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第百五十九話 リスタート

 普通、旅人は行く先々で寝床を確保する時に宿屋を利用する。例外的にその土地で知り合った人の家などに泊めてもらうこともあるが、基本的にお金がない場合は野宿で凌ぐしかない。ヴォルムもそれに倣って、一通りリフィルと話した後は外に出て行こうと思っていたのだが、そういう人を助けるのが教会だからと引き留めてくれたのでありがたく利用させてもらうことにした。


「でも、本当に良かったのか? 俺は無一文で身分を証明できるようなものも持ってないぞ」


 利用させてもらう。しかし、だからと言って思うところがないわけではない。生きていることに対していくらか後ろ向きになっているヴォルムは、どうなっても構わない自分なんかに優しくしても良いことはないのに、とリフィルの優しさに否定的だった。


「だからですよ。さっきも言った通り、ヴォルムさんみたいに、その……客観的に立場の弱い人を助けるのが教会なんです。それに、見返りが欲しくてやっているわけじゃありませんから。何か訳ありなのでしょうし、ここでゆっくり休んでください」


 本当にありがたい限りだ。戦場から逃げてきた上に生命エネルギーを消費しているのでゆっくりできるかどうかは正直まだ分からないが、少なくとも今日は寝床に困らなさそうである。

 いっそ死んでしまっていたら楽だったのに。先程まではそう思っていたが、宗教的な動機が強いとはいえリフィルの優しさに触れて生きていても良いのかもしれないと、そう思えるようになっていた。


「ありがとう。そうさせてもらうよ。でも、流石に何もせずに寝床を提供してもらうのは心苦しいから、何かできることがあったら手伝わせてくれ。大抵のことはできるつもりだ」


 ヴォルムは持ち前の賢さゆえに様々な技能が思いもよらぬ場面で役立つことを理解していた。そのため彼は軍人として生きるには一見無用にも思える技能を多数習得しているのである。


「そうですねぇ……せっかくそう言ってくれたのを断る理由もありませんからね、色々とお願いしましょう。旅人で、それも一人となるとできることも多そうですし。あっ、でも、無理はしないでくださいよ? 昨晩は倒れていたんですから」


 そう言われて自分が病人や怪我人と同じ扱いであることに思い至る。既に生命エネルギーによって体調は万全の状態なのだが、それを言ってもリフィルは信じてくれないだろう。強がりだと判断されてしまいそうだ。あわよくば信じてもらえたとしても、恐らく彼女は精神面にも傷があることを見抜いている。無理をするな。ゆっくりしていろ。何かをしてあげようと頑張る度にそう言われてしまうのが目に見えるようだった。


「気を付けるよ」

「はい。気を付けてください」


 そう言うと彼女はにこりと笑って立ち上がり、部屋の出口の方へ歩いた。


「では、私はやることが残っているので一旦そちらに向かいますね。その後、早速手伝ってほしいことがあるのですが体調は問題なさそうですか?」

「ああ、大丈夫だ。力仕事でも悪党からの護衛でも、なんでも任せてくれ」

「ふふっ、いきなりそんな大変なことは頼みませんよ。夕飯の支度を手伝ってもらうんです。作る量が多いと食材の下処理も面倒ですからねぇ……」

「へぇ、そんなに多いのか」

「ええ、楽しみにしていてください。それでは」


 リフィルはドアを開けると胸の辺りで小さく手を振り、そのまま出て行った。ヴォルムはそれに手を振り返して見送り、ドアが閉まるのを確認してからベッドに身体を放り出した。

 起きた瞬間は混乱していて思考がぐちゃぐちゃになってしまっていたが、リフィルと話している内にだいぶ心が落ち着いてくれた。そこでこれからどうするのか、どうすべきなのかを考える。

 まず、倒れていたところを助けてくれたリフィル、それからこの教会には何かお返しをするべきだろう。彼女は見返りを求めていないと言っていたが、それは拒むという意味ではない。感謝の気持ちをもって差し出されたものを嫌がる人間なんていないのだ。自分の中にある感謝の気持ちはちゃんと形にしよう。ヴォルムはまずそう決めた。

 しかし、そこに至るまでに様々な問題がある。一つ目は金銭的な問題。ヴォルムは戦場から逃げてきたため、戦場において不要物であったお金を持っていない。もちろん、国に帰ればそれなりの財産があるのだが、戦争中に逃亡したヴォルムは罪人である。今さら戻ることはできないだろう。

 二つ目は身体的な問題。これはひとえに生命エネルギーを消費してしまったことが原因だ。体調はすこぶる良いのに、いつまで生きていられるかが分からないのである。自分の中の大切な何かが減ってしまったことは知覚しているのだが、元々意識していなかったものだ。どれくらい減って、どれくらい残っているのかが分からない。搾りカスで生きながらえている可能性を思うとゆっくりはしていられなかった。

 三つめは今いる場所がいまいちどの辺りなのか分からないという問題だ。大陸の中の地理情報はなんとなく頭に入っているにしても、距離と方角が分からないことにはここがどこなのか断定することはできない。地図の上で戦場から直線を引いて間に何か挟まる都市はあり得ないとも思ったが、逃走の内にあっちへこっちへ進む方角を変えていたので、思ったより遠くへ来てしまっている可能性も捨てきれない。もちろん、逆に思ったより戦場の近くである可能性も。こんなことで悩むならさっき聞いておけば良かったな。そんな小さな後悔をしながら、ヴォルムは戦争が起こったことがどこまで広まっているのかを考えた。

 隣国は戦争が起こる前からその空気を感じ取っていたはずだから実際に戦闘が行われていると知れば戦争が起こったと認識するだろう。だが、遠くの国に正確な情報が行くまでには時間がかかる。末端の都市ともなればなおさらだ。ヴォルムが戦場から逃げ出したのは開戦のその日であったから、もしかするとこの町の人間は戦争があったことを知らないかもしれない。それが具体的にメリットになるのかというと微妙なところではあったが、知らない方が敗走兵であることがバレにくいだろう。それと、無いとは思うがヴォルムの所属していた国が勝った場合、ヴォルムのことを探しに来るかもしれないのだ。そう思うと身分を隠したままでいられる可能性が高い、事情を知らない遠くの国であることが望ましい。

 とはいえ、今そんなことを考えても仕方ない。結局はリフィルに聞いてみて、そこで初めて対応を決めなければならないのだから。彼女が素性を明かすように言うのならそれに従うしかないし、彼女がヴォルムやその所属していた国を敵対視していて、その場で殺される、あるいは軍部に引き渡されるのだとしても文句は言えない。

 そこでヴォルムは思考をやめた。とりあえずは彼女と良い関係を築くのが生存への近道である。だから今何よりもやらなければならないことは手伝いだ。それを完璧にこなす。そう心に決めて呼ばれるのを待った。

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