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魔法少女と終末の獣  作者: 小夏雅彦
日常が壊れる日
2/108

戦士と怪物と

 無人の劇場で、正清は怪物と遭遇した。


 そうとしか表現できない、奇怪な生物だった。

 タワシのようにゴワゴワした体毛、突き出した鋭い歯、白濁した両目。

 鼻をヒクヒクとさせて臭いを嗅ごうとする動作はネズミそのものだ。

 それが直立した、人間大の生き物でなければ。


 短い悲鳴が美里から上がった。

 正清もそれで、ようやく我に返った。


 緩慢な歩みでネズミは正清たちに近付いて来た。

 一歩近づいてくるごとにドブのような臭いが二人の鼻孔を貫く。

 反射的に正清は美里の手を引いて逃げ出した。


 パーテーションを倒して。

 カウンターの裏から。

 閉じられた扉の向こうから。


 同じような姿をしたネズミの怪物が正清たちの方に襲い掛かって来た。

 逃げなければ。必死になって正清は駆けた。

 エレベーターは使えないが、エスカレーターの方に怪物はいない。

 あそこまで行って、下に逃げれば人がいる。そうなればどうとでもなる……


 そう思って正清は正気の世界へと逃げ出そうとした。

 だが、その直前で止まった。


「しょ、ショウくん! どうしたの、早く逃げないと――」


 言ってから、美里は踊り場の前の異常に気付いた。

 何かが張られているのだ。


 透明の糸のようなものが張り巡らされ、脱出を阻んでいた。

 規則正しく張られたそれは、蜘蛛の糸を想像させる。

 正清はパンフレットで糸に触った。意外な粘性を発揮するそれは瞬く間に丸められたパンフレットを絡み取り、繭のように包み込んだ。


「ど、どうしようショウくん……そ、外に出られないよ!?」

「……非常口だ、非常口を使おう! 確か、非常口があるのは……」


 ネズミの怪物の後ろ。

 逃げるためにはあの化け物に近付いて行かなければならない。

 弱気に囚われそうになった正清の手を、美里が握った。


「……美里。あの化け物を掻い潜って外に出なきゃいけない。出来る、大丈夫だ」

「……うん、分かった。ショウくんがそう言ってくれるなら、勇気が湧いて来る」


 カウンターから飛び出して来た怪物を横目に、二人は走り出した。

 スクリーン側から出て来た怪物が両手を広げ、正清にのしかかろうとしてきた。正清には格闘技やそれに類する経験はないし、もしあったとしても人間ではない怪物相手に役に立つとは思えなかった。だから正清は、怪物と戦うよりも素早く逃げることを選んだ。


 のしかかって来た怪物を紙一重の、正しく幸運としか呼べないようなタイミングで避け、二人は非常口に向かって走った。薄暗い通路の中、緑色のランプだけが輝いている。二人は一緒にそこに入ろうとした。だが、入ることが出来たのは美里だけだった。


 吹き飛ばされた。

 そう理解したのは、顎に走った衝撃を認識し、背中から地面に叩きつけられた時だった。激痛が走り、肺の中の酸素がすべて吐き出された。


「は、離して! あなたはいったい……いや、やめて下さいッ!」


 ぼんやりと歪む視界の中、美里が怪物に捕まっているのが見えた。

 それは、ネズミの怪物とは違う姿に見えた。

 だがその姿を確認する前に、正清はネズミの怪物に持ち上げられた。

 息が詰まり、意識が薄らいでいく。臭いすらも感じられなくなっていく。


(そんな、僕は……こんな、ところで死ぬのか……? いや、だ、美里……)


 じたばたと足掻くが、ネズミ怪物の力は意外にも強く、振り払うことが出来ない。

 首にかかる力が徐々に強くなってくる。喉が締め付けられ、頸椎が悲鳴を上げた。


(死に、たく、ない……)


 意識を失いかけた正清。


 だが、彼は死ななかった。

 視界の端に、黒い影が映った。


 ネズミ怪物の頭が飛んで行った。

 何が起こったのか、正清には理解出来なかった。

 体にかかる力が急になくなり、尻もちをついて倒れた。

 頭部を失ったネズミ怪物がドサリと倒れ込んだ。

 それをやったのは、ダークブルーの何かだった。


 近代的なボディーアーマーのようだった。下地は伸縮性に富んだ黒い謎めいた布に包まれ、その上から防御装甲が張り付けられているような、そんな感じだった。銀色の縁にダークブルーの装甲が映える。ショルダーアーマーにレガース、ガントレット。これだけでもかなりの重量になるはずだが、装着者は軽やかに立ち上がった。


 奇妙な点が二つ。

 一つは銀色のベルト。全体が金属で作られており、留め金の部分にはスマートフォンのような四角い筐体が取り付けられている。

 もう一つはヘルメット。頭全体を覆いアーマーと一体化している。昆虫のような奇妙な眼孔が備え付けられており、はた目にはどうやって外を見ているのか、まったく分からなかった。


「シャルディア、到着した。これより『ラステイター』を殲滅する」


 青いアーマーを纏った人物が低くつぶやいた。

 老人のような掠れた声だ。


 シャルディアと名乗ったものは、美里を捕まえた怪物の方に向き直った。

 肩から腰にかけての位置に、合計八本もの腕がついていた。尾てい骨の部分には丸いまだら色の器官が取り付いており、蜘蛛のような印象を見るものに与える。美里を捕え、あっという間に正清をノした怪物は、ボディーアーマーの人物、シャルディアと名乗ったそれを前にして怯み数歩後退した。


 だがシャルディアの前に、降り立つ影があった。排気ダクトにでも隠れていたのだろうか、現れた怪物はシャルディアの背に向けて、太い腕を繰り出した。シャルディアはその腕を取り、投げた。柔道めいた綺麗な投げ技、だが怪物は掴んだ腕を外し自ら跳んだ。エントランスの中央部に降り立つと、吠えた。ネズミが動く。


 それと同時に、蜘蛛が動いた。

 暗闇の中に消えていく。

 追いかけようとしたが体に力が入らない。

 足を滑らせまた転倒。悔しさで正清は呻いた。


「予定変更。民間人が危険に晒されている。直近の危険を排除する」


 シャルディアは怪物の方に向けて走り出した。呻きながら、正清はそちらを見た。新たに現れた怪物は白く長い毛で全身を覆った、クマのような怪物だった。昔見た雪男の映像によく似ているように、正清には思えた。雪男は吠え、腕を振り上げる。


 左から襲い掛かって来たネズミを捌き、逆の手で胸を打つ。

 反対側から迫るネズミに前蹴りを放ち、胸を粉砕。

 下ろした足を軸に回転し、後ろ回し蹴りをネズミの頭に放ち蹴り飛ばす。


 一瞬にしてネズミの怪人は地面に倒れ伏し、膨張。そして爆発した。後に残ったのは焦げ跡だけ、まるで子供向けの特撮ヒーロー番組に出て来る怪人のようだった。


「まさか、あんな怪物が本当にいる……? いや、そんなはずは……」


 正清には目の前で起こっていることが信じられなかった。実際に起こっているはずの怪物とシャルディアの格闘も、どこか他人事のように見ていた。


 だが、美里の顔が脳裏に浮かんで来た。

 彼女が叫ぶ声が耳に木霊した。


 助けなければ。

 我に返った正清は立ち上がろうとした。


 だが、動けなかった。

 あの怪物の恐怖が蘇って来た。

 立ち上がりたい、立ち上がれない。

 心臓が奇妙に拍動し、息が詰まってくる。


 だから、彼は気付かなかった。

 少し後退した白い毛の怪物が、全身から冷気を迸らせたことに。

 シャルディアはそれを警戒し、距離を取る。


 白い毛の怪物は口を開く。

 すると、そこにツララのような氷柱が生まれた。

 怪物は勢いよくそれを吹き出す。


 シャルディアは頭を振って回避。背後にあった立て看板を貫通し、アクリル板が衝撃で粉砕された。破片が降り注ぎ正清は悲鳴を上げる。それを聞いて白い毛の怪物がサディスティックな笑みを浮かべたのを、正清は見ていただろうか?


 怪物の顔が正清の方を向く。

 それを見たシャルディアは、彼を庇うために前に立った。


 正清は顔を上げる。

 白い毛の怪物が氷柱を放つ。

 肩、脇腹、腕。数本の氷柱が深々とシャルディアの体に突き刺さった。

 声を上げる暇すらもなかった。


 白い毛の怪物は醜悪な笑みを浮かべ、次弾を装填した。

 だが、続かなかった。


 シャルディアはベルトにマウントされていた刃物を抜くと、それを投げつけた。

 ほとんどブレずに放たれた飛刀の一撃は、怪物の頭部を貫通、破壊した。

 怪物は間抜け面を晒したまま崩れ折れ、膨張。爆発四散した。

 映画館の中に、静寂が戻って来た。


 青いボディーアーマーを纏った男の姿がグラリと揺れ、そして膝を突いて倒れた。

 彼の体が光に包まれ、装甲が急速に劣化して色を失い、砂のようになって崩れて消えて行った。アーマーが消えた後、そこに残っていたのは年老いた男だけだった。


 ごま塩をまぶしたような頭髪、しわがれた皮膚、落ち窪んだ眼孔。その目だけがギラギラと輝いているが、それは彼が死に瀕していることと無関係ではないだろう。呼吸は荒く、とめどなく脂汗が流れている。彼の体には先程と同じ位置に大きな傷がついていた。


「し……しっかりして下さい、大丈夫ですか!?」


 ようやく回復した正清は、倒れ掛かった男をギリギリのところで助け起こした。

 針金めいた細い体には力がほとんど入っておらず、土嚢のように重かった。


「逃げ、なさい。ここには、あの化け物が、たくさんいる。危険だ、逃げなさい」


 そう言って男は正清を押し退けて、劇場の奥へと向かおうとした。

 が、よろけ倒れた。


「そんな、あなたはどうするんですか! そんな傷、早く医者に見せないとッ!」

「だが、この奥には、連れ去られた女の子が、いる。彼女を、助けなければ」


 目の前で命を失おうとしていた老人は、しかし彼女のことを気遣い進もうとしていた。だが、そこまでだった。止めどなく溢れた鮮血が彼の体を汚し、力を奪った。彼は力なく膝を折り、床に倒れ込んだ。正清は駆け寄り、上体を起こした。

 死が近付いている。


「しっかりして下さい! あなたがいなければ、美里は……美里はッ……」


 身勝手な思いを、正清は彼にぶつけた。

 言って、はっとする。同じだと。


 『恋愛は命懸け』。

 両親の言葉が彼の脳裏に木霊する。

 ここで人に頼って、いいのか?


 いいはずがない。

 かつて父が母を助けたように、自分も美里を助ける。

 薄っぺらい恋愛論を訴える前に、行動しなければ。

 勇気を振り絞って、立ち上がらなければ。


 正清はゆっくりと老人の体を床に横たえると、劇場の奥へと進もうとした。


「その先は、危険だ。キミは、逃げなさい。私が、どうにか……」

「危険だとか、そんなのは関係ない。

 でも、やらなきゃいけないことがあるんだ。

 美里が、あの子が、助けを求めて待っているんだ。

 だから退くわけにはいかない」


 このまま放っておけば、あの子は死ぬ。

 そんな形の決着だけは、嫌だ。


「ならば、これを持っていきなさい。キミを、助けてくれるだろう」


 老人はカウンターにもたれかかると、金属製のベルトとバックルに装着されていたスマートフォンを引き抜き、正清に差し出して来た。彼は少し迷い、それを受け取った。


「あの子を、美里ちゃんを(・・・・・・)。ちゃんと、助けてやりなさい」


 不意に出てきた彼女の名前に、正清は驚いた。

 だが、その真意を問いただす前に彼の手が力なく床に落ちた。


 死んだ。


「……ありがとう、ございます。俺、俺は、行きます……!」


 ベルトを巻き付け、正清は走り出した。

 蜘蛛の糸がマーカーのように続いていた。


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