吸血鬼殺人
七月十八日、水曜日。
正清は特に目的もなく街を歩いていた。こういう日もある、日がな一日ラステイターと戦っているわけではない。その頻度は高まりつつあるが。
どうしようか、と正清は考えていた。
適当に街を歩き、新作映画を見て、気になっていたラーメン屋に入ってみようか。
そんなことを考えていると、同じようなことを考えていた悟志と出会った。
正清は固辞したが、向こうに押し切られた。
「正直、気まずいってレベルじゃないんだけどな。悟志」
「いいだろ、別に。俺たち友達じゃないか?」
「友達だけど、彼女とのデートを邪魔してるみたいで悪いよ」
そう言いながら、正清は睦子に視線を向ける。彼女の方は相変わらずのほほんとした笑みを浮かべており、正清が抱いているような懸念とはまったく無縁だった。
「今更俺も睦子も気にするかよ、そんなこと。なあ?」
「そうね。ショウくん、最近落ち込んでるみたいだし。こういうのも悪くないわ」
慈母のような笑みを向けて来る睦子に対して、正清はバツの悪そうな表情を作った。
「お見通しってことですか。まあ、僕の表情が分かりやす過ぎるのかもしれませんけど」
「気にするな、って言った方が無理かもしれないけどさ。
美里ちゃんが入院しているのはお前のせいじゃない。
っていうか、お前が戦わなきゃ被害はもっと大きくなってんだ」
「それは分かってる……っていうか、美里もそう言ってくれたよ。けどさ」
簡単に割り切れる問題ではない。
二人も分かってはいるので、苦笑するだけだ。
「お前の言いたいことも分かるよ。でも、今日は楽しもうぜ? な?」
悟志は正清の肩を抱き、悪戯っぽく笑う。
悟志もまた、あの事件で傷を負った人間だ。
それでも、自分のことを気遣ってくれていると正清には分かった。
だから正清は、ぎこちなくも笑った。
それから三人は千葉の街を散策した。
適当に歩き回り、映画を見て、食事を摂って。
ありきたりな日常だからこそ、それは正清の心に染み入って行った。
「まあまあだったな、あの映画。ドンパチの頻度が減ればもうちょっといい」
「あれでも物足りないくらいだよ。もっと爆発してくれなきゃ」
「あらあら、相変わらずショウくんは派手な映像が好きね」
新作アクション映画を堪能して、三人は映画館を出た。趣味嗜好はそれなりに似通っている、と言うより長い付き合いなので耐性が出来ていた。誰か一人でも好きな映画はそれなりにみんな好きだ。時計を見ると午後四時、解散するにはいい時間だった。
「今日はありがとう、悟志。二人きりのデートだったのに邪魔してすみません」
悟志には礼を言って、彼女である睦子には謝罪を行った。
「いいの。まあ、運命っていうの? あそこで出会ったならそういうことなのよ」
睦子はにこにこと笑ってそれを受け流す。些細な気遣いが嬉しかった。
「そう言えば、夏休みの予定とか決まってんのか?
あんなことになっちまったけどさ、楽しんじゃいけないってわけはないだろ。
どこか行くなら付き合うぜ」
「うん、ありがとう悟志。そうだな、今年は……」
そんなことを考えていると、目の前が少しざわついているのに気付いた。
そして、その理由にもすぐに気付いた。
異様な風体の男が道を歩いているのだ。
単に汚れていたり、臭かったりするだけなら、これほど警戒はされないだろう。
その男の異様さは、そんなところにはなかった。
白濁しかかった目。
だらりと垂れ下がった顎。
露出した肌の一部がずるりと剥け、筋繊維が露出しているところさえある。
身に纏ったグレーのスーツには赤黒い、血のような染みがところどころについている。
男は一歩、二歩と歩き、正清たちの目の前で転倒した。そしてそれきり、ピクリとも動かなくなった。死体は急速にしぼんで行き、ミイラめいた物体へと変貌した。正清たちでさえ驚きの声をあげ、通行人たちは悲鳴を上げてそこから飛びずさった。
「ショウ、こいつは……!」
「ラステイターの仕業だ。悟志、警察を。僕はそいつを探す……!」
正清はディアフォンを取り出し、レーダーアプリを起動させた。自動で魔力を感知してくれはするが、範囲を絞った方が精度はよくなる。巧妙に隠された『臭い』を探知し、ディアフォンはその場から立ち去って行く影を捉えた。裏路地に入っていく。
「行こう、こっちだ!」
正清は悟志を促し、路地の裏へ。睦子もそれを追い掛けて行く。レーダーアプリは現場から逃げるように去っていくものを捉えている。少しずつ近付き、そして……
『親不孝通り』ともあだ名される、猥雑な一角。
その手前で、彼らは追いついた。
「……ちょっと待ってください、あなたが……あなたが、あれをやったんですか?」
そこにいたのは、ダークスーツに身を包んだ男だった。年齢は三、四十か。白髪交じりの頭髪。背筋の曲がった男は正清の言葉に立ち止まった。だが、振り返ることも、声を発することもなかった。正清は息を飲み、ドライバーに手を伸ばした。
「ショウ、危ない! 上だッ!」
正清は反射的に前転を打った。直後、屋根から飛び降りて来た巨大なゴキブリめいた怪物が正清に拳を振り下ろした。寸でのところでそれを避け、立ち上がる。その時にはダークスーツの男は走り出していた。体格に似合わぬ、見事な走りだった。
「こいつら、マギウス・フィールドを展開していないのか!」
ラステイターは狩りの時に必ずマギウス・フィールドを展開する。しかし、周囲の人通りはそのまま。ディアフォンにも反応はない。彼らが一歩路地に足を踏み入れれば、異形の怪物を目の当たりにすることだろう。幸運にもそうはならなかったが。
(下手に変身すれば人々の目に触れることになる! けど、あいつを逃がすわけには!)
ダークスーツの男を追おうとする正清を、ローチが牽制した。下手に動けばやられる。正清は動けなかった、だが悟志は動いた。正清を牽制するローチの背にヤクザキックを繰り出したのだ。予想もしていなかった衝撃に、ローチがたたらを踏む。
「ショウ、こいつらは俺に任せろ! お前はあの男を追いかけるんだ!」
もう片方のローチが振るった腕を屈んで避け、蹴られたローチの水面蹴りを前転で回避。すぐさま立ち上がり、正清を守るようにして立ちはだかった。
「悟志……! ありがとう、恩に着る! こいつらのことは任せた!」
正清は男を追い掛け走り出した。ローチは追撃を仕掛けようとするが、悟志が立ちはだかる。ローチは舌打ちするように頭を振り、マギウス・フィールドを展開した。
「お前らがやらなきゃいけないってのは面倒だな。今度須田さんに頼んでみるか……」
悟志は《マグスドライバー》を操作、変身プロセスを作動させる。その反対側にいた睦子も自らのマギウス・コアを手に取り、戦いの体勢を整えた。
「変身!」
二人の体が光に包まれ、マグスと『影絵の魔法少女』が現れた。
ローチも格闘家めいた構えを取り、二人の戦士を迎え撃つ!
一方、正清はダークスーツの男を追って駆けた。男の足は速いが、正清に追い切れないほどではなかった。長きに渡る戦いが、彼の中に眠れる能力を引き出していたのだ。
親不孝通りを横断し、中央公園へ。
『桜花の魔法少女』との戦いでもここに来たな、と思いながら正清は男を追った。男は対面にあった大型商業ビルに入って行った。店舗名を描いたネオン看板は取り外されて以来別のものは掛けられていなかった。男は一心不乱に階段を昇って行き、やがて屋上へと到達した。正清もそれを追う。
寂れた屋上に、男は一人立っていた。
空は曇天、いまにも落ちてきそうだった。
「私に何か用かね? 随分と……しつこく追いかけて来ているようだが」
男は髪を掻き上げながら振り返った。
周囲に人影はない、男の周囲からは魔力の反応がある。
間違いない、この男はラステイターだ。
「何者なんだ、お前は!」
「こちらのセリフ……と言いたいところだが、堂々巡りになるな」
くすくすと笑いながら、男は目を伏せる。
瞬間、周囲の大気が逆巻いた。
男はゆっくりと顔を上げ、鋭い視線を正清に向けた。
凄まじい圧力を感じ、正清は立ちすくむ。
彼の周囲に風が収束し、風景が歪んだ。
男の低い笑い声が響いた。
「知りたいというならば、教えてあげよう。後悔をすると思うがね……!」
男の方からメキメキと何かが折れるような音がした。
彼の輪郭が歪み、闇に包まれた。
闇が晴れた時、すでに男はいなかった。
代わりに、恐ろしき黒甲冑が現れた。
いくつもの黒いプレートを組み合わせたセグメンタ。
背負ったマントは血のように赤と、宵闇よりも暗き黒で構成されていた。
爛々と輝く金色の目が、正清を睨んだ。
「ヴァンパイア、ラステイター……」




