第百五十一話 もう一つのプロローグ
現在からさかのぼること六千年、まだ人間が今のような都市を築く前の時代に、ヴォルムは森の中のある集落で生まれた。河口に近かったその集落には多くの獣人がおり、特に水棲生物の特徴を持っている者が多かった。それでいて純粋な人間も一定数いたため、獣人の血が薄まったヴォルムは鮫の獣人の血を引きながらも、身体的にはその特徴がほぼ見られなかった。
エラやヒレなどの水中で活動する際に有用な器官がないヴォルムは水辺が近いとはいってもそこで自由に動けるわけではない。どちらかというと人間たちと共に森で過ごす時間の方が長かった。
ヴォルムの住んでいた集落にいる人間は、基本的に外から入ってきた者たちである。小さいころのヴォルムは知らなかったが、純粋な人間は皆、遭難者だったのである。言ってしまえば、集落によって救われた者たち。さらに、感謝からここに住み着くような人間しかいなかった。
そんな偏った環境で育ったヴォルムは世の中を知らなかった。だから、外に出た。禁止されているわけではなかったが、誰も外に出て行かない。同調圧力というのか、集落の外に出ないというのは半ば暗黙のルールとなっていたはずなのだが、禁止されていないのなら誰にも咎められないと好奇心を優先したのだ。十五歳の時の出来事だった。
十五歳というのはこの世界において十分に大人とみなされる年齢である。そのため、集落から町に出てきたヴォルムがお子様扱いされることはなかった。若いと侮られることはあったが、事実であるため無暗に反論したりはしなかった。それに、若いというのは言い換えれば一番精力的である時期でもある。彼に商売を持ちかける人も少なくはなかった。そんな中で、彼は今でいうところの冒険者になった。当時は冒険者なんて制度はなく、他の国や地域との連絡手段も確立されていなかったため町の周辺や近くの村で起こった問題を解決するための人員として雇われたわけだが、ヴォルムはまずそこで力を発揮した。
そのころのヴォルムの特徴は頭の良さに合った。仲間から「賢い」と評価されるほどには頭が良く、自分の行動が後にどのように影響してくるのかを計算するのが上手かった。そのため、誰に媚を売れば良いのか、どの店に多く金を落とすべきなのかを素早く見極めてすぐ実行に移したし、依頼で外の魔物を狩るときも彼の指揮能力は仲間から厚い信頼を集めていた。
もちろん、指揮だけでなく戦闘面でも頼りになった。集落の外に出たときはそこまで突出して戦闘ができたわけではなかったが、持ち前の賢さで強さへの近道を知り、さらには努力も相まってすぐに町の中でも上位の実力者と張り合えるようになった。
止まることなく実力を伸ばすヴォルム。このころの実力者というのがほとんど生まれ持った身体の強さや直感というもので生き抜いてきた者たちだったため、頭の良いヴォルムは身体能力で劣る相手にも勝てるほどの強さを手に入れていた。
しかし、いくら頭が良いと言っても、全てを知っていて、いつでも最良の判断ができるわけではない。知識として持っていないことを根拠にして判断はできないのだ。
「どこでどう育てられたらそんなに頭が良くなるんだ?」
いかにも頭の悪そうな質問。ある酒の席で訊かれたヴォルムは、頭が良いと言っても色々あること、それから出身が分かったところでお前の頭が改善されるわけじゃないと伝えた上で質問に答えた。
「森って言うか、川って言うか、海って言うか、とにかく全部混ざったみたいな集落に色んなところから人が来てたから、そこで話聞いたって感じだな。何があったらどうしろってのを色々聞かされたよ。俺がこうやって外に出てきたのもその話聞いて外の世界が気になったからだしな」
この返答が後に自分を苦しめることになる。ヴォルムはそんな可能性を少しも考えていなかった。
それからしばらくして、ヴォルムは仲間の態度に異変があることに気付いた。しかし、デリケートな問題であった時のことを考えると迂闊に当人たちには訊けない。仕事には支障がなかったため、放っておくことにした。
それが間違いだった。その時に何があったのかと尋ねていれば結果が変わったのかと言われると何とも言えないが、少なくとも放置するのは良くなかった。ヴォルムが語った内容から出身の集落、それからそこには獣人が多くいることが割り出され、そんなところで育ったのかと差別の目を向けられていたのだ。
ヴォルム自身に外見から分かるような特徴がなかったお陰で彼が追い出されるようなことはなかったが、明らかに避けられている。それはとても居心地が悪く、次第に仕事にも悪い影響が出るようになっていた。特に、指揮役を任せられているのにそれに背いた動きをされることが増えてからは、最早指揮役としての彼の存在意義はなくなってしまったようなものだった。
かといって戦闘員として働いても、代わりの指揮役の指示はどこか効率が悪い。ヴォルムはその不満が溜まって爆発してしまう前に、自分からその街を出た。いや、結果的には追い出されたようなものなのかもしれない。
ヴォルムにとって、初めての挫折だった。
幸いなことに金はあるし、外で生きる技術も身に着いた。種族間の差別については考えたこともなかったが、そういう偏った思想が世の中には存在する。それを知ることができたというのが、あの町での収穫だ。ヴォルムは世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあると悟った。だから、集落には帰らず、別の町を探すことにした。
そして、あっちへ行きこっちへ行き、五年が経ったころ、ヴォルムはある町――あるいは国といえるほどの規模の都市で一つの部隊を束ねる役職に就いていた。実力至上主義であったその国で傭兵として働くうちに、持ち前の指揮能力、それから戦闘能力も申し分ないとして軍にスカウトされたのだ。傭兵上がりであまり良い顔はされなかったが、実力が全ての世界では表立って対立してくるような輩はいない。ヴォルムはここでならばと自分の部隊を丸ごと上位の部隊に引き上げてしまおうという野心を持ってその仕事に取り掛かった。
その意気がどう作用したのかは分からない。ただ彼の部隊は幾度かの戦争で常に勝利をおさめ、戦果を挙げた彼に対して傭兵上がりと嫌な目を向ける者はいなくなっていた。
また、彼も男である。救護部隊のある女性と恋仲になってからは休日は彼女のために時間を割き、いずれは家庭を、なんてことを考えるようになった。いつの間にか生まれ育った集落の記憶は薄れ、目の前の幸せしか目に入らなくなる。
事件が起こったのは、丁度そのころだった。
お久しぶりです。大分落ち着いてきたので今週から週一更新が再開できそうです。
……まだ、確実に安心できるとは言えないんですけどね。
とはいえ、ここに書いたからには頑張って更新しようと思いますので、今後もよろしくお願いします。




