはいえ似た境遇のリフィルだけだ。離脱しないでくれ、とひたすらに祈った。
「分かりました。約束の件は、確認しなかったこちらも悪いということにしておきます。でも、今後はできる限り約束したなら守ってくださいね」
「ああ、それは、もちろんだ」
これからもとりあえずは一緒に行動してくれると解釈して、ヴォルムは胸をなでおろした。なぜこんなにも緊張したのか、自分でも不可解な気持ちに困惑しつつ、二人の逃亡生活が始まった。




