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魔法少女と終末の獣  作者: 小夏雅彦
桜色の炎
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大人たちの話_3

 定時になっても須田は帰らなかった。

 それどころか、泊まり込んで何かを調べようとしていた。

 玄斎が聞いても生返事で答えるばかり。


 決して珍しいことではない、特に自分の仮説を入念にチェックしようという時には。

 戸締りを任せ、玄斎は先に帰った。


 昨夜からぐずついていた雨雲は、ついに限界を迎え落涙した。

 家の近くに着く頃にはすでに本降りになっており、街と人を濡らした。

 雨の日にだけする独特な臭いが、玄斎は嫌いではない。

 むしろ好いていると言ってもいい。楽しみが多い方が人生には張りが出る。


 それにしても、と玄斎は思う。

 正清たちが出会ったという魔法少女。

 彼女は彼の手を振り払い、葭川に落ちて行ったという。


 彼が千葉に住むようになってから、幾度もあの川の近くを通るが、底も見通せないあの川に飛び込む気にはまったくなれなかった。この雨の中、彼女はいったいどこにいるのだろう? 少しだけ気になった。


 そんなことを考えながら路地を曲がった玄斎の前に、異様な風体の女が現れた。

 夜叉のように長髪を振り乱し、肩を押さえ、荒い息を吐きながらヨロヨロと歩く女。

 何らかの事件被害者だろうか、そう思った玄斎だがすぐにその考えを打ち消した。


 その顔には見覚えがあった。

 正清と打ち合った、『拳鬼の魔法少女』。


(都川を遡上してこちらに来たというのか? だがどうしてこんなところに)


 葭川を昇って行けばこの弁天町に着く。魔法少女の身体能力ならばそんなことも可能だろうが、しかしあれだけ痛めつけられた後にそんなことをするとは信じられなかった。


 彼女はフラフラと歩いていたが、やがて膝から崩れ折れ、アスファルトに身を投げ出した。玄斎は傘を投げ捨てて彼女に駆け寄り、脈を取った。脈拍、呼吸、ともに正常。ただ疲労によって意識を失っているだけだろう。玄斎はほっと胸を撫で下ろした。


「……まったく、孫娘くらいの子がこんな目に遭っているのを見ているしかないとはな」


 玄斎は寂しそうにつぶやいた。

 そして彼女の体を抱え、家路についた。


 美味そうな匂いが鼻を突いた。

 何度も目の前を通り過ぎた、豊かな匂いが。


 目を覚ますと、彼女はどこか知らない場所にいた。

 黒い染みのついた木製の天井、畳の匂い、そして辺りを埋め尽くす古書。

 雨音が止めどなく響いていた。


「ここはいったい……それより、あたしはどうして」


 立ち上がろうとしたが、痛みが襲ってくる。

 脇腹には青黒いあざがついている、シャルディアに蹴られたものだ。

 ほとんど生身で葭川に飛び込んだことも原因の一つだ。

 頭がズキズキと痛み、全身の筋肉が引き裂かれたような気分になった。


「気が付いたか。いきなり倒れるから心配したんだ。頭は打っていないようだが」


 突然柔らかな声をかけられた。

 彼女――アヤノはあまり警戒せずそちらを見た。


 白髪の男性がそこにいた。着流しを着た柔和な笑みを浮かべた男性だ。お盆には小さなカップが乗せられており、そこからは湯気といい匂いが漂ってきている。


「あなたは……いったい? どうしてあたしのことを」

「私は川上玄斎。キミを蹴り倒した男、シャルディアの仲間だ」


 いきなりのことにしばしアヤノは固まったが、しかし反芻し理解した。

 この老人は敵だと。

 マギウス・コアに念じ、変身しようとした。

 だが変身は出来なかった。


「キミのイヤリングについていたマギウス・コアは外させてもらった」


 冷静に言う玄斎と、冷静さを欠いたアヤノの態度は対照的だった。

 彼女は自分の右耳の辺りを何度も撫で、位置を確かめようとした。

 本来あるべき場所にそれはなかった。


「私はキミを傷つける意志を持っていない。どうか私の話を聞いては……」


 そこまで言って、玄斎は目の前の少女に明らかな異変が起こったことを悟った。顔は青ざめ、小刻みに震え、目の焦点は合っていない。歯の根がガチガチとこすれ合う音が聞こえた。彼女は油の切れたブリキ人形のようにぎこちなく視線を動かし、恐怖に染まった目で玄斎を見た。あまりの変貌ぶり、まったく予想すらしていなかったことである。


「おね、がい。ころさないで、あたし、あ、あたしっ……」


 両目いっぱいに涙をため、少女は懇願するように言った。ほんの数時間前にあれほど激しい戦いを繰り広げていた人間と同一人物だとはとても思えなかった。


 だから玄斎は、待った。

 彼女が落ち着くまで、微動だにせず待った。

 何も声をかけることもなく、ただ彼女を見た。

 少しして、彼女の震えも収まった。


「……落ち着いたかい? 私は、絶対にキミを傷つけたりはしないよ」


 玄斎は小さな丸テーブルを引き寄せ、そこにカップを置いた。なみなみと注がれた半透明のスープからは出汁の匂いが漂ってくる。玄斎はそれを彼女に勧めた。


「色々あって疲れているだろう。それを飲んで、早く休みなさい」

「おじい、さん? あなたは、何かあたしに……」

「聞きたいことはある。けれども、それは明日になってからでも十分だ。ゆっくり休んで落ち着いて、それでも私に何か話す気があるなら、そうしてくれれば嬉しい」


 玄斎はにこりと微笑み立ち上がり、部屋から出て行った。


「右に曲がって突き当りのところに手洗い場がある。左に曲がれば玄関だ。おやすみ」


 それだけ伝えて、玄斎は襖を閉じた。

 残されたアヤノは、呆然としていた。


(あの爺さん、いったい何を考えているんだ?

 あたしを放ったままここから出て行くなんて……

 まさか、本気であんなこと言ってるんじゃないだろうな……?)


 長年に渡って醸成されてきた猜疑心は、些細なきっかけで崩れたりはしない。


 いずれにしろ、いまの状態で動けないことは確かだ。

 明日の朝まで待って、回復したなら出て行けばいい。

 そう考えて、アヤノは振る舞われたスープに口を付けた。


「……おいしい」


 久しく口にしたことのない、優しい味だった。

 涙がこぼれ落ちて来た。


◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆


 少しだけ仕事をサボり、与沢は千葉大学病院まで来ていた。手土産として持ってきたのはカットメロン、一人では決して買わないくらいの値段がするやつだ。本当なら玉のメロンを一つ持って来てやってもよかったが、腕を骨折し未婚者である彼には辛いものだろう。与沢とて妻帯者ではないので、その辛さはよく分かる。


「あれだけの爆発に巻き込まれたってのに、腕の骨折だけで済んでるとは幸運だな」

「巻き込まれたって言ったって、煽られて倒れた人に押し倒されただけですからね」

「じゃあ鍛え方が足りてないな、川谷。退院したら柔道場に来い、シゴいてやる」


 広い病室に二人の笑い声が響く。

 全治三週間ほどの怪我らしいが、笑うと傷に響くようだ。

 笑いながらも川谷は引きつった表情を浮かべた。


「殺人事件に爆発事件。あの映画館、呪われてるんじゃないですかねぇ?」

「週刊誌でもやってたよ、しばらく営業規模を縮小せざるを得ない、ってな」

「あの日あそこで結婚式を挙げていた人もいるそうですね。

 幸せの絶頂から不幸のどん底へ……

 ホント、被害者の無念を想像するだけでも胸が痛くなってきますよ」


 さすがの川谷は大きなため息を吐いて目を伏せた。その思いは与沢も抱いていたものであり、そして犯人がまったく考慮していないことであろうことも分かっていた。


 劇場で起こった殺人事件も、ホテルで起こった爆発事件も、同様に犯人は候補さえも挙がっていない。目撃者もおらず、犯人が自首してくるようなこともない。関わり合いがあるのかは分からないが、いずれにしてもまともな人間に起こせる事件ではない。


「昼に新山さんが来て言ってましたよ。爆破事件の方も相当奇妙な有り様だと」

「組対の方にも当たってみたが、あれだけの量の爆薬を動かした形跡はないそうだ」


 捜査一課だけでなく、対組織犯罪のプロたちさえも動員されている。

 だが、ほとんど成果は挙がっていない。爆薬の原料の特定さえも出来ていない状況だ。あれだけの爆発を引き起こせるならば、相当量のC4なりなんなりを用意しなければならないはずであり、必ずその痕跡が残る。だがその残り香すらも嗅ぐことが出来ないのが現状だ。


「何か進展があったら知らせる。お前が出て来る前に、俺たちでケリを付けてやるさ」


 そう言って与沢は川谷を叩いた。

 川谷は呻きながらも、それに頷いた。


「気を付けてくださいよ、与沢さん。何て言うか、妙な感じがする事件ですから」

「刑事の勘か。お前も言うようになったじゃねえか。ま、せいぜい気を付けるさ」


 それだけ言って与沢は部屋から立ち去った。

 面会時間ギリギリ、看護師たちがせわしなく院内を走り回っている。

 駐車場まで向かう道のりで、与沢は考えた。


(暴力団、過激派、カルトテログループ。

 組対がマークしている組織にそれらを使用、運搬した形跡はない。

 だが単独であれだけの量を用意出来るはずはない。

 それに、動機が不明だ。あれだけの被害者を出したんだ、何か意味があるはず……)


 そこで、与沢は劇場で見た光景を思い出した。

 川谷を助け起こし、辺りを見回した時のことだ。コーヒーショップから子供が躍り出し、現場に入って行った。制止する暇さえなかったし、その後も避難誘導を優先してそれを追い掛けることをしなかった。現場に警察と消防が入り込んだ段階では、すでに彼は姿をくらました後だった。


 あの実直な少年に、そんなことが出来るのだろうか?

 そして、それをするだけの動機があるのだろうか?


 分からない。

 だが少年は殺人と爆破事件、その両方に関わっている。

 何らかの情報を握っていることは確かだった。


「もう一度あのガキに会う必要があるな。事と次第によっちゃぁ……」


 カワイイ相棒が傷つけられたのだ。

 彼の中にも沸々と湧き上がる怒りがある。


 それを押し殺し、与沢は車を走らせた。

 準備を整えるために。


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