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「あかつきが戦闘を開始しました。現在は無線封鎖中です」
「そうか」
静止衛星軌道上の日本国大型プラットフォーム、ひまわりからの直通通信を受け、空知誠吾海将補は受話器を静かに置いた。
執務室の外に見えるのは、夏の終わりの夜明けを迎えたばかりの横須賀田浦湾。起き始めた海鳥たちの鳴き声や、動き始めた水兵達の掛け声が微かに聞こえてくる。
この海上自衛隊発祥の地は、創設から八十年を過ぎても変わらず最重要施設であり続けている。
護衛艦隊司令部。その一室に間借りする形で、第一宇宙隊群司令、空知の執務室がある。実際の戦闘はあかつきに一任されており、補給、救難はひまわりの補給廠とランジット・ブリッジの資材搬入部で行なわれているため、この執務室はあくまでも関係各所との連絡用の存在ともいえた。
そして、クレーム処理の部署ともいえる。
あかつきが合戦準備を宣言したのは、九時間前。日本時刻で昨日の夕刻だった。
さらに米軍機二機の撃墜と通信モジュールの喪失。テロリストが本気であること証明され、国連軌道管理機構が非常事態宣言をしたが、ちょうどアメリカ宇宙軍もEU軍も現場に軌道機を急行させることが出来なかった。
いや、現実には急行させることが出来たであろうが、そのまま減速せずに月軌道を離脱、宇宙の藻屑となる位置にしか軌道機が存在していなかった。
一方、あかつきはちょうど地球に戻る帰還軌道にあったため、地球の重力を利用したスイングバイで推進剤を節約して現場に急行し生還することが出来ると判断。作戦を開始した。
空知のすべきことは、作戦後推進剤を使い果たしたあかつきを救援するための準備をすることだった。
今、世論の無理解を押しのけて宇宙艦隊創設に乗り出した海上自衛隊の、その真価が問われる事態に直面している。
これを乗り越えたとき、海上自衛隊宇宙艦隊はその存在意義を全地球に呈示することになるだろう。
失敗すれば、全て水泡に帰すだろうが。
「責任の擦り付け合いから始まったのにな……」
思い出し、自嘲気味に呟く。
ランジット・ブリッジの完成により宇宙開発は急速に発展した。そのおかげで今までは一部の管理された人員しか上がれなかった宇宙に、不特定多数の人々が訪れるようになり、多くのトラブルや宇宙ゴミの問題がいよいよ顕著になった。
そのために欧米は宇宙軍を創設し、治安と安全の維持に努めはじめた。
一方、日本政府は平和憲法を盾に宇宙への派遣を拒み続けた。それは不測の事態で責任を取らされることを恐れた、政治家達の保身に過ぎないことは誰もが知っている。
だが、そもそも今の宇宙を作りだしたのはランジット・ブリッジであり、軌道エレベーターを作り出したのは日本の企業なのだ。たとえ、政府の事業ではなかったとしても、日本企業のやった後始末をしないのは不義理ではないかという欧米の主張はもっともだ。
ついに八年前、政府は折れた。そして、すぐさま派遣を検討する研究チームが統合幕僚監部に置かれ、当時一佐だった空知も参加することになった。
そこで議題のはじめに上がったのが、陸海空どの自衛隊から装備人員を派遣するのか、という根本的な問題だった。
最初は当然、アメリカ宇宙軍同様に航空自衛隊を中心にすべきという話だった。しかし、そうなるとアメリカ式の装備を調達することになる。
原子力機関を搭載した軌道戦闘機の採用。それが最初の壁だった。それは日本の国是に反する。自衛官として決して選んではいけない選択だった。
研究チームは根本的な研究に立ち戻ることになった。
すなわち、宇宙での自衛官の任務、宇宙の現状、必要な装備、運用法。研究チームは宇宙航空研究開発機構をはじめとする研究機関、三菱、IHIなどの航空宇宙機器メーカーを巻き込んだ巨大プロジェクトへと瞬く間に進化した。
プロジェクトは、まず宇宙での自衛官の任務を定めた。第一に、宇宙を航行する軌道機の安全の確保。第二に、軌道エレベーター、ランジット・ブリッジの安全の確保。
そのための必要な行動は、宇宙ゴミ――すなわちデブリの排除、航行する軌道機の監視、遭難機の救援、宇宙開発に壊滅的な打撃を与えかねない反社会的勢力の行動阻止。
それぞれの任務を別部隊で行なうか。それとも、一つの部隊に完結させるか。
予算に限りのある自衛隊が選択したのは、一つの部隊で完結させることだった。
そして、一種類の装備でそれを達成するという新兵器開発プロジェクトが立ち上がる。
デブリの排除に必要な戦術レーザーを搭載し、いざというときには大型デブリを排除するためのミサイルを持つ火力。航行する軌道機を監視できる広域レーダー、レーダー無しでも十分な範囲を捉えられる熱光学および電波観測機器。遭難機を救難出来る航続距離、要救護者を保護できるだけの居住区画および医療設備。そして、発見した不審軌道機を密かに追跡するステルス性と何よりも原子力機関を搭載しない軌道機。
その全ての要素を追及された結果出された設計案が、軌道護衛艦という常識外れの構想だった。満載重量千トンの軌道機が最大といわれる時代に、八百二十基準排水トンの軌道戦闘機は正気の沙汰ではないと言っていい。
しかし空知はその設計案を見た瞬間、一人の潜水艦乗りを思い浮かべた。
それが秋月暢である。三次元での隠密航行を是とする潜水艦乗りであり、独創的な思考で様々な戦術を編み出す男。まだ艦長教育中の副長だったが、異彩を放つその才覚は護衛艦隊司令部では有名だった。
軌道護衛艦の建造は全くの新規、兵装は航空自衛隊が開発し、船体の艤装と就役後の人員は海上自衛隊から派遣するということで落ち着いた計画は直ちに実行にうつされ、初期設計から概算要目資料、基本設計まで五年という急ピッチで計画は進み、七年目に進宙式が執り行なわれ、DDO901あかつきと命名された。
そんな急造の船だったが、秋月達は見事に操りその意義を世に示し始めた。
執務室の扉がノックされる。
「入れ」
声をかけると、入ってきたのは秘書官だった。
「司令。公用車の準備が整いました」
「分かった。すぐ行く」
そう答えると、秘書官は退出する。
空知は立ち上がり、純白の第一種礼装の襟を正し、手袋と制帽を手に取った。
徹夜であかつき支援の準備を進めてきたが、これから残っているのは首相官邸での状況説明である。
前線の兵士を味方から守るのが司令官の役目とわきまえ、ひまわりの参謀部が作り上げた資料を携え、執務室を立ち去る。
にっちもさっちもいかないことは、ままある。
しかし、それが常態化したとき、人は冷静でいられるだろうか。
全てを諦め生きる屍となるか、体内に渦巻く憤懣を発散すべく破滅へとひた走るか。力なく、心も弱い大多数の人間が取れる選択なんてそのどちらしかない。
Han五型軌道輸送機に乗り込んだ若者たちは、その後者だった。
故郷の貧しい国を離れ、豊かな異国の地で働きながら学び、ふるさとを豊かにする夢はしかし、現実に打ちのめされることになる。言葉の壁、異文化体験、差別、冷遇。それらの現実に晒され彼らは失望する。厳然たる結果があり、越えられない壁がある。
一部には、同じ境遇から成功した人達がいても、打ちのめされた若者達は自分達に都合のいい、耳触りのいい言葉で絶望を受け入れてしまう。
輸送機に乗るのは、二人の中東出身の若者。先進国で絶望していた彼らに声をかけてきたテロ組織に属し、テロリストに身を窶した彼ら。
多くの人達は、彼らを悪魔か怪物だと罵るだろう。
あるいは、絶望に負けた愚かで弱い存在だと蔑むだろう。
だが、彼らは人間であり、そして絶望しか与えなかったのは彼らの周りにいた他の人間達でもあるのだ。
それは忘れてはならない。
「もう少しだな」
航法を担当していた若者が告げた。
電波等の観測機器とコンテナに仕掛けられた爆破装置の管理をしていたもう一人は、静かに頷くだけだった。
彼らの目的は、人類が宇宙に進出するための巨大プラットフォーム、プライマリーコロニーの破壊である。この巨大建造物を破壊することによって、巨万の富を築いた資本主義者達に大打撃を与える。
そこに意味があるのかは分からない。いや、既に二人は考えることをやめてしまっている。考えることに意味を見出せず、与えられた役目を全うするためにその思考力の全てを注ぎ込むように籠絡され、矯正されてきた彼らは組織の手駒の一つに成り果てている。
ただ、体の中に今も渦巻く感情。黒くどろどろになったコールタールのようなそれを解放できるのなら、それでいい。
「最後の加速だ。もう推進剤は無い」
漆黒の宇宙。故郷の空よりも星に埋め尽くされた空間に、ひときわ大きな輝き。太陽の光を浴びて光り輝くプライマリーコロニーの一部だ。
ここで推進剤を使い切り、輸送機はただの砲弾と化す。コロニーに突撃し、衝突のエネルギーとコンテナに仕込まれた爆弾をすべて起爆し、コロニーを粉々に粉砕する。
「大丈夫だ。周りには何も無い」
「了解だ。加速を開始する」
航法担当の若者の操作で、コクピットは強烈なGに晒される。
推進剤が完全に無くなった警報が鳴り響く。
――これでいい。これでいいんだ。
二人の胸に去来するのは、ある種の安堵感。そして、どこか小さく痛む胸の裡。
自分達が何者かに乗せられているのではないか。そんなことを一瞬、考えてしまう。それも、今はどうでもいい話だ。二人は、このまま人類の未来を巻き込んで宇宙の藻屑となるのだから。
既にコロニーは目と鼻の先。コクピット正面のキャノピーを埋め尽くさんばかりに広がっている。
アラーム。
「なんだ?」
「熱源?四つ?」
ついさっき、周囲には何も無いと判断したはずなのに、そこには明確に四つの熱源体が表示された。
「速い!」
「まさか、軍の攻撃か?」
「まずい!」
ここで輸送機を破壊されたら、コロニーに対する打撃は限定的だ。それでは意味がない。
爆破装置に指を伸ばす。
だが、無情にも衝撃がコクピットを襲う。急激なGに晒される二人。
突き飛ばされるような衝撃に包まれ、意識を失う瞬間、若者の一人は気付いた。コロニーがキャノピーの正面から逸れていく。それはつまり、輸送機が進路を変えさせられているということだ。
これでは、目的は達成できない。
そのはずなのに、何故か胸を埋めるのは大きな安心感。
過ぎるのは故郷にいるはずの幼い弟妹たちの笑顔だった。
――これでいい。これでいいんだ。
そのまま意識を失い、そして二度と目覚めることはなかった。
Han五型軌道輸送機は、プライマリーコロニーの直前でステルス航行を続けていた軌道護衛艦あかつきの放った四発の軌道誘導弾の直撃を受けた。
航空自衛隊の、精密すぎて近接作動信管のテストが出来ないといわれる空対空誘導弾に連なる大型ミサイルは、輸送機の側面に突き刺さるも起爆しない。弾頭は既に外され、自爆システムも切られているからだ。
それなのに、ミサイルはさらにロケットモーターから推進剤を撒き散らしながら加速する。
みるみる軌道輸送機は、コロニーへの衝突コースを逸らされ、何も無い虚空へと押しやられていく。
そこに入れ替わり、滑り込むように現れる艶の無い漆黒の巨大な船体。
小刻みに姿勢を制御しながら戦術レーザーを周囲に放ち、ミサイル命中時に発生したデブリを焼き払いながら通過していく。
「こちら、海上自衛隊第一宇宙隊群所属軌道護衛艦あかつき。プライマリーコロニーに対する破壊活動の阻止に成功。繰り返す、破壊活動阻止に成功。プライマリーコロニーは健在」
通信を残しながらコロニーの傍らを通過し、あかつきは虚空へと飛翔していく。
その姿は偉業を成し遂げたにしては、妙に素っ気なく淡々とした印象を、目撃していたコロニーの作業員たちに与えた。