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アンミタ  作者: 大鎧翳
2/5

それは朽ちかけた老木のごとく

 790年5月。

 レティシア・デムラン男爵は、王国辺境、アゼマ子爵領フロンティエールを訪れていた。

 王の密命(みつめい)を帯びてのことである。

 フロンティエールは、旧魔族支配地域と接していたが、先の戦争で戦場となることは(のが)れ、王国軍の司令部のひとつと野戦病院(やせんびょういん)が置かれたが、それ以外は平素(へいそ)(いとな)みが続けられた。戦争が終わった今も、山ひとつ越えた先で凄惨(せいさん)な戦いが行われたとは思えないほど平穏な景色があった。

 それほど肥沃(ひよく)な土地ではない。寒冷な気候だったから、育てられるのはライ麦やジャガイモなどの寒さにつよい作物だ。ライ麦のパンは食べたことがない。今から楽しみにしている。

 馬車に揺られて数日。目的地はこの土地の領主、アゼマ子爵の居館だった。

 居館の前庭に滑り込んだ馬車を、老齢の執事(しつじ)が迎えた。

 男爵レティシアは御者(ぎょしゃ)の手を借りて、馬車を降りた。

 久方(ひさかた)ぶりに揺れない大地に足をつくと、ゆるくウェーブしたそれはそれはめずらしい白銀の髪を見せつけるように()き上げた。白いまろやかなひたいがあらわになる。

 絶世の美女である。しかも、自分の美貌(びぼう)をわきまえた美女である。浮き世離れした美しいかんばせに、不敵な笑みを浮かべた。

「出迎えご苦労。レティシア・デムラン男爵である。先に知らせた通り、王の勅命(ちょくめい)によってここへ参った。アゼマ子爵はどちらかな」

 執事は、男爵の美しさに()じ入るように頭を下げ、薄くなったつむじを見せたまま、ごにょごにょと歓迎の挨拶とアゼマ子爵不在の(むね)とそれに関する謝罪を口にした。

 それを聞いた男爵は細い指で顎を一撫()でし、

「ふん。それは手間が省けたな。ではもう一つ質問をしよう。ここに、ジャン・ラペルトリという男はいるか」

 執事はまたごにょごにょと返事をした。たしかにその名前の人物はこの館に滞在している。しかし、彼は男爵の言っている人物ではない、と。

「ほう。なぜ君はその人物が私が言っているではないと言えるのだね。君に私のなにが、彼のなにが知られていると言うのだね」

 縮こまる執事に、男爵は語気をつよめた。

「言葉を変えよう、忠実な召使(めしつか)いよ。君が(あるじ)になんと命じられているのかは知らんが。―――私を彼のもとへ連れて行け」

 執事は震えながら頷き、一人のメイドを呼んで来て、男爵の案内をするよう命じた。

 十代半ばと見える、垢抜(あかぬ)けない娘だった。黒いお仕着(しき)せを着せられ、砂色の髪を後頭部で一つにまとめている。化粧気(けしょうけ)のない頬にはそばかすが散り、生まれた頃からそうしつけられたかのように、悲しげに眉を寄せている。

 そのメイドに先導されて、男爵は二階の角の部屋に案内された。メイドは中の人物に声をかけることなくドアを開け、男爵に中に入るように示した。

 落ち着いたブラウンを基調とした部屋に足を踏み入れる。

 客人用の部屋なのだろう、調度品(ちょうどひん)もカーペットも流行おくれだが質の良いものだった。

 しかし革張りのソファーにも、書斎机にも、目的の人物の姿はなく、奥の部屋に置かれたベッドにようやく人の気配を見つける。

 常ならば、睡眠中であっても、起きて身だしなみを整え自分を出迎えることをしない者に対して、男爵は一喝(いっかつ)していただろう。それは病人でも同じであった。もしそうなれば、容赦のない人である。つま先にキスして謝るまで許さない、と言い、実際につま先にキスさせたことすらある。

 しかし、今回、男爵は頭ごなしに怒鳴(どな)りつけることはしなかった。

 何も言わずにベッドに近寄っていく。

 ベッドには、()れ木のような人が横たわっていた。

 ひどくやせ細り、肌は土気色(つちけいろ)。長身と骨格の(たくま)しさに若者の面影(おもかげ)を見るが、毛布の上に投げ出されている腕は骨と皮ばかりで、目に見えるあらゆる部位で骨が浮き出ていた。()げ茶色の髪はぱさぱさに乾いてシーツの上に散っている。

「ひどいな」

 男爵はぽつりと漏らした。

 それから背後に控えていたメイドに向けて、

「いつから、こんな具合だ?」

 と訊ねた。

「半年前、戦争から帰ってきたときにはもう……」とメイドは答えた。

「ふむ。戦場から悪いものを持ち帰ったか……」

 男爵はしばらくの間、しきりに顎を撫でて、なにか思案している様子だったが、

「まあ、やれるだけのことはやってみよう」と言い、やおら彼の毛布を()ぐので、メイドが慌てたように、

「あの、あなたはお医者さまなのですか」と訊ねた。

 男爵は赤い唇をにっと歪ませ、

「似たようなものだ。さて、君も手伝ってくれ。馬車に積んでいた私の(かばん)を持ってきてくるか。とっくに下ろされてどこかに置いてあるかな。捨てられてないといいが」

 男爵の鞄を探しにメイドが姿を消すと、男爵は、ひとつため息をつき、ジャン・ラペルトリの骨が浮き出いているのが服越(ふくご)しに分かる胸に手を当てて、目を(つむ)り、力を手のひらに集中させる。すると、手のひらが熱を持ち、次いでまばゆいばかりの光を放った。

 男爵は手のひらをラペルトリの胸につよく押し当てた。光はますますつよくなった。麻の寝巻(ねま)きの色が薄くなって血色の悪い肌の色があらわれ、さらにはその皮膚を透かした。胸の中の白い胸骨がうっすらと見え、その奥の臓器が脈打つ様子がはっきりと男爵の目に映った。

 ラペルトリが苦しげな息を漏らした。

 身体がしなり、まるで男爵が手を当てているところを糸で吊られているように持ち上がった。

 際限なくつよめられた光は、身体の中央で、心臓と、それに絡みつく真っ黒な手のようなものを照らし出した。

 規則的に鼓動する心臓を、黒く細い五指(ごし)が掴んでいた。しかも、うごめいている。男爵が見ている先で、見せつけるように人差し指が曲がり、心臓の赤い外壁に爪を突き立てた。

 ラペルトリが呻き、身体がびくりと跳ねた。

 苦しげに手で胸を掻こうとするのを押さえつけて止めさせ、男爵は凄艶(せいえん)な笑みを浮かべた。

「厄介だね、お前。一体だれの使いだい?」

 汗がしたたった。男爵のまろやかな額には汗がびっしり浮かんでいる。

 五指は、男爵をあざ笑うかのように心臓に爪を立て、そうかと思うと、心臓を握りつぶそうと力を込めて握った。

 男爵の手の下で、ラペルトリが苦痛から逃れようと身をよじった。男爵はベッドに飛び乗り、ラペルトリの覆いかぶさった。両手を重ねて胸に押し当てる。

「調子に乗るなよ」

 男爵の口から不思議な節が流れ出した。人が使うどの言語とも異なる響きだった。

 男爵がその節を歌い続けていると、五指の動きが(にぶ)くなり、やがてぴくりとも動かなくなった。

 まるで眠りに就いたように、しかし心臓に絡みついたまま、五指は硬直している。

 男爵は息を吐き出し、ラペルトリの上から退け、手のひらで額の汗をぬぐった。

 手が離れると、光は失われ、心臓に絡みついた五指は、肋骨と皮膚の奥底の暗闇にしまわれる。

「…………う………」

 ラペルトリの汗に濡れた睫毛(まつげ)が震え、うっすらと目蓋(まぶた)が開き、その下から淡褐色(ヘイゼル)の目が姿をあらわした。

 ぱちぱちとまばたきをしたあと、あたりを見まわし、男爵に目を向ける。

「何を……」

 痛みの余韻(よいん)があるのだろう、胸のあたりをさすっている。

 目を覚ましたラペルトリが事態を把握(はあく)するより早く、がたっ、となにかが落ちる音がドアのあたりからし、目をやると、あのメイドが男爵の鞄を取り落とし、空いた両手で口元を押えているところだった。

「君、私の鞄には繊細(せんさい)な器具が……」

 メイドは男爵の小言に耳も傾けず、

兄様(にいさま)!」

 メイドはそう叫ぶと、ベッドサイドに駆け寄り、ラペルトリに抱き着いた。

「マリー」

 ラペルトリが戸惑(とまど)いがちにメイドのものらしい名前を呼んだ。

「良かった、もう何日も目を覚まさないのだもの…………心配しました」

 ラペルトリは困ったように目を()せ、すすり泣くメイドの背中を撫でた。

 しばらくそうしていると、メイドは気が済んだようで、顔を上げて、恥ずかしそうに目元をぬぐった。

「マリー、こちらの人は」

 とラペルトリが訊ねる。

「デムラン男爵です」

 とメイドは答えた。

 メイドの紹介を受け、乱れた白銀の髪を掻き上げた男爵は、

「君が、ジャン・ラペルトリだな」

 と問うと、ラペルトリは、

「そうです」

「私はレティシア・デムラン男爵。国王陛下の勅命で君を探しに来た」

 男爵の言葉を聞いて、ラペルトリは怪訝(けげん)そうに眉を寄せた。

「国王陛下とはどなたですか。どなたが王位に就かれたのですか」

「アリアンヌ国王陛下だ」

「では、その方のご命令とはどのような話ですか」

「正確には、密命だ」

 男爵が片目を(つむ)って答えた。

「そうそう簡単に言いふらしてよいものでもなかろう、密命となれば」

 しかし、ラペルトリは怖気づかなかった。

「どのような密命ですか」

「面白い人だな君は」

 男爵が歯を見せて笑った。そんなはしたない仕草すら、この人の美貌をもってすれば野性味(やせいみ)があるという()め言葉でまとめることが出来るのが、この人の驚異的なところなのだ。

「陛下は君に会いたがっているが、私も君を陛下に会わせたくなる。あの無味乾燥(むみかんそう)な城に面白みをもたらすスパイスになりそうだ」

「陛下が、私に………」

 ラペルトリが男爵の言葉を反芻(はんすう)する。その言葉の重みは、たとえ学のない平民であろうとも知り得ただろう。

「陛下のご命令だ。もちろん従うだろう? それに君にとっても悪い話じゃない」

 男爵は細い人差し指の形の良い爪をラペルトリの胸に当てた。その奥にある心臓に絡みついた五指を指し示すように。

「その呪いは根深いものだ。どこで拾ってきたのかは知らないがね」

「呪い?」

 ラペルトリは、指差された胸元を見下ろして、困惑したように呟いた。男爵はラペルトリの反応を滑稽(こっけい)に思った。おのれを蝕むものの正体すら知らないとは、哀れなものだ。それ以上に、おのれを死に至らしめたものの正体も知らずに死ぬのは、もっと哀れだ。哀れだから助けるというほど男爵は慈悲深くないのだが。

「そうさ。しかも、それは陛下に由縁あるもの。ゆえに、その命助かりたければ、王のもとへ()(さん)じよ」






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