魔帝の誕生
数多は神経を研ぎ澄まし走った。
クラッシャーラステイターの気配は、気分が悪くなるくらいよく分かる。
あの男のすべてを、消し去りたいと思いながら消し去れなかった。
最低の親だった。
親になる自覚もなく親になり、子供のように辺りに当たり散らした。誰からも見放され、誰からも疎まれたものたちは、やがてそれに耐えられなくなって逃げ出した。
一度だけ聞いたことがある、会社の金を横領して消えたと。
あんなクズのために煩わしい思いをしている人間が、自分一人でないと知って腹立たしくなった。
「荒れているね、数多。どうしたんだい、こんなところで?」
立ち止まったところで、呼び止められた。白い生き物、プレゼンター。
「いまはあんたに構ってる時間がないの。追い掛けなきゃ……」
「キミがいままで戦っていたラステイター、ロード・クラッシャーだね?」
何もかもお見通し、ということか。
ならばと思い、数多はプレゼンターに問いかけた。
「あんた、知ってたの? クラッシャーがあたしの、親父だってことに」
「極めて稀な例だ。あれはキミの父親じゃなく、ラステイターの擬態だよ」
「擬態? 確かに人の姿を取るラステイターはいたけれど……」
「ある種の粘菌が変化したラステイターだ。
メタモルフォーゼラステイター、とでもいうべきかな。元となる生物を喰らい、その生体情報と記憶をすべて読み取るんだ。そうすることで人間社会に溶け込み、また次のターゲットを探して行く」
どれだけの信憑性があるのかは分からない。だが、信じて見ることにした。
少なくとも、人だったものを殺すよりはまだ心が痛まなくて済みそうだったから。
「クラッシャーが逃げた場所は分かっている。案内してあげよう、数多」
「知ってるの? そりゃ、案内してくれるんなら助かるけど……どうして?」
歩き出そうとしたプレゼンターは立ち止まり、数多の方を振り返って言った。
「初めに会った時言っただろう?
僕はこの世界を平和にしたいんだ。
彼のように、世界の平和を乱す存在は僕にとっても敵さ。
だから、キミを手助けしているんだ」
「ふぅーん、そう。ま、ありがとうって言っておくわよ。プレゼンター」
「キミは強い魔法少女だ、数多。キミの魔法なら必ずクラッシャーを倒せるだろう」
九児河数多は気付かない。
プレゼンターの言葉の裏に隠された大いなる悪意を。
そしてそれに気付いたとしても、抵抗する術を持たない。
そして、その意志もなかった。
ロード・クラッシャーが隠れていたのは、廃棄された店舗の中。その地下構造内だった。棚もすべて撤去され、がらんとした空間が広がっている。その真ん中にぽっかりと、彼の開けた穴が開いている。地を操作する彼の能力があってこその荒業だ。
クラッシャーは己の腕を見た。
魔力で無理矢理くっつけた腕を。
「クソ……クソッタレ、あのガキめ!
あんなガキ、大人しく俺に、俺に従ってりゃ……クソォァッ!
俺を、俺を切りやがったな! チクショウめ、ぶっ殺してやる!」
「へぇ、あたしを殺すの? さっきとはまるで態度が違うわね?」
いきなりかけられた声に反応し、クラッシャーは弾かれたように立ち上がった。
「お前……数多ぁ! ど、どうしてこんなところにいやがるんだ!?」
クラッシャーはラステイターとしてではなく、中西正二としてそこにいた。
大柄だが鍛えの足りない体をタンクトップで包んだ、金黒メッシュ髪の男。
彼は数多を威圧するように睨むが、しかし彼女は怯まない。
殺意の方が上回っているから。
「あんたを殺す。この世界の、人類の恥だよ。あんた」
「生意気なことを……抜かしてんじゃねえぞ、数多ァッ!」
中西はラステイター態に変身した。
黒黄ストライプ柄、今更ながらに人間としての姿を基準にしているのだと数多は気付いた。クラッシャーが立ち上がり、跳びかかって来る。数多は聖剣を構え、クラッシャーを迎え討とうとする!
しかし、クラッシャーは空中で軌道を変えた。足下から床がせり出し、クラッシャーはそれを蹴ったのだ。聖剣は空を切り、横合いから放たれた拳に数多は吹き飛ばされた。
「デカい口叩いてるようだがなぁ、数多! お前はただのガキと変わらねえんだよ!」
吹き飛ばされた数多に、クラッシャーはのしかかった。
数多の首を掴み、全体重を掛けて締め上げる。
窒息することはない、だが数多の首がミシミシと音を立てて軋んだ。
「死にたくねえなら懇願しろよ、数多ァ! 許してくださいってなぁ!」
「あっ……ガァッ……!」
数多は聖剣に魔力を込める。マギウス・コアが発光し、刀身が光り輝く。
だがクラッシャーは空いた逆の手で聖剣を握り締めた。
クラッシャーの放つ魔力で聖剣が押さえつけられる!
「手前如きの魔力じゃ俺は殺せねえよ。いい面してんじゃねえか、数多ァ!」
「くっ、そ、野郎が……!」
「その勝気な顔が歪むのが、俺は好きなんだ。お前の母ちゃんも同じ顔してたぜ!」
いきなり何を言っているのだ、この男は。
数多はもがきながらも疑問を消せなかった。
「押さえつけて、思いっきり痛めつけてやるのが最高に気持ちよかったんだ!
ああ、なのにチクショウ! あいつ死んじまいやがってよ!
あれさえなけりゃなぁ!」
何を言っているのか分からない。
だが、数多は全身の血液が沸騰するのを感じた。
「あいつが死ななきゃ、もっと楽しかったはずなんだ!
けど俺は追われる身で? お楽しみもままならねえ!
つまんねえまま死んでいくものかと思ってたけどよぉ!」
数多は、ただ見た。クラッシャーを、唾棄すべきクズの顔を。
「けど俺にも運が回って来た! お前は成長して、あいつと同じような顔になった!
こうして締め付けてっとよォ、蘇って来るぜ! あの時感じた悦楽が――!」
「黙ってろよ、クズ」
数多の手がクラッシャーの手を掴んだ。
鼻で笑うクラッシャーだったが、すぐに気付いた。
凄まじい握力に。腕が砕かれた。
クラッシャーは悲鳴を上げて飛びずさる。
「なっ、何だ! お前、いったい何をしやがったんで!? エエ!?」
「ずっと母さんがあたしを見捨てたと思ってたんだけど、違ったんだぁ……」
クスリ、と数多は笑った。それはあまりに、現状にそぐわない表情だった。
クラッシャーは一歩後ずさった。恐怖のために。
数多の顔は、いままで見たことがないくらい歪んでいた。
これほどまでに歪な笑顔を、クラッシャーは見たことがなかった。
(なんだ、こいつは!? ただのガキじゃねえのか!
こんなの、この程度の魔法少女何人だって殺して来た!
問題になんてならねえ! そ、それなのに……!)
数多が一歩足を踏み出した。
魔力を感じる、自分さえも圧倒するほどの魔力を。
クラッシャーは気付いていなかった。
数多が幾多の戦いを潜り抜けて来た歴戦の戦士だということを。多くのラステイターと、とりわけ魔王級ラステイターと何度も相対し、彼らの持つ圧倒的魔力をその身に受けて来たということを。そして、長年に渡る戦いで、魔力がすっかり彼女の体に馴染んでいたということを。
魔化放射線による、細胞変異現象。
それが彼女の中で起こっていた。
より深く、より劇的な形で。
彼女の体を光り輝く炎が包み込んだ。
それは、終わりの始まり。
人間という脆弱な器を焼き払い、新たな姿へと変わるための儀式。
青く輝く鎧を、彼女は纏っていた。
羽根飾りのついたフルフェイスヘルメットを被っていた。
鞘と一体化した盾を、彼女は携えていた。
ゆっくりと、数多は剣を抜いた。
禍々しい装飾を施された『魔剣』を。
その光景を、プレゼンターは見下ろしていた。
「誕生、おめでとう。魔帝……テュルフィング」
恐怖を忘れた強者、ロード・クラッシャーは恐怖していた。
つい先ほどまで取るに足らない存在であったはずの娘を。
自分と同じ変異を遂げたはずの存在を。
「なっ……舐めんじゃねえぞ、クソが! 俺は、クラッシャー様だッ!」
クラッシャーは太い拳を振り上げた。
アークロード・テュルフィング――数多は掌をクラッシャーに向けた。
向けただけだ、にも拘らずクラッシャーは吹き飛ばされた。
(なっ……なんだぁっ!? こ、この桁違いの魔力は!? 俺が押されている!?)
それは、単純な魔力放出だ。どんなラステイターにも使える力。
だが、その出力は正しく桁違いだった。
数多は薄く笑った。やがてそれは哄笑へと変わった。
「っは……ははは! いいわ、凄いよこの力! 全身から力が溢れ出してくる……!」
数多は軽く地を蹴った。
それだけでクラッシャーの知覚能力を超えるスピードが出せた。
軽く剣を振り上げた。
たったそれだけでクラッシャーの腕が切断された。
一度、二度、三度。ほんの数秒の間に、クラッシャーは四肢を刈り取られた。
「へっ……へぁっ……!? な、何だ! 何なんだよ、お前はぁっ……!?」
嗜虐者と被虐者の関係は一瞬にして逆転した。
数多は見下ろす。冷たい瞳で。
「消えろ、中西。お前が存在するから――この世界は閉塞するんだァーッ!」
数多は魔剣を振り下ろした。何の躊躇いもなく。
頭頂から股間にかけてまで、正中線を一直線に切られた。
真っ二つになったクラッシャーは爆発四散した。
彼女の前に現れたのは、水晶めいた巨大なマギウス・コア。
彼女はそれを拾い上げることもなく、踏みつぶした。
中西正二の存在証明は、この世界から消え去った。
「っはは……お母さん。お婆ちゃん。仇は、討ったよ。クズを殺して……!」
数多は哄笑を上げた。心の底からの笑いだった。
虐げられてきた。傷つけられてきた。否定されてきた。
自分を苦しめて来たものの――なんと薄っぺらだったことか!
「はは……でもどうしよう? 化け物になっちゃって……それで」
それで、何が変わるというのだろうか?
何も変わらない。数多は思った。
「例え化け物になったって、あたしはあたしだ。守って見せる、みんなを……!」
数多はかつての姿をイメージした。
彼女の体が光に包み込まれ、人間、九児河数多の姿が戻って来た。
数多は嘆息した。
「危ない危ない、あの姿じゃお婆ちゃんを怖がらせちゃうからね……」
数多はすべての用を終えたスーパー跡地から立ち去った。
帰って、ご飯を食べよう。
たくさんお婆ちゃんと話して、眠って、そしてまた明日。
もちろん、そんなことはもう出来ない。
彼女は願いの代償を掴むことになる。




