動きを止める世界
人型のクリスタルそのものとなったアークロード・ニブルヘイム。
彼女はゆっくりと歩みを進める。足下が凍結し、砕けた。
寒波の範囲も徐々に広がっている。
「悟志、睦子。引き気味に戦え。無理だと思ったら戦闘にも参加しなくていい。
この状況だと、生身で放り出された瞬間凍結して死ぬ。それだけは避けろよ」
「分かってますよ、須田さん。まともに当たるほど俺たちもバカじゃない……」
ニブルヘイムは指を鳴らした。
空間そのものが凍結した、そうとしか言えないような非現実的な光景が展開された。
空中から氷の槍、否、道が生まれ、襲い掛かって来たのだ。
空中の水分を凝縮したとしても、あれだけの量にはならないだろう。
須田はそれをナックルで受け流し、ザクロと悟志は避けた。
睦子は影の壁を目くらましとしたが、一瞬で突き破られた。
だが勢いを減じるには十分だったようで、その間に睦子は逃れた。
悟志と睦子は建物の影に隠れ、ニブルヘイムの様子を伺った。
『どうやら自らの魔力を外部に放出、それを凍結させているようだな』
「アークロードらしい、魔力効率度外視の攻撃ですね。まったく羨ましい……!」
須田はサイドステップを打ちつつ、両方の盾を変形させた。
ガトリングへと変形した盾から何百発もの銃弾が放たれる。
だが、ニブルヘイムはそれを避けることすらしなかった。
鎧の表面に当たった弾丸は弾かれ、何のダメージも与えなかったからだ。
「やはり散発的な攻撃じゃダメージは入らんな。一点に凝縮しないと……」
『陽太郎、一か所に留まるな! そこは危険だ、早く逃げろ!』
玄斎の必死な声に、須田ははっとなった。
いつの間にか足が氷に絡め取られていたのだ。
ニブルヘイムは指を鳴らす。いくつもの氷の槍が須田に向かって伸びて来る。
舌打ちし、スラスターを作動。放出炎で氷を焼き切りつつ、無理矢理回避した。
脇腹を槍が掠り、損傷させた。掠っただけで、アーマーを破壊するほどの威力を持っている。
「攻撃能力も、防御能力も桁違い。さすがはアークロード、って感じですね」
「ネクロマンサーより強い……! こいつはマジでヤバイですよ!」
悟志は建物の影に隠れながら、アルケミスミサイルを曲射した。
反撃に放たれる氷は睦子が影の盾によって防いでいる。
ミサイルの直撃を受けても、ニブルヘイムが意に介する様子すらない。
確かに、単純な戦闘能力ならネクロマンサーのそれよりも上だ。
「さーて、どうやってあいつを攻略したものかな……!」
須田もミサイルを放ち、ニブルヘイムを牽制した。
同じミサイルでも、須田のものと悟志のものでは威力が違う。
ニブルヘイムは氷のシールドでそれを受け止めた。
(ふん、こっちは防ぐか。なら、まったくダメージがないわけじゃないってことだな)
ならば、と須田は弾幕を更に強める。
腰のキャノン砲を放ち、威力を調整したガトリングガンを注ぎ込む。
ニブルヘイムの舌打ちが、須田には聞こえた気がした。
「鬱陶しい、奴……消えろ、消えて、いなくなれ。私の世界に、お前は不要」
「そうかい。なら、キミは僕の目指す世界には不要な存在だよ!」
ニブルヘイムは自身の体に注ぎ込む魔力を強めた。
肉体強度が更に高まり、威力を高めたガトリング弾が弾かれ始めた。
ニブルヘイムは須田に向けて腕を振り払う。
指の先から氷の刃が生成され、そしてそれが須田に放たれた。
機動性の落ちたイージスフォームではそれを避けられない。
ガトリングによって刃を削るが、しかし受け切れなかった。
相当減じられたとはいえ、それでもなお凄まじい衝撃が須田を襲った。
「こっちのことも、忘れないでちょうだい!」
ザクロは弾幕の間隙を縫ってニブルヘイムの背後に回り、うなじ辺りを狙って斬馬刀を振るった。
ガキン、という重い音が響き、斬馬刀が受け止められた。
それだけではない、刀身が凍り付き、そして砕けた。
ニブルヘイムは裏拳を放ち、ザクロの腹を打った。
「強いわね、さすがはアークロード。打ち負けるのは初めてだわ……」
「キミが負傷するのを見たのも、初めてな気がするね。今日はいい日だ」
ザクロが撃たれた箇所は、やはり凍結していた。
下手に触れば砕けてしまうだろう。
筆舌にし難い苦痛が襲い掛かって来ているだろうに、ザクロは堪えていた。
「で、実際のところどうする?
こっちの攻撃は有効打にならない。
これだけ打ち合いが出来ているは幸運と言うほかない」
「もっと挑発してちょうだい、須田さん。彼女がもっと防御を固めるようにね」
話し合いはそこまで、二人を狙って足下から氷の樹が生み出された。
氷樹は飢えた獣の如く枝を伸ばし、執拗に二人を追った。
避ける二人を狙った細かい氷の散弾が二人を襲い、細かい傷を作った。
それでも、二人には勝算があった。
(ま、やって出来ないことはないかもしれないが……いずれにしろ、未知数。
やって損はないし、それだけやっても勝てないってんなら僕らにはもう無理ってことだ)
ニブルヘイムは恐るべき力を持ったアークロード・ラステイターだ。
総合力ではネクロマンサーを上回るだろう。
だが、須田はニブルヘイムからネクロマンサーほどの攻撃力を感じなかった。
手を変え品を変え、様々な攻撃を仕掛けては来ている。
だが、いずれも二人を仕留めきれていない。
ネクロマンサーと当たれば何度死んでいたか分からない。
ネクロマンサーは攻撃能力に特化したラステイターだった。
それに対して、ニブルヘイムは防御能力に特化している。
それは敵に攻撃をさせない、させても妨害するという意味を含めている。
総体で見れば凄まじい敵だが、個々の面を見れば付け入る隙はある。
ならば、その隙を突いて勝利をもぎ取ることだって出来る。
そして須田とザクロは、その手をすでに掴んでいた。
「悟志、合図を出したら全力でニブルヘイムを攻撃してくれ。
エクスブレイクまで使って、魔力を全部吐き出して欲しい。
最大火力で奴を撃滅するんだ」
『出来ますかね、そんなこと。やれる限りはやりますが、出来なかったら?』
「出来なきゃこっちでフォローするさ。睦子くん、悟志を守ってやってくれよ」
『了解です、須田さん。言われるまでもないことですけどね?』
二人は須田の言葉に反論することなく、素直に頷いた。
ある程度信頼されているのか、などと考え、自惚れだとそれを振り払った。
そして、彼はニブルヘイムに語り掛けた。
「キミのお父さんのことを知っているよ。桐沢雄一、そうだろう?」
一度、須田は攻撃を止めた。
敵の攻撃にはすぐに対応出来るようにしている。
どちらにしろ、こちらの攻撃はダメージを与えられないので止めても特にデメリットはない。
「そう……お父さんのことを知っているの。それが、どうしたの?」
意外にも、ニブルヘイム――雪菜は会話に応じた。
特に何でもない、という風に振る舞っていても、やはり恋しいのだろうか?
いずれにしても、須田はそれを利用した。
「残念だよ。桐沢さんはキミを奪ったラステイターを憎んでいた。
キミの仇を取るために。それなのに、まさか……
キミまでラステイターになっているとは思わなかったよ」
「そう。だったら、私のことも殺そうとするのかな? お父さんは」
ニブルヘイムの言葉には、一抹の寂しさが浮かんだような気がした。
「ううん、きっと殺すよね。お父さんは、真面目な人だったから。
真面目な人だから、色んな人に傷けられて、利用されて。
それで私のことを顧みずに働いたんだもんね」
周囲の気温が更に下がった。
大気が逆巻き、氷の粒が襲い掛かって来た。
周囲に氷をばら撒いて来たのは、この無差別攻撃を行うためだったのだろう。
「私は世界を止める。そうすれば、苦しむ人はいなくなる。
顧みられずに忘れ去られる人間は、私だけじゃなくなる。
そうすれば、世界は平等になるよね?」
彼女の言葉には、どれほどの意味があるだろう?
多分、ないだろう。
魔力は脳を抉り、犯す。
彼女の、人間としての意識はとっくの昔に死んでいたのだろう。
ここに在るのはかつての記憶に縛られ、凍り付いた感情に支配される、単なる肉に過ぎない。
「悪いが世界は止めさせない。
動いていても、いなくても、この世界は悲しみに満ちている。
止めればそれこそ地獄だぞ。二度と脱出することの叶わぬ地獄だ」
須田は悟志に合図を送った。
彼の対応は早かった、空に光の帯がいくつも描かれた。
「動き続けるこの世界で、僕は探し続ける! 僕の理想の世界を!」
須田はエクスブレイクを発動させ、すべての武装を解放した。
後先考えぬ最大放出。光の帯がいくつも撃ち出され、ニブルヘイムに襲い掛かった!
「鬱陶しい……! あなたたちの攻撃など、何の意味も持たないのに!」
ニブルヘイムの体に満ちる魔力が、その濃度を増して行く。
まだだ、まだ、まだ。
「すべて、止まれ!
人も、ものも、時間も、世界も! 苦しみ続けるのは嫌だ!
どうせ苦しまなければならないなら、新しいものなんていらないのに!」
ニブルヘイムの体が硬度を増して行く。
その時を、彼女は待っていた。
ゆらりと地に降り立ったザクロは、構えを取った。
そして、渾身の力を込めて踏み出した。
彼女の体が消えた。
正確には、消えたように見えた。
彼女の体が、ここまで速く動いたことはなかった。
この速度に慣れぬ目には、彼女の姿が消えたように映ったのだ。
『加速度操作』、それが彼女の持つ魔法の正体だ。
彼女自身のみならず、身に帯びた武器、ひいては他者の加速を操る。
自身の加速は元より、他人の加速を狂わせることによって自滅に誘うことすら出来る魔法。
彼女は使わぬと決めていた魔法の封印を、解いた。
人を超え、機械を超え、音を超え、光にさえ近付いて行く。
加速によって生じたエネルギーを拳に込め、彼女はニブルヘイムを打った。
通常であれば、ダメージを与えることさえ出来ないだろう。
だが、その時に限っては違っていた。
ザクロの拳は、ニブルヘイムを確かに貫いた。
「……え? そん、な。私の、体が……どう、してこんな……」
「硬けりゃ硬いほど、脆くなる。
キミの攻撃はありとあらゆる攻撃を弾き返すほど硬くなった。
だが衝撃を流せなくなって、脆くなってしまったのさ」
物理法則が魔力によって構成されたラステイターに適用されるかは、賭けだった。
だが、彼らは賭けに勝った。
エクスブレイクの攻撃に耐えるために、極限まで硬くなった彼女の体。
負荷が集中する一点は、驚くほど脆くなってしまったのだ。
体を打ち抜いたザクロは、彼女の体内を探った。
ニブルヘイムは失われゆく力を結集し、ザクロを殺そうとした。
だが、そこでもザクロの方が一瞬勝った。
彼女は見事、マギウス・コアを探り出し、砕くことに成功したのだ。




