デッドゾーン
アークロード・ネクロマンサーは交差点で惨劇を引き起こした後、何処かへと逃走した。
逃走、というのは正しくないだろう。いまの彼を害せる存在がいるとは思えない。
「とにかく奴を探さなければ。イージスシステムはどうなっている、島崎くん?」
「どうにも出力が安定しなくて……室長レベルの魔力であれを使うのは、やっぱり」
最後まで言わなかったが、言わんとしていることは分かる。
肉体的負担があまりに強すぎる、というのだろう。だが、それは些事だ。
気にしていては戦いにさえならない。
「俺も探してきます。近場で追い掛けた方が精度は高くなるでしょう?」
「危険すぎる。魔帝の力はキミも見ての通り、単身で当たれば瞬殺されるだろう」
そう言われても悔しいとすら思わなかった。
それでも、止まってはいられない。
「病室で寝てるあいつのためにも、あのクソ野郎は仕留めなきゃならねえ……!」
「そこまで言うなら、止めはしないよ。絶対に一人で戦おうとは思うなよ?」
「分かってる、須田さん。俺だってそこまでバカじゃねえつもりだ」
悟志は頷き、そして走り出した。
自分を抑えきれていないのは、悟志だけでない。
須田もまた、復讐心に突き動かされネクロマンサーを探した。
敗北を認めたくなかった。
(僕の作り出した技術が、何の抵抗も出来ずやられるなんて……認められるか!)
須田は苛立ちまぎれにキーボードを叩き、即席の索敵プログラムを作成する。
黙々と何時間もそんなことを続ける須田の様子を、島崎は心配そうに見やった。
「……ん、何やってるんだい美耶? キミの仕事もあるだろう、さっさとやってくれ」
「ん、あーはい。分かってますよ、須田さん? でも気に病まないで下さいね」
「気に病む? あいつが倒されて、僕が落ち込んでいるとでも思っているのかい?」
「ええ、須田さん頑張り過ぎですよ。いま。隠そうとしても無駄ですって」
「……そこまで分かりやすかったのか、いまの僕は?」
「いえ、適当なことをカマかけて言ってみただけですから気にしないでください」
「なんだ、嵌められたってわけか。意外と、キミも人が悪いんだな」
それを否定する気にもならなかった。
彼を利用するためだけにこんなことをしているのではない。
「許せないという気持ちがあるよ、あいつにも、自分自身にもね。
彼を殺しかけたネクロマンサーにも、不完全なシステムを作り上げてしまった自分自身にも、ね」
「あれで不完全なんて言ったら、誰も何も出来なくなっちゃいますよ。
須田さんも、川上先生も出来る限りのことをやって、人を助けているんです。
それだけは変わりませんよ」
珍しいこともあるものだ。
そう思い、須田は島崎の励ましを聞いた。
彼女の本心からの言葉を、自分はいま初めて聞いた気がした。
結局のところ、距離をとり過ぎていたのだろう。
だからこそ、これほどの状況にならなければ何も分からなかった。
そこまで考えたところで、改良型のマギウス・レーダーが情報を探知した。
即席の探知プログラムが上手く動いた、そう考えたが同時に戦慄した。
これは、いったい?
須田が自分の目を疑っている時、悟志からの着信があった。
恐らくはこのことだろう。
『須田さん、こちらでも確認したんだけど……ニュースは、ついているか?』
「もう騒ぎになっているということか。なら、僕が見ているものも現実ということか」
マギウス・レーダーは大規模な魔力波を捉えた。
その直射を受ければ、大半の生物が即座にラステイター化し、人間なら即死するだろう。
そして、その中心点が問題だ。
千葉市動物公園。
危険な野生生物の楽園、そこがネクロマンサーの隠れ家だ。
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いつもは楽し気な笑い声で満たされる広場が、いまに限っては死で満たされていた。
突如として狂暴化し、ラステイター化した動物を止められるものはいなかった。
血に飢えた野獣は人々を喰らい尽くし、逃げようとするものをネクロマンサーが殺した。
辺りに響くは、野獣の咆哮のみ。静寂の世界で、ネクロマンサーは楽し気な笑い声を上げた。
「ワクワク動物王国。これが俺の望んだ世界。楽しいな、こいつはなァ……」
ネクロマンサーはゴロリとアスファルトの上に寝転び、夕焼けの空を見上げた。
雲が風に乗って流れていく様を、彼はいつまでにも見つめていた。夜になるまで。
時折銃声や悲鳴のようなものが聞こえて来たが、やがてそれは聞こえなくなった。
「おめでとう、ネクロマンサー。キミの覚醒を助けた甲斐があったというものだ」
「ああ、ナイヅか。どうしたんだ、こんなところに? 俺はいまとても楽しいんだ」
邪魔をしないでくれ、そう言っている気がした。
ナイヅは鼻根を寄せ、歩み寄った。
「我らと等しき存在になったというのに、キミはこんなところで何をしているんだい?
約束したはずだ。この世界を生まれ変わらせるため、キミの力を貸してくれる、と」
「え? そんなこと言ったっけ? 覚えてねえなあ、契約書とか取ってあるのかい?」
ネクロマンサーはケラケラと笑い、上体を起こした。
ナイヅが憤怒の表情を浮かべているのが見えた。
だが、怖くない。ネクロマンサーは尚も笑った。
「約束を違えるというのかい、ネクロマンサー?
キミのためにどれだけの犠牲を僕たちが払ったか分かっているのか?
キミという存在を覚醒させるために……!」
「オイオイ、勘違いしないでくれ。
俺は力を貸してくれとは言ったが返すとは言ってないぜ。
お前が勝手に勘違いして、満足して、そして去って行った。それだけのことだ」
「戯言を言うな、ネクロマンサー! この場で切り捨ててもいいんだぞ!」
そう言い、ナイヅは剣を抜こうとした。
だが、抜けなかった。
剣の柄と鞘に透明な糸がいつの間にか巻き付いていたのだ。
ネクロマンサーが放った手繰り糸の一撃!
「インチキ契約はお前の十八番だろう?
ごちゃごちゃ言われる筋合いは、ないね」
いつの間にか、周囲には魔獣級のラステイターがいくらか控えていた。
いずれも凶悪な獣だ。ナイヅでさえ、息を飲む。
これだけの数を相手にするのは彼女でも辛い。
「俺はな、静かに暮らしたいだけなんだ。
たまに人里に降りて行って美味い酒を飲んで。
それ以外は可愛い動物に囲まれて。
何も考えないで生きていたいんだ。ワカルか?
世界の終わりだとか、野望だとか、そんなのは俺にとってはどうだっていいんだ」
ネクロマンサーは糸を閃かせた。
何かが倒れる音が聞こえて、ナイヅはそちらに意識を向けた。
迷彩服を着た人間が何人か倒れており、回収された糸には血が滴っている。
「キミを殺しに人間たちが来るぞ。恐れは伝播し、キミはいつか駆逐されるだろう」
「そうなると思うか?
俺はそうならないと思うね。人は俺を恐れ、俺に近付かなくなる。
ここから先に来れば死ぬと、あいつらの少ない脳ミソでも分からせてやる。
あいつらから俺に干渉しない限り、俺からあいつらには決して干渉しない。
緩やかな共生関係を強制するのさ。
そうやって静かに、いつまでも生きて行くのが俺の望みなんだよ」
ナイヅはネクロマンサーのことを値踏みするように見た。
ネクロマンサーの語ったことは、恐らくすべてが真実だろう。
この狂人は、その妄想を実現させようとしているのだ。
「……キミの力を借りられないのは残念だが、仕方がないね。ここは退くとしよう」
「ああ、帰りな。ナイヅの嬢ちゃん。俺もお前たちには構わないから、さ」
ナイヅは踵を返し、公園から立ち去って行こうとした。
去り際に一撃をくれてやろうか、そう思ったがしなかった。
ネクロマンサーには隙が無い、一撃では仕留められないだろう。
攻撃範囲の広いネクロマンサーとでは自分の能力では相性が悪い。
この体では互角に戦うことすら出来ないだろう。
「キミの力があれば、我々の目的に一歩近づいただろうに。本当に残念だよ」
「止めてくれよ、ナイヅの嬢ちゃん。
無限に生きることが出来るのにさあ、野望だのなんだのと堅苦しい生き方はしたくないんだ。
自由に生きさせてくれよ」
堕落した豚。
ナイヅはネクロマンサーを内心で侮蔑しながら、そこから立ち去った。
上空で自衛隊のものと思しき偵察ヘリが飛んでいた。
それが一瞬のうちにバラバラになり、炎上。
宵闇を切り裂き、落ちて行くのが見えた。
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一夜明けて、九月九日日曜日。
その日のニュースは凶悪なラステイターの出現、そして動物公園占拠でもちきりになった。
公園を訪れていた人々は、帰らなかった。
僅かに生き残った人々は『化け物が出た』と証言し、重篤な魔化放射線中毒に苦しむことになった。
自衛隊のヘリさえも撃墜され、現場は騒然となった。
誰の助けも期待は出来ない。
警官隊は初期に出動したものたちがラステイターの犠牲となり、いまは遠巻きに非常線を張り逃げ遅れた市民を非難させるだけになっている。初期対応を誤り、十七名の死者を出した自衛隊は謝罪会見に忙しい。そもそも通常兵力ではラステイターに対抗することなど出来ないのだから、当たり前だ。
バンクスターも役には立たない。
彼らは自分の力をよく理解していた。
ラステイターを殺すことが出来ないと理解していた彼らは、警察の避難誘導に全面協力するという形でバッシングを回避した。動物公園周辺は隔離され、彼の安息空間が出来上がった。
そこに近付いて行くものは、愚かものか自殺志願者のみだ。
ならば彼らはいずれか。
「後退も出来ないし、援軍も期待出来ない。下がるならいましかないぞ、悟志」
「そりゃ、ここに来る前に聞いて下さいよ。だったら、少しくらいグラついたかも」
悟志は苦笑し、正門を見た。
ここからでも感じるほど、圧倒的な魔力。
長時間生身でここにいれば、中毒症状によって死に至る。
つまりは、負けられない。負けた瞬間、彼らの死が決まる。
あまりにもハイリスク、ローリターンな戦い。それでも。
「付き合ってくれよ。あいつの仇を、そして僕の仇を取るための戦いを」
「分かってますよ、須田さん。お付き合いします、この世の果てまでね……!」
彼らは踏み込んで行く。
絶望的な死の領域、決して後戻り出来ぬ場所へと。




