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魔法少女と終末の獣  作者: 小夏雅彦
日常が壊れる日
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初デート、その顛末

 傍から見ても、少年は挙動不審だった。

 大して暑くもないのに頬は上気し、呼吸が乱れている。

 注意力が散漫になっているのか、よくものにぶつかった。

 食卓に着いても、虚空を見つめてボケっとしている。


「ちょっとあんた、早く食べないとご飯冷めるわよ」

「――うぇ?! あっ、うん、分かった。ごめん」


 母に促され、慌てて少年は朝飯をかきこんだ。

 頑張れ、と母は心中で彼を励ました。

 一世一代、奥手な息子が下した決断を温かく見守った。


「それじゃあ行ってきます、母さん。今日は少しだけ遅くなるからね」

「はいはい。お赤飯たいて待ってた方がいいかしら?」


 バカ、とだけ言って少年、高崎(たかさき)正清(しょうせい)は扉を潜った。家から最寄り駅まではだいたい五分、モノレールに揺られて二十分、目的地まで徒歩で長く見積もっても十分。ならば、十分間に合う。それでも足取りが少し早まるのを押さえられなかった。


 少年は息を切らせて待ち合わせの場所である駅へと急ぐ。

 待ち合わせの時間はまだだというのに、彼女は既にそこに立っていた。


「おはよう、ショウくん。眠れなかったのかな? 顔色悪いよ?」

「そう言うわけじゃないよ、美里。ただちょっと気になることがあっただけ……」


 あくびをしながら、正清は幼馴染の方を見た。


 藤川(ふじかわ)美里(みさと)

 正清の幼馴染で、小中六年間片時も離れた時はない。修学旅行でさえ同じ班だった。


 流れるような長い黒髪。少し青み掛かった薄墨色の瞳。どこか儚げな白い肌。

 うつむき具合で歩く癖があるため、長い髪が前に垂れて顔を覆い隠している。

 白雪のような、触れれば消えてしまいそうな儚げな女の子。

 控えめに言っても美人だ。


 それだけの美人なのに、彼女には浮いた話が一切ない。それはきっと、母子二人の母子家庭で暮らしており、それほど余裕が多くない生活を送っているためだろう。そのわずかな例外が、幼馴染である高崎正清との交流だ。


 控えめで自己主張が少なく、地味な子だと美里はよく言われている。

 そうでないことを正清は知っている。心を開いた人を相手にすれば、よく笑う。

 それを知っている、ということに小さな優越感さえ抱いてしまう。


「ちょっと早いけど、ショウくん。お誕生日おめでとう。これ、どうぞ」


 そう言って美里はプレゼントを差し出して来た。

 少しくたびれた包装紙で丁寧に包まれている。

 それが市販のものでないのは明らかだった。


 緊張で震える手をなるべく見られないようにして、正清は包みを開けた。

 入っていたのは、手製のヘアゴム。

 後ろ髪が伸びやすいので非常に助かる。


「ありがとう、美里。大切にするよ」

「いつものお返し。それに今日はショウくんの奢りだもんね」


 『誘ったんだからお代は出す』、そう正清は言った。

 言ったのだから二言はない、例え総額一万円近い出費があるとしても。

 先に進めるのならば安いものだ、軽くなる財布を見ながら彼は思った。


 どぎまぎとする心臓を無理矢理に落ち着け、少年は少女と一緒に階段を昇って行った。高鳴り、自分勝手に動く心を押さえつけることが出来ず、少年は電車の中でもまるで落ち着かなかった。対面に座ったサラリーマンが怪訝そうな顔で見て来たのが分かった。もっとも、落ち着いていないのは正清だけで、美里はにこにこと静かに笑っていたが。


 正清は子供の頃から始まったこの関係を、もう少し進展させたいと思っていた。

 楽しい時も、悲しい時も、嬉しい時も、ずっと隣に美里がいてくれたと思う。

 それでも、二人の関係はまったく変わらなかった。

 アプローチを掛けて来なかったわけではないが、その度に美里はするりとそれをかわした。

 悪意なく。その度に正清はやきもきした。


 高校に進学し、また同じクラスになった。

 そして誕生日を祝おうと、彼女の方から言い出してくれた。


 これは天恵だ。彼はそう信じた。

 彼女が何を考えているか分からないが、それでも何かのきっかけを掴みたい。

 こんな宙ぶらりんな状態が続くのは嫌だった。


「ショウくんの方から映画に誘ってくれるなんて珍しいね」

「あー、うん。ちょうど、見たかったんだ。タイミングよかったしね」


 ウソだ。

 これから見に行こうとしているのはコテコテのラブロマンス。

 コマーシャルを見ているだけで胸やけがして来そうなものだった。


 『泣ける』『感動の』『愛』。様々な単語が躍ったが、残念ながら正清の琴線に触れるものは一つもなかった。ただ、初デートで血が飛び散るタイプのアクション映画は相応しくないかな、と思っただけだ。


「行こう、ショウくん。映画、始まっちゃうよ?」

「ああ、うん。分かった。行こう、一緒に」


 彼がこの映画を選んだのは、美里がこの手の物語が好きだったからだ。




 電気が落ち、スクリーンに光が灯る。

 何作品かのコマーシャルが流れ、おなじみの怪人が映画泥棒への警告を発する。

 そこまでは何とか、楽しいと言えないことはなかった。


 ただ、映画本編が始まると正清は何度も目を擦らなければならなくなった。

 母が土曜の昼に流し見ている番組と内容はあまり変わらなかった。


 高校生同士の淡く甘い恋愛を描いた作品。

 俳優の演技は置いておくとして、ストーリーラインはお決まりのそれだ。

 一人の女性を巡って現れる複数の男、そしてすれ違い。


(いや、追い掛けろよ。説明すれば誤解解けるだろ……)


 心中で何度もツッコミを入れざるを得なかった。

 すれ違って、誤解して、しかしそれはほんの些細なことで解消されるはずだ。

 それなのに、しない。ストーリー展開上の問題と言えばそれまでだが。

 泣き叫ぶヒロインを放っておいたシーンなど怒りすら湧いて来た。

 心中をもやもやした何かが包み込み、結局最後まで彼は画面を睨んでいた。


 主人公とヒロインが幸せなキスをして、映画は終了。

 スタッフロールが流れ、出口が開かれると同時にゾロゾロと人々は一列になって出て行った。正清もその流れに乗りたかったが、残念ながら左右を封じられて外に出ることが出来ない。気を紛らわすためにほとんど水だけが残ったジュースに口をつけた。残念ながらボロボロ泣けそうにない。


「ショウくんの趣味に合ってない映画だと思ったけど、やっぱり合わせてくれたんだ」


 美里は苦笑しながら、シートに深くもたれかかった正清の方を見た。

 彼は見ている方が笑いそうなくらい狼狽し、空になったカップを取り落した。


「そ、そんなことないよ。け、結構興味深く、見てたって……」

「ウソだよ。『エクスプロード』のポスター、ずっと見てたの気付かないと思った?」


 笑顔で美里に否定されては、続けて言葉を吐き出す気にもならない。


 ちなみに『エクスプロード』とは超大作アクション映画だ。歴代のアクションヒーローたちが一堂に会し、悪党をボコボコにして勝利する、という話の筋もあったものではない映画だ。別に相手がテロリストだろうが軍だろうがエイリアンだろうが成り立つが、正清は好きだった。


「うん、正直……面白くなかった。少なくとも泣けそうにはないよ、あれ」

「私も同じこと思ってた。告白のシーンとか、笑いそうになっちゃって大変だった」


 美里は半笑いで言った。

 同じことを思っていたのか、と少しだけ嬉しくなった。


「『作り物っぽい』よね。そりゃ作り物なんだから仕方ないけどさ。でも、役者がそう思っていたらおしまいじゃん。リアリティも何もあったものじゃないよ」


 ブツブツと先ほどまで見た映画の文句を言いながら、正清は立ち上がった。

 こんな映画のために千八百円も払ったのが腹立たしくなったのだろう。


「つまらない噂とか、思い込みとか、そんなものに振り回されて、何だか白けちまうよ。そんなんじゃないだろ、恋愛って。恋愛ってのは――」

「恋愛は命懸け、なんでしょ? すっぱりと花ちゃんを切ったの、爽快だったねー」


 決め台詞を取られた気分で、何だか正清は恥ずかしくなった。


 『恋愛とは命を賭けてするものである』、というのが正清のスタンスだ。

 これは彼の両親の恋愛遍歴に由来する。


 父は母を狙ってストーカーが放った刃から彼女を身を挺して庇い、重傷を負った。命懸けの行為と好意が身を結び、二人は結婚することになった。恋愛とは燃え上がるものではなく、静かに馳せるもの。それが両親の口癖だった。


 耳にタコが出来るほどそれを聞いて育ってきた正清は自然と、自分が好きになる人も同じように守りたい、そう思った。藤川美里、その人のことを守りたいと思った。

 そんなことを声高に言うものだから、そして恋に悩む同級生の心をズタズタに切り裂いたものだから、正清はクラスで変わり者として認識されている。


(今日こそこのもどかしい関係を終わらせる。大丈夫だ、まだ手はある……)


 そう思っていても、踏ん切りがつかないのが人情だ。

 だが、まだ時間はある。

 映画を見て、食事をして、買い物をして、最後にデザートでも食べて終わる。

 また行程の四分の一が終わっただけだ。

 まだチャンスはある、そう思いながら正清は階段を昇った。


 だが、階段を昇り切った時、彼は周囲に立ち込めている違和感に気付いた。


「……あれ、どうしたんだろう。何で、人が全然いない……?」


 辺りを見回してみる。

 階下では普段通りの日常が繰り広げられている。

 ロータリーではせわしなく人々が行き来している。

 休日だからというのもあるだろうが、歩道も道路も埋め尽くすほどであった。


 だが、それは劇場の中とは乖離した光景だった。

 広いエントランスには、人がいない。


 モニターも動いているし、CMも流れている。

 エスカレーターだって動いている。

 だが、人影が一つもない。

 誰もいないだけで、これほど恐ろしくなるとは思わなかった。


「どう、なっているんだこれ……」


 正清はつぶやいた。

 美里は答えなかった。

 そこで、一つ音がした。


 ペタン、粘ついた何かが地面を歩いてくるような音がした。

 正清は視線を向けた。


 化け物。そうとしか言えない存在が、そこにはいた。


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