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作者: 赤依 苺

※ 注意 ※

この物語はフィクションです。実在の人物、団体、施設、条例・法律などとは一切関係がありません。

-----

こんにちは、赤依 苺です。


久しぶりの短編小説(六作目)となりますが、かなりの文字数なので誤字や脱字が頻発している可能性があります。一応、チェックはしているのですが……。

読破を考えている方は、お時間に余裕がある時をオススメいたします。


では、後書きにてお会いしましょう。


追記(2014年2月2日):評価を頂きました。励みにします。

 ここはヒノン国。農業が活発なこの国は、他国からの農作物の輸入量を極限まで減らせる利点がある。加えてその地形。山が多く海に囲まれているため、海の幸や山の幸、林業にも事欠かない。四季にも恵まれ、地域により様々な産業が生まれている。

 そんなヒノン国には狭い国土という欠点があった。そして、拍車をかけるように人口は増加の一途をたどり始めることになる…………。


><><><


 「エトウくん、このデータの数値。本当なんだね?」

 深く椅子へと沈み込んだ身体を疑問と一緒に持ち上げた。議員のカツラダは、冷静に人差し指を年度別人口推移の棒グラフへと伸ばした。目は落ち着いているが、暗い表情を一向に変えないエトウからは、望むような返答がないことは確信していた。

 「……はい。間違いありません」

 「エトウくん、長い付き合いだが嘘は良くない。じゃぁ、こっちの食糧消費量のグラフは? この増加量はあまりにも変でしょう。きっとどこかでデータを見誤って……」

 「カツラダ議員。失礼ですが、お手元の書類に掲載された表・グラフ…………全て真実です」

 目を見開き足元に視線を落とすエトウに、カツラダは目を閉じて天井を仰いだ。

 「冗談……ではないのか」

 聞こえるくらいの大きな深呼吸。カツラダは改めてエトウを見つめた。先程と変わらずに視線を落とすエトウに、カツラダは励ましの言葉も思いつかなかった。

 「…………これ以上、人口を増加させるのは危険だ。何かしらの対策が必要だが……」

 故意に語尾を濁した。これにはエトウへの信頼と期待が込められている。

 「えぇ。対策……と、言っても即効性が求められますが……」

 珍しくエトウの語尾が濁った。まるで悪事を告白する瞬間のような表情で。

 「……カツラダ議員、これから言うことは鬼畜の所業です。国民からは避難の目を向けられることになるでしょう。しかし、瞬発的に人口を減らし、予想される食糧難を回避するためにも! …………少しだけ、私の話を聞いていただけますか……」

 「……もちろんだ」

 エトウが熱くなると、カツラダは冷静になる。昔から変わらない、カツラダの右腕と頭脳の関係。

 「新法を……いえ、そこまで強くなくてもいい。新制度を設けましょう。内容は国民への発破です。国が一定の基準を取り決めたと国民に伝え、その基準に満たない者を“処罰”する……と」

 ギラギラした目が澄んだ目を射抜く。

 「処罰……死刑は駄目だ。それに、人口増加を止めるために何人殺めるつもりだね?」

 「違います。確かにこの制度は普通に考えたら到底採用されるものではありません。ですが……ここでもうひとつの“新法”を規定するのです」

 「新法? 分かっているだろうが、簡単ではないぞ?」

 「分かっています……。新法の内容は、“一子制”の導入です」

 「一子制? もしかして一人っ子政策か?」

 「察しが良くて助かります、カツラダ議員。資料のこちらのグラフ……年度別の各世帯の子供の数が示されています。ここから読み取れる通り………………」


 エトウが考えていた、即効性のある人口削減方法。それは俗に言う“一人っ子政策”だった。その家庭に子どもが一人だった場合、国から補助金が与えられるようにする制度である。エトウはこれを法律にしてまで強制力を持たせようとした。カツラダは当初、この方法に反対。この法律によって、これから産まれてくる子どもの命が脅かされることを危惧したからだ。しかし、エトウの説得は続いた。


 「もちろん、新法が規定されてから数ヵ月間は猶予を与えるつもりです。強制された堕胎ほど、苦しいものはないはずですから」

 「君が鬼に見えたが……気のせいだったみたいだな。それで? 新制度の方はどうなる?」

 「はい。仮に一人っ子政策が上手く運んだ場合、人口増加は落ち着きますが、極端な減少が数年間に渡って発生することが予想されます。新制度……ここでは“ベンチマーク制度”としますが、これにより、国民の学力、体力の底上げが期待されます。元々、命を奪うつもりはありませんでしたから」

 「少数精鋭……というわけだな?」

 「その通りです」

 既にエトウの説得に納得してしまった部分が大きいカツラダには、ヒノン国の法律書にページが増える未来が予想できた。


 それから一年。国民からの糾弾を『国のため』という理由で弾き、ついにベンチマーク制度と一人っ子新法が可決された。当初からの不安要素であった望まれない堕胎も、新法の猶予期間に十分な幅を持たせることにより皆無となる。また、ベンチマーク制度が広く普及し始める頃には、国の経済力は前年度以前からは考えられないほど進展した。これにより国庫は潤い、一人っ子新法による国からの補助金の一部となった。

 エトウとカツラダは成功に喜びを隠せず、一人っ子新法に逐次手を加えていった。期待されていた人口も減少し、すべてが考えた通りに運ぶかと思っていた。

 「カツラダ議員。申し訳ありません……」

 「君の責任ではない。私たちを含めた、国民全員の責任だよ……」


><><><


 『……次のニュースです。国内の二十五歳以下の浮浪者数が人口の三割に到達することが予想されるという発表がありました。一人っ子政策を推し進めた、かつてのカツラダ議員の議員補佐エトウ氏によりますと、調査が行われていない地域も存在するそうです。浮浪者数減少の兆候は見られず、今後も緩やかに増加していくことが見込まれます。……次です。国産車の世界需要が…………』

 乱暴に消されたテレビの前には、晴れない顔でテレビを睨むレン・シマモトが胡坐をかいている。冷めた目で背後から見下ろす男はジュンヤ・タニハラだ。

 「今日の標的は?」

 「前回と変更なしだ。一人っ子政策賛成派の一人を狙う」

 何も映らない暗いテレビから視線を逸らさずにレンは答える。


 一人っ子政策が可決された直後、ヒノン国では捨て子が急激に増加した。片手の指で年齢を数え終わってしまう子から、そもそも数の概念を知らない年齢の子までがも捨てられた。このような子どもたちが捨て子になってしまった原因は単純だった。一人っ子政策の基準を満たした場合に国から与えられる補助金である。


 『子どもが一人ならば、金が手に入る』


 心ない両親、不幸にも夫に先立たれた妻、明日の生活さえ危うい家庭……。様々な理由から捨て子は生まれた。急遽設立された保護施設も、捨て子の増加に間に合わず各地で満員。こうして、金のために親から突き放された子どもが溢れたのだ。可決から二十年、それは今でも変わっていない。


 「前回みたいに車にプラ爆でも仕掛けるか。派手にやったほうがいいだろうし」

 落ち着いた態度とは反対に、ジュンヤは平気で物騒なことを口にする男だ。

 「いいけど、そもそも車で国会まで来るのか?」

 「自分が偉いと考えるヤツが、自分の足で歩いたことがあるか?」

 「…………異議なし」

 ジュンヤの説得力に折れたレンは、テレビから視線を外してプラスチック爆弾の準備をするために重い腰を上げた。

 テナントの入らない雑居ビルのワンフロアを贅沢に使い、ヒノン国の要人――――特に一人っ子政策賛成派の個人情報を山のように保管している。それだけでなく、小型爆弾、刃物の類、そのほか人を傷つける上で不自由のない物がこれでもかと転がっている。


 “法規改定推進派・セカンド”


 団体規約もイメージシンボルも存在しないこの団体は、一人っ子政策により家庭から捨てられた人間により構成されている。その多くが第二子であり、“セカンド”の由来にもなっている。もう一度家族と食卓を囲むことを望む者、家柄の継承を渇望する者、そして――――国への復讐という野望を抱く者。様々な思いが渦巻く団体だが、目的はひとつ。一人っ子政策の撤廃である。

 「……おい、ジュンヤ!」

 「んー、なにー?」

 トランプタワーで暇を潰すジュンヤは、薄暗い奥の部屋から響いたレンの呼びかけに興味なさそうに返事をした。

 「お前、また無駄使いしただろう! 火薬がスッカラカンになってんぞ!」

 「……花火はね、キレイなだけじゃだめなの。…………爆音を響かせなきゃ!」

 上方で崩れたトランプが、下の山を押えつける。少しの衝撃にも弱いトランプタワーは、連鎖的に崩れ落ちた。

 「レン、火薬を節約したいならオレに作らせなきゃいいだけだ。でもな、悪いがお前が作った爆弾は絶対に使わないから。あ、そうそう。スピーカーってあったっけ?」

 「スピーカー? 勝手に探せよ」

 ため息だけは、ジュンヤには聞こえなかった。崩れたタワーを再生するジュンヤも、同じ高さまで組むことはできなかった。


><><><


 保護施設・飛輪。一人っ子政策の弊害である捨て子の増加に対応して建設された、ヒノン国初の保護施設である。今ではその有用性を説明するまでもなくなったが、建設当初は試験運用も兼ねていたため収容可能人数は後に建設された施設と比較しても少ない。

 「どこに行くの!? スズネちゃんは出ていかなくていいのよ!」

 「……気に、しないでください。私だって元は、道端に転がっていた石ころみたいなものだったし」

 施設責任者のサノハラが必死でスズネを引き留めようとする。スズネは足を止めても、視線は決して合わせようとはしない。

 「サノハラさん、私知ってるんです。昨日、新しい子が来ましたよね、五人ほど。みんな冷めた目をしていました。…………私もきっと、ここに来た日はあんな目をしていたんだと思います。でも、一日、一週間、一ヶ月、一年と過ごすうちに、普通の子供に成長できました。勉強だってできました。女の武器の料理だって、サノハラさんに優しく教えてもらって……」

 「これからも同じよ……。ねぇ、私だけじゃここは手に余るわ。ここを我が家だと思って、手伝ってくれないかしら?」

 甘く、優しい言葉。今のスズネには決意を砕く言葉でしかない。心を殺してサノハラと向かい合う。

 「本当に五人も収容できる余裕があったんですか? 私は知っています! ここにはもう、一人だって収容できる余裕はありません!」

 「!! ……ッ」

 「…………他の同じような施設では、少しでも子どもが大きくなると施設から追い出すそうですね。不幸にも捨てられた子を救うため、自分たちを第二の家族だと思っている子を再び捨てる……。サノハラさん、あなたは絶対にそんなことはしなかった。いつまでも優しいサノハラさんでいてください……、男の子には勉強を、女の子には料理を教えてあげてください……。私は今、とっても幸せです……」

 少しずつ後ろへ下がるスズネ。サノハラは涙を流しても、離れるスズネを止めるための腕は宙で固まってしまった。

 「今まで、ありがとうございました。私が居なくなれば、少しは余裕ができると思いますよ?」

 サノハラが見たスズネの最後の顔は、収容初期の頃に初めて見られた、太陽のような活発な笑顔だった。唯一、女性としての小道具であるイヤリングが眩しさを極めつけていた。


><><><


 耳を澄まさなくても、葉擦れの音が耳障りなほど静かな夜。二人の男は闇に溶け込むため、服の上下は黒で統一している。

 「ジュンヤ」

 「なんでしょう、レン様?」

 ふざけた返答に呆れるレン。しかし、聞かづにはいられない。

 「聞き間違いじゃなければ、この爆弾は要人の車に仕掛けるんだったよな?」

 「そのつもりだったけど、止めた」

 固く閉ざされた法を定める聖域……。侵入者を拒むレンガ塀で阿弥陀くじをするように凝視するジュンヤ。笑っていたのは口だけだった。

 「俺たちだけでは初仕事だ。“本丸狙い”……粋だろう?」

 レンの返事も待たずにレンガ塀に近づいていくジュンヤ。レンはため息を号砲にして後ろを付いていった。

 ジュンヤは着々とレンガ塀の一画に爆弾を設置していく。いったいどこで得た知識なのか、ジュンヤは爆弾の製作から最終着火までの工程を理解している。生憎レンにはそのような知識はないが、アジトの移転、武器の管理から参謀までを務める影の功労者である。

 「はい、レン。その爆弾はここから数えて五個目のレンガの下に」

 「…………お前が置けよ」

 「安心しなって。爆発しないから」

 “じゃぁ、その手の中の物は何だ!”。危うく叫びそうになったが、黒装束の意味がなくなってしまう。呆れた様子で所定の位置へと爆弾を並べるジュンヤに、レンはいつも不思議に感じていた。

 「爆弾……怖くないのか?」

 「ん? あぁ、そんなこと……。怖くないね、自分で作って、自分で設置して、自分で起爆。いやー、かなり勉強したよ」

 「引火とか、そんなこととか考えたことは?」

 「ない。そもそも、その危険性を減らすためにオレたちは煙草を吸わないはずだ」

 「……お前が煙草を嫌うのはこのため?」

 「もちろん。二本目の煙草を爆弾で着火したくないだろう? ……はい、お終い。少し離れるぞ」

 ジュンヤは大の煙草嫌い。しかし、一歩間違えれば手塩にかけた物に殺されるかもしれないと思えば、当たり前なのである。そして二人は、目星をつけた街路樹の影に別々に隠れた。

 『トランシーバーチェック。レン、聞こえる?』

 『……聞こえるよ』

 『元気出せよ。今までだって上手くやってきただろう?』

 『分かってる。分かってるけど……死にたくはないよなぁ』

 『……始めるよ。カウント、五……四……三……』

 乾いた声によるカウントダウンが開始されると、薄暗い街灯に照らされた小さな反射光にレンは気づいた。その反射光は上下左右に激しく揺れながらこちらに――――起爆地点まで近づいていく。

 『レン、今日を成功したらパーティーだな! ……二……一……』


 「ジュンヤ! 押すなっ!!!」


 『ゼロ! ……えっ?』

 “カチリッ”と機械的な摩擦音がトランシーバー越しに聞こえた。次に待っていたのは轟音。頑丈な塀が煙を上げながらガラガラと道路へ崩れていく。その道路でさえ、爆発の影響で陥没する程だ。

 『何だよレン! 話すならトランシー……』

 「とにかく起爆地点まで走れ! 巻き込んじまったぞ!」

 未だに残る爆発の残響に負けないように、ジュンヤへと指示を飛ばす。地面を蹴りながら起爆地点へ急ぐレンの背後からジュンヤの足音が聞こえてくる。

 「おい、レン! 説明しろ!」

 「今の爆発に他人を巻き込んだんだよ! 運が良ければ助かるかもしれない!」

 「はぁ? 苦労して開けた穴はどうするんだ?」

 「馬鹿野郎! 今はそれどころじゃないだろう!」

 火薬の香りが一緒になった土煙の奥から、懐中電灯らしき光源が見え隠れし始めた。


 「出てこい! 警察に突き出してやる!」

 「セカンドめ! 素直に転がっていれば良かったものを!!」


 「くそ、早すぎる!」

 「レン、そのまま煙の中に突っ込むぞ。何だか知らないが、巻き込んだ位置は分かるな?」

 「もちろんだ! 何かいい方法でもあるのか!?」

 言い終わる頃には煙に身を包まれていた。レンは街灯の反射光を見失った位置を思いだし、手探りで探す。三十秒もかからずに見つけることができるとは、レンも意外だった。

 「…………おっと、すまない。運ばれてくれよ……。『ジュンヤ!』」

 『三秒でできるだけ国会から離れろ! 三、二……』

 懐中電灯の光は、いまだに煙の中を彷徨っている。カウントダウンが始まった時点で、レンはジュンヤの作った“保険”の意味を理解した。

 『一……ゼロ!』

 届くはずがない夜空の星でさえ落としそうな爆音が、静かだった地上で響き渡った。レンの肩には、子どもっぽいイヤリングを着けた女性が微かな呼吸を繰り返していた。


><><><


 国会突撃中止の数時間後。

 ただでさえ暗い雑居ビルだが、朝日が昇る前の部屋の中は墨汁でも撒いたかのように暗い。

 「よっと……。戻ったぞ、ジュンヤ」

 「はい、おかえり。その様子なら見つかってはいないね」

 「あぁ、お前が機転の利くヤツで助かった。スピーカー、揃えておこうか?」

 ただ大きいだけのソファーに担いでいた女性を下す。寝息にも聞こえる小さな呼吸は、爆発のショックが大きかったことを示している。

 「それで? 爆弾まで無駄にして、捕まる危険も冒してまで持ち帰ったこの“お土産”は誰?」

 「まったく知らない」

 「……え?」

 豆鉄砲をくらったジュンヤはレンを見る。レンも、当たり前だろうという顔で見つめ返す。

 「オレはてっきり、どこか別地区のセカンドだと思ったんだけど……違う?」

 「あぁ、違う。関係ないヤツを巻き込んだから中止にして助けた。それだけ」

 「……レン。時々オレを馬鹿にするけど、レンも相当なおバカさんだよねぇ」

 続く寝息に向き直って、ジュンヤの心は複雑だった。

 「どういう意味だ?」

 「いやぁ……。こんなドジは居ないと思うけど、スパイの可能性だってあるんじゃないのかぁー……なんて」

 「はぁ? スパイだって? 聞いたことないぞ」

 「そりゃそうでしょ。『あなたたちにスパイを送りましたよ。』なんて教えてくれるヤツがいるわけないだろう」

 ソファーから聞こえてくる寝息が途切れた。こんな暗い屋内ではイヤリングの反射光を見ることはできないが、微かに耳に届く金属音に女性の意識が覚醒していることを感じさせた。

 「ぅん…………」

 まだ虚ろではあるが、警戒心だけは忘れていない目が周囲を見渡す。すぐ近くに立っていた二人には一瞬で気づいた。

 「だ、誰ですか!」

 「レン、オレは思った。これは絶対にメンドくさいことになる。…………後は任せたよ~ん」

 「あ、おい! 待てよ!!」

 「どこですかここは! 私に何の用ですか!?」

 ちょっとした押し付けと、質問責め。レンは頭を抱えた。


><><><


 「補修費用、総額五百万円……。派手にやってくれたよ……」

 自分の名前が書かれた扉の奥で、高級な椅子に身体を沈ませながらエトウは呟いた。

 「この書類にありますように、爆破被害の範囲はなかなかに広く……。補修作業の方はこのまま進めても構わないでしょうか?」

 「そうだな、同じ色のレンガを使ってくれ。できるだけ元の外観は崩すなと、職人には言っておけ。ところで、この“スピーカー”ってのは何だ?」

 「実は今回の爆破騒ぎが発生した後日、警察に国会の周囲を捜索してもらいました。まだ爆発していな爆弾を見つけ出すためです。幸い、不発弾はありませんでしたが、こちらの書類の、はいその写真です。そのスピーカーが見つかりました」

 「隣の小さな物は?」

 「MP3プレーヤーです。警察が中のデータを確認したところ、爆発音の音声データが記録されていまして、遠隔操作で再生された可能性があるとのことです」

 怪訝な顔でスピーカーを見るが、特に怪しい部分もない。エトウは書類を机上に置いた。

 「とにかく、塀の補修作業は迅速にな。五百万なんて、国庫から見ればはした金だ。老害を焚き付けて一人っ子政策を取り入れた国会(わたしたち)が心配することではない」

 昔から変わらない、野心を思う時の目。エトウの口は自然と笑っていた。

 「カツラダが全責任を引き受けてくれたことで、オレへの糾弾は皆無だった。今も昔も、捨て子が増えては恨まれるのはカツラダ。こんなに動きやすいことはない。国の経済、人民のレベルも上がった。一子制は成功だと、私は思っているが…………。君はどう思うね?」

 「私は……その……」

 言いよどむ部下の目線を追い、終点ではお決まりの返事をする。


 「まぁ、長男長女であったことを喜ぶんだな」


><><><


 「巻き込んだのはこっちのミスだ。本当に申し訳ない」

 「…………レン、少しは疑ってみようと思わないの?」

 レンは女性に頭を下げたが、ジュンヤは冷めた目で見つめている。一夜明けた今でも、国会からのスパイだと考えている。

 「謝罪は何度もお聞きしました。私が欲しいのは説明です。あなたたちのお名前、どうして国会の塀を爆破したのか、そしてわたしをここに連れてきた理由……」

 「残念ですが、すべて答えられませーん」

 「おい……、ジュンヤ……」

 そっぽを向いているジュンヤは、聞く耳持たずな状態であった。レンだけは女性と向き合っている。

 「その……、答えられることと、そうでないことがあってね……。特に爆破のことは聞かないでくれるとありがたいかなぁ~…………」

 「犯罪ですよね?」

 「だから聞かないでくれよ……参ったなぁ……。名前くらいなら教えられるんだけど」

 困ったと言っては天井を仰ぐことを繰り返していたが、ジュンヤが口火をきった。

 「名前、教えれば黙る?」

 「そうですね。最悪、誘拐された可能性もあると私は考えていますから、犯人の名前くらいは聞いておきたいものです」


 「あんた、この瞬間に命落としてるよ」

 「言ってる暇があるなら口ではなく手を動かしたらどうです?」


 先ほどから微かに聞こえる金属音。音源は女性のイヤリング。

 「……二人とも、止めよう。ジュンヤ、まずは落ち着いて……。勘違いしているようだから教えるけど、オレたちはあなたの誘拐を目的としない。あなたがここにいるのは、偶然なんだよ。爆破に巻き込んでしまったから、その……証拠隠滅と救助を兼ねて。だから、あなたに危害は加えない。怖がらないでくれ」

 「…………危害を加えないことは、信じましょう。あちらのそっぽ向いた方を除いて」

 完全に背中を見せるようになったジュンヤを睨み、女性は続ける。

 「しかし、ここから出してはくれない以上、ある程度の情報を教えてください。でないと、勝手に抜け出すか大声で叫びます」

 「待て待て、あなたも落ち着こう。オレはレン・シマモト。訳あってこんな薄暗い場所を寝床にしてる。あっちの機嫌悪いのが……」

 「ジュンヤ・タニハラだ」

 月光を纏った眼光は、レンに対して向けられた。

 「……とまぁ、自己紹介はこんなところで」

 「スズネです」

 ジュンヤの視線は、今度は女性に飛ばされた。

 「……ずいぶんあっさりと教えてくれるね。どうして?」

 「ずっと“あなた”なんて呼ばれたくありませんから。それにしても、お二人とも長い名前なんですね? 施設の子でも時々いましたけど」

 ジュンヤの視線はレンに戻る。困惑しているかのように、首を捻っては考えている。

 「そうかな? 普通だと思うんだけど。あぁ、あなたの……スズネさんのフルネームは?」

 「だから“スズネ”です」

 「「………………」」

 いよいよ怪しくなってきたぞと、目で合図を送るジュンヤ。レンも動揺を隠せなくなってきた。

 「えーと、苗字がスズ。名前がネ……?」

 「何度も言ってますが、私の名前は“スズネ”です!」

 それから、誰も言葉を発しなくなった。何かを考えているのか、そもそも話す気がないのか……。しかし、これまで背中を向けていたジュンヤがこちらに向き直った。

 「レン、少し話がある。奥でいいか?」

 「奇遇だね、こっちも話があるんだ」

 揃って互いを呼ぶと、奥のさらに暗い部屋へと消えていった。


 「…………なんなのよ、アイツら……」

 スズネの言葉は闇へと消えた。


><><><


 国会の狭い一室では、警備体勢を厳重にして緊急会議が開かれた。この部屋には、数年前に掲げたマニフェストを自ら忘れ去った者たちで満たされている。

 「もう我慢ならん。これまで何人も狙われては、命を落とした者もいたはずだ。警察は何をやっているんだ?」

 「つい最近じゃぁ、直接に国会を爆破されたぞ! もう悠長に構えている暇はない、今すぐにでも“セカンド”を根絶やしにするんだ!」

 「だいたい、一人っ子政策なんてものを実行してしまったことが問題なんだ! ……何とか言ったらどうだ、エトウ議員!!」


 「…………黙ることを覚えたらどうですか?」


 静かな言葉に込められた、精一杯の怒り。この部屋に居る人間の給料は、すべて国から支払われている。その金額の一部――――いや、約半額分ほどが亡きカツラダとエトウが押し通した法から産まれたものであった。

 「警察には最小限の捜査しか依頼していませんよ。ヤツらは上手い。こちらが下手に警察を動かしても、無駄骨ばかりです」

 「このまま手を打たん気か?」

 「たしかに警察は動かさない。警察は、ね」

 「何か考えでもお持ちですか?」

 それから数時間、エトウには数えきれないほどの非難が飛んできたが、冷酷な微笑の前に他人の嫌味などは無意味であった。


><><><


 「レン、お前の意見を聞きたい」

 陰ながら活躍したスピーカーを収納していた小さな部屋で、ジュンヤは前置き無く尋ねた。

 「意見と言われても、“普通じゃない”くらいしか……」

 「そうだな、それには同感だ。特に名前」

 少し声を潜める。

 「“スズネ”って名乗ったのは聞いた。だけど、苗字と名前の概念が欠落してる。これは異常だ」

 揃ってスズネと名乗った女性へ視線を注す。暗闇で気づかないのか、スズネは先ほどから周囲を見渡している。

 「ジュンヤ、お前はいつだ?」

 「オレか? たしか小学校に入学するかどうかってタイミングに捨てられたな。どっかのお偉いさんの行動で、国力引き上げの最盛期だったから、そのころからフルネームを言えたし書けた。ぐちゃぐちゃながら、漢字でな」

 「そっか……。そういえば前にも聞いたかも」

 「どうでもいい、そんなこと。レンはあれだろう? 小学校低学年でって話だったよな?」

 「よくまぁ覚えていることで……。それで?」

 一拍、二拍、三拍。会話を一度切り静かになるのは、ジュンヤが考えている証拠。


 「オレ達よりも早く…………いや、最悪の場合、産まれてすぐに……って可能性がある」


 「産まれてすぐ…………。可能性じゃなくて、ドンピシャじゃないか?」

 「言い切っていいのか?」

 「あぁ。第一に、スズネさんはさっきのオレとの会話で『施設』って言葉を使った。第二に、ジュンヤも言ってるけど名前の概念。そんで第三に、イヤリングだ」

 「…………最後だけが分からない。そんなの人の好みだろう?」

 頭を傾けたジュンヤ。環境に目が慣れてしまえば、眉間に寄ってる皺の一本まで見えてしまう。

 「たとえ好みだったとしても、あまりにも子どもっぽい。歳は聞いちゃいないけど、たぶんオレたちと同い年くらいだろうから。そうなったら、イヤリングよりもピアスの穴を開けても変じゃない」

 それから二人して黙ってしまったが、慣れない足場と暗闇で床に転がしてある備品に何度となく衝突する音を後ろに聞きながら、レンがまとめた。

 「つまり、こういうことだ。自分を“スズネ”と名乗ったあの女性は、捨て子の保護施設に居たことになる。理由は知らいけど施設を出て、運悪くオレたちの作業に巻き込まれた。名前の概念がオレたちと合わないことから、きっと産まれてすぐに捨てられた。今の名前は施設で名付けてもらったんだろうな」

話し合いを終えた二人は、スズネの元まで戻った。レンの整理整頓の努力は、スズネの興味と警戒心によって水の泡となっていた。戻ってきた二人を確認してスズネは先ほどと同様にソファーに座りなおした。

 「何をこそこそ話してたんですか?」

 「ちょっとね。ところで、さっき“施設”って言ってたけど……」

 「え? 言いましたっけ?」

 「うん。よければ教えてもらえないかなぁ~、なんて……」

 「嫌です。そちらのことも詳しく聞かせてもらってないのに、一方的に教えるなんてそんな……」


 「オレたちも同じだ。ただし、“施設”には入らなかったがな」


 最後に睨み合ってから言葉を交わすことを頑なに拒んでいたジュンヤが言った。スズネから値踏みのような視線を投げられ、レンは戸惑った。

 「あの~、ジュンヤさん?」

 「どんな形であれ、怪しまれて話が聞き出せないのは事実だ。…………おい、スズネ、だったよな。オレたちは捨てられた身だ。あんたもなんだろう? 少し話に付き合ってもらうぞ」

 「………………本当に捨てられたんですか?」

 「あー、うん。ジュンヤの言うとおりだよ。俺たちは一人っ子政策の被害者だ。さっきの話からすると、スズネさんもなんじゃない?」

 視線の威圧が少しだけ緩んだ……気がした。

 「いつですか?」

 レンとジュンヤは互いに目配せする。

 「俺は小学校入学してすぐ…………ジュンヤはそれよりも少し早いって話だ」

 「あなた方は覚えているんですね、捨てられた当時のこと」

 「まぁ…………なんとなくは、ね。スズネさんは?」

 「…………羨ましいです……」

 空気が張り詰めた。これまで威勢の良かった声が急に萎んだ。


><><><


 『エトウ議員、警察に頼らないならば……。どんな組織を使って連中に圧力をかけるんだ? はっきりと答えてもらわないと、君の立場が危うくなるぞ……』

 「申し訳ありません……。ですが、もうしばらくお待ちください。いずれ公表するつもりです」

 『聞き飽きたぞ、その台詞……。本当に大丈夫なんだろうな?』

 「もちろんですよ。ところで、そちらは新聞を良く読まれますかな?」

 『新聞? そりゃぁ読むに決まっているだろう。ただし朝刊はあまりゆっくりと読んでられない。夕刊はしっかりと読んでいるが』

 「そうですか。では、明後日の朝刊に限り、じっくりと読んでいただけますか? これまでの疑問を解消してさしあげます」

 『何かあるんだな。ここで教えてくれたっていいだろう?』

 「詳しくは新聞の方で」

 『はぁ…………、分かった。期待してるぞ』

 「ありがとうございます。では、失礼します」

 内線を切ると、自室には静寂が満たされた。間髪置かずに再度電話を取ると、内線番号“F”を押した。

 「…………エトウだ。準備の方は?」

 『はい。人員、武器、作戦通達……。どちらの準備も完了しています』

 「目標は連中の一部が根城にしている雑居ビルだ。今回の作戦を成功させ、セカンド根絶の足掛かりにするんだ。……いいな?」

 『了解です。決行は明日の夕方。よろしいですね?』

 「あぁ、期待しているぞ。ヒロヤ・シマモト特武隊長」

 『…………失礼します』

 電話を置いたエトウは静かに笑った。


><><><


 深夜にも関わらず、込み入った話に突入していたレン、ジュンヤ、スズネ。全てを明日までに片付ける必要はないと進言したレンによって、スズネに睡眠を勧めることになった。

 「ここから出してはくれないんですか?」

 「お互いに事情を説明したら、それから考えよう」

 「こんな薄汚いとこ……」

 「あぁん?」

 今にも振りかざされそうだったジュンヤの拳を落ち着け、三人は遅い就寝とした。


 翌日。

 目覚まし時計もセットしていなのに、全員が狙ったかのように同時に起きた。時間は午後一時。朝食を兼ねた昼食は、雑居ビルからそう遠くではないスーパーの弁当だった。

 「……毎日、これ、食べてるんですか?」

 「そうだよ。スズネさんは捨て子の保護施設に居たんだったね。できれば比べてほしくはないかなぁ……」

 「……食べられるだけ、自分たちは幸せでしたから」

 「………………おい」

 ドスの利いた声でジュンヤが鳴いた。スズネは目を細めて威嚇をやり過ごす。

 「文句があるなら食わなくていい。薄汚いのが嫌なら出て行ってもらって構わない」

 「あら、急に優しくなってどうしたんですか? そんなに出て行ってもらいたいなら、すぐにでも出ていきます。……ごちそうさまでした、もう会うことは……」

 「構わないが! …………ここを出てどこに行くんだ? あんたと出会った時間は真夜中だった。保護施設の国の狗が、そんな時間に出歩かせるとは思えない」

 「ちょっと、ジュンヤ……」

 「レンは黙ってろ。……国の狗が、あんな時間帯に女を一人で歩かせるわけがない。まさか、“また”捨てられたのか? 収容状況が厳しい施設じゃぁ、狗から追い出されるヤツもいるって話を聞いたことがある。それとも、自分から出てきたのか? 大きくなって知恵が付いて、『私の家はここじゃない』ってか? 馬鹿馬鹿しい……。捨てられた時点で、オレたちの家は決まったも同然だ。運のいいヤツは保護施設。悪いヤツはこんな廃墟か棺桶の中だ」

 「………………何でよ?」

 レンは抱えていた頭を上げるとスズネを見た。外から差し込む夕日に照らされた横顔はでは、涙と一緒にイヤリングも赤くなっていた。

 「あなた達はどうして…………国に歯向かえるだけの勇気があるの? それとも…………私が一人で弱いから?」

 ジュンヤも、勢いを押し殺してスズネの語りを聞く姿勢をとった。

 「あなたたちの方がよっぽど運がいいわよ……。例え捨てられたとしても、実の親から名前を与えられ、手作りの料理だって食べていた時期があったはずよ…………。家族で旅行とか、今からしてみれば思い出したくない記憶かもしれないことでも、一杯、体験してきたんじゃないの……」

 「スズネさん、ジュンヤが噛みついて悪かった。ここ最近は忙しくてね、今日は寝る前にみんなで一度掃除を……」

 無言で手を顔の前にかざしてくるジュンヤ。『黙れ』の次は『黙って聞け』と言わんばかりの気迫である。

 「私はね、そんな経験、これっぽっちも無いわ……。目が覚めたら施設だったのよ…………、笑えるでしょ? 勉強を習ったのも、料理を習ったのも、“誕生日”に出てくる手料理も、この、イヤリングだって…………。全部保護施設の思い出でしかない…………。正直、キツかった……。ジュンヤ……さん? あなたの言った通りよ。『私の家はここじゃない』って考えたこともあったわ……。でもね、そのまま転がしておけば新聞の片隅に載る浮浪者死亡数の加算にしかならなかった私を拾ってくれたサノハラさんの笑顔を見ると…………私、私は…………」

 「……もう一度聞く。スズネ、行く当てはあるか?」

 「無いわよ! ……施設だって飛び出してきたし、あなたたちと会わなければ、あのまま死んでいたわ……」

 外の小さな音でさえも聞こえてくるほど、誰も何も言わなかった。だから、たとえどんなに上手にピッキングを行っていたとしても、扉の奥で殺意を抱いた獣に感付くことができた。

 「ジュンヤ……」

 「あぁ……。ここもお終いだな。スズネ、逃げるぞ」

 「え……逃げるって、きゃ!」

 ジュンヤがスズネの手を取る。いつも全開にしている窓に向かって全力疾走を始めた瞬間、レンが叫んだ。

 「目を閉じろ!!」

 瞬間、部屋に強い光が満ちた。幸いにも、フラッシュグレネードが投げ込まれた扉と脱出用窓は対面しているため、直接的な影響は少なかった。

 「捕えろ! 男を狙え!!」

 同じ靴音が不規則に部屋へ入ってくることを窓から飛び降りる瞬間の丸まった背中に聞いたレンたち。幾重にも重なるマシンガンの発射音が開始されると同時に、レンたちは既に裏路地の大型クッションに身を沈めていた。


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 『申し訳ありません……。逃げられました……』

 沈んだ声に耳を傾けながら、エトウの指は机をリズム良く叩いていた。

 『エトウ議員……』

 「なんだ?」

 『こちらが手に入れた情報では、男が二名でした。これはお伝えしたと思います。ですが、先ほどの突入で判明しましたが、女が一名いました。何か心当たりはございますか?』

 人数や性別が問題ではない。捕えられなかった事実が、エトウを焦らせた。

 「何人群がろうが関係ない。とにかく捕えろ。次は必ず……」

 『はい……心得ています』

 内線番号“F”を切る。

 「…………カオリ……」


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 「それで? 前と何が変わってるんだ?」

 「例えば、コンビニが近い……とか」

 飛び降りた時の衝撃は全てクッションが吸収してくれた。レンとジュンヤは元気そのものであるが、スズネはショックで寝込んでしまった。新たに居を構えることになったのも、また雑居ビルというのだからショックは相当なものだった。

 「なぁ、レン。やっぱりこの女はどこかにほっぽり出そうぜ?」

 「ダメだ。そんなこと言ってるジュンヤだって、真っ先にスズネさんの手を取って守ったくせに」

 「…………レンくん? ジュンヤお兄さんに喧嘩を売ってはいけないよ?」

 「何がお兄さんだよ。同い年だろ?」

 昨日の夕方以降、常に背後に気を配りながら逃げていた。ほとんど動けなくなっていたスズネを担いでのアジト到達は、さながら強行軍のそれであったのは間違いない。

 「なぁ、ジュンヤ」

 「なんだ?」

 「家に、戻りたいよな?」

 これまで同じ質問は、何度もジュンヤへ聞いてきた。しかし、今は違う。聞く相手が増えている。

 「俺は戻りたい。これは自惚れだけど、俺の両親が喜んで俺を捨てたとは考えにくい」

 目線で答えを要求するが、ジュンヤは決まって目を閉じて頷くだけだ。真意は分からないが、以前に聞けた言葉を、ここで再確認できた。

 「オレは、分からない。両親がオレを捨てたことを後悔していないって考えると……決断はできない。でも、憎い。オレたちをこんなにした一人っ子政策だけは許せない」

 語尾を寝込んで背中を受けているスズネへと投げる。返答は期待しない。

 「…………嬉しいはずがないでしょう。私なんて、産んでくれたお母さんの顔だって覚えてないんだから…………」

 三者三様の意見。その行き着く先は同じである。

 「スズネさん、俺たちがどうして国会の塀を爆破したのか……知りたいって言ってたよね? 今からその理由を話すよ。それに、逃げる直前に聞いたスズネさんの言葉。もしかしたら、俺たちの仲間になってくれるかもしれない……そんな気がする」

 初めて会った時から、名前を教えてもらった時から、スズネに話しかける時は“スズネさん”とレンは言っている。言い方は悪いが、これは何年も育ててくれた他人である施設の職員が名付けたもの。本当だったら名乗るのも嫌だったかもしれない。

 「スズネさん、全部話すよ。……ジュンヤ、いいね?」

 三十秒間黙ったまま不動だったジュンヤは、最後に穏やかな声で、

 「あぁ、目的は一緒だろう……。きっとな」

 スズネとの不仲を流したのだった。




 「レンさんとジュンヤ……さんの話しから、まさかとは思ったけど……。本当に法律…………一人っ子政策の撤廃を考えてるなんてね。やり方こそ暴力そのものだけど」

 三人は昨日の脱兎の足を仮眠で癒し、古びた木製の小さな丸テーブルを囲んだ。スズネからは敬語が消えたが、今後のことを考えればやりやすい。レンとジュンヤは何も言わずにスズネを受け入れている。

 「セカンドが組織された直後、一応は発起人から言葉と書類で呼びかけてはみた」

 「結果はお察しの通り……ってことね。ところで、発起人って誰なのよ? セカンドって言っても、私はあなた達二人以外を知らないわ」

 「スズネも知ってるだろうが、国内にはこれでもかと言わんばかりの捨て子がいる。正確な発起人ってのも、実はオレたちにも分からない。セカンドの中じゃぁ、一人っ子政策が成立した当初の反対派の議員が立ち上げた話だって噂もある。他にも、捨てられた当時の子どもが立ち上げた……とかな」

 「え? 捨てられた当時って……まだ小学校低学年じゃないの?」

 「いやいや。スズネさん、実はセカンド自体がこうして団体名を掲げて活動し始めたのはここ二、三年なんだ。そうすると、法律が成立した当初の子どもは十八歳くらい。学生運動って言えば聞こえはいいけど、皮肉にも、学校に通うことはできなかった」

 セカンドの目的から、団体内の噂話まで……。スズネが聞きたいと言った全てのことを話した。最後の言葉は決まっていた。国の政策によって、環境は違っても親から捨てられたという同じ運命を辿った者に向けた言葉だ。

 「なぁ、スズネ。大方、予想はついてると思うが……。オレたちと来ないか? 危険がないとは言わない。でも、動かなきゃのたれ死ぬなら、やるべきだとオレは思う」

 「ジュンヤの言うとおりだ。スズネさん、俺たちと組もう。襲撃された日の言葉が嘘じゃなければ、きっと“家族”に戻りたいはずだ……」

 あとは返答を待つだけ。急かす必要はない。レンとジュンヤは静かに待った。

 「…………やっぱり、あなた達は強いわ……。私なんか連れても、足手まといなだけよ……」

 「そんなこと……っ!」

 「ジュンヤ」

 「……でもね、施設を飛び出して、昨日の襲撃を体験して、そして……二人に会って…………。運が尽きて死ぬなら諦める。今日が寿命だと言われたら泣くかもしれない……。だけど、国に殺されるのだけは、絶対に許せない……!」

 語尾が強まり顔が上がる。

 「だから……! もう一度“家族”に戻って、理由を聞きたい……。これは、施設での生活に慣れてから今日までの夢……。叶うわけないって、そう思ってたのに。二人を見てたら、…………なんだか不思議ね?」

 「叶うさ、絶対。細かい事情は違っても“家族”戻りたい気持ちはみんな一緒。だから俺たちは徒党を組んだ。汚れたっていいさ、馬鹿にされたって気にしない。『ここにいるぞ!』と国に聞かせるために、俺たちはセカンドになったんだ……! いつか必ず、戻るために」

 「……これからよろしく……で、いいのかしら? でも、私に何ができるの?」

 「士気向上。何と言っても、華がなかったからな。オレらには」

 雑居ビルの古びた空テナントに、三人の男女の笑いが響いた。


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 「構わない。警備の者には知らせるな」

 『しかし……。セカンドの動向を探っていたところ、明後日の夜には……』

 「信頼しているぞ、特武隊長」

 『お待ちくだ……』

 内線“F”を切ると、エトウの目の前にずらりと横に並ぶ国の重鎮たちが口を開いた。

 「……死ぬ気か?」

 「エトウくん。君も諦めたらどうだ? どうせ何もしなければいつか朽ちるヤツらだ……。無理に駆除する必要もなかろうて……」

 「それにしても……、“ファースト”だったかな? こんな組織が存在していたとはねぇ……」

 疑問、非難、呆れ……。世の罵詈雑言を全て集約したような言葉にも、エトウは薄ら笑いで応えた。


 「みなさん、見ていてください。この国を建てなおした一人っ子政策に踏み切ったのは私です。しかし、お気づきの通りこれを撤廃しようとする輩がいる……。忘れたとは言わせません、ヤツらによってこちらにも被害が出ていることを。いつか、誰かがやらねばならない。政策を打ち出した私が、亡きカツラ議員と供に、セカンドを駆除しましょう……!」


 反論はなかった。誰だってやりたくない。駆除、とは言っても反乱分子への一方的圧力以外の何物でもないからだ。しかし、反論がひとつも上がらないのは、被害が目に見える形で表れたから。誰もが考えた平穏を、他人が作り出してくれる……。エトウの執務室に並ぶ国の重鎮たちは、その原因を忘れていた。


 「……エトウ、必ずヤツらを沈ませろ」

 「はい、もちろんです」


 【セカンドによる国会襲撃まで】:四十八時間


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 「う~ん……迷うなぁ。……あ、これ買おうかな! わぁ、こんなにカワイイのもあるんだぁ!」

 「…………レン君」

 「…………なんでしょう、ジュンヤ君」

 「オレ達、三十六時間後には命を張ってる……はずだよな?」

 「そうだね……」

 周囲には華やかな紙袋を提げた人でごった返している。レンとジュンヤは鬱陶しそうに避けながらスズネの後ろに続いていた。

 「なぁ、アイツの心臓って何でできてるか考えたことあるか? 『死ぬかもしれない』って内容で話し合って、こんな賑やかな場所に出ようとは思えないんだが」

 「仕方ないよ。『人生の最後に何がしたい?』って、冗談半分で聞いたら『買い物』って言われてさ……。目が真剣だったんで、つい……」

 「ねぇ! どっちが似合う? やっぱり赤は派手かなぁ、なんて思うんだけど。それでさ、こっちの水色を選んでみたんだけど、あと一歩、何かが足りない気がするのよねぇ……」

 「あ、あぁ……。あ~~~、ジュ、ジュンヤ。どっちがスズネさんに似合うかな?」

 「はぁ!? そ、そんなの知るかよ。レン、お前ならどっちだ?」

 「…………二人とも、目が明後日を向いてるんだけど」

 これまで生きることに精一杯だった二人には、女性へのファッションセンスは微塵も存在しなかった。嘘でもいいから直感で答えるセンスも同じく持ち合わせていなかった。

 「なぁスズネ。その手に持ってるイヤリング、ちゃんと考えて選んだのか? オレにはどーしても、今までのと変わらないように見えるんだけど?」

 「え、そうかしら?」

 「まぁ……言われてみれば、そんな気がしないこともない、ような……」

 スズネがさきほどから選ぶイヤリングは、これで両手の指の数を上回ったが、どれを見ても、違いが色合いくらしか見つけられないレンとジュンヤ。

 「あ、ジュンヤ。そろそろ行くよ」

 腕時計を確認してレンは人込みに逆らうように歩きだそうとした。

 「おう、夜には戻るんだろ?」

 「そうだね。…………くれぐれも気を付けて。今はジュンヤだけじゃないんだから……」

 「……あぁ、分かってる……。」

 「ちょっと、どこに行くの? もう少し買い物したいんだけど」

 「いや何、コイツも買いたい物を見つけたんだとよ」

 「悪いね。ジュンヤと先に行っててくれるかな。結構な量になりそうだから、何なら先に戻ってくれてもいいよ」

 「そういうことなら仕方ないわね」

 「ほら、まだ見たいモンがあるんだろ? ちゃっちゃと済ましちまおうぜ? ……レン。もし、今日の夜までに戻らなかったら、オレの事は忘れてくれ。アチラさんにバレてる場合は、狙われるかもしれないから」

 「……絶対に戻ってくるんだ、分かった?」

 「……できたらな」

 賑やかな二人の背中を見送って、レンは大型百貨店を後にした。


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 人混みから遠ざかって、いつしか喧騒が耳に入らなくなる。

 「…………もしもし、レンです。……はい、お久しぶりですね。今からそちらに向かいますが…………いえ、一人です。ジュンヤは今、野暮用を扱っていまして……。そうですか、結構集まりましたね。多ければ多いほど成功率は上がりますから」

 その後に二言三言程度の世間話を終えて、レンは力強く今回の国会襲撃の発起人のアジトまで踏み出した。


 【セカンドによる国会襲撃まで】:三十四時間


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 ジュンヤは後悔していた。

 「ねぇねぇ! どっちのバッグが似合うと思う?」

 女ってのは買い物になると、こんなにもハイテンションになるんだと気づいてからでは遅かった。

 「聞いてるの?」

 「あ~はいはい……」

 買いもしない物を身に着けては、ジュンヤに感想迫るスズネ。傍から見れば、彼女のテンションにうんざりした彼氏……ではあるが、ジュンヤはスズネとスズネが身に着ける物よりも、自分たちの周囲の警戒が最優先事項である。

 「え~と、次はねぇ…………」

 どうやら、まだまだジュンヤを引っ張り回すらしい。スズネは目線の先を確認するため、少しだけ背伸びをし始めた。

 「…………本当に楽しそうだな」

 「まぁね。施設でお世話になってた時は、コンビニで買い物すらできなかったから。でも、職員の方とは出掛けたついでに買い物の手伝いしたことあったけど……。会計は任せてもらえなかったのよ」

 「なるほど。それは“買い物”とは言えないな」

 「でしょ。だから、自分でお金を払ってみたいわけ」

 そんなスズネの今日の買い物の目的を聞いたところで、百貨店の店員が二人に近づいてきた。

 「お客様。指輪に興味はございませんか?」

 「は? 指輪?」

 「えぇ、指輪です。当店ではただ今、有名な指輪デザイナーが手掛けた商品を多数取り揃えています。いかがでしょう……そちらのお嬢さんはお試しになられますか?」

 「是非!」

 「(ダメだこりゃ……)」

 たとえ最低金額の物でも購入できるほどの懐はない。少しの冷やかしに付き合うだけだ、とジュンヤは諦めた。

 「おっと、失礼しました。ペアリングも取り扱っておりますので、よろしければそちらも……」

 「「ペアリ………」」

 貴重なジュンヤの赤面であった。


 「んで、ペ……ペア、ペアリングまで勧めておいて、男女で部屋を分ける意味はなんだ?」

 二人は最初に『デザイナーが手掛けた指輪はこちらです』と店の奥、というよりも周囲の目につかない裏側へ連れていかれた。いや、スズネが勝手に付いていった。そして別々の部屋を用意され、入室を促された。流石に怪しいと感じてスズネの手を引こうと思ったが、既にスズネは部屋に入ってしまい、手が届かなくなっていた。

 「お気になさらず。さぁ、こちらが自慢の指輪です。どうかお試しになってください……」

 「オレは指輪なんざ興味ねぇよ。スズネがどうしても着けてみたいそうだから付き合ったまでだ」

 「そうですか、そうですか……」

 残念そうに頷く店員を冷めた目で見ていると、いきなりジュンヤが居る部屋のドアが開き、視界の中心にスズネが現れた。ノックなしの開放だったため、店員を含めて目が皿のようになっていた。

 「お客様! 困りますっ! いきなり部屋を飛び出されては!!」

 「どうどう、この指輪?」

 どうやらスズネの対応をしていた店員も度胆を抜かれた顔をしながらスズネを止めたらしい。だが、買い物に夢中な乙女を、スズネを止めるには力不足だった。

 「なんだよスズネ! いきなり入ってきて……」

 「だってさぁ、似合うかどうか聞きたかったんだもん。それでどう? この指輪私に似…………」

 『似合う?』と言いたかったことだけは理解できた。しかし、その言葉を紡ぐ前に、スズネの足がふらつき、目の焦点はジュンヤの顔をすり抜けた。眼前に掲げた指輪を着けた腕は垂れ、スズネは身体ごとジュンヤへと倒れてしまった。

 「……おいっ! スズネ! ……スズネっ!!」

 強く肩を揺らしても、スズネの身体に力が入る様子はない。それまでスズネに気を取られていて気づかなかったが、店員は一向に慌てる様子もなければ、『どうしましたか?』の一言も発さない。

 「悪い、急病人だ。どこか休める場所はないか?」

 「えぇ、すぐにご用意しましょう。……“セカンド”のジュンヤ・タニハラ?」

 「!! ……へぇ」

 背筋が凍るほどの緊張がジュンヤを襲った。スズネの左手の人差し指には、まだ指輪が嵌められている。ジュンヤが静かに指輪を外すと、嵌められていた部分に小さな刺し傷が見えた。

 「…………。おいおい、なかなか卑怯な手を使いやがるじゃねぇか……。まさか、コイツを殺したわけじゃ……」

 「安心しろよ、殺しちゃいない。ちょっとした麻酔みたいなもんさ。数時間で起きる」

 床に指輪を放り投げ、ジュンヤは目の前の店員……の格好をした国家の狗を睨んだ。

 「それで? コイツをどうするんだ? ご丁寧に眠らせたんだ、連れ去る目的はなんだ!」

 「教えてやる義理はない。お前にはたっぷりと吐いてもらうがな」

 「おい、オレだけを殺したからってセカンドは止まらないぜ? 分かってんのか?」

 「………話せる体力だけは残しておけ」

 ジュンヤは背後から後頭部を強打され、意識を失った。最後に感じたのは、スズネを抱きとめた腕に再び力を込めたことだった……。


 【セカンドによる国会襲撃まで】:三十二時間


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 レンは、自分たちが根城にしている雑居ビルと瓜二つなビルの一室の前に居た。『高価格買い取り!』のポップな絵が扉を飾るが、薄暗い廊下に漏れてくるような緊迫した空気が緊張感を高める。

 「タケシさん。遅れてすいません、レンです」

 ノックを交えた呼びかけに、地を這うような、圧倒するような声が聞こえた。

 「おぅ……。レン、ジュンヤ、来たか……」

 「いえ、俺だけです」

 ここまでなら、他人に掴まれるであろう情報の範囲。レンが付けられていた場合、先ほどの電話も聞かれた可能性がある。だから、タケシは故意に居ないはずの『ジュンヤ』にも呼びかけたのだ。

 「あぁ、そうだったな。ところで一週間前に頼んでおいた雑誌、買ってきてくれたか? オレァ、あのネーチャンの胸が堪らなくてなぁ……」

 「はぁ……、もちろん買ってきてますよ。今月はその人、袋とじみたいですよ?」

 「本当かっ! 早く入れよ!」

 いつもこんな暗号まがいのやりとりをする必要があるが、タケシが毎月好んで購読している『雑誌』を持っている情報を出すと入れるのだ。甘すぎる。レンはいつもそう思っていた。

 「失礼します。おっと、雑誌はお話が終わったら渡しますから、我慢してくださいね?」

 「わぁてっるよ……」

 そうして、レンは廊下と変わらない薄暗さの部屋へと足を踏み入れた。




 『…………“セカンド”のレン・シマモトが同ビルの一室に入りました。待機している階の一つ上の階です。部屋は手前から三番目です』

 「分かった、監視ご苦労。部屋の中は確認できたか?」

 『いえ、部屋の中までは見えませんでした』

 「そうか。そのままセカンドが入った部屋を監視しろ」

 『了解』

 特武隊“ファースト”から五名程度の武装隊が編成され、レンとジュンヤの監視が行われていた。途中、百貨店で二人が分かれたが武装集団は人混みから遠ざかったレンを追跡。電話の内容を盗聴し、どこかの拠点らしき場所に集合することを掴んだ。その後、レンを泳がせ彼らの言う拠点らしき場所に到着。部屋の場所まで確認したところで、臨戦態勢へと隊の空気が変化した。階段を上る足音が外の雑踏に掻き消されるほど小さい。

 「いいか、このフロアの手前から三番目だ……。銃器の確認、弾倉の確認。……いくぞ」

 中腰という体勢でも決して腰が上下しない動きで手前から三番目の扉まで接近。次に壁越しでも音を検知する一種の盗聴器を仕掛けた。これで五人全員がセカンドの密会を聞くことができる。


 『…………あるから、あと百人は欲しいですね……。その人数では殺されるために突撃するようなものです』

 『それは分かっている。だから今朝から掻き集めたよ、五十人。今も継続して声をかけているところだ』

 『間に合いますか? それと標的です。エトウ議員を狙う……間違いないですね?』

 『あぁ、間違いねぇ。ヤツこそが政策を推し進めた元凶だ』


 壁越しかつ機械を通しての音声のため音質は悪いが、聞いているだけでも数十人が話し合っている様子が浮かんでくる。隊員がそれぞれ耳栓と最後の銃器の確認を済ますのを確かめて、隊員の一人がサウンドグレネードを準備させた。

 「(やれ!)」

 手で合図が送られると、扉を蹴破ったのと同時にサウンドグレネードが投げ込まれた。一拍遅れて隊員たちが銃を構えて突入したが、彼らが発砲することはなかった。

 「…………なんだこれは……?」

 そこには先程入室したレンの姿はなく、代わりにノートパソコンだけが置かれていた。


 『それで、突入時間に変更はなしでいいか?』

 『いいでしょう。問題はありません』

 『オレも賛成だ』

 『残る問題は、やっぱり人数だな……』


 「くそ! 嵌められたっ! どうしますか、引き上げますか?」

 「いや、たしかにこの部屋に入室したとの情報だった。観測班がやられた訳でもないことは、お前らも分かっているな」

 突入班と観測班はお互いに見える位置で情報交換をしていたため、嘘の情報を流された訳ではない。

 「それじゃぁ…………アイツはどこに?」

 隊員がその疑問を口にした瞬間、開け放たれていた扉が突然閉められ、部屋に無臭だが濁った色の煙が焚かれ始めた。

 「なっ! 外から鍵を掛けられました!」

 「窓は!?」

 「ダメですっ! はめ殺しになっていて開きません!!」

 「撃てば割れるっ!!」

 その一言で、五人全員がはめ殺しの窓に向けて発砲したが、銃弾が雑居ビルの外の空気に触れることはなかった。

 「嘘だろ……。なんで割れない……。撃てーーー!! 撃ちきってもいい、必ず窓を割るんだ!!!」

 その間に、部屋に煙が充満しつつある。必死の銃器の連射にも、窓は白く濁るだけで割れる気配は見えなかった。銃声と怒号が響いた一室も、一人、また一人と銃声とセットにして沈んでいった。

 「そうだ! 扉の鍵を壊せ! まだ弾倉は残ってるだろう!!」

 そう声を張り上げても、反応するのは自分だけとなってしまった。

 「覚えていろ、セカンド! 次に会うときは……」

 三発目でドアノブを破壊し、滝のような汗の流しながら扉を引き開けた。


 「お疲れ様で~す」


 部屋に充満している煙と同じ色の気体を噴射され、膝から崩れていった。




 「派手にやったな、レン」

 「無理を言って申し訳ありません。ですが、こうも武装される手の打ちようが限られてしまって……」

 「構わん。良くやった」

 金に糸目をつけないことを前提にした強化防弾ガラス、それと毒ガス……。『武装した国家の狗を捕獲します』とタケシに伝えると、資金面で協力してくれたのである。これが功を奏し、目の前の武装集団五人を無力化したのであった。

 「……忘れるところだった」

 「どうしました、タケシさん?」

 「雑誌」

 「…………ご協力ありがとうございました」

 苦笑いで雑誌を渡した瞬間、部屋の中で倒れている隊員を含めて、すべてのインカムから音が聞こえた。小さかったため聞き逃すところだったが、レンが隊員からインカムを取り外し、タケシにも聞こえるようにさらにもうひとつ取り外した。

 「相手方の通信みたいですね」

 「そうみたいだな」

 それぞれのインカムを装着し、武装隊の親玉からであろう通信に耳を傾けた。


 『応答願う、応答願う。定時状況報告、定時状況報告。こちら、目標の三人組のうちジュンヤ・タニハラと女性の二名の確保に成功。二名の確保に成功。そちらの状況報告を願う。繰り返す、状況報告を願う――――』


 「っ! ジュンヤ……」

 思わずタケシを見たレン。すると、タケシはいきなりインカムの通信ボタンを押した。

 「状況報告、状況報告。こちらも目標のレン・シマモトの確保に成功。繰り返す、確保に成功。至急、そちらに帰投するが、被害が甚大のため応援を願う。場所は――――」

 その後、続けて通信を行うタケシに目を見張っていた。通信中、しきりにレンとジュンヤの第二の根城を告げていた。

 「…………バレませんかね? 声が違うじゃないですか」

 「賭けだな。バレたらいきなり危険になるが、上手くいけば釣れる。今の通信の内容だと、ジュンヤは捕まったと考えて間違いない。…………ところで、『女性』ってのは誰だ?」

 「そこんところの詳しい事情を含めてお話します」


 【セカンドによる国会襲撃まで】:二十八時間


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エトウはどこまでも同じ見た目の廊下を歩いていた。『セカンドの一人を捕まえました』との連絡に、足早に執務室を後にした。

 「エトウだ。入るぞ」

 ノックなしに扉を開けると、部屋の中央にはジュンヤが椅子に座った状態で縄によって縛られていた。目立った外傷はないが、部屋の壁に沿うように何人もの特武隊員がジュンヤを見張っている。

 「……初めまして、ジュンヤ・タニハラ君。さっそくだが、聞きたいことが山ほどあるんだが」

 「…………」

 「まぁそう睨まんでくれよ」

 ゆっくりと、靴音を部屋中に響かせるようにジュンヤを中心に歩く。

 「さすがに気づいただろう。私たちは君たちが明日にでもここを襲撃することを掴んでいる。それを迎え撃つ準備もした。だけど、分からないこともある。襲撃開始の正確な時間は? 規模は? 目的は? ……まぁ、最後のは予想できるがね」

 「…………」

 まるで開く気配がないジュンヤの口に、エトウはさらに続けた。

 「君だって知りたいことがあるだろう? そう例えば…………。おい、通信機をよこせ」

 「こちらです」

 見張りの一人がエトウへ通信機を渡した。ワンプッシュでどこかに繋ぐと、スピーカーモードにしてジュンヤの眼前につきつけた。

 『ジュンヤさんっ! 私は大丈夫だから、絶対に喋っちゃダメよ!! 家族の元に戻りたいんでしょう、だから続けてきたんでしょう!? だったら根性見せな……』

 「お前等っ!!!」

 まるで肉食獣の目でエトウを射抜いたジュンヤは、涼しげな顔のエトウに吠えた。

 「やっと口を開いたか。今ので分かっただろう。お連れの彼女は無事だよ。次に情報を話すのは君の番だ、話さなければどうなるか…………分からないとは言わないな?」

 「……お前等、オレを捕まえるにもタイミングってものがあるだろう? 残念だが、オレは何も知らないぞ。正確には今日の夜……あぁ、今くらいの時間に襲撃時の予定を聞くはずだった」

 「ほう? もう一つ教えてやる。誰もお前に暴力を振るうとは言ってないからな」

 「だから何だ? 通信機越しの女に未練があるとでも?」

 エトウの眉間がピクリと動いた。

 「知っていることを話すだけで、自分もあの子も助かるんだぞ? なぜ分からない」

 「…………ハッタリ、だろ?」

 エトウの顔に怒りが浮き出た。ジュンヤはエトウが扉に向かって歩き始めるまで目を逸らさなかった。

 「おい、ジュンヤ・タニハラと組んでいる男が一人いたな。そいつを狙え。襲撃開始までに一人でも多くを潰すんだ……、分かったな?」

 「了解しました、エトウ議員。…………レン・シマモトを狙っている部隊はどうした?」

 「はい、少々手こずったようですが、無事に捕まえたとの連絡がありました。また、負傷者が多いようなので、応援要請がありました。場所は――――」

 「……!!」

 第二の根城の場所を指定した応援要請にジュンヤは驚いた。

 「(まさか、アジトで撃たれたのか……。いや、そんなはずはない。レンはタケシさんのアジトに行く手筈だ、狙われるなら人気の少ない場所とか、最悪タケシさんのアジトのはず…………。これは…………)」

 「そうか、負傷の度合いは?」

 「皆、重症です。……どうしますか? かなりの応援が必要だと思いますが、ここが手薄に……」

 「構わない。数人いれば十分だ」

 「(……釣れた! なんだよレン、タケシさん。見捨てるモンだとばかり思ったぜ……)」

 「連絡された場所へ急行しろ。お前とお前は残れ」

 「「了解しました」」

 結果、何十人もいた見張りが二人となった。後はどのようにこの部屋を抜け出すか。ジュンヤは考え始めた。


 【セカンドによる国会襲撃まで】:二十四時間


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 武装隊を五人排除したその日の夜、レンはタケシのアジトに邪魔していた。ジュンヤ救出のために嘘だとしても自分たちのアジトの場所を教えてしまったため、両手放しで帰ることができなかった。他にも、各アジトから協力者が来たことでやっと襲撃に関する話を詰めることができるようになった。もとはと言えば、レンがタケシに無理を言った形での武装隊排除であった。無理にこちらから相手を刺激するのは逆効果ではないかとの意見も当初は出ていたが、排除が成功したことをタケシが告げると、拍手喝采となった。

 「とは言っても、俺ぁ金の面倒を見ただけだ。頭から尻尾まで、全部を考えのはこの……レンってやつだよ」

 「みなさん、初めまして。レン・シマモトといいます。この度は、タケシさんのお陰で武装隊を迎え撃つことができました。次はこちらが打って出る番です。憎き一人っ子政策を廃止に追い込み、それぞれが望む未来を掴む時が来ました。…………と、偉そうに喋ってはみたものの、実は問題が発生しました」

 周囲から小さな困惑が聞こえてくる。レンは騒がしくなる前に言葉を続けた。

 「実は、私がいつも一緒に行動していたジュンヤという男が居ます。コイツが、相手方に捕まりました。私は本日のためにこちらに向かう途中だっため、別行動をしていたタイミングです。長年、セカンドとして共に行動してきましたが、アイツは多くを語りません。未だに“家族”に戻りたいと聞いたことすらありません。ですが、目的もなくセカンドになる人間がいるでしょうか? 私はそうは思いません」

 今度は小さな賛同。

 「撤廃に追い込みたい理由は決して多くは無くても、個人で違うはずです。なぜ捨てたのか? 私が憎かったのか? 産みたくなかったのか……。私は両親に会って捨てられた理由を聞くために、セカンドへと入りました。……お願いがあります。少しで構いません。ジュンヤにも、チャンスを与えるために、今回の襲撃と同時にジュンヤの救出にも力を貸していただけませんか?」

 誰も口を開かない。当たり前だ。ただでさえ成功するか怪しい襲撃作戦に、救出作戦まで加えたらどうなるか。心意気までは賛成しても、行動まで賛成する同志が何人いるか……。

 「いいじゃねぇかお前等。どうせドンパチするんだ、一人分の救出なんてお荷物にもならねぇよ。なぁ?」

 タケシが後ろから援護してくれているのは分かる。だが皆、我が身が大事である。捕えられては夢が破れる。

 「…………オレ、手伝うよ。たしかに、アンタ……レンさんと会うのは初めてだが、味方は一人でも多い方がいい。ジュンヤさんを助けて襲撃作戦が成功する……とは言わないけどな?」

 レンは表情に出さずに安堵した。

 「レン、良かったな。心が冷たいヤツばかりじゃなくてよ?」

 「はい、本当に……」

 「具体的な案はあるのか? 襲撃作戦と同時は困るぜ?」

 「案は考えています。しかし、この案ですと、救出作戦の終了と同時に襲撃を開始することになりますが……」

 一人が破った沈黙は、確実に伝播する。いつしか、レンの周りには必死に耳を傾ける人の壁ができていた。


 【セカンドによる国会襲撃まで】:二十二時間

 【現在時刻】午前二時


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 「なぁ、ちょっとトイレ行ってくる」

 「早めに戻れよ。サボるなよな?」

 「分かってるよ」

 ジュンヤが捕えられている部屋には、相変わらず二人の見張りがいる。サングラスにスーツと、なんとも固い格好で見張りを続けていれば、見張る方も疲れるのだろう。ジュンヤの耳には慌ただしげに扉を閉める音が聞こえた。

 「…………ジュンヤ・タニハラ? おい、起きてるか?」

 「…………」

 先ほどから無駄な体力を使わないように、ジュンヤは縛られたまま寝ている……振りをしていた。目を閉じてスズネの安否を気遣いながら、耳だけは情報を逃さないように必死に働かせていた。

 「(頼むぞレン、タケシさん。スズネだけでも助けてくれ……)」

 聞かれてないと踏んだ見張りの一人は、呑気に口笛を響かせている。部屋から外側の音は一切聞こえてこないため、ジュンヤはかなりの長い時間、この口笛に世話になっていた。

 「遅いなぁ……」

 時々混ざる悪態も聞き逃し、ただただジュンヤは耐えていた。すると、落ち着いた様子で開かれた扉の音が口笛に合の手を入れた。

 「お、やっと戻ってきたか…………」

 「ん……」

 「(……なんか、様子が変だな)」

 「じゃぁ、見張り続けるぞ。……おっと」

 部屋に通信機からの呼び出し音が響いた。口笛を吹いていた見張りが対応する。

 「はい、こちら監視班。……は! お疲れ様です。こちらに異常はありません。ジュンヤ・タニハラも現在は寝ています。………………え!? 武装隊が居ない? 連絡された場所は確かにそこでした。居ないなんてことは…………。はい、伝えます。それではお気をつけて……。おい、聞いたか? 武装隊がいなくな、ぐぇ!?」

 「(おいおい、今度はなんだ?)」

 通信機でのやり取りを終えた見張りの身に何かあったことは察知できた。しかし、それでも一言も発しないもう一人の見張りが気になった。

 「ジュンヤ・タニハラ。起きてるかい?」

 「…………起きてるぜ」

 「生きてて良かった。取りあえず縄を解くから。動かないでくれよ?」

 ナイフで縄を切ると、ジュンヤは長い拘束から解放された。

 「助かった。アンタ、誰だ?」

 「君の相方、レンから知らせてもらってね。タケシさんのサポートでここまで来たんだ」

 「一時は見捨てられるの覚悟してたんだがな。本当、ありがとう」

 「礼なら最後だ。レンとタケシさんが釣った奴らが戻ってくる」

 「なぁ、もう一人の救出は?」

 「もう一人だって?」

 お互いが固まった。

 「いや、ジュンヤを助けたらレンに連絡して襲撃を開始するってことになったんだけど……」

 「スズネってやつが捕まってて、ソイツも助けなきゃなぁ~って……」

 「いや、聞いてないぞそんな話! どこに捕まってるんだ、助けるぞ! 連絡は後だ」

 「オレだって知らねぇんだ。一度通信越しに声を聴いただけで……」

 会話が途切れる。情報もなしに敵地で動き回ることが愚行であることを知っている二人は、下手に部屋を飛び出すことはしなかった。しかし、動かなければ時間だけが過ぎていき、レンやタケシが作ったチャンスを潰すことになる。

 「…………そうだ、通信機は?」

 ジュンヤが部屋を見渡すと、床に伸びている隊員の隣に先程の通信機が転がっていた。

 「これだ! なぁ……一芝居打てるか? レンとタケシさんを見習って、ここは賭けてみようぜ……!」

 「芝居? 何するんだ?」

 ジュンヤはトランシーバーに備えられたチャンネルに摘みを合わせ始めた。

 「おい、まさか……」

 『こちら正門前。定時報告か?』

 真っ青な顔でジュンヤは見つめられたが、口角を上げて合図をした。ジュンヤの声は聞かれてしまっていることを考えると、ジュンヤ以外がトランシーバーを使うべきなのである。

 「……定時報告。拘束対象に変化は見られず。変化は見られず。引き続き、監視を続行」

 『監視の続行、了解。こちらも、問題なし。怪しい人物などは見られず』

 「了解、通信終了……」

 部屋に変な緊張が走った。ジュンヤは笑いを必死に堪えているが、通信していた本人は冷や汗が流れていた。

 「レンに連絡するまで突入はしないんだろう? わざわざ正門の様子なんて聞かなくても。さ~て、次はっと……」

 すぐ隣りにチャンネルへと変更した瞬間、タケシに負けず劣らずの重低音が聞こえた。

 『…………どうした?』

 「「…………」」

 思わず黙ってしまった二人だが、これでは怪しまれるだけである。

 『…………用件はなんだ?』

 「あ、……定時、報告……です。拘束対象に変化は見られません」

 『そうか……、こちらも騒がなくなった。引き続き監視の続行を』

 「りょ、了解です。……ところで、正門前に怪しい人物がうろついているとの情報を得ましたが……」

 『……なに? 怪しい人物? ………見えないぞ、そんなヤツ』

 「そうですか……。一度確認を取ってみます。通信終了」

 再び部屋に沈黙が走る。ジュンヤは不思議そうな目で助っ人を見つめた。

 「ジュンヤ、スズネ……さん、だっけ? だいたいの位置がつかめたぞ。オレたちが居る棟ではないことは確かだ」

 自信に満ちた声でジュンヤに告げると、先ほどノックアウトした隊員の衣服を剥ぎはじめた。

 「本当か! でも、どうやって分かったんだ?」

 「ここから正門は見えるかい?」

 「…………あぁ、なるほど」

 「これを着て行け。どうせ武器の類は持ってないんだろう?」

 「拳銃一丁のみ……。贅沢は言えないか」

 ジュンヤが慣れない服を着ている中、助っ人は隊員にジュンヤの服を着せ、椅子に縛りつけた。いつかは議員の部屋になるはずだったのか、監視カメラは一台も見当たらなかった。

 「準備はいい?」

 「いつでもOKだ!」

 二人は慎重に廊下の様子を伺いながら、部屋出た。目指すは正門が見える別棟である。


 【セカンドによる国会襲撃まで】:スズネ救出直後(作戦変更後)


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 暗くて狭い部屋に何人もの緊張が張り詰める。レンは先ほどからジュンヤ救出の連絡を心から待っていた。自らの携帯電話を見つめるあまり、目が血走り、数時間前の仮眠の効果も薄れてきた。

 「(ジュンヤのことだ……スズネさんだけは上手く逃がしただろう……)」

 スズネも一緒に捕まっている、そんな最悪なケースも考えなかったわけではない。そうだとしても、まずはジュンヤの救出を優先し、人手が増えてからスズネの救出を……。

 「心配か?」

 タケシの落ち着いた声が殺気立つレンの耳には心地よかった。

 「えぇ……。アイツとはずっと一緒でしたし……」

 「大丈夫だ、ジュンヤは強い。それに、向こうだって今回の襲撃について情報が欲しいはずだ。感情で動くような頭でもないだろう」

 「そうだといいんですが……」

 突然、携帯電話のバイブレーション機能が机を揺らした。レンの手は脊髄反射のような速度で机に伸びた。

 「はい、こちらレンです……!」

 『よう……元気か、レン? オレは無事だぞ。タケシさんの仲間に助けてもらった』

 「ジュンヤ!!」

 『あぁ、オレも嬉しいぜ……。それで、襲撃の準備は済んでるのか?』

 「いつでも突入できる。ところで、スズネさんは? ちゃんと上手く逃がしたんだろう?」

 『それがぁ…………』

 「…………何分必要?」

 『二十分で片付ける』

 「分かった。必ず連れて帰ってくるんだ」

 『もちろんだ……。じゃぁ、切るぜ。二十分後にもう一度連絡を入れるから』

 「うん……」

 ブツンという音でこれまでの眠気が吹き飛んだ。

 「タケシさん、ジュンヤからでした。アイツは無事です!」

 部屋が沸いた。本当だったら襲撃が成功した時まで残しておくはずだった元気の一部をここで消費する。

 「言っただろう? ジュンヤは強いってな」

 「えぇ……ただ、襲撃はあと二十分は待ってください。“もう一人”だけ、助けないといけない人が居ます」

 今度は非難の声がレンに向けられた。当たり前だろう、これまで情報として伝えていなかったスズネの存在と襲撃とを天秤にかけたら、どちらが重要なのかは明らかなのだから。

 「皆さん待ってください。もう一人……彼女もボク達と同じ境遇なんです。ちょっとした縁で最近は一緒に行動していました。昨日も、ジュンヤと一緒に行動していましたが……」

 「……二十分、待とう。ただし、二十分経ったら問答無用で襲撃を開始する。いいな?」

 「…………はい、そのように手配してください」

 レンは強く携帯電話を握りしめた。


 【セカンドによる国会襲撃まで】:二十分


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 ジュンヤはとある部屋の扉の横に静かに潜んでいる。助っ人も同じ廊下の扉を挟んで反対側に潜んでいる。扉をノックすると、中から通信機から聞こえた先ほどの重低音が伝わってきた。

 「……誰だ?」

 「エトウ議員より頼まれた物を持ってきました。扉を開けていただけますか?」

 「物は何だ?」

 助っ人とジュンヤは目を合わせる。

 「食事です。長時間の監視では疲れるだろうとのお言葉も頂いています」

 「……メシか。待ってろ、開けるから」

 「「(上手くいった!)」」

 拳銃です、と伝えることは簡単だったが、ジュンヤを監視していた下っ端でも拳銃を所持していたことを考えれば、別の自然な物をちらつかせた方が無難である。

 「……暇な上に腹減ってたから助かる…………だ、誰だお前!!」

 不意を突かれた上に銃を構えていない場合と、あらかじめ構えて銃口に集中している場合と、どちらの銃が先に火を噴くか。

 「悪いが、眠ってくれ」

 視界の外から呟かれたジュンヤの声に振り向くこともできずに、大柄の男の眉間は撃ち抜かれた。この銃声によって、部屋の中から数人の怒号と一人の女性の悲鳴が聞こえた。その場に崩れかけている大男の腰から拳銃を強引に引き抜いた助っ人はジュンヤと共に部屋に押し入った。突然、二人組の男が銃口を向けてきたことへの驚きと、同じ服を着ているジュンヤを一瞬だけ見間違えた隙が、スズネ救出の最大のチャンスである。大男以外の監視は二人、ジュンヤと助っ人はこの隙を見逃さずに冷静に銃口を合わせ、発砲した。部屋に敷き詰められた絨毯には赤い斑点が作られ、不快な火薬の香りが充満した。

 「………………殺さないで……」

 一発目の銃声が聞こえた時点で目を固く閉じて下を向いてたのだろう。スズネは押し入った二人をジュンヤと助っ人だと認識していなかった。

 「スズネ、オレだ。ここから逃げるぞ!」

 「ジュンヤさん?」

 涙目でジュンヤを見つめたスズネは、あまりの恐怖に震えながら両手を伸ばしてきた。

 「取りあえず再会の挨拶は後にしてくれ。撃ったからにはコイツらの仲間がここに来るかもしれない」

 「そうだな。……おい、レン! こっちは終わったぞ!」

 『十秒前くらいから始めてるよ。外を見れば分かるんじゃない?』

 部屋の前に潜んだ時点から携帯電話を通話状態にしていたが、レンとタケシの襲撃開始タイミングは完璧だった。窓から正門を覗くと、月明かりに照らされて鈍い光沢を放つ銃器を担いだセカンド達が、門という門から突入を開始していた。

 『ジュンヤ、今は抜け出すことだけ考えるんだ』

 「分かってるよ……」

 ここが地上付近ならば、以前のようにスズネを抱えて飛ぶこともできる。しかし、地上四階でそれは自殺行為である。

 『俺も踏み込んでる。ジュンヤはどこにいるの?』

 「正門から真正面の棟の四階。スズネに怪我はないが、飛び降りる高さじゃないな」

 『分かった。こっちは今、同じ棟の三階。すぐに行くよ。切らずに待ってて』

 それから数分間、電話越しに大小さまざまな音量の銃声が聞こえた。

 「レンがすぐにここに来る。スズネ、もう少しだけ耐えてくれ」

 「…………」

 「そうだ、ジュンヤ」

 助っ人が大男からナイフをはぎ取っていた。エトウにスズネを襲う意思は見られなかったが、下手に刺激していたら本当にスズネの命を危険に晒した可能性があった。

 「これを渡しておいてやれ。安全な場所に逃げ切るまで、どこでどうなるか分からないから」

 助っ人はジュンヤに皮のケースに収まったナイフを渡した。刃渡りは短く、重量も軽い。これならば“護身用”には十分な物であった。

 「スズネ、これを持て。レンを待ってこれから逃げるが、いつ、何があるか分からない。少しでも危険を感じたら使え、これは護身用だ」

 ジュンヤは押し付けるように渡そうとするが、スズネは頑なに受け取らない。

 「いいから持ってろ! 次は死ぬかもしれないんだぞ!!」

 無理矢理スズネの拳を開いてナイフを手渡した。

 「……変な気を起こすなよ?」

 念を押した直後、レンが部屋へと入ってきた。

 「ジュンヤ、スズネさん!! 無事でよかった。二人とも動ける? ここまでの順路を逆走して外まで出るよ!!」

 間髪いれずにレンは廊下に飛び出した。助っ人が次に出ていき、扉を挟んで左右それぞれの警戒を行いながらジュンヤとスズネを待った。

 「来い、もう少しだから……」

 「……うん」

 手を引かれるまま、スズネは暗い顔で付いていった。




 レンの選択はミスではなかった。ジュンヤ達まで到達した経路を逆走すれば、レンが徒党を組んで薙ぎ払った国家の狗が転がっているのだから。スズネが捕まっていた部屋から逃げ出してから問題なく二階までは来ることができた。その間も、スズネは倒れた人間を極力視界に入れないために目を閉じる場面が多かった。

 「スズネ!」

 「……そんな大きな声で呼ばなくても聞こえてるわよ」

 「スズネさん、もうすぐ建物の外に出るよ。悪いけど、あと少しだけ走ってね」

 二階から一階までの階段を四人で駆け降り、長い廊下の先に見える無残にも破壊された大きな扉を過ぎれば、正門が目前だ。全員、意思と同期がとれないほどに懸命に走るが、四人の目の前に男が拳銃も持たずに立ちふさがった。

 「…………恐れ入るよ。まさか逃亡を許した上に襲撃まで本当に仕掛けてくるとはね」

 「「エトウ……!!」」

 レンとジュンヤは怒りを面に出して、獲物を構えた。その動きにスズネは怯え、ジュンヤの背中に隠れるように一歩下がった。

 「落ち着け二人とも。殺しが目的じゃないだろう?」

 一瞬だけ目を合わせて、レンだけが構えることにした。ジュンヤは早口にならないように気を付けてエトウを見据えた。

 「オレたちの目的は……知ってるよな?」

 「もちろん知っている。だが、撤廃するわけにはいかない」

 銃口が少し動いた。

 「だいたい、君たちは捨てられたんだ。何を今更、こんな危険を冒してまで一人っ子政策を撤廃に追い込む必要がある? 生きるだけなら、野良犬のように這ってでも生きるチャンスはいくらでもあるだろう」

 「黙れ…! それはお前が勝手に考えているだけだ、家族に戻りたい人だっているんだよ…!!」

 「捨てたゴミに足が生えて戻ってきた時の両親の顔を想像してから物を言えよ、浮浪者」

 突然、ジュンヤの横からレンが撃った。弾丸はエトウの真横を抜けて着弾したのか確認できないほど長い廊下に飲み込まれた。

 「……憎いなら、ここで撃ち殺せたはずだが?」

 「今からすぐに、一人っ子政策を撤廃する資料をまとめてください。手があれば書類は書けますよね? 次は足を狙います」

 「はっ! 笑わせるなよ、撤廃はしない! 絶対にだ!! ……この政策によってわが国の経済は進展し、食糧難からも抜け出すことができた……。だから、君たちにはこれからも犠牲者を演じてもらう必要があるなぁ……」

 銃声のあと、エトウの左足付近の床に銃弾がめり込んだ。レンの表情は変わっていない。

 「私が殺せないか? ……だが、カオリ。君だけは戻ってきてほしい。これまで辛い思いをさせたね……」

 エトウの表情が緩み、スズネに歩み寄るように、ゆっくりと近づいてきた。

 「カオリ……って、私?」

 「そうだよ、カオリ。こんな状況じゃ落ち着いて話せないが、私が君の父だ……」

 一歩寄れば、スズネを庇うようにして一歩下がった。

 「カオリ……、今まで悪かったよ。さぁ、こっちに来るんだ。もう施設やコイツらのアジトなんかに居座る理由なんてない、一緒に暮らそう」

 「……あなたが家族である証拠なんて、ないじゃない」

 「そうだね。でも、DNA鑑定を行えばハッキリする。さぁ、家に戻ろう」

 状況とセリフが不釣り合いではあるが、エトウは懸命にスズネへと声をかけている。

 「スズネさん、俺はスズネさんじゃないから強制はできない。だけど、コイツが一人っ子政策を押し通した張本人なのは真実だ」

 「そうだ、スズネ。オレたちがこんなになったのも、お前の命が危険に晒されたことも、全て元凶はコイツだ。本当のわが子なら、そんな目には合わせないだろ」

 「野良犬は黙ってろ……! カオリ、私を信じてくれ……」

 「本当に、私のお父さんなの……?」

 「そうだよ……。これまで寂しい思いをさせただろう、何でも好きなものを買ってあげよう。服がいいかい? アクセサリーかい? 好きな物を言ってくれ」

 「お父さん……」

 まるで小さな女の子をあやす様な言葉に、慣れていないセリフであることが分かりきってしまう。子どもにプレゼントを買い与えることが初めてのようだ。ずっと触れていたジュンヤの背中から、スズネの手が離れた。エトウと向き合うようにして歩みを進め始めたスズネに、ジュンヤが手を手首を掴んで止めた。

 「行くな! アイツはな……」

 「やめろジュンヤ。さっきも言ったけど、強制はできない……」

 悔しそうに力を緩めると、スズネはさらにエトウに近づいた。もう、エトウへの発砲はスズネまで危険に晒してしまう距離である。

 「ありがとう、信じてくれて。……帰ろう」

 そう言って、向けられている銃口も忘れてスズネを抱きしめたエトウから、苦悶の声が聞こえた。

 「ぐぅ……! カ…………オリ?」

 「…………ごめんなさい、“エトウさん”。やっぱり、許せないから……」

 目が見開かれ、抱きしめていた腕を徐々に開放するエトウ。スズネは数歩だけ後ろに下がると、足の力が抜けてのかその場に崩れた。これまでスズネが影になって見えなかったが、エトウの左胸には先ほど強引に渡したナイフが突き立てられていた。スーツはだんだんと赤黒く染められていき、荒い息だけが聞こえてくる。目の焦点が合わなくなった頃、エトウの膝が折れた。

 「スズネ!」

 ジュンヤ達がスズネに近寄った時には、スズネに意識はなかった。

 「……大丈夫だ、ショックが大きかっただけだろう。死んでる訳じゃない。レン、ジュンヤ。スズネさんを担いで外まで逃げるぞ、まだここは危険だ」

 「あ、あぁ……」

 助っ人、スズネを担いだジュンヤ、レンの順番で正門を目指した。これまでのやりとりで随分襲撃が進んだのか、銃撃の音も少なくなってきた。

 正門の警備をしていたファースト数名も、血を流して倒れている。難なく正門を通過した時には、タケシの乗るバンが目の前で止まった。

 「乗れ!」

 セカンドによる襲撃は成功を収めた。ヒノン国の国会に重大な損害を出させた他、一人っ子政策の元凶を討つことにできた。

 「……レン、成果は?」

 タケシの問いに明るく返答する予定であったが、どう取り繕っても暗い声しか出せなかった。

 「襲撃は……成功だと、思います。ただ……」

 「なんだ?」

 「エトウに撤廃の約束をさせることができませんでした……」

 「まさか、殺してないだろうな?」

 車内が静まり返る。タケシはさらに聞いてきた。

 「その嬢ちゃんか?」

 「はい。俺たちが止める隙もなく……」

 「分かった……」

 その言葉を最後に、車内で起きている人間はタケシだけとなった。


><><><


 襲撃から二年が経った。各種のメディアはいまだに熱を持って襲撃事件の内容を伝えていた。それもそのはず。襲撃による被害は議員にまで及び、数十名の死傷者が出た。この事件の理由が一人っ子政策であることを世間に知られたために、国家はこの政策の撤廃を決断した。

 これを受けて、セカンドの目的は果たされたことになる。各々、家庭に戻る者、このまま浮浪者を続ける者、様々な結果を産んだが、家庭に戻ろうと考えていたセカンドがほとんどを占めていた。

 「……で? そっちはどうよ?」

 「まぁ、泣かれたよ。滝のようにね。驚いたことに、俺たちを狙っていた組織のトップが、俺の兄貴だった……」

 「マジで?」

 「あぁ、驚いたよ。聞いたところ、『国のためにセカンドを滅ぼせ』って命令されてたみたいだけど、まさか俺が生きてセカンドやってるとは思わなかったみたいでさ……。でも、冷たくされることを覚悟してたけど、そんな覚悟いらなかったな。今なら全てが許せる気がする」

 「こっちも特に問題はない。ただ、親父が別人だった……」

 「変な表現だな。そりゃぁ、十年以上も顔を合わせなければ別人みたいだ、って思うのも分かるけどさ」

 「違う、別人だったんだ。母さんに聞いたら再婚したんだと。オレを捨ててから数年後に急に暴力を振るうようになったとか……」

 「それは…………まぁ、元気だしなよ……」

 「ちょいと複雑な気持ちはあるが、家族に戻れたことは素直に嬉しい」

 レンやジュンヤのように幸せに家庭に戻れたセカンドは幸運だ。中には、両親が我が子を捨てたショックから心中自殺をする家庭、戸籍を抹消して補助金で遊び呆ける家庭、そして、戻ってきた我が子に殺意を向ける家庭……。こうして浮浪者に戻ってしまうセカンドも少数だが存在する。

 「この後の予定は?」

 「え? 特にないよ」

 「どっか行こうぜ、しんみりと話しても悪いこと思い出すだけだろう? せっかく二年ぶりに会ったんだ、ぱーっとしようぜ」

 「……そうだね、どっか行こうか」

 地上から遥か上に存在するニュースを映す大型テレビを背に、レンとジュンヤは人混みに進んだ。二年前の襲撃事件での罪は全て、世論の強力な支持によりセカンドではなく国家に向けられた。今では大手を振って外を歩くことができる。この幸福を、彼らは一生忘れないだろう。




 『……では次は特別保護幼児施設の特集です。ご存じの通り、国会襲撃事件を境にして一人っ子政策が撤廃されたわけですけど、まだまだ捨てられている子ども、特に五歳以下の子がご両親の愛を受け取れない状況が続いています。今回の特集は、そのような子どもを保護して育てる施設、特別保護幼児施設の紹介をしたいと思います。今日はその施設の一つである“飛輪”から施設長であるエトウ・スズネさんをお呼びしています。今日はよろしくお願いします』

 『はい、お願いします』

 『エトウさん、政策が撤廃されてはいますが、捨て子が減らない……。この状況をどのようにお考えでしょうか?』

 『やはり、政策が世間へと残した爪痕は大きい……そういうことだと感じます。しかし、政策が撤廃された今、全力で社会への復帰を目指す努力を私たちがするべきだと考えます。私がこの仕事に就いたのも、このような考えからです』

 『なるほど……。ところで、失礼ですがエトウさんも以前は…………』

 『気にしないでください。確かに、私も数年前まで両親の顔を知りませんでした。今でも、本当の父や母の顔、声……全て記憶にありません。変に思われるかもしれませんが、この名前も産まれた当初のものではないかもしれません。しかし、私は生きています。たくさんの方に守られてここまで来ました。実はこの“飛輪”は私の故郷でもあるんです。ここで私は親を知らない子どもして生きていました。一時は危ない時期もありましたが、今では故郷の施設長として私と同じ道を辿る子どもを作らないために奮闘しています』

 人混みの中、ジュンヤがくしゃみをした。数回続いたが、特に体調に問題は見られない。

 「どっかで噂されてるんじゃないの?」

 「モテる男はつらいねぇ……」

 「ジュンヤ、モテるのか?」

 「…………ヒドイ」

 大型テレビのスピーカーは続ける。

 『我が子を見捨てるようなことだけは、絶対にしないでください。そして、あなたのお子様は必ず施設にいらっしゃいます。私ではなく、ご両親自身がいらして抱きしめてあげてください』

読破、お疲れ様でした。

スマートフォンの方には優しくない文字数となってしまいましたが、ここを読まれている方には拍手を送りたいと思います。


なんか、某ドラマと内容が被った可能性がありますが、書き始めたのはこちらが最初ということで、ここはひとつ。

活動報告に私的な感想を掲載しました。


お付き合いありがとうございました。

それでは。

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