8
4/19 修正。
衝撃。
背中に襲いかかった愛すべき小さな悪魔の襲撃に、秋月はゆっくりと覚醒した。
「パパ。起きて。お母さんが呼んでるよ」
三歳の愛娘、あかりの舌っ足らずな声に秋月はベッドから身を起こす。
判然としない思考の中、取り敢えず自分の背中に襲いかかった可愛い襲撃者を捕まえると抱き上げた。きゃっきゃっと喜ぶ声を聴いているだけで癒される。
「おはようぉ、あかりぃ」
言いながら抱きしめ、ぐりぐりと撫でまわす。
腕の中で笑いのたうち回るその重みに、自然と愛しさが込み上げて来る。
「パパ、起きた?」
あかりの問いかけに、やっと思考が戻って来た秋月。
「うん。起きた」
「じゃ、お母さんのとこに行くね。ばいばい」
なんと、無情にもあかりはベッドから飛び降り、寝室を飛び出して行ってしまった。
絶望し、がっくり項垂れる秋月。もう一度、寝直そうかと思ったが、時計を見てその気もなくす。もう七時半ではないか。パジャマ姿のまま寝室を出る。
「あら、暢さんおはよう」
「おはようございます」
出くわしたのは妻の母だった。潜水艦勤務時代、不定期な上に危険が付き物の任務だったので、一人娘だった妻の両親と同居することを選択した秋月。三年前には義父は亡くなったが、義母は今も壮健である。
「英雄はお寝坊さんなのね」
さり気なくグサッとくることを言うのが、義母である。もう慣れたが、それでも不意打だと精神的ダメージは大きい。
しかも、聞き慣れない言葉まで含まれてる。
「すみません。でも、英雄ってのはなんですか?」
「あら、知らないの?海外ではあかつきは人類の英雄なんですって」
「はあぁ……」
「本当にあなたってそういうこと感心無いのね」
そう言って朗らかに笑う義母。
おかしいな。俺達、謹慎処分中だったはずだぞ。
プライマリーコロニーに対する破壊活動を阻止した軌道護衛艦あかつきは、テロリスト排除の直後減速、月軌道に移行したが、そこで推進剤を使い果たし、帰り道の推進剤と物資を運んできた輸送機の救援を二日間待つことになった。
十時間かけてひまわりのドックに到着し、船体の補修並びに点検、改修、そして補給という名目で乗員全員拘束された。
毎度の自衛隊の対外的配慮だ。秋月達は慣れたもので、そのまま十二時間かけて東京の防衛省まで連行され、八時間もの尋問を受けても毎度のことと諦めた。若い海曹二人は、憤懣やるかたないという感じではあったが。
その後、一週間の自宅謹慎を命じられた。空知海将補からは休暇だと思えと言われたので、そう思うことにした秋月。
謹慎三日目の朝だった。そろそろ正式な処分が通達される頃だろう、そう考えていた秋月。
義母とともにリビングに向かうと、妻の晶子が朗らかな笑顔で秋月を迎えた。
「おはよう、パパ。いくら謹慎中だからってだらけすぎじゃないかしら?」
「ううん?二か月船に閉じ込められてたんだから、たまにはよくね?」
明け透けな物言いに、晶子は半分呆れ、半分嬉しげに笑った。なぜ、わが妻はここで喜ぶのだろう。結婚して六年たつがいまだにそこだけは謎だ。
「パパ。キンシンチュウってなあに?」
「うーん?パパが無理矢理お休みさせられることかな?」
「お休みなの?」
「うん」
「じゃ、あかり水族館に行きたい」
「そうか。行きたいか。でも、行けないな」
「ええ、なんでえ?」
うわ。がっかり顔が胸を抉る。
「パパが家を出たら怒られちゃうんだ」
「ええ、なんでえ?」
それが謹慎という意味なのだよ、わが娘よ。曖昧に笑いながら、娘の頭を撫でまわす。
不意に携帯電話が鳴る。
メールだ。発信者は空知海将補。内容を読んで、秋月は首を傾げた。
「どうしたの?」
「出頭命令。第一種礼装」
「あら、よかったじゃない」
晶子が嬉しそうに笑う。
「なんで?」
「勲章でもいただけるんじゃないかしら」
そんな馬鹿な。自衛隊の軌道機が戦闘行動を取ったんだ。しかも、おそらくはテロリストは死亡しているうえに回収不能な太陽系のどこかに漂っているはずだ。
いわゆる政治的配慮やら何やら。
「なんで?」
「だって、ネットでは大騒ぎですもの。なんでパパたちは処分されるんだって?」
「そうなの?」
「はあ……。何も見てないんですか?」
副島の言葉に小さく頷く秋月。
白い詰襟の第一種礼装がよく似合う男前の副島。左胸には多くの略綬だのが色とりどりに並び、そして右胸に鈍く輝く大きな防衛功労賞。しかも、史上初の内閣総理大臣から授与される特別防衛功労賞。
秋月の右胸にも同じ物が輝いているが、不思議な気分だ。
――あなた方の活躍は私の予想を遥かに超えていました。これくらいしか授与できないのは残念ですが、みなさんがこれからも宇宙の平和のために戦い、そして無事生還することを望みます。
そう言って、にこにこ笑う総理自身の手で右胸に付けられたときは、驚いてしまった。
授与式から二時間がたち、市ヶ谷駅前公園で話し込んでいたが、どうも現実感がない。国内のマスコミは事件のことはほとんど報じていない。だが、欧米メディアは連日報道しており、その煽りを受けたネット、防衛省、総理府関係のブログ、SNSは大炎上しているらしい。
本当は、第一級功労賞どまりで調整しようとしたところ、右翼思想の若干強い総理の鶴の一声で、史上初の特別賞詞となった、というのは臨席した空知海将補の言。
その授与式も関係者数名という、非常に寂しいものではあったが、それはそれで諦めている秋月。
しかも、その後は防衛省で四つも通達があった。
「では、司令。私はこれで……」
制帽を取り、思わず頭をかく秋月。
「司令は、やめてくれないか。ガラじゃない」
「そうは言っても、これからは海上自衛隊第一宇宙隊群第一宇宙隊司令ですよ。秋月一佐」
そう。秋月は昇進した。来年度以降、予算が計上されて建造される予定のあかつき型軌道護衛艦を束ねる、宇宙隊司令を兼任することになったのだ。
「そえちゃんはいいのか?二佐なのに副長のままだぞ?」
「海将補からは二番艦艦長の打診を受けておりますから、大丈夫です」
さらりと酷いことを言われた気がする秋月。
「マジで?俺、見捨てられた?」
「違いますよ。これから宇宙艦隊は大所帯になっていくってことです。いつまでも艦長だけってわけにもいきませんよ」
「ええ~」
「ダダこねない」
「でも、減俸と書類送検なんだよな……」
戦闘行動。武器の使用。テロリストに対する殺傷行為。内規と自衛隊法に抵触した上に、刑法上の訴追。
日本の国内法規ではこれが限界なのだ。
「取り敢えず、謹慎は解除されました。あかつきの改修には三週間かかるそうですから、我々は羽を伸ばしましょう」
今度こそ立ち上がる副島。
秋月も立ち上がり、そろって制帽をかぶり直す。
「それでは、艦長。お疲れさまでした」
姿勢を正し、右手を挙げ敬礼する副島。
「おつかれさま。来週、ひまわりで」
答礼する秋月。
「はい。失礼いたします」
お互いに敬礼を終え、副島は一人市ヶ谷駅に向かう。
残った秋月は、少しずつ涼しくなり始めた夏の終わりの東京を見下ろし、なんとなく呟いた。
「俺達は未来を守っただけなんだけどな……」
誇るでもなく、悪びれるでもなく、暢気に呟く秋月暢。
海上自衛隊第一宇宙艦隊、出航す。以上で、完結であります。
たった二週間、八話の更新でしたが、予想以上の反響ありがとうございました。
続編を書く予定は残念ながら、ありません。
元々、作者の趣味100%、やっつけ仕事でしたので、あとのことは何にも考えていないのです。
ですが、もしかしたらそのうち作者の妄想スキルが発動して新作を書くことがあるかもしれません。
そのときは、またお付き合いいただければと思います。
とはいえ、いい加減ほかの作品の続きを書かないとな……。