動く人と、動かされる人
何事も完璧なスーパー営業マンの清酒さんに、そんな面があるなんて意外だった。年上女性と大人の恋愛。相手の女性は清酒さんに甘えてほしい。しかし清酒さんは不器用だからそう言う接し方が出来ない。そうしてすれ違っていく二人。想像するとドキドキしてきて、なんか萌えた。それはそれで格好良いし、羨ましい素敵な恋愛にも思えた。第三者からしてみたらという事なのだろうが……。
同時に俺は清酒さんに、より親近感を覚える。清酒さんが女性に甘い言葉を言ったり、デレデレしたりなんて明らかにやらないだろう。仕事は出来るけれど恋愛ではとてつもなく不器用。失礼な言い方だけど、そこが人間臭く可愛く思えてしまった。
「アンタはその点大丈夫ね、女性の母性本能を刺激して満足させる事は得意そうだから」
俺は鬼熊さんの言葉に、逆に『ん~』と唸ってしまう。俺がなりたい男性像と、かなりかけ離れた恋愛の形を示されたからだ。
「あのね! 相手を大事にするのは勿論の事よ!
アンタは相手の為に全力で動いて頑張る子なのは分かっている。そこは認めているのよ! それプラス相手の場所を貴方の中にも作ってやれるという包容力も恋愛には必要なの」
その言葉の言っている事は分かった。そして俺の事を褒めてくれているのも理解している。素直に喜ぶこともできず、照れくさくなり俺は下を向いた。
この日を境に清酒さんへの見方が少し変わった。おかしいけれど完璧な恰好良さをもつ男性という清酒さん。それだけでなく実は恋愛は下手ならしい所がある清酒さんの方が魅力的に感じる。俺はますます好きになってしまった。
とはいえ、俺の目から見えている清酒さんはそんな弱点なんて一切感じさせない仕事ぶり。社外のみならず社内でも精力的に動いて活躍し続けている。
猪口の事も、部長と相談し直接関わりのあった総務や経理や資材部等と協力し動いていた。問題ありすぎる行動をキッチリ報告書に細かく纏め人事部に苦情を出す。それだけでなく、どうやら直接叔父である専務にも苦言を呈したらしい。
専務は叔父馬鹿だった訳ではなかった。偶にしか会わない姪である猪口の本質が分かっていなかったようだ。社交的で明るく大学でも協調性をもって楽しく過ごしている女の子と信じて推薦し入社をさせただけ。
人事部も面接の時にハッキリ意見を発してくる猪口を、活発な子と勘違いした。それ故に実態を知り、専務は慌てて営業部を訪れて頭を下げる。
猪口は、営業部の皆に頭を下げている叔父には流石に驚いたようだ。
「でも、叔父さん、私一生懸命やってましたよ! 新人なんだから失敗しても当たり前じゃないです! なんで私だけ責められるの?」
という言葉を返して、営業部全体を唖然とさせた。その言葉で専務も姪の酷さを実感したのだろう。営業部長も溜め息をつく。
「社会人にとって新人らしさか許されるのは、四月までだ。特にお客様相手にしている営業にとってはね。
大抵の人は失敗しても次からは気をつけて同じ失敗はしないようにする。だから繰り返しても許されるのは二度までだ。
君のようにひたすら繰り返すという人物は初めてだよ」
部長の言葉に猪口は剥れたように唇を尖らせる。これが他愛ないやり取りでこうした表情を見せてあるのなら可愛いとも思う。しかし会社において、ずば抜けて無能と、ここまで言われてのこの反応はありえない。皆に幼稚さを示し、言われた事を肯定しているようなものである。
猪口の所為で今後はコネで入社する事が難しくなっただろう。人事部も侘びを入れて猪口の移動を決定した。
かくして六月、猪口は営業部から庶務へと移動になった。なぜ二ヶ月ほどしかいなかったのに、こんなに荷物があるのだろうか? 猪口の私物が入れられている段ボールを覗くとお菓子の箱とか、美容用品? だと思われる器械。可愛いけれど実用性は乏しそうな文房具とかいった仕事に関係なもので占められている。
「覗かないで下さいよ!」
職場の引っ越しの作業をしていた猪口は、俺をキッと睨み付けてくる。彼女は今回の異動をまったく納得がいってないようで、最近はズッとご機嫌がよろしくない。しかし二ヶ月で彼女がしでかしてきた迷惑の数々は、営業部だけでなく関係部署全体が知る事となっていた。
誰も同情の言葉すらない。関わるだけ面倒な彼女を構う人もいない。彼女を慰める人も、応援する人も、庇う人もおらず、その状況がますます彼女を苛立たせている。
変わらないのはヒラヒラとした恰好で、チョウチョのようにフワフワした姿。それがオフィスという空間でどうしようもなく浮いている。
「じゃあ、もう行きますね」
猪口は、荷物をまとめるのを終えたタイミングで立ち上がり近づいてきた清酒さんを見上げる。その目は恨みがましそうだ。それだけ言って、段ボールを持ち上げようとする。
異動になったのは清酒さんの所為だと思っているようだ。間違いではないが、誰かの所為といったら猪口本人の所為なのを分かってない。
何故か俺のほうまで、何か言いたげにジッと見ている。
「暇ならば、コレを運んで! 重いの。
気が利かないんだから!」
俺に向かってそんな事言い放つ猪口に、清酒さんが眉を寄せ何か言おうとする。それを横にいた鬼熊さんに制される。
「猪口さん、今日までこの部署のお疲れさまでした。
貴女をちゃんと教育してあげられなかったのは私の責任。
新しい部署で貴女が頑張って成長する事を願っているわ」
鬼熊さんは本当の意味で大人だと思う。俺は異動が決まった段階で、もう完全に自分から切り離して、居ないものと考えていた。しかし鬼熊さんは、猪口を最後の最後まで向き合って対応している。しかし猪口にはその優しさも想いも通じていない。プイっと顔を横にふる。清酒さんが、大きく息を吐く。
「もう散々やらかした事はどうでも良い。
せめてこれからは社会人としての最低限基本的礼儀だけでも言えるようにしろ。
お前から『ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした』なんて言葉は期待もしてない。しかし『御世話になりました』という人間として全うな言葉までも言えないとはな。
せめて新しい職場では『御世話になります。これからも宜しくお願いします』と挨拶してから入れよ」
清酒さんは、怒鳴る事はしていないが、こういう時の口調は結構キツくて怖いし容赦ない。猪口はその全身から感じる気迫に身体を強張らす。
「ぉ……ました」
小さい声で挨拶らしき事をして、頭を下げる。清酒さんは少し表情を和らげた。
「これからは、がんばれよ」
そう言葉を返しさっさと離れ、席に戻り仕事を再開させてしまう。鬼熊さんはそれを困ったように見てから、猪口に近付き肩を優しく叩く。
「少し寂しくなるけれど、頑張ってね」
柔らかい口調で猪口をそう言い送り出した。