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「……ですか……てますか……」
遠くからなんとなく聞こえる微かな声。
それが自分に向けられていることに気付くのに、そんなに時間はかからなかった。
目を開いた彼が見たのは、自身の顔を覗き込む青年のヘルメット越しの表情。目を開いたことに気付いたのか、あどけなさの抜けきらない、人懐っこい笑顔を浮かべていた。
「大丈夫ですか?」
「はい……」
「ご自分のお名前は言えますか?」
名前を答えたあと、投げかけられる問いかけに答えていく。
「意識レベルクリア。船員に問題ありません。船内大気にも異常無し」
青年は通信でどこかに報告を始めた。ヘルメットのバイザーを上げる。
「うわ。寒いですね。大変でしたね?」
人懐っこい笑顔で言われ、ようやく自分に救援が来たことを理解できた。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ。あ、申し遅れました。海上自衛隊あかつきの衛生士をしてます、生間良治二等海曹と申します。これから無事帰れるまでしばらくご一緒になりますんでよろしくお願いします」
「ご丁寧に、どうもです」
「さて、我が艦に移乗される前に……」
移乗?どうしてだ。助かったんじゃないのか?
「待って下さい。こいつはどうすんですか?」
暗がりの中で、生間の笑顔がわずかに曇ったように見えた。
「残念ですが、船は投棄となります。あかつきにはこちらの船を牽引する能力がありません。しかも、ここは外周軌道ですので最寄りのステーションがありません。デブリとなってしまう以上、ミサイルで月軌道外に投棄するしかありません」
ミサイルって……。本当に自衛隊なんだ、と見せつけられた気分だった。
「修理は?修理できないんですか?」
それでも食らいつく。ローンはまだ終わっていないんだ。
「困りましたね。発令室、こちら生間です。当該船の修理は可能ですか?……はい、はい。そうです。そういう希望です。……はい。……そうですか。分かりました」
生間が連絡をとっているあいだ気が気でなかった。ここで機体を失えばすなわち失職だ。莫大な借金が残され、家族も路頭に迷う。依頼を失敗したとなれば、信用も失う。たとえ新しい輸送機を手に入れても、依頼がなければ絶望しかない。
「申し訳ございませんが、時間がありません。このままではカウンターステーションへの帰還限界点を超えてしまいます。我が艦への移乗をお願いします」
「そんな。それなら、せめて積荷だけでも……」
「申し訳ございませんが……」
「こいつは仕方ないんです。でも、お客様の高価な荷物だけは持ち帰らないと。そうじゃないと……」
必死だった。最低限の仕事しなければ、宇宙を仕事に選んだ一人の男としての矜持だった。
その言葉に、生間は小さくため息を漏らした。
秋月暢二等海佐は、図らずも部下と同様、小さくため息をついた。遭難者が無茶を言うのは毎度のことだが、今回のは特にいけない。
出来なければ出来ないで、突っぱねればいい。だが、やろうと思えば、出来てしまうのだ。
「砲術長。作業は可能か?」
複数のモニターに囲まれた窮屈なシート。縦横に走るケーブルやパイプの中、秋月の左前方に逆さになった轟ひかる一等海尉に問うた。
初めてこの指令室のレイアウトを見たときは、度胆を抜かれた。人が逆さに宙吊りにされている、しかも目と鼻の先に。
轟は可愛らしい名前とは裏腹に、無精ひげの残るいかにも海の男、いや海賊のような顔で振り返る。
思わず秋月は身を引く。宙吊りの顔が逆さに振り返るのだ、気持ち悪さは拭えない。
「垂直発射装置に空きスペースがあります。キャニスターを破棄して、クレーンを使えば、可能かと」
轟はこの光景に気にしていないようだ。これが三十代と二十代の壁だというのか……。実際には五歳しか違わない年下の部下だが、そんなことを考えてしまう秋月。
「重量と推進剤は?」
右横に秋月に向けて背を向けている藤原克己一等海尉が答える。
「推進剤の残りは二十二パーセント。コンテナの諸元が分かれば、重量の問題も把握できますが。陸明くん。軌道計算お願いね」
「了解しました」
藤原の頭の真上に逆さになった古河陸明二等海尉が応じる。
「なら、情報収集だな。克己、生間二曹にコンテナの諸元を要請。ひかるは作業要綱をまとめろ。場合によってはこっちから電源をまわさあなきゃいかん。古河二尉は全部ひっくるめて軌道計算。作業完徹時刻を計算しろ。日の出前に片づけるぞ」
了解、の唱和の後、秋月に仕事は無い。半年前まで乗船していた潜水艦よりもさらに狭い司令室の中央で、状況を見守るしかない。
「また無理難題ですか?」
「ん?そえちゃんか?」
柔らかな声に振り返ると、精悍な顔立ちに柔和な笑みを浮かべた色男、副島譲三等海佐が狭い通路を抜けて艦長席の背後に取りついたところだった。
「海だったら、こんな仕事は海保に押し付けるんだがな。宇宙にはそんな便利な奴らはいねえ」
「そうですね。我々がその便利な奴らですからね」
宇宙に上がってから半年。
就役したばかりの軌道護衛艦DDO901あかつき。
全長80メートル、全幅10メートル、820基準排水トンの大型軌道機は戦闘機としては常識外れの巨体だった。だから、なんでも出来ると勘違いされることは多々ある。
実際、アメリカ宇宙軍やEU宇宙総軍のOF4軌道戦闘機に比べると加速が悪く、事態に急行する能力が低く、鈍間な亀だとか、大艦巨砲時代の再来だとか陰口を叩かれていることは知っている。
しかも、一般的な軌道輸送機の倍近い巨体を誇るにも関わらず、遭難機の牽引能力も無いというから国内のマスコミにも叩かれる始末。建造費の七百億は税金の無駄遣いと国会でも追及されてるらしい。
「牽引出来ねえんじゃねえんだよ。ここからじゃ、出来ねえんだよ。素人どもが」
ふつふつとした怒りが湧き上がってきて、ぼやき始める秋月。
副島の美貌に浮かぶ苦笑。
「なら、艦長。気分転換にコンテナ移乗操作なさいますか?」
一瞬それもいいなと思ったが、すぐに切り替えた。
「いや。そこは専門家のそえちゃんたちに任せるよ。だけど、交代時間には早くないか?」
副島が秋月と当直を交代るまで、あと四時間ほどあるはずだ。
「轟くんのクレーン捌きを見学しようかと」
「マジっすか?勘弁してくださいよ」
タッチパネルから目と指を離すことなく、情けない声を上げる轟。
「冗談だよ。藤原くん、古河くん。そろそろ要綱はできたかい?」
「はい。副長」
代表して藤原が答え、副島が手に取った壁掛け携帯端末の一つにデータを送る。
秋月の手元にも同じものが送られてくる。
推進剤の残量と、コンテナそしてあかつきの質量、軌道の位置およびベクトル、遭難機の電源状態、そこから計算されるエネルギー消費と推進剤の消費、残り作業可能時間、そして遭難機と破棄されるキャニスターの軌道誘導弾での投棄作業。
すべてに問題はない。素晴らしい仕事だ。
「艦長。自分は作戦の実行を提言します」
副島も秋月と同じ判断のようだった。
「よろしい。警戒態勢に移行。たかが積荷の揚げ降ろしと思うな。ここは宇宙だ。不測の事態に備え、電測周辺警戒を怠るな」
「了解。警戒態勢に移行。状況開始」
副島が凛とした声で応じ、司令室内がにわかに緊張に包まれる。
満足げにそれを見た秋月は、通信を開き隷下の衛生士を呼び出す。
「いくまっち。可哀想なクロネコドライバーに教えてやれ、積荷は我々海上自衛隊が責任をもって守ってやる」