落ちて行く世界
「ザク、ロ、さん? どうして、ここに……」
その言葉にザクロは答えない。
顔色は悪く、脂汗が止めどなく流れている。
それでもザクロは斬馬刀を構え、空中のバット目掛けて飛んだ。
斬馬刀を振り下ろし、怪物を一刀両断にしようとする。
だが、遅い。バットの両腕はザクロの剣を受け、弾き返した。
「『鮮血ノ魔法少女』……ダガ、コレハ僥倖ナリ!」
ザクロの動きはあからさまに精彩を欠いている。
そしてそれは、バットも理解していた。
バットは地面に降り立つと口をすぼめ、ザクロの方に向けた。
防御しようとしたが、一瞬反応が遅れた。
超音波を叩きつけられ、ザクロの耳から血が噴き出す。
その瞬間をバットは見逃さなかった。
瞬時に踏み込み、必殺の後ろ回し蹴りを繰り出す!
腕を掲げ防御した。だが、足りなかった。
彼女の体は水平に吹っ飛ばされた。
この時も、正清は考えるよりも先に動いていた。
飛んで来るザクロを受け止めようとした。
受け止めきれず、再び背中から欄干に叩きつけられた。
そして、欄干が折れた。
二度の衝撃に、鉄の柵は耐えられなかった。
ボルトが弾ける音が聞こえ、二人は葭川に落下。
高い水柱を上げ、濁った水の中に消えて行った。
「ショウ!」
思わず叫んで、悟志はしまったと思った。
バットは振り返り、そこに取り残された悟志に向かって来た。
嗜虐的な笑みを浮かべ、汚れた牙を剥き出しにしながら。
「よせ……! 来るな! こっちに、こっちに来るんじゃねえ!」
悟志は地面を這いずり、逃げようとした。
当然、バットの歩行速度と比べれば圧倒的に遅い。
死が迫ってきている。
悟志は鈍化した主観時間の中で必死に足掻いた。
(いやだ、こんな……何も出来ないまま、死ぬなんて……! そんなのは嫌だ!)
足掻けども、否定すれども、しかし現実は変わらない。無慈悲な死の使いはゆっくりと悟志の足元まで歩み寄り、逃れえぬ運命をいま与えようとしている。悟志は目を閉じた。
その時だ! 鋼鉄の嘶きが二者の耳に飛び込んで来た!
バットは訝し気に顔を上げ、そして悟志は救いを求めてそちらを見た。
それは、地下道から現れた。
絶対の闇を切り裂く光を携えた鋼鉄の駿馬がバットに向かって一直線に突き進んで来る!
正面衝突し、バットは吹き飛ばされた。バットを吹き飛ばしたそれは、その場で停止。悟志を轢くことはなかった。見た目はシャルディアの『ブラウズ』に似ているが全体的にはそれよりもスマートの外見をしており、モトクロスバイクめいた印象を受ける。
「どうやら間に合ったようだね、悟志くん」
ヘルメットを取り現れたのは、須田陽太郎。悟志にはワケが分からなかった。
「須田、さん? どうして、あなたがこんなところに……」
「ああ、そう言えばキミには説明していなかったね。分からないのも仕方がないか」
須田はバイクから降り、白衣をはためかせた。
腰にはすでにドライバーが装着済み。
「これからキミが見ることは、シャルディア同様他言無用で頼むよ……変身!」
須田の体が錬金式に、そして光に包まれ、ウィズブレンへと変身した。悟志は驚き、そして須田はそれを無視し、ドライバーに装着されていた拳銃型デバイス『ヴァリアガナー』を抜き放った。何発もの弾丸がバットの体に突き刺さり、火花をあげた。
須田はバットのゼロ距離まで肉薄、銃身をバットの腹に叩きつけた。バットがくの字に折れ曲がり後退、苦し紛れに腕を振るった。それを左の銃身で受け止め、右の銃のグリップガードをバットの頭に振り下ろした。鋭い金属音とともにバットが地面に叩きつけられる。そうなったバットを、須田はサッカーボールのように蹴った。
「気を付けてください、須田さん! そいつは音波を操るんです!」
須田は悟志の警告を、しかし聞き流した。二挺の拳銃を構え、連射しながらバットに近付いて行く。銃撃を受けながらもバットは口をすぼめ、音波攻撃を放った。アーマー上でいくつもの火花が上がり、衝撃が体を揺らした。だが、須田は倒れない。遠くでそれを聞いているはずの悟志の方が、遥かにダメージが大きいくらいだ。
「最新鋭技術を投入したウィズブレンのボディ、傷つけられるとは思うなよ」
銃撃の圧力に耐えかね、ついにバットは倒れた。苦し気に呻くバットの体を掴み起こし、須田は容赦のない拳の連打をバットに叩きつけた。止めとばかりに放たれた前蹴りによって、再びバットの体は吹き飛ばされ、アスファルトの上を転がった。
「す、すごい……これが、最新鋭システムの力……!?」
欲しい。
悟志は、そう思った。
力が欲しい、自分でも何かを成し遂げられる力が。
もし、それが手に入らなくても、せめてその近くにいたいと思った。
吹き飛ばされたバットは翼を広げ、跳び上がった。須田は困ったような声を上げた。さすがの最新鋭システムでも飛行能力は持っていないのだろう。バットの体はどんどんと上昇していき、一跳びでは届かない距離まで至っていた。
「シャルディアなら諦めなきゃならない状況だろうが、こっちは最新型でねぇ!」
そう言うと須田はヴァリアガナーの一つを変形させた。
グリップを内側に折りたたみ、もう方の方ヴァリアガナーと結合させる。
そして銃身を伸張させた。ヴァリアガナー、ライフルモード。
銃口をバットに向ける、弾道補正はシステムで行う。
トリガーを引くたび、バットの体に弾丸が突き刺さった。
苦し気で耳障りな叫び声が辺りに響いた。
何度も弾丸を叩き込まれ、バットの動きは見る間に鈍って行く。
そしてついに羽根の付け根に弾丸が命中し、千切れた。
バットの体が地面に叩きつけられた。
「それじゃあ止めだ。派手にくたばってくれよ、バットくん!」
須田はヴァリアガナーをホルスターに戻し、エクスブレイク機構を発動させた。
そして、よろよろと立ち上がったバットに向かって走り出した。
十分な助走を受け、跳躍。
放たれた跳び回し蹴りはバットの側頭部に命中、バットの頭部を文字通り消滅させた。
その場で半回転し、バットに背を向け須田は着地。バットは爆発四散した。
呆然とした表情で立ち尽くす悟志を無視して、須田は葭川を覗き込んだ。
破砕された欄干、誰かがここから叩き落とされたのは間違いないだろう。
だが、浮き上がって来てはいない。
濁った水をスキャンするが、しかしそこに人は見当たらなかった。
(葭川を下って行ったのか? やれやれ、面倒なことになっているようだね……)
須田は変身を解除し、『ブラウズ』二号機に跨りここから去ろうとした。
「ま、待ってください須田さん! 本当なんですか、あいつから取り上げたって!」
そんな須田に悟志は縋り付いた。
『そうではない』と言って欲しいように須田には見えた。
だから須田は、彼が思っていることを正直に伝えることにした。
「そうだよ、彼はもう必要ない。そしてそれはキミだって同じだ」
「えっ……」
「キミの存在は正清の精神安定に必要だっただけだ。キミ自身は必要ない。
そして正清はもういない。だからすべてを忘れたまえ。その方がキミにとって幸せだ」
ヘルメットをかぶり、須田は颯爽とそこから去って行った。
その後ろ姿を、悟志は呆然と見ていた。
突如として戻ってくる喧騒が、まるで別世界で鳴り響いているように悟志には聞こえた。
彼の世界が一つ、終わりを迎えた。
■◆■◆■◆■◆■◆■◆■
正清をドブ川から引き揚げ、ザクロは荒い息を吐いた。ナイヅ戦の疲労と傷が残っているとはいえ、あのような雑魚に苦戦する羽目になるとは思っていなかった。そしてあろうことか、正清を巻き込むことになるとは。水を滴らせながら、ザクロは彼を見た。
呼吸をしていない。
水を飲んでいるのかもしれない。
少し迷った末、ザクロは彼に人工呼吸を施すことにした。
遠い昔、父に連れて行ってもらった救急救命講習を思い出した。
あの時は、される側だった。その時の記憶、そして十年の蓄積を引っ張り出す。
気道を確保し、三度胸を押し、呼気を吹き入れる。
三度ほど試したあと、正清は息を吹き返した。
苦しげに咳き込むのを確認して、ザクロの意識も闇に落ちた。
意識を失ったザクロも、息を吹き返してすぐ気を失った正清も、知らなかった。
自分たちに近付いてくる小さな影があるのを。
それは手をかざし、そして。




