拳鬼の魔法少女
平日の夜。普段ならば仕事帰りの人々でごった返す中央公園において、それは異様としか言えない光景だった。公園とは言っても遊具が設置されているわけではない、ただ広いスペースが開けられ、噴水やベンチがあるだけだ。それだけに自由が確保されているこの公園を利用する人々は多い。サラリーマン、ボーダー、ミュージシャン。
それが、今日に限っては一人もいなかった。
かといって、周囲に人がいないわけではない。
綺麗に中央公園だけを避けて人々は移動していた。
まるで何もないかのように。
噴水の注水口から、どす黒いコールタールのような物体がせり出してくる。
それは水たまりの中に沈殿し、堆積し、やがて一つの形を取った。
筋肉質な人型だ。
ゴツゴツした緑色の体表に、長い口。
口の端から鋭い鋸のような歯が覗き、手には同じように鋭い爪がある。
異形の怪物は長い尻尾を引きずり、鉤爪で地面をがっしりと掴み歩いた。
クロコダイルラステイター。
名を冠するならばそんなところだろう。
「よく育っている。大きさからみて魔人……いや、魔獣と言ったところかしら?」
静寂の空間の中に、甘ったるい声が響いた。
誰もがそこを無視する中で、彼女は一人だけその場に降り立った。
パステルピンクの女、『桜花の魔法少女』だ。
クロコダイルラステイターは鋭利な牙をむき、女を威嚇した。
彼女はニヤリと微笑み、自らが育てた怪物の命を刈り取ろうとした。
だが、それを邪魔するものがあり。
「待て! これ以上、こんなことをするのは止めてくれ!」
ミソギは一瞬手を止めた。
クロコダイルも声をした方向を見た。その場に走り寄ってくるのは、高崎正清。
すでに《ディアドライバー》が巻かれている。
「どうしてここにいることが分かったのかしら?」
「そんなことはどうだっていい! こんな真似はもう止めてくれ!
あんただって、大切なものを守るためにその力を得たんだろう!?」
正清は殆ど悲鳴に近い声で嘆願した。
そんな正清の訴えを、ミソギは鼻で笑った。
「何を言ってくるのかと思えば……そんな言葉で騙されるとでも思って?」
『桜花の魔法少女』は指を鳴らした。
正清は訝しんだが、しかし危機を感じ身を屈めた。
一秒後、彼の頭があった場所を死が通り抜けた。
正清は反射的に跳び、それと距離を取った。
滝のように脂汗が流れ出て来る。
体が震えている。
ドレスを着た少女、すなわち魔法少女。
だが、いままで見た魔法少女とは一線を画する外見をしていた。
ドレスは肩から先がなく、スカートも太ももの辺りまでの長さしかないタイトなものだ。その代わり、腕には無骨なガントレットが、足には金属光沢を放つレガースとニーパットを付けタイツを履いていた。バトルドレス、とでも言えばいいのだろうか?
「お前か? あたしたちのマギウス・コアを狙ってきているってのは?」
少女は首を振るった。
茶色のポニーテールがそれに合わせてたなびいた。
「キミたちのマギウス・コアを……!? 待ってくれ、それは誤解――」
「口で時間を稼ごうたぁ、聞いた通り姑息な奴だな。生憎その手は食わん――!」
少女は正清に向かって飛びかかって来た。ジャンプしながら腕を振り上げ、ハンマーパンチを振り下ろしてくる。反射的に身をかわすことで難を逃れたものの、足元にあったタイルが粉々に砕け小さなクレーターを作っている。生身で受ければ即死は免れない。
「話を聞いてくれ……! キミたちと争いに来たわけじゃない! むしろ……」
「効かねえって言ってんだろうが、そういうのは! あたしを舐めんじゃねえ!」
聞く耳を持たないとはまさにこのことだ。
背後ではミソギが養殖のラステイターと戦っている。
どんな状況かは分からないが、優位なのはミソギだ。
ラステイターを倒すこと、それ自体はいい。
だが、これ以上こんなことを続けさせるわけにはいかなかった。
「話し合いが通じないって言うなら……やるしかない! 変身!」
正清はディアフォンをベルトに装着、シャルディアへと変身した。
「それがお前の戦闘態か? 虚仮脅しにならなきゃいいんだがな――!」
女はステップを踏んだ。
そう思った時には、すでに正清に肉薄していた。
間一髪のところでガード姿勢を取る。
正清と女のガントレットがぶつかり合い、正清が負けた!
あまりの圧力に正清は耐え切れず、後方に大きく吹っ飛ぶ!
「あたしは『拳鬼の魔法少女』アヤノ。お前が最後に聞くことになる名前だ!」
魔法少女というワリには、非常に物騒な名前だ。
『鮮血の』に比べれば大分マシかもしれないが。
これまで出会った魔法少女は、いずれも好戦的に過ぎる。
もう少し優しい魔法少女はいないものかと、正清は思った。
現実から逃避しても、現実は変わらない。
アヤノはボクサーのように軽いステップを打ち正清の距離感を崩そうとして来る。
小刻みな移動で少しずつ間合いを動かしているのだ。
立ち姿といい、構えといい、隙がない。
高度な実戦キャリアの存在を思わせた。
踏み込んで来る。
そう思った時には懐に入られていた。
正清は再びガードを固めた。
「待て待て待て待て待てぇーい!」
だが、衝撃は訪れない。
代わりに陽気な声が聞こえて来た。
アヤノは驚き跳ね上がり、バックステップを打って後退した。
そこに蹴り込んで来るパステルブルーの影!
「数多!? お前、どうしてこんなところにいるんだ!」
「どうしてじゃないよわ、あんた。そっちこそ一人でこんなところに……」
不満げな声を上げながらも、その顔はどこか嬉しそうだった。
『だいたいキミ、僕に隠し事なんて出来るわけがないじゃないか?』
「須田さん……あんたが、数多に僕の居場所を教えたんですか?」
『キミが何の説明も行わず、おかしな真似をするのが悪い。
シャルディアを失うわけにはいかないんだ。
数多くんと共闘し、そいつらをさっさと倒したまえ』
二人は聞く耳を持たないだろう。
だが、だからと言って力ずくで二人を倒して解決することなのだろうか?
疑問はある、だが今は戦わざるを得ない!
恐るべき咆哮が思考を断つ!
クロコダイルはいまここに確かに存在しているのだから!
「数多、ラステイターの方は頼む! 僕はこいつの足止めをする……!」
「オッケー、しんどい相手っぽいけど頑張ってよ、ショウ」
数多はアヤノを迂回してクロコダイルの方へと向かった。
それを追い掛けようとするアヤノだが、その前に正清が立ちはだかる。
進路を塞がれては彼女も動けない。
「仲間がいたとはな……やはり、もともと話をする気はなかったか!」
「そうじゃない、だけどラステイターは見過ごせない。それだけだッ!」
相手のペースに乗せられてはいけない、主導権を握らなければ彼女には勝てない。
正清は踏み込み、連打を放った。
パワー、スピードでは正清がアヤノを圧倒している。
だが、彼女には冷静な観察眼と戦いの経験から生み出された技量があった。
正清が放った連打を巧みに捌き、隙を作り出して行く。拳が受け流され体が泳いだろ頃に裏拳を叩き込まれ、咳き込んだ隙に蹴りを叩き込まれる。負けじとフック気味に突き込んだ腕を止められ、開いた体に右の連打を叩き込まれる。衝撃が全身に伝播する。
『何をしている、正清。やられっぱなしじゃないか。女の子に手は出せないか?』
「単純にこいつが強すぎるんですよ……! 打開策があるなら早く言ってください!」
『解決を他人に委ねるのは感心しないけどねぇ。
まあいい、『拳鬼の魔法少女』は強敵だ。
いまのキミの技量じゃ、逆立ちしたって敵うわけはない。
ならその土俵で戦うな』
技量では勝てない、ならば力押しでやるしかない。
正清は無理な体勢からショルダータックルを放った。
アヤノはそれを容易く回避、正清は地面を転がった。
ただでは転ばない、転がりながらディアバスターを形成。
膝立ちになりアヤノに銃口を向け、放った。
圧縮魔力弾頭がアヤノを襲った。
不意を打たれ腹部に弾丸が命中、貫通することはなかったが衝撃がアヤノを襲った。
正清は機を逃さずに連射。
二射目以降はアヤノも対応してくるが、リーチの差がある。
弾丸を防ぐので精いっぱいになっている。
「アヤノ、何をしている! 私を守るためにここに来たのでしょう!」
「チッ! 分かってるさ、こんなのとっとと倒してッ……!」
アヤノは防御姿勢を解いた。
正清は訝しげな視線を向けるが、銃撃は止めない。
綾乃は仁王立ちになり、呼吸を整えた。
弾丸が彼女を抉るが、しかし意にも介さない。
「見せてやるよ、あんたにも。
あたしがなぜ『拳鬼』と呼ばれているのかをな……!」
周囲の大気が陽炎のように歪んだ。
放たれた弾丸が体表で弾き飛ばされる。アヤノ
は閉じていた目を開いた。
獣のような黄金の瞳が正清を、獲物を射抜いた。




