#2 「異世界より」
「………」
あまりにも不意打ち過ぎる出来事に、口をパクパクさせながらその場で硬直する泳梨。さて、どう収拾をつけてくれようか、と思わず自問自答。
小説と、ゲームの塊で作り上げられた脳内だけで判断するとしたら、どうやらここは『異世界』と呼ばれる世界であることに相違ない。
にしては、ファンタジックでメルヘンチックなものとは程遠く、周囲に建っている家なるものは、泳梨の住む現代日本と一片の変わりはない。周りを徘徊するのもどう見たって人間、人類そのもの。逆に異なる点を見つける方が難度が高そうに思える。
しかし、泳梨には見覚えのない景色だ。目の前の広場にしても、無駄にだだっ広い空間である。目測ではあるが、東京ドームの二分の一が余裕で入りそうな面積はありそうだ。
(所謂、エントランスって奴だよね。ここがハコニワ・リコネクトの……!)
遂に自分が、ゲームの中の世界に召喚されてしまったのだと考えると、自分の現状を忘れて、少し……いや、大分胸を弾ませる泳梨なのであった。
さっきまでの混乱が嘘のように、完全に平静を取り戻した泳梨は、まず持ち物を総浚い。
服装は白色のトップスと、同じく白色のフレアスカート。靴はネイビー色のスニーカー。泳梨がいつも普段着として着用しているお気に入りの私服……が忠実に再現されている。勿論ゲームの中なので、『そのもの』ではなく、あくまで偽物だろう。
それにしては、完成度が高い。
というか、何処で私の私服を調べたのだろうか。
それは兎も角、と泳梨は一旦目を瞑ることにした。
近辺も見回してみるが、何か別のアイテムは見当たらなかった。
勿論、携帯などの便利ツールも持ち合わせている訳も無く、財布もない。
まさに無一文の状態である。
「RPGの世界で、無一文はイコール死を指すんだけど……これじゃ宿屋にすら泊まれな……ん?」
ゲームの世界だと再認識した泳梨は、その辺で餓死でもするのではないか、という不安に無意識にカタカタと体を震わせたその時、ポケットに紙が入っているのに初めて気付いた。
その内容は、というと。
『九十九 泳梨 様
我輩が管理する「ハコニワ・リコネクト」へようこソ。心より歓迎致しまス。
この世界においテ、貴女の役職は《巫女》に決定致しましタ。
さテ……元の世界へ帰るにハ、《ゲームクリア》が目的ですヨ。他、詳しい内容は中央広場《掲示看板》にて書かれている為、確認して下さいネ。
この世界で生き残る資金ヲ……ご祝儀として我輩から1,000リコルをプレゼントしましょウ。
精々生き残ってくださいネ。
GM』
(……こういう時は「神様仏様GM様!」って喜ぶべき場面なんだろうけど……なんだろう、なんかムカつく……)
日常、怒りの沸点は低めだと自負する泳梨も、突然の挑発に苛立ちを隠せない。末尾にちりばめられたカタカナ言葉と、管理者権限による上から目線が、より一層苛立ちのスパイスが巧妙に効かせていた。
(しかもリコルってなに、円とかゴールドじゃダメだったの?)
と、心中で文句を宣う泳梨は、相当お冠のようである。
ただ、想像は容易だった。
要するにGMが言う所の「ハコニワ・リコネクト上」での通貨の単位だろう。ゲームによって、お金の単位というのは様々であり、泳梨もそれは重々承知ではあったが、現実から飛ばされてきたばかりの彼女にとって、1,000リコルがどれだけの価値を持つかは知り得なかった。
若干ながら、異世界のような雰囲気をヒシヒシと醸し出して来るGMに一矢報いてやりたい所だが、その不満を心の内へと無理やり押し潰し、硬直しきった足を動かして、中央広場にあるらしい掲示看板とやらに足を伸ばすことにした。
☆
ハコニワ・リコネクト。通称『ハコリコ』。
それは、3年ほど前にゲーム会社『APOCALYPSE』が発表した新作RPGだ。ハード媒体こそ不明だったのだが、当時はレーシングゲームかテーブルゲームが主流のAPOCALYPSEが、遂にアクション型のロールプレイングゲームを開発するのか、とゲーマーの間で騒がれ、ありとあらゆる攻略サイトや情報アプリにおいて、暫くはお祭り状態となった。
とは言っても、無名会社ではないものの初めての試みである。一部からは反対的な意見も少なくはなかったが、それよりも期待の声や支援数が優っていた。
だが、それも長くは続かなかった。
これまで、これと言って話題に挙がったゲームが無かったAPOCALYPSEは徐々に赤字が嵩み、ゲーム完成前にて破産し、チーム自体も解散の一途を辿ることになってしまったのだった。
結局、事の顛末は「大手企業AGEsがその後を受け継いだ」だの、「ゲーム自体に重大な欠陥が見つかり、会社諸共闇に葬られた」「開発組が何らかの理由でボイコットを起こした」……などとあることないこと誇張に誇張され、今尚プレイヤーの間では『ゲーム業界の触れてはいけないタブー』ような扱いになっているらしい。
当時、数多くのゲームを手当たり次第に手を付けていた泳梨も、無論しっかりと目をつけており、週刊で発売されていたゲーム雑誌や、サイト経由で情報を集めるくらいには注目していた。
「リアルではあり得ないような人生体験が出来る」と大々的に告知されたMMORPG。興味を惹かれるには充分の謳い文句である。
しかし、それから数か月も経たずに開発中止と聞いた泳梨は、激しく落胆したのを記憶していた。
そんな無念の末路を辿ったハコニワ・リコネクトが、このような形で再現されていようとは、泳梨も予想外の出来事だった。
恐らく、例の招待状を送り付けたゲームマスターを名乗る人物も、このゲーム開発に関わりを持った者の仕業なのだろう。
(そしてその果てに完成したのが現実に近い……いや、現実そのものを模した「擬似体験型ゲーム」……)
重要なのは、ここが現実ではなく、ゲームの世界である、ということ。
鼻腔をくるぐる空気。
地面を踏みしめる感触。
そして、自分自身という物体。
全てが現実味を帯びていて、当面通り発売されていたとするなら、きっと爆発的なまでに売れていることだろう。もしもここまで擬似的にしたいのであれば、途方もないコストがかかってしまうはずなのだが。
(……あれが例の掲示板?)
そんなことを考えながら、広場の中央に構える巨大なファンタジー色溢れる噴水を迂回して、端に設置された掲示板を見つけた。そこには、泳梨同様状況をイマイチ掴み切れていないプレイヤー達が集っており、彼らの目線の先には、何十枚にも及ぶ紙が無造作に貼られていた。
生憎、泳梨の位置からは視力的に、背的な意味でも漠然と何かが貼られているのは確認出来るが、内容までは目視出来ない。泳梨は一つ息を吐いてから人と人との間に割り込んでいく。
何とか一番前の列に顔を出し、何やら話し込む人々を横目に、パソコンで打たれたであろうゴシック体を熟読する。
『ベータテスタープレイヤーの皆様方関係者各位
改めテ、ベータテスター当選おめでとうございまス。現在この街にハ、昨夜の時点で約五万人ものプレイヤーが参加シ、この街に集っていまス。
勿論、この「ゲーム」にこれだけの人数が集まったこト、主賓を務めさせて頂く吾輩も予想ハ……おっト、蛇足は控えましょうカ。要点のみをお伝えさせて頂くとしましょウ。
そうですネ……まずハ、貴方様方プレイヤーの目的についてお話しさせてもらいましょうカ。
先程述べた通リ、この《ハコニワ・リコネクト》というゲームハ、これまで貴方がたが生存シ、生活して来られた現実と然程変わりませン。どうやって?などの疑問は守秘事項なので答えかねますガ。
もしモ、これまで通りの現実世界に戻りたいと願う人ハ、エンディングを目指して貰いまス。やはりここはゲームの世界……《ゲームクリア》が条件なのですかラ。そうすれバ、きっと貴方がたは解放されることでしょウ。
勿論、貴方がたの住居や役職ハ、吾輩の方で手配しておきましタ。詳しくハ、カバンの中或いはポケットの中をご覧頂けれバ。
……だガ、その役割を投げてしまうようナ、どうしようもない方ハ────(破られていて判別不可)────
GM
追伸:
それでは、楽しい楽しイ、第二の人生を────』
『『『ふざけるなあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』』』
とまあ、こうなるのは至極当然なのであるが、あまりの怒号に肩をピクリと震わせ、耳を覆いたくなる衝動に駆られる。
あまりにも雑すぎる説明に余程キレたプレイヤーが破いたのか、三枚目の下半分が裂かれており、一部解読不明箇所もあったが、読み終えるだけ読み終えた泳梨はしゃがみながら後列へ退避。
その都度『GM出せや!話させろ!直談判や!!』『何がベータテスターだクソゲー作りやがって!!』『聞いたねぇぞそんな話!!』『恥知らず!!』『この時代に吾輩とか言って痛くねぇのかポンコツGM!!』『もっと金よこせや貧乏神!!』『ktkr』などという不満も不満、大爆発。
ゲーム云々というか、最早ゲームマスターを弄り始める始末。
「……論点ズレてない?」
泳梨は暴言を発す、醸す、呈するプレイヤーに向けて密かに的確な突っ込みを入れるのであった。