天上から覗き見るもの
建物の影に隠れていた玄斎と島崎は、ザクロから安全確保の報を受け戻って来た。
「高崎くん……あれほどあの力を使うなと言っておいたんだがな」
「そうしなければやられていたわ。
アークロード・ナイヅ。
彼は二十年前にラステイターとなり、この世界で二番目にアークロードとなった存在だもの」
「経験値が違うってことですねー……って、あれ? 彼?」
島崎はザクロの言葉尻に違和感を覚え、それを正した。
「彼女、じゃないんですか? ナイヅの本体は確か、雪沢光真って女子高生ですよね?」
「それは彼の依代の名前よ。本当の名前は、柚木澤光。
どうしていまは女の姿を取っているのかなんて知らないわ。胸がつかえるのかもしれない」
ザクロが冗談を言うことなど珍しい。
島崎はきょとんとした表情を浮かべ、ザクロはバツが悪そうに眼を逸らした。
そんな彼らの間に、冷たい風が吹き抜けた。
「気温が極度に低下している……フローズンの覚醒も近いというわけか」
「どうしましょう、このままショウくんを放っておくわけにはいきませんし……」
「でも、魔力の影響を遮断できる部屋を使わなければどこに逃げても同じことよ」
そんな場所を、第三社史編纂室の面々は誰も持っていなかった。
彼らは途方に暮れた。
そんな彼らの耳に、エンジンの重低音が聞こえて来た。
ブラウズのものではない、もっとそれよりも原始的だ。
続けて、アスファルトにタイヤが擦れる音が聞こえた。
よほど無茶な角度で曲がったのだろう。続けて、カーブから車体が見えた。
磨き抜かれたメタリックブルーの車体、重厚なボディ、ボンネットに付けられた特徴的な飾り。
それは玄斎たちの目前でドリフトし、ほぼピッタリ横付けした。
「……こんな趣味の悪い車を使う人間を、私はそう知らないな」
左の窓が開き、そこから趣味悪い色合いのスーツを着た男が顔を出した。
「よう、ちょっと見ないうちに前衛的なオブジェクトが出来たみたいだけどどうした?」
「……高田支社長。関西まで逃れたと聞いていましたが、どうしてここに?」
「それはちと情報が遅いな。私は商談を終えて直ぐにこっちに戻って来たよ」
後部座席のドアが開き、高田は彼らを中に招き入れるような仕草をした。
「逃げられる場所を探してんだろ? 提供してあげるよ。数え切れないほどあるぞ」
都心にほど近い場所にある屋敷、そこが高田の持つ別荘の一つだった。
須田と悟志、それから睦子もここに呼び出された。
屋敷に到着する頃には気温がかなり低下しており、息が白くなるほどだった。
あと数時間もすれば、千葉は氷に飲まれるだろう。
「地球温暖化に対する答えの一つだな、これは! 彼女の力を有効に使えないかな?」
「説得できると思うのならば、言って来ればいいでしょう。雪像くらいは回収します」
「せめて私が死ぬ前に回収してくれればいいんだけどねぇ。
まあいい、ようこそバンクスター邸へ。
ここは私の限られた友達しか招いていない、特別な場所なんだ」
ならば自分も友達と認識されているということか、と玄斎は苦笑した。
この男に本当に友達などというものがいるのかは疑わしい。
彼の周りに群がるのは、『ハエ』とか『ハイエナ』とか表現するのが一番いいだろう。
カネという獲物を狙うものたち。
清潔感に溢れる白いタイル、意外にも趣味のいい絵画や調度品の数々。
最新鋭のシステムキッチンの使い勝手は良さそうだが、あまり使われていないようだ。
だが、彼らにとって大事なのはそこではない。高田は目的地へと彼らを招待した。
二階へと続く螺旋階段の脇に作られた、地下への階段。
上層とは違いコンクリート打ちっぱなしの壁がむき出しになっているが、趣がある。
重厚な鉄扉を開けると、薄暗い部屋に辿り着いた。
壁には酒樽を入れられるほど大きなラックがある。
玄斎や島崎は実際に見たことはなかったが、ワインセラーだと分かった。
「周辺はコンクリートで覆われているし、鋼材で補強もされている。
自家発電設備があり、ネットも完備。籠城するなら、ここがうってつけだろう?
適当なところに座っておいてくれたまえ、本社に送らなければならないデータがあるからね」
それだけ言って、高田は奥の部屋へと引っ込んで行った。
玄斎はため息を吐き、正清をソファに下ろした。
彼の胸は上下しているが、意識を取り戻す様子はない。
だが、命に別状はなさそうだった。
彼らも腰を落ち着け、これからのことを話し合った。
「このままでは関東一円が極寒の地になるのは時間の問題だ。どうすればいい?」
「フローズンを殺すしかないわね。彼女を殺して、能力を解除させる」
「だが、どこにいるかは分からんぞ。この天候ではドローンを飛ばすことも出来ん」
三者は頭を悩ませていた。
ところで、須田と悟志、それから睦子が来た。
彼らは途中で合流し、襲撃を警戒し行動していたのだ。
もっとも、集合したところで事態が解決するわけではなかったが。
むしろ、悩む頭が増えた分だけ事態はややこしくなった。
「悩んでるみたいだねぇ、みんな。
ちょっと休んだらどうだい、キミたち働き通しだろう?
あんまり長く働いてると、そこの子みたくなっちゃいますよー?」
奥の部屋からつまみと飲み物を持って高田が出て来た。
須田たちはこめかみに血管を浮かべながら、高田を殴りたくなる衝動を堪えながら話を続けた。
「闇雲に探してもどうしようもない。
空から探せればいいんだが、迂闊に飛べば敵もこちらを感知してくるだろう。
どうにか奴らに知られずに索敵が出来ればいいんだが……」
「だったら手伝えるかもしれないなぁ。ちょっと、これ見てよ」
高田は手持ちのタブレット端末を見せて来た。
それを見た一行は、愕然とした。
モニターに映し出されていたのは衛星のデータ、それもリアルタイムのものだったからだ。
「揺り籠から墓場までがモットーだけど、最近は衛星事業にも手を出しているんだ。
とは言っても、少数の部品を提供するくらいだけどね。んで、
ついでにマギウス・レーダーの類も搭載してもらったんだ。
結果は見ての通り。凄いでしょう?」
「これは、確かにすごい……それに、精度もいい。まさかこんな……」
「お金持ちが仲間にいるといいだろう、須田くん?
念のためにやっておけることの幅が広い。何せお金を持っているからね。
さて、この情報を持ってキミたちは何をする?」
一行は顔を見合わせ、そして頷き合った。
やることなど初めから決まっている。
「恐らく、もっとも魔力濃度の高い場所がロード・フローズンの隠れている場所だ。
ナイヅの可能性もあるが、彼の魔力とは波長が違うから恐らくは大丈夫だろう。
ナイヅは後退し、行方をくらませている。
フローズンに対処するならいましかないと思うが、どうだ」
「私は陽太郎の考えを支持するよ。高田支社長、オペレートのために使える機器は?」
「もちろん! こんなこともあろうかと、すでに一式揃えさせているよ!」
高田はとてもいい笑顔を作って言った。
このような事態を想定していたのか、それとも本当に偶然の産物なのか。
いまいち判断はつかなかったが、そんなことはどうでもいい。
「恐らく高崎くんはこの戦いに参加出来ないだろう。みんな、覚悟はいいか?」
「ん、ちょっと待ってくれよ? 高崎くんが戦えないなら結構マズいんじゃないか?」
部外者の高田が手を上げて発言した。
須田はそれをじろりと睨む。
「アークロードに対応出来るのは現状彼だけなんだろう?
なら、もしフローズンがアークロードにまで進化していたら……
おやおや、キミたちだけで何とかなるのかな?」
高田の声にはどこか嘲笑するような色があった。
だが、須田はそれを鼻で笑った。
「ご安心ください、高田支社長。勝算もなしに戦うほど愚かではありませんよ」
■◆■◆■◆■◆■◆■◆■
フローズンは放棄された倉庫の中で、その時を静かに待った。
人としての肉体を魔力に浸食され、失った彼女のマギウス・コアに新たな力が注がれる。
それは、進化への兆し。
より大きく、より強い、自ら力を生み出すほど強いマギウス・コアが生まれようとしている。
通常のそれは、単なる精製器に過ぎない。生物の持つ力を純化させ、強化する。
「あと少し……あと少しで、あなたは進化するのね。雪菜……」
ロード・アルデバランは静かに微笑んだ。
自分の名を忘れた少女は、アークロードを誕生させるためにいままでいろいろなことをしてきた。
才能を持った少女に試練を与えて来た。自分には無理だったから。
「ドウヤラ、サンダーノ魔力ハ彼女ト同調シテイルヨウダナ……」
「ええ、その通りよアクエリアス。彼女は自我を保ったまま進化することが出来る」
知性と理性とを保ったままのラステイター化。
そこが障壁となり、プレゼンターはアークロードを増やすことが出来なかった。
単に魔力を貯め込み、生成するだけの存在ではダメだった。それでは獣と変わらない。
そして、魔力は脳を浸食し、破壊する。
強すぎる力に耐えられるのは限られた才能を持った人間だけなのだ。
アルデバランとアクエリアスは、プレゼンターからそのことを知らされていた。
そして、万が一の場合は自分の魔力をも捧げる覚悟を持っていた。
すべては世界を新生させるために。そのために彼女は、何年もの間待ってきたのだから。
その時、二人は同時に感じた。
彼らへの敵意を持つ存在が近付いて来るのを。
「アクエリアス、行きましょう。彼らをここに来させるわけにはいかないわ」
「ワザワザ迎エ討ツノカ? 隠レ、機会ヲ伺ウノモ手ダト思ウガ?」
「ここを潰されたら面倒よ。そんなこと、平然としてくるような連中だからね」
「ナルホドナ……ナラバ、従オウ。人間ニツイテハ、私ヨリモヨク理解シテイル」
二人のロード・ラステイターはゆっくりと歩み、倉庫から出て行った。
それを、フローズンは薄眼を開けてみていた。
その唇には、薄い笑みが浮かんでいた。




