大人たちの話_1
疲れた。
それだけしか言えなかった。正清と美里は須田のランドクルーザーに送られ、家の最寄り駅である桜木駅まで送られた。この近くにある住宅街が、彼らの住処だ。
「何だかよく分からないけど、大変なことになっちゃったみたいだね。ショウくん」
「大丈夫だよ、美里。確かに大変なことになったけど、でも大丈夫さ」
それだけしか言えなかった。守秘義務が発生しているため、彼女に秘密を作らなければならなくなったのは正清にとって苦しいことだった。大切な人に秘密を作らなければならないとは。いや、これから家族にも秘密を作ることになるのだが。
「それじゃあ、私はこっちだね。ショウちゃん、また明日……ね?」
「うん。お休み、美里。今日は楽しかったよ、本当に。ありがとう、また明日」
楽しかった、そう言った瞬間目の前で死んだあの老人の顔が浮かんで来た。罪悪感が彼の全身を包み込んだが、努めてそれを表に出さないようにして、美里と別れた。
「ただいま、母さん」
「あら、お帰りショウ。どうしたの、あんた。遅くなるんじゃなかったのぉ?」
ちょっと粘っこい、厭らしい口ぶりで母は言ってきた。
そんな気分ではなかったが、母に当たるわけにはいかない。
苛立ちは布団にぶつけることにした。
とにかく、アルバイト関連の書類にサインをもらわなければ。バンクスターは地元でもそれなりの優良企業として認知されているので、母もうるさく言わないだろう。
「ねえ、母さん。ハンコを押してもらいたい書類があるんだけど――」
『次のニュースです。
今日の昼頃、千葉中央駅に併設された映画館で老人の刺殺体が発見されました。
警察の発表によると、名前は桐沢雄一六十四歳。
警察では目撃者がいないか、捜査を続けているということです――』
カサリ、と音を立てて紙が落ちた。
分かっていたはずだ、発見されることなど。
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人でごった返す映画館、目撃者などすぐに見つかると思っていた。
だが、当初の想定とは大きく変わって捜査は難航していた。
老人は幽霊のように現れ、そして死んだのだ。
現場は非常に雑然としていた。パーテーションや立て看板が倒れ、ポッポコーンが辺りに散乱し、イスや机が引き倒されていた。被害者と争った跡かは分からない。いずれにも被害者の指紋は付着していなかった。桐沢某はどうしてここにいたのだ?
「被害者についた傷の中で一番目立っているのは肩、脇腹、右腕についたものです。
うち肩と右上腕部についたものが動脈を損傷させており、脇腹を貫いたものは肺と腎臓を傷つけています。死因は出血多量によるショック死かと」
「凶器は発見されたのか? と言うか、どうすればこんな惨いことが出来る?」
「記憶にある限りはありません。先の尖った太いパイプのようなものを使えばこんな傷が出来るかもしれませんが、それにしても人体を貫通するほどとなると」
ベテランの鑑識官、新山隆も首を傾げている。残念なことに与沢警部も同じだった。捜査一課に在籍して長く、凄惨な事件現場も数多く見て来た与沢警部だったが、これほどまでに珍妙で、不可解な事件に遭遇したのは初めてだ。
「ダメです、警部。周辺一帯の監視カメラがトラブルを起こしていて、事件当時の映像をまるで撮影出来ていないようです」
監視カメラのチェックを行っていた相棒の刑事、川谷正人巡査が戻って来た。与沢とは二十センチも身長が違うが、いつも叩かれている。
「一帯のが? バカ言ってんじゃねえ、そんなこと有り得るわけないだろ?」
「残念なことに、それがあったんです。十三時二十二分から十三時三十分までにかけて、監視カメラが原因不明の動作不良を起こしています」
そんなバカな、と言いかけたがホテル側にまで確認を取ったのだから事実なのだろう。人がごった返す劇場内に、いきなり現れた死体。
「不可解な事件ですね。まるで推理小説か何かのようだ」
川谷は言ったが、与沢はホラー小説か何かのようだと思った。
衆人環視の環境下、いきなり現れた死体。異様な傷。
吸血鬼かエイリアンがやったと言われた方が納得がいく。
「とにかく、まずは周囲の聞き込みだ。それから、監視カメラの確認」
「事件当時の状況はどこにも映っていないですよ。どう探すんですか?」
「なら前後の状況を確認しよう。あれだけのことをしでかしたんだ、おかしな動きとか大型のバッグを持ち歩いているような連中もいるかもしれん。そう言うのを探す」
なるほど、と川谷は納得して与沢警部に続いて行った。
非常階段を除けば、出入り口は二つ。エスカレーターとエレベーター。
どこかに犯人の手がかりが残っているはずだ。
「まったく、おかしな事件に当たっちまったもんだぜ。そうは思わないか?」
「分かります。面白くなってきましたね、これは」
まったく、これだから。
川谷はそれなりに優秀な男だが状況を楽しむクセがある。
この小突き甲斐のある刑事が一人前になるのは、果たしていつのことだろうか?
そんなことを考えながら、与沢警部は川谷の尻を叩いて一喝するのであった。
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テレビの地方ニュースに映った奇怪な殺人事件の報は、彼らの耳にも届いた。
「彼の葬儀を執り行うことが出来るのが、唯一の救いということかな」
「かもしれませんね。喪主は誰が務めることになるんです? 家族はいないんでしょ?」
玄斎と須田は薄暗い室内でニュースを見ていた。暗いのが好きなわけではない、ただ節電の要請が総務部から来ているというそれだけだった。表向きには第三社史編纂室はほとんど何も作業を行っていない部署であり、総務には逆らうことが出来ないのだ。
「ムツさんに連絡は行っているだろうが、再婚してもう何年も経つし桐沢とは没交渉だったと聞いている。私がやるよ、社長の方にはもう了承を貰っているからね」
「娘さんの手がかりさえ見つけられずに逝くなんて、さぞかし無念でしょうね」
須田は残念そうに言った。
そしてそれが彼の本心であることを玄斎は知っていた。
シャルディアのテストユーザー、桐沢雄一はラステイター被害者の一人だった。離婚した妻から親権を勝ち取り、男手一つで育て上げて来た娘、雪菜がラステイターと遭遇し、行方不明になった。行方不明者の末路は二つに一つ、その場で殺されて食われるか、持ち帰られて保存食めいた状態になり殺されるかだ。それでも桐沢は探し続けた。
執念深い捜査を続け、単独でラステイターの存在を突き止めた男と出会えたことは第三社史編纂室にとって僥倖だった。彼は研究に協力し、どんなことでもやってくれた。来たるべきシャルディア完成の暁には、ラステイターとの直接交戦は避けられなくなる。その時のために彼は体を、技術を鍛え、プロ並みとは行かないまでも強い力を得た。
彼は多くの成果を残してくれた。業務的にも、精神的にも。長きに渡って付き合ってきた二人に感傷的な気持ちが湧きだしてくるのは、ある意味当然と言えた。
「一つ確認したい、陽太郎。どうしてあの少年を計画に引きずり込んだんだ?」
「彼がシャルディアを使うことが出来る唯一の人間だから。それではダメですか?」
「生体認証はこちらで解除出来るし、テスターとして使うならもっと適した人間がいるはずだ。
彼には帰る家があり、帰りを待つ家族がいる。あまり適任とは思えないな」
ラステイターとの戦いには危険が伴う。
やるかやられるか、生きるか死ぬかの戦いだ。
そんな戦いに身を投じるなら、出来るだけ背負っているものが少ない方がいい。
労災や死亡保障など、現実的な面での心配もある。
桐沢の死は痛手だが、会社にとってはそうリスクの大きいものではない。
彼には身寄りがなく、保険金を受け取る人間も追及するものもいないのだ。
だが高崎正清は違う。
彼は未来ある学生であり、彼の帰りを待つ多くの人がいる。
何よりまだ未成年だ。社会的、金銭的リスクが大きすぎる。
それは須田にも分かっている。
「彼がシャルディアを装着した際のデータ、見ましたか? 先生は」
「いや、まだ見ていない。どこか異常値があったのか? それならば……」
「いえ、そうではありません。理論値の範囲内ですよ。ただし、最大値ですけれど」
玄斎は驚いた。須田は自前のタブレットを彼の前に差し出した。シャルディアのコンディションや戦闘データは速やかにバンクスターのサーバーに転送され、リアルタイムでのチェックが行えるようになっている。端末を操作することで、シャルディア・システムを強制停止させることさえ出来る。これはシステムの心臓部なのだ。
何本のものステータスバーが表示され、コンディションを多角的にチェックしている。一般人には見方さえも分からないものだが、玄斎はすぐそれに気付いた。
「……この出力を、あの魔力濃度の中で出したのか? そんなはずは……」
「少なくとも同一条件下で同じ値が出たことは一度もありません。
ある意味異常値、ですがシャルディアの持つ全力がこれと同値であることも事実。
だから適性値でもある」
シャルディアの装甲には肉眼で確認出来ないサイズではあるが、吸気口が付いている。マギウス・インテークと呼ばれるそれは、ラステイターが放出する放射線、通称『魔力』を吸い込む機能を持っている。魔力で構成された生物であるラステイター似た対抗出来るのは、また魔力だけ。魔力によって装甲を成すシャルディアだからこそ敵を倒せるのだ。
もちろん、シャルディアの出力は敵が放出する魔力量によって左右される。
だが正清が着用したシャルディアは、明らかにその範囲を越えた力を発揮していた。
「これはいったいどういうことだ? 仕様上有り得ないことだろう?」
「もしかしたら我々は逸材を見つけてしまったのかもしれませんよ、先生。
考えられることは一つ。
彼が放出している魔力が、ラステイター並みに膨大な量だということです」
バカな、と玄斎は否定したがそれ以上に適切な理由を見つけられたわけではなかった。
人間も魔力を持ち、常にそれを放出している。
人が気配だとかいうものの正体がそれだ。
もちろん、微弱な力だ。だからこそ常人には感知出来ない。
「彼に精密検査を施して見なければ何とも言えませんが、恐らくは確実でしょう」
「だが絶え間なく魔化放射線を放出しているということでもある。
ならば何らかの影響が周囲にもたらされているはずだ。
だがそうはなっていない。どういうことだ?」
「さあ? 分かりませんが、興味深い事象であることは事実です」
「うむ……そうであるならば、彼はシャルディアの適格者であると言えるだろう」
玄斎の言葉を、しかし須田は鼻で笑った。
「シャルディアを使うのに一番長けた人間は桐沢さんだ。
彼はそれを引き継いだだけ。
優れた力を持っているのは確かです。
きっと、完成のために一役買ってくれるでしょう」
ニヤリ、と陽太郎は笑った。
不安だが託すしかない。
玄斎は自分の無力が歯痒かった。