お爺ちゃんと子供たちと
須田と玄斎はシャルディアの記録映像と周辺地図、そしてマギウス・レーダーの探査結果とを見比べ、そして唸った。ラステイターは組織だって二人を追い詰めていた。
「まず、団地の影で一人が待機。二人をおびき寄せる。そして適当なタイミング……今回は二人が距離を取って歩いていたので、その真ん中に現れて二人を分断。で、隠れていた集団が団地の中から飛び出して包囲。半端な戦力だったらやられてましたね」
「うむ、だが驚くべきことはラステイターがこのような行動をとったことだ」
通常、ラステイターは連携行動を取らない。
ラステイターにとって同族とはライバルであり、またいざという時の食糧でもあるからだ。一体を仕留めるために複数で襲い掛かるようなことがあっても、より多くの肉を食うために我先にと突っ込んで来る。これがいままで確認されていた、本能によってのみ動くラステイターであった。
だが、今回のラットは違う。
囮を立て、作戦を立て、自己の犠牲すら意に介さず二人を倒すために戦った。
これまでの常識とはまったく異なる存在である。
「どうやら、僕たちの予想は正しかったようですね。先生?」
「当たってほしくないとは思っていたがな。ただ本能で動く獣ならばよかった」
玄斎は目頭を押さえ、モニターから離れた。
ソファにもたれかかり、茶を飲んだ。
「ラステイターを統率する知性体が存在する。
今回の動きから見ても、それは間違いないだろう」
「しかもそれは種の違いを乗り越え、完全な相互理解をしているのでしょうね。
羨ましい限りです、人間は同じ種族にあって、言葉さえも理解出来ないのですからね」
「皮肉はいい、陽太郎。どうにか対策を打たなければな。
あんなものが存在しており、これからも襲ってくるというのならば……
それは我々にとって大きな脅威となるだろう」
「問題ありませんよ、先生。僕たちはそれさえも見越して計画を進めて来たんです。
量産型のディアドライバー、そして新型さえ完成したのならば……」
そう言って須田は自身の席に併設された三次元形成機を見た。ディアドライバーの中核的パーツ、すなわち魔力を持った部品はここからでしか作れない。電子回路や金属ベルトと言った部品は他から調達してきているが、そうでないものは無理だ。
もっと人員と予算を自由に配分することが出来れば、と思う。最初はディアドライバー一台を作るのに数年の時間を要したが、いまは三日で中核パーツを生成出来るようになっている。
もっと形成機が増えれば。
もっとパーツを融通してもらえれば。
もっと『マグス』を操れる人間をこちらに回してもらえれば。
問題はすべて解決するはずなのに。
「知恵を持つ獣がいようと、そいつはただのケダモノだ。
そんな奴がいるというのならば、教えてやる。
人間の知恵に、お前たちは敵わないのだと」
須田は凶暴な笑みを浮かべて言った。
玄斎は、この男が悪人ではないことを知っている。
だが、あまりにも野心が強すぎる。
この男がラステイターと戦っているのは、もちろん人々を守りたいというのもあるだろうが――しかし一番大きいのは、自分が作り出したテクノロジーで超常の存在を屈服させたいという、そんなものがある気がしていた。
「我々の目的は、究極的にはラステイターを殲滅することだ。
そこに変わりはないし、曲げるつもりもない。だが、忘れないでほしい。陽太郎」
玄斎は須田を真っ直ぐ見て行った。
須田もその真剣さを受けて立ち上がった。
「そのために、人の命を蔑ろにするようなことがあってはならない。
我々の戦いには、決して人々を巻き込まない。それだけは、決して変わることのないものだ」
「……分かっていますよ、先生。僕だって人を傷つけたいわけじゃありません。
むしろ逆、彼をこの戦いから解放するために、こんなことをしているんです」
量産型ディアドライバー、『マグス』。
それが完成すれば、彼はお払い箱になるだろう。
彼がそれについて納得するか、しないか。
それは分からなかったが。
「それならばいい。それでは、私はこれで失礼させてもらうよ。陽太郎」
玄斎は既に帰り支度を整えており、バッグを持ち席を立った。
「最近定時上りが続いてますね、先生。
あの頃が懐かしいですよ、開発を始めた当初。
いつまでも先生と、ずっと語り合って夜を明かした日々が」
「そろそろ老境に入って来たからな。若い者の体力には、付き合い切れんよ」
それは半分くらいが真実であり、もう半分が偽りであった。
須田はそのことを知っているのか、いないのか。
笑みを浮かべて玄斎を見送った。
帰路の途中にある地下街で食品を買い足し、家まで歩く。
千葉駅の工事が終わったおかげで、この辺りも随分歩きやすくなった。
感慨深く玄斎はそれを見上げた。
無限の拡張工事を続けるものと、住民は思っていた。いまでは工事の痕跡はどこにも残っていない。代わりに近代的な駅ビルが現れた。千葉市の新たなランドマークとして、そして便利な駅中として、千葉駅は大いに賑わって来た。ゴールデンウィーク中に起こった|事故のせいで、千葉そのものへの危機感が高まっているとは言っても、だ。
帰り道の途中で、駅前に建てられた優嶺高校を見上げる。ここの学長と玄斎とは古い付き合いだ、ここまで立派な学校を築くような人間になるとは思っていなかった。千葉の名士といえば、この男を思い浮かべる人も多いだろう
優嶺高校は進学校というだけではなく、部活動も盛んだ。陽が落ちかけた時間だが、夏の大会を前にして選手たちは最終調整を行っている。彼らの威勢のいい声が辺りに響き渡った。運動はあまりしない玄斎だが、この雰囲気は嫌いではなかった。
もう少し見ていたかったが、手にかかる重みを思い出して玄斎は再び歩き出した。須田に話したことは、半分くらい本当だ。手足に力が入り辛くなり、長時間の作業は堪える。もう若くない、須田のように力があり、意欲もある人間に後を託そうと思っていた。
色々なことが変わる。
例え自分が望もうと、望むまいと。
玄斎の家は築三十年ほどの平屋だ。何度か改築を行っているため、彼一人で暮らすのにまったく不自由はない。それに、いまは予期していなかった同居人がいる。
家に近付くたびに、出汁の匂いが鼻を突いた。
二カ月の間に大分腕を上げたものだな、と玄斎は思った。
玄関の扉を引くと、何の抵抗もなく開いた。
「ただいま、綾乃くん。今日は何を作っているのかな?」
「あ、お帰りなさいお爺ちゃん。今日はおそばを作ってみてるんだ」
台所を覗くと、花のような笑顔が咲いた。
二か月前、綾乃を匿った時にはここまで心を開いてくれるとは思ってもみなかった。
鰹出汁の強い香りが充満している。
彼女が食事を作る、と言い出したのは一週間くらい経った後だった。いつまでもこうして飯を食っているだけでは気が収まらぬ、と言い出したのだ。玄斎としては大いに困惑した、そんなことをまったく考えていなかったからだ。だが、彼女が何かをしたいと言い出したのもまた初めてのことだった。玄斎はそれを受け入れ、厨房を開けた。
始めのうちは指を絆創膏だらけにしていた綾乃だったが、玄斎の手ほどきを受け、また自分でも料理本を見たり、テレビの料理番組を見たりしながらメキメキと腕を上げて行った。実に微笑ましい限りだ。料理をしている彼女の笑顔は輝いていた。
「何か手伝おうか、綾乃くん?」
「ありがとう、お爺ちゃん。それじゃあお皿出してもらえるかな?」
分かった、と言い玄斎は素早く着替え、料理の配膳を手伝った。
十数年間、久しく感じることのなかった充足感が全身を満たした。
新しい孫が出来た気分だった。
食事が終わると勉強の時間だ。
一年近く勉強から遠ざかっていた綾乃だが、自頭も記憶力も悪くない。
かつて教わった内容くらいならほとんど覚えていた。
「うん、いい感じだね綾乃くん。これなら問題はないだろう」
「ありがとう。お爺ちゃんの教え方がいいんだと思うけどな」
玄斎はかつて、教員を目指したことがあった。
結局は父が作った会社を継ぎ、研究者となった。
その道に後悔があるわけでも、いまに不満があるわけではない。
だが、もし教師となったならいま感じているような充足感があったのだろうな、とも思う。
「それでは、今日はここまでだ。明日は次の範囲をやるから、予習しておくんだ」
「うん、分かったお爺ちゃん。それじゃお風呂、先に入るね」
ニコリと笑って、綾乃は部屋から出て行こうとした。が、その前で止まった。
「……お爺ちゃん、ラステイターのこと、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫さ、もうキミは気にしなくていい。さあ、お風呂に入って寝なさい」
その言葉に対して、玄斎は厳しい態度を取った。
もう二度と、彼女を戦いの渦中に飛び込ませはしない。
『マグス』が完成すれば、それが実現出来るのだから。
玄斎の態度に綾乃は不安げな表情を浮かべながらも、取り敢えずはそれを飲み込んだ。
「……二度とあのようなことはさせない。我々は、正しいことをしている」
月を見上げながら、玄斎はつぶやいた。
月に雲がかかり、やがてそれは全体を覆い隠す。
まるで自分たちの未来を暗示しているかのようだ。
月明かりさえない、闇……




