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魔法少女と終末の獣  作者: 小夏雅彦
赤い力と黒の従者
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希望と絶望の間

 クラブラステイターは異形の鋏を引きずり、教室の中へと入って来た。

 引きずった軌跡に描かれる赤は、血か?

 睦子は現実感すら持てないままそれを見た。


 狂乱し、男子生徒が逃げ出そうとした。

 だがそれはあっさりと妨害された。

 クラブが目にも止まらぬ速さで鋏を振るい、彼を打ったのだ。

 彼の体はゴムボールのように簡単に飛んで行き、黒板に激突。

 黒板は真っ二つに折れ、彼は倒れて来たそれの下敷きになった。


 クラブは咆哮を上げた。黒く丸い目が教室内を見渡す。

 クラブは舌なめずりした。睦子はその様子を、冷静に観察する。


 巨大な鋏があるのは右側だけ。

 左手は人間のそれと同じか、あるいはそれより細く、そして長い。

 枯れ枝のような印象を受ける。


 生徒の一部は自分たちで築いたバリケードを崩し、部屋から脱出しようとしている。

 クラブはそれを嘲笑うように、ゆっくりとそちらに近付いて行く。

 いまなら行ける。

 そう判断した睦子は身を低くし、クラブの左側面を通って部屋から脱出しようとした。


 だがそれはクラブの狡猾な罠だった。

 長い左手がぬっと伸び、睦子の首を掴んだ。

 枯れ枝のような印象とは正反対、万力のような力に締め付けられ睦子は声もあげられなくなった。

 睦子はじたばたと抵抗するが、ビクともしない。クラブは咆哮を上げ、睦子を投げ捨てた。

 彼女は教室の真ん中あたりに、背中から叩きつけられた。


 クラブが上げた方向に皆竦み、動くことさえも出来なくなった。

 睦子は呻きながら立ち上がろうとするが、しかしその右足を何かが掴んだ。

 それはギザギザした感触のあるものだった。睦子はそれを見て、ついに色を失った。

 足を掴んでいるのは、巨大な鋏だった。


 ギリギリと、鋏に込められる力がだんだん強くなっていく。

 クラブの顔に嗜虐的な色が浮かぶ、苦しみ、悶えるのを見て楽しんでいるのだと睦子は分かった。

 分かってはいたが、彼女は悲鳴を上げ助けを求めた。辺りを見回し、友達に手を伸ばした。

 だが彼らはその手を避けるように後ずさった。当たり前のことだった。


「ひっ……! や、やめて! お願い、た……助けてッ……!」


 睦子の足に鋏がめり込み、筋繊維を引き千切る。皮膚が裂け、血液が溢れ出す。太い血管を傷つけていないので絶対量自体はそれほどではないが、しかし溢れ出す赤がその場にいる全員の恐怖を喚起した。誰もが恐怖に打ち震え、だが誰も動かない。


(誰、か……助けて。たす、けて……悟志くん……!)


 美里は両目から涙を流し、懸命に痛みに耐えた。

 彼が助けに来てくれるなら、どれだけいいだろうと思った。

 爽やかな汗を流し、声を張り上げ、彼はピッチを駆け抜けた。

 その姿に憧れ、恋をした。だから、それだけでいいのだと、彼女は思った。


(助けになんて、来てくれるはずがない。せめて、あなただけでも……)


 クラブは哄笑を上げながら、鋏に込める力を強める。

 切断される、本能的に思った。切断など生やさしい状態であればまだいい。


 これは裁断だ。

 力任せに切り落とされた傷口はぐちゃぐちゃになり、接合は二度と出来ないだろう。


 そうなることを、睦子は覚悟した。

 だが、突如として鋏にかかる力が弱まる。



「ッ……! 逃げろ! 睦子ッ!」


 目を開き、それを見た。信じられない光景を。

 首に絡み付く太い腕。クラブはそれを退けようとして、鋏を振り回している。

 クラブに絡み付いているのは、悟志だった。


◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆


 屋上でクロウの襲撃にあった悟志たちが生き延びられたのは、まさに奇跡的だった。

 クロウは羽根の弾丸を使い、じわじわと悟志たちをいたぶった。

 全身切り傷だらけになり、仙田など太ももに羽根が突き刺さり動けなくなってしまったほどだ。


 とどめを刺される。そう思った二人だったが、クロウは何を思ったのか二人への攻撃を止め、階下へと降りて行った。この時ちょうど、正清たちが校門から侵入してきたのだが、上階にいたことと悲鳴で音が掻き消されたことで二人は気付けなかった。


「ああ、クソ……何とか生き延びることが出来た、って感じだな。大丈夫か、宗次」

「ああ、何とか生きている。だが、この羽根は……っぐあぁぁっ!」


 突き刺さった羽根を抜こうとして、仙田は苦悶の叫びを上げた。

 羽根はそれ自体が返しのようになっており、引き抜こうとすると肉を抉るのだ。

 仙田は諦めた。


「この足じゃ動けんな……俺は放っておけ、先に行けよ」

「何を言っているんだ、宗次! そんなことが出来るわけないだろうが!」


 悟志は叫んだが、しかし仙田はそんな悟志の襟首を掴み、引き寄せて来た。


「お前が守らなきゃいけないものを考えろ。ここでじっとしてていいのか?」


 自分が守らなければならないもの、それはいったい何だ?

 己のプライド? 命? それとも……


 頭に浮かんでくるのは、一人の女性の寂しげな笑顔だけ。


「……すまん、宗次。必ず、必ずここに戻ってくるからな……!」


 そう言って悟志は立ち上がり、屋上から出て行った。

 耳を澄ませてみるが、周囲から何かが来るような気配はない。

 仙田は息を吐いて、がっくりとうなだれた。


「まったく、世話のかかるバカが……」


 そこまでだった。

 気合で保っていた意識をついに手放し、仙田は闇へと落ちた。




 いつからだろう。好きだと思っていたものにのめり込めなくなったのは。

 いつからだろう、他人の持っているものに嫉妬するようになったのは。

 いつからだろう、才能という言葉を信仰し、諦めるようになったのは。


 ずっとその兆候はあった、と思う。


 比較的挫折の少ない人生を送って来た。

 テストをやれば何となく高得点を取り、体を動かせば何となく成果を出せた。

 そのことが自信に繋がって行き、『堂々としている』と人から慕われた。

 『悟志くんはいい子ね』などと言われた時は、内心で得意になった。


 体を動かすのは嫌いではなかった。

 スポーツをやっている時はすべてから解き放たれたような気持になった。

 だから自然といろいろなことをするようになった。

 最終的に行きついたのはサッカー。みんなから持て囃され、天狗になっていた。


 もちろん、そんなことで続けて行けるほどスポーツは甘いものではない。

 年齢が上がって行くにつれて周りのレベルも上がっていき、彼は一番ではなくなった。


 一番でいるために努力もした、したつもりだった。

 だから高校に上がるまでは何とかなかった。

 才能の差を感じる時もあったが、それほど多くはなかった。

 自分も特別な側だと思った。


 そんな幻想は、高校に上がった時に打ち砕かれた。

 シニアリーグで腕を磨いたものがいた。

 全国大会出場経験者がいた。

 天性の才能の持ち主がいた。


 その時になって、悟志は気付いた。

 自分が持たざるものだ、という事実に。


 そう思うと、自分が何年もかけてやってきたことが、途端に空虚なことに思えて来た。

 努力しても、血を吐いても、あの領域には辿り着けない。

 自分があれくらいの歳の頃にやれなかったことを、彼らは既に苦も無くやっているのだから。


 鬱屈とした感情があった。

 自分と同じポジションに、そんなゴールデンルーキーがやってきた。

 いまのところは身体能力の差で技量の差をカバー出来ている。


 だが、この自分の成長が著しいのは自分も経験して来たとおりだ。

 三か月、その間に彼が自分を超えないとどうして言える?

 否、きっと超えるだろうと言う直感があった。


 一対一(ワンオンワン)の練習で何度も抜かれた。

 スプリントでバネの差を思い知らされた。

 日に日に肥大化していく筋肉を間近で見ていた。

 恐怖が彼の中で育っていった。


 ラステイターに襲われ、怪我を負ったのは彼にとって幸運だった。

 あくまで悟志にとってだ、適当に部を止める言い訳が出来た。

 適当な言い訳を顧問にはした。

 しかしその心の内を見透かされているような気がした。


『お前がやめるって言うなら、俺には止める理由なんてないよ。

 臆病風に吹かれるなんてよくあることだ。

 戻って来たいと思ったら、戻って来い。こいつは捨てちまうからさ』


 きっと、彼も自分と同じような人間なのだろう。

 だからあの場で自分を叱りつけず、優しく諭してくれたのだろう。

 それでも、悟志は逃げた。自分から。


「睦子……睦子、睦子! ああ、クソ! どこにいやがるんだ!」


 教室にいなかったことだけは確認した。

 倒れている死体の中にもなかった、と思う。

 ラットが襲い掛かって来たので、教室内を改めることは出来なかった。

 死体を貪るラステイターが恐ろしかったというのもある。

 ああはなりたくないし、させたくなかった。


 サッカー部のマネージャーで、恋人でもある睦子を悟志は避けて来た。

 ある程度の事情を了解してくれていたが、しかしそれでも彼女は部への復帰を望んでいた。

 それが苦しくて、辛かった。期待を背負えるような人間ではないと、そう思っていた。


 睦子の悲鳴が聞こえる。

 音楽準備室、扉は破壊され、積み重なった楽器類が無残な残骸を晒していた。

 彼女はラステイターに襲われ、殺されそうになっていた。


(俺は俺から逃げたい……だけど、キミから逃げるような男でありたくはない!)


 悟志は叫びながら、ラステイターに向かって飛びかかった。

 どれだけの効果があるかは分からないがラステイターに絡み付き、その首を絞めた。




 クラブの鋏が乱暴に振り回され、その度天井や床が破壊された。

 睦子は這いずりクラブから逃れ、それに絡み付くものを見た。

 悟志が必死になって化け物と戦っている。


「さ、悟志くん!? どうしてこんなところに……」

「逃げろ、睦子! みんな! 殺されちまうぞッ、早く!」


 悟志は振り落とされないようにクラブの甲殻を掴み、必死に叫んだ。

 クラブによって形作られた恐怖の支配が緩み、生徒たちは絶叫しながら逃げ出した。

 睦子も立ち上がろうとしたが、しかし足を傷つけられ力が入らない。

 顔をしかめ、這いずるので精いっぱいだ。


 クラブの左手が、悟志の背中を掴んだ。

 クラブは上体を前に傾け、悟志を投げ捨てた。

 背中から床に叩きつけられ、悟志は痛みに呻いた。


 立ち上がろうとした悟志の体目掛けて、クラブは蹴りを叩き込んだ。

 両手で防御するが、無駄だった。

 圧倒的パワーに少しも抵抗することが出来ず、悟志の体は窓に叩きつけられた。


「悟志くんッ!」


 破壊されたガラスの破片が悟志に降り注ぎ、彼の体を傷つけた。

 首を掠りもしなかったのは幸運としか言いようがないだろう。

 立ち上がろうとする悟志だったが、しかし引き起こされた。

 両腕をがっちりとホールドされ、身じろぎすることさえも出来ない。


 彼を引き上げたのは、クラブの鋏だった。

 ギザギザの歯は先端が丸まっており、切断するというよりは対象を押し切るために作られた刃だった。

 クラブは悟志の体を持ち上げ、鋏に込める力を強めた。全身の骨がミシミシと音を立てて軋んだ。


「逃げ、ろ……逃げるんだ、睦子ッ……!」


 殺される。

 そう思った。

 もはや逃げ道などない、ただ死んでいくだけ……


 そう思っていたが、そうはならなかった。

 鋏に込められた力が急に弱まった。

 直後、発砲音。

 耳をつんざくような音が二人の耳を直撃し、平衡感覚をしばし失わせた。


「こちらB班、三階音楽準備室にて救助者を発見。交戦に入る」


 部屋に侵入してきたのはマグスだった。

 彼らは烈砕砲バスターライアットをクラブに向けて放った。

 クラブは鋏を掲げ防御、弾丸の直撃を避けるがその場に釘付けになってしまう。

 その隙にマグスの一体がクラブに接近、腰の入った後ろ回し蹴りを繰り出した。

 防御さえ出来なかったクラブは吹っ飛ばされ、割れた黒板に叩きつけられた。


(はぁーっ、はぁーっ、た、助かったのか? こいつらはいったい……)


 悟志は顔を上げ、マグスを見た。

 マグスは悟志を庇うように立ち、バスターライアットを吹き飛ばされたクラブに向けて発砲した。

 三方から放たれる弾丸がクラブの甲殻を削り、少なからぬダメージを与えていた。

 助かった、そう思った。


 だが、悟志の前に立ったマグスが身じろぎした。

 何をしている、そう思ったが彼の体に何かが絡みついているのに気付いた。

 ぬめぬめとした透明のそれは、生き物の舌のようだった。

 それがマグスを縛り上げ、動きを封じているのだ。


 弾幕が薄くなったのを、クラブは見逃さなかった。

 外見からは想像も出来ないほどの俊敏さでマグスに迫るとその首に鋏を噛ませ、そして断ち切った。

 悟志が『あっ』と声を挙げる暇すらもなく、強固な装甲に守られているはずの首が断ち切られた。

 ヘルメットが転がり、全身から力が抜ける。マグスの体が倒れ込み、そして光に包まれた。


 首のない死体が彼らの前に転がった。

 声を挙げることさえも出来ない。

 感覚がマヒし、現実感がなくなっていた。

 目の前の物体が何なのか、認識するのを脳が拒んだ。


 形勢は逆転していた。

 マグス単体ではクラブには敵わない。

 三対一でようやく圧倒していたくらいだ。二対二では話にならない。

 クラブがマグスに跳びかかり、もう一体のラステイターも透明化を解除し、戦闘に参加する。


「人間トイウモノハ奇妙ダ。危険ヲ犯シテマデ弱小個体ヲ守ロウトスル。

 マア、ダカラコソ……我々モオ前タチノ動キヲ予測出来ルノダガナ」


 小さく隆起した背中と大きな目、緑色の鱗。

 体はそれほど大きくないが、驚くべき跳躍力でマグスまで一足飛びで迫る。

 カメレオンラステイター!


 格闘家めいたステップと巧みな体捌き、強烈な蹴りを繰り出すカメレオン。

 強固な甲殻で身を包み、強大なパワーを武器に立ちまわるクラブ。

 強大な力を持つ二者を前にしてあっという間に二人のマグスは追い詰められた。

 一人はクラブの振るう鋏によって吹き飛ばされ、もう一人はカメレオンに叩き伏せれた。


 逃げ出そうとするマグスの首に、カメレオンの舌が絡みついた。

 ミシミシと骨が軋み、そして折れる音が聞こえて来た。


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