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#3


あれから二週間が過ぎた。ジャックと言った中華料理店はやっぱりおいしかったが、「ミッドナイトビー」に関しては大きな進展もなければ小さな進展もなかった。完全に手詰まりになってしまった私は仕事に向かうしかなかった。

時計を確認すると午後二時を回っていた。そろそろ出ないと。

「それじゃあ、先方との打ち合わせに出てきます」

クレイグに一言声をかけてコートを羽織る。三月とはいえロンドンはまだ寒い。

「なんだ、今どき直接会っての打ち合わせなんて珍しい」

「ええ、代替わりした社長さんが古風な方で、必ず会ってお話をしたいそうなの。場所はええとーーー」

私は端末を起動してメールを確認する。

「あぁ、ナショナルギャラリーの向かい側にある本店」

「そうか、まぁ、地下鉄チューブで移動だろうけど気を付けて」

「ありがとう、それじゃ、行ってきます」

屋外に出るタイミングでコートの襟を立てて、マスクのフィルタレベルを上げる。一〇年前には想像もつかなかった習慣がついていることが、時々自分でもおかしくなる。とはいえ、耐性菌の猛威は止まることを知らず、このロンドン市内だけでもかなりの数の人が現代の医療技術をもってしても根本治療の見込めない病魔に臥している。明日は我が身なのではあるが、そんな日常に慣れてしまってるのだ。

最寄り駅までは数ブロック、目的地のチャリンググロス駅までは乗り換えなしで行けてしまう。約束の時間の一五分前には付けるだろう。

電車を降りて果てしなく続くのではないかと思うくらいの階段を上り、赤い星が目印のカフェへ足を進める。ここはプライベートでも来ることのある店舗なので迷いはない。

店に入るや否や、赤毛で恰幅の良い男性が迎えてくれる。彼こそが代替わりしたばかりの新社長、ウィリアム・アッシュフィールドだ。

「やぁ、ヒメリ。ふむ、一五分前か。やっぱり君は日本人だな」

約束の時間の前に到着するというのは小学校の時に教え込まれた「五分前行動」なる習慣のせいであるのだが、ま、こういうところが古風で風変わりな社長に私が好かれる所以でもあるのだ。

「わざわざお出迎えありがとうございます。ミスター・アッシュフィールド」

「いいんだよ。社運がかかった大事なデザイナー様だ。あぁ、それとウィルでいい。堅苦しいのは嫌いなものでね」

私が差し出した右手をぶんぶんとシェイクしてくれたウィルは、店の奥にある応接室へと通してくれた。



「さて、新作の抹茶を使ったラテなんだが、日本人としての感想をもらってもいいかね」

いつから新作の試飲会になっていたのか、私はまだ店頭に並んでいないいくらかの商品をごちそうになっていた。直接呼びつけた理由はこれか。

「とってもおいしいです。ただ、僭越ながら日本人として申しますと、渋みが足りません。甘さだけを求めるお客様にとっては良いかもしれませんが、本格的な抹茶を求めるお客様にとっては物足りなさがあるかもしれません。そうですね、クリームの量を調節したらいいかもしれないです」

ウィルが無言でこちらを見ている。おっと、言い過ぎたか。

次の瞬間、はっはっはっはと大声で笑ったのちで

「やっぱり、ヒメリ、君は面白い女性だ。そうやって素直な感想を言ってくれる社員が少なくてな。実は今回の商品は私が考案したもので、社員が美味いとしか言わなくて困っていたんだ。どうだね、うちに来てやってみる気はないか」

「い、いや、私は今の仕事が――――」

「冗談だよ。デザインのセンスも抜きんでている君を引き抜くなんて、そちらの社長さんに喧嘩を売るようなことは私にはできないよ」

やっぱり面白い社長だ。いい打ち合わせができそうだ。

「ええと、こちらが、お持ちしたデザイン案になります。三種類ほど用意したので、良ければ選んでいただきたいのですが」

テーブルの上に置いた電子ペーパーの上に私がデザインしたロゴが三種類浮かぶ。現行の星印をメインに据えたうえでよりシンプルにしたもの、逆に華やかさを追加したもの、そして大胆に星の大きさを変えてみた挑戦作だ。

「うーむ、どれも秀逸だ。私の店の看板として使っているイメージが克明に浮かぶよ。星の大きさを変えてみるというのは全く思いつかなかったな。ところで―――」

選んでもらう前に話題が変わってしまい私は拍子抜けしてしまう。

「ええ」

「君はうちの店舗がいくつあるかは知っているかね?」

この質問は大丈夫、ちゃんと予習してあるわ。

「全部で七店舗でしたよね」

「そのとおり。よく調べてくれているね」

「もちろです。大事なお客様ですので」

「それでは勉強家のヒメリにもう一つ質問をさせてもらうよ。うちの七店舗の場所にはある意味があるんだがしっているかな?」

おっと、盲点。そこまでは知らない。

「ごめんなさい。そこまでは調べていなかったわ」

「素直なところもよし。やはり私のみ込んだ女性だ。この情報は知らなくて当然。外に出ていない話だからね」

試されていたのか…やっぱりこの社長は侮れないわ。

「意地悪ですね、ウィル。で、場所の意味って…」

ウィルが電子ペーパーをさっと操作してロンドン市内の地図を表示して七か所マッピングをする。

「さて、これがうちの店舗だ。これで、気が付けたら君をマーキュリーと呼ぶことにするよ」

私は地図に目を落とす。七つの虫ピン。通りの名前や最寄りの地下鉄の駅名に共通点がない。店舗と店舗の距離感は物凄く近いところに並んでいるものもあれば、郊外にポツンとある場合もある。いったい、何を意味しているのだろうか。

「さすがに難しかったか。では、これだったら分かるだろう」

そういってウィルは店舗同士を線でつなぎ始めた。ロンドン市内を縦横無尽に赤線が引かれていく。そしてその線はある形に収束していく。強い既視感。どこかで見たことがある。

「あ、これってーーー」

「おぉ、気が付いてくれたか」

「オリオン座ですね」

「ご名答。マーキュリー、水星は知識と商売の神ってヒントのつもりだったのだが、伝わらんかったね」

ウィルはそう言って少し悔しそうに顎鬚をいじる。

少しいびつではあるが、電子ペーパー上のロンドン市内に大きなオリオン座が横たわった。

「でも、どうしてオリオン座なんですか」

「先代が、まぁ、私の父なのだが猟銃が趣味でな。そのうえ、先祖が猟師だったんだ」

「だから狩猟の名手だったオリオンの神話を取ったんですね」

「博識なことこの上なし。すばらしい、その通りだ」

「『どこで店を出したって、美味けりゃ客は集まる』これが親父の口癖だったんだ」

ロマンチックな出店の仕方。利益を度外視して美学を貫けるのは素晴らしいと思う。

「素敵なお父様ですね」

「ああ、まだまだ現役でやるつもりだったんだ。それがーーー」

「もしかして」

「察しの通りだよ。耐性菌だ。いかんせん古い人だったから電子マスクだったり、新しいものを極端に嫌う人でな。去年の秋口に臥せってからはあっという間だった。そこで初めて親父がなかなかな年だったことを思い出したよ」

「言葉もありません。お悔やみ申し上げます」

本心だった。大事な人を失った人に、それ以上の言葉なかった。本当の痛みはその家族しかわからないのだから。

「親父の形見みたいなものだから、この店は」

そう言ってウィルが愛おしそうにソファのひじ掛けを撫でる。

「だから、一目見た時に決めたよ。これにしよう」

そうしてウィルが指さしたのは、星の大きさを大胆に変更した挑戦作だった。

「ただ、ここに私の意見を一つ取り入れてほしいんだ」

「ええ、もちろんです」

ウィルの意見は斬新でもあり、愛に満ちた素敵な意見だった。私たちは綿密詳細を決めて、また一週間後に私がデザイン案を持ち込むことで話がまとまった。

「ありがとう、ヒメリ。君のおかげでウチはまだまだやっていけそうだ」

「そんな、ウィル、あなたとお父様の努力の賜物ですよ。新作の抹茶ラテ楽しみにしていますね」

店先まで見送ってくれたウィルと別れる。今日はオフィスには戻らずこのまま帰宅の予定だ。その前にどこかに寄ってたった今決まったばかりの素敵な案を少しでも形に起こしておきたい。

カフェをはしごするとは複雑な心境なのだが、いかにも個人経営のこじんまりとしたカフェに転がり込む。店内は薄暗いものの十分に暖かく、会話の邪魔ならない程度にかけられているジャズが心地よかった。

「いらっしゃい」

「ブレンドコーヒーをください」

「かしこまりました」

白髪のおじいちゃんマスターはそれだけ言うとサッとカウンターへ戻り、サイフォンでコーヒーを淹れ始めてくれた。店内に広がる芳醇なコーヒーの香り。

「どうぞ」

「ありがとう」

「ごゆっくり」

そうしてマスターは気配を消すようにカウンターへ戻る。非常にありがたい。

最初の一口で電撃が走った。初めて体験する酸味だった。たった一口で頭が芯までクリアになっていくのを感じる。朝一番で飲むことができたら最高だろう。

二口目に行きたい気持ちを抑えつつ、ポータブルパソコンを起動する。とは言ったものの、ホロキーボードと最大限に小型化され、旧世代のスマホと同じ大きさになったハードディスク内蔵のパソコン本体をつなぐだけなのだが。画面もホロで浮かぶ。場所を問わず作業ができるのは非常に便利だ。

「オリオン座ね…ロマンチック…」

つい、独り言を言ってしまっていた。そして、そこを思い出しているところで、さっきの地図を見た時の強い既視感を思い出す。

あれ鼻に対していた抱いたものだったのだろうか。オリオン座の形、はたまたそれ以外の何か・・・。ひとまず、画面に先ほどの虫ピンが打たれたロンドン市内の地図を表示する。ウィルが指で引いた赤い線もそのままだ。

「あ」

そこまで来て私はこの既視感の正体に気が付くのだった。二週間前の霧雨の夜、あてどなく彼らの目撃情報をたどってマッピングを繰り返したあの夜。

「もしかして―――」

どうして気が付かなかったのだろう。念のためあの時のマッピング地図を保存しておいてよかった。日付でファイル検索をかけて、画面に表示させるとウィルと同じように指で鵜繋げていく。

ソーホー地区からロンドン市の中心部にかけて小さなタケノコのような形が浮かび上がる。その中には大体等間隔で縦二戦が二本走り、タケノコの右下の頂点からは更に右上に向かって尻尾が伸びるように線が続く。その線の先端が、私の目撃場所である大英博物館脇だった。

「この形…」

「へびつかい座ですな」

耳元で急に声がして飛び上がる。コーヒーのお代わりを持ってきてくれたマスターだった。見るとカップの中のコーヒーはいつの間にかなくなって白い底が見えていた。

「え」

「この形、へびつかい座にそっくりですよ」

それだけ言うと、カップに並々とコーヒーを入れてカウンターへ戻っていった。

その言葉を頼りにインターネットでへびつかい座を検索する。するとどうだろう。今しがた地図の上に自分で引いた線と、猛々しい男性と蛇がまみえる図がぴたりとはまった。

恐らく、誰もたどり着かなかった真実だろう。目的こそ不明だがミッドナイトビーは霧の夜にへびつかい座の星の位置に的確に現れている。恐らくあの星形のスタチュエットにもならかの意味があるのだろう。

私はそこまでの事実を確認したうえで、カウンターへ歩を進める。

「マスター」

「なんでしょう」

「星座、お詳しいんですか」

「いえいえ、老人が他愛もなくため込んだぐらいのものですよ」

「それでもいいの、へびつかい座についての話を聞かせてもらえないかしら」

「かしこまりました」

そういうとマスターは朗々と語りだすのであった。

かの有名な大神ゼウスの息子であるアポロンの息子として生を受けたアスクレーピオス。それが、後にへびつかい座となる男性だった。彼は賢者に育てられ医師となる。彼は非常に腕の立つ医師になったあまり、死者をもよみがえらせることができるようなる。そして、そのことを知った冥界の神ハデスの怒りを買いハデスの兄であるゼウスに雷によって撃ち殺されてしまった。その後で医師としての功績が称えられ星座になることを許された。

かいつまむとそんな話だった。なんとも不条理な話である。医師としての腕が立ちすぎたために殺されてしまうだなんて、現代の進んだ医療技術をハデスが見たら皆殺しにしてしまうだろう。ま、往々にして神話とは不条理あってこそのものなのかもしれないが。

「ありがとう、マスター。勉強になったわ」

「いいえ、大したことのない浅知恵でございます」

もう一度、丁寧にお礼を言って店を出た。

次の霧の晩。あの星を返そう。そして、できることなら何かお詫びをしたい。医師の星座になぞらえて何かをしようとしていたのだ。私の単なる妄想かもしれないが、困っているに違いない。しかも、私の見たものが幻覚でなければやっぱり子供だったように思えて仕方ないのだ。

現代社会を急速に確実にむしばむ耐性菌の発生で、家族、とりわけ親を失った子供たちは孤児院に引き取られたり、スラムを形成して共同生活をしていたりとさながら二百年前に戻ってしまったようなことも現に起きている。

その晩の天気予報では三日後の夜に濃霧の予報が出ていた。ジャックには申し訳ないけど、ちょっと嘘をついて遅くまで会社に残ろう。今回のクライアントの案件が前倒しになってしまい残業になったとでも言うしかないかな。

そんなことを考えながら、その分、今日は彼の好きなボルシチを作ってあげようとジャガイモを選んだ。そうだ、ワインも奮発してあげよう。今晩は赤が合うはずね。


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