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アイダホ一話目(旧)

アイダホ 1-1


 現実主義。これに「超」を付けると、超現実主義、シュールだ。じゃあ点を入れれば、超・現実主義。めっちゃ現実を見ている事になる。と、ふと気がつけば、ついついどうでもいい事を考えている。あ、超かめはめ波は、かめはめを超えている波ってことか。かめはめを超えたらなんだ、というよりかめはめってなんだ。あーまたどうでもいい。

 この状況、何もかもを疑いたくなるような状況、自分もまた然り。順調に混乱している。整理するにしても、どうだ。どこからがいい、もう一回ほど現実逃避に、今度は宇宙についてでも……。

 て、先に進まないよな。どうだ、そもそも記憶は? 自分の名前、井端達吾郎。文字、間違いなし。性別、男。自分の手で確認、付いてるし豪華黄金セットもキチンと二つある。オーケー。

 では職。工場勤務で流れてくる基盤にネジをハメている。いわゆるライン作業。そして現在その工場の作業服を着ている。着せられている事もないであろう、間違いない。俺は、平凡な日本の社会人かつ常識ある愉快な男だ。男臭い工場勤めでなければ、カノジョーもいただろうに。オッサンばっかだ。一人暮らし、この前の自分の誕生日に一人でコンビニのショートケーキ買い、そいつに停電した時の為のロウソク一本取り出してブッ刺して、真っ暗の中はっぴばーすでーなんて言って、一人で悲しくて泣いて……ちくしょう! 

 いや、トラウマが蘇っているがそれどころじゃない。あ、涙出てる……。切り替えよう、さあ切り替えよう。落ち着け。


 さて、現状把握。今日は平日、もちろん仕事がある。昼間。俺は、休憩中だ。きっと、もうすぐ終わる。なのでまた作業場に戻らなければならない。戻らんといけない。うむ。

 休憩中に、外のベンチで日除け替わりの本を顔に乗せて昼寝をしていた。ちなみにその本はいま俺の手元にある。やがて俺は、感覚的にそろそろ時間だと思い、起き上がった。現状の行動はここまで、だとするなら、目が覚めてから移動を一切していない俺は、本来ベンチの上にいなければならない……。

 ……さて、室内。ここは、どこだ?



1-2


 さて、更に現状把握。起き上がった俺の第一に目に入る光景は、初めて見る部屋の中だ。雰囲気を一言で言えば、モダン、か? 家具それぞれがアンティーク調で、古びた老舗の鑑定屋に置いていそうなイメージなものばかり。売却すれば、それなりの値打ちがつきそうだ。あーそうだそういえば、時間がわからん。とっくに作業は再開されているかもしれない。……まいった、少なくともこの範囲には時計が置いていない。諦めるか。そん時はそん時だ。それより場所だ。ここは本当にどこだ? 工場の敷地内か。思い当たる場所はないのだがな。まったく、わからない事だらけだ。


 さて、行動。現状を打破するにはまず行動。知らない部屋の知らないソファーで、わからない事情にてわからない時間に、あぐらかき、肘ついた手に顔のせ、気だるい感じに辺り見回しても結局ケツが痛くなるいっぽうなだけだ。部屋からは外を望める窓がある。まずは、外でも見てみるとするか。

 あぐら外し、足付けば床がきしむ。どう見ても新築ではないものな。陽の差し込む程からして、昼間の時間か。直接の確認でも陽は高い位置にある。だが、その照らす景色は……全く存じてない記憶にない。都会の日本でも田舎の日本でも、その中間の日本でも見れない街並み。そりゃそうだ根本が間違っている、これは日本じゃない。百歩譲って日本でもギリみれそうな場所は、あれだ。ウチの近所なら、デンパークじゃないか? うーむ……。

 さて、推測。……唐突だが、俺、実は、旅行中、なのかもしれないな。実は俺に記憶障害の節があり、いつぞやの記憶までがふと……ふと、パーンとはじけて、だ。ごっそり消し飛んでしまった記憶。記憶が無くなった俺は、色々な人に助けられながら各地を転々とし、その中には大富豪もいた。そしてその方の付き添いで俺はこの国にやってきた。だが、すっ転んでこけたとか外部からのショックによって、記憶をなくしていた頃の、言わば第二の俺の記憶はまたもなくなってしまう……。代わりにまた本来の俺の記憶が……。なんだその変則記憶障害。実際あるのかもわからん。わけもわからん。アホらし。


 気づいた。今の俺、頭を抱えている。まいった、本当。ここどこだよ。外の街、あの店の看板の文字見たことねえよ。せめて英語にしてくれ。

 あーわかる。鏡を見なくてもわかる。目頭が熱くなり、喜怒哀楽の三番目の文字の感情が心を埋め尽くすこの感覚、間違いない。俺涙でてるね。今や帰れる自身すらない。刻み込む絶望の二文字が俺の生きる力を奪っていく……いや、生きたいけども。

 クソ、ちくしょうなんでだよもう……今まで飛行機にも船にもボートにすらも乗ったことないのに、なぜ存在すら知っていない外国にいるんだ俺。やばい、不安越えて、自身の身に及ぶ危機感で胸いっぱいだよ。


 ……てがかり、本だ、本を探そう。理想は地図だ。まずは世界単位で現在地の特定を急ごう。

 デスクの引き出しには……ない、初めましてな価値すら不明の銀色硬貨が貯まっているのみ。テーブルの下、戸棚、花瓶のなか、ない。お、見つけた……戸棚に雑誌らしき本を発見であります! 当然、中身見ますわな……そして、無情にも凹みますわな。なんたって読めねえし。かろうじて小さく載ったこの地図があろうも、地元過ぎて見当もつかねえよ。世界規模で書けよぉ……ちくしょう……。



1-3


 求めたヒントが超難問に成り代わってやがる。この部屋を詮索しても、俺に理解できる代物は一つたりとも出ない。もう断言でいい。

「はあー」

 ため息出ました。仕事かー……今日、俺はどういう扱いになっているんだろうな。無断早退というなんとも異例なサボり方をした、と同僚には認識されてんのか。しかし、もし戻れたら?

「すんません班長、おれ、ベンチで昼寝してたらー、めっちゃ知らん外国にワープしちゃってー、戻ろうと頑張ったんスけどー、やっぱ無理でー、残念無念さらいねーんでー、仕事戻れませんっしたー。すんませーん」

 別の理由で早退させられそうだ。精神科行きか。もはや自分自身の精神がはたして本当に正常かどうか、自信がない。本当に俺は昼寝していたのだろうか、工場にいたのだろうか。脳のアレか、腫瘍とか出来ているのかもしれない。何一つとしてポジティブが出てこない、嫌な方向へばっかり進む。


 内も、外も、全くの知らない場所、空間。だが、もしかしたら本当に俺がおかしいだけとするならば、これまたもしかしたら知り合いがいるのかもしれない。部屋を出てみよう。


 ドア、変な取っ手だな。金属の輪っか外から無理やりブッ刺しただけのような。これ、押せばいいのか。

「なあっ!」

 押して、開ききる前に、何か当たった。人か?

「スマン、気づかなかった!」

 物を落としたような鈍い音もした。相手が怪我していたら、ちょっとマズイな。

「なあっ!」

 あ、急いだ拍子にまたぶつけてしまったか。相手はぶつかった箇所であろう膝を両手でおさえていた。

「悪い、わざとじゃない! 決してだ、追い打ちしようという魂胆ではないぞ」

 ともかく、この辺の床に散乱している鈍い音の発生源だったであろう物を拾おう。おぼんにカップが三つ。俺がいる部屋に用があったのかどうかわからないが、この子以外にもお友達か何かと一緒なのは確かか。床も周辺を濡らし、この香ばしく芳醇な香りは、紅茶か。カップは、さらっと見ても傷ついてなさそうだ。とりあえず弁償の危険性は無くなったな。

 さっさと回収ののち、この子に渡すと……。この国の民族は、なんて布の多い服を着るのか。まるでいたるところにフードが付いているパーカーのような服を着ている。まあパーカーではないのだろうが、見た目通り機能性は最悪であろう。最新流行ファッションによるオシャレかもしれんが、俺にはその辺さっぱりだ。変なもの変である。

「ナー二ミテンノヨウ」

 え、いきなり怒られた?



1-4


 たった今「どこ見てんのよ」と確実に、彼女による不快感を指摘する言葉を投げられた。一世代前の女芸人が多様していた言葉で注意された。

 でもあれ待てよ、ちょいと不服。見たことないから見ただけであり、俺からすれば物珍しさ、かつ外国からの観光客としての当然の反応であり、多少のジロジロは許容の範囲内じゃなかろうか。だとしてもしかし、やはり男性から変にジロジロ見られるのは、一部の女性にとってはセクハラに相当する行動なのかもしれない。そう考えれば、こちらに非がある、といえばある。こういう場合は、問題を肥大化させないように、男は黙ってやり過ごすが吉。

 濡れた床、このままにしておくのは少しマズイか。ケツのポケットに確か、入れっぱなしのウエスがある。引っ張り出してみれば、仕事で使い込まれ見た目ボロっボロのウエス。まあでも別に、床にこぼしたお茶を拭くくらいこれでもいいだろ。幸運にも絨毯じゃなくて木だ。廊下、土足、建物ボロい、問題ない。濡れた部分に敷き、まあこれこのままで適当にウエスくんが頑張って紅茶を吸い取ってくれよう。

 あと、おぼんを渡すだけだが、さっきからこの子はじっと俺を睨んでいるが。

 ……しかしさっきどこ見てんのよ、と日本語を言った。言葉、通じるのか。イントネーションがおかしいのは気にしない。

「フフフ……」

 背後から知らぬ間に不敵な笑みを浮かべる新手が登場。俺のことを、家に紛れ込んだゴキブリをスリッパ片手に見下す母のごとく恐怖を無料で贈与するデカイ女。そんな俺を他所に、脇を通り過ぎてはさっきまで睨んでいたあの子と、俺の耳にはただの雑音としか捉えれない言葉で話している。


 用は済んだのかこちらを向き、デカイ女が眼前で腰を下ろした。しゃがむ体勢。手の平に乗った指輪。

 受け取れ、と言うような。相も変わらず、不気味な微笑み。作り物のように整った顔がより恐怖を増大させる。受け取るべきだろうか、別に指輪くらいなんともない、はず。女の手の平から指輪をつまんでみる。

 そして次、またも女は俺に指示するような行動。手の甲を返し、その手を見せている。その手の中指にハメられている指輪を自分で指差している。見た感じ、只今つまんでいる指輪と同じデザインのようだ。

 俺にも、同じように、俺の指に、ハメろ? と視力検査のような指差しのジェスチャー。通じるか?

 女は、うなづいている。その通りと意味を受け取ってもいいのか。しかし、やはり怖い。不気味な笑み、指輪がうさんくさい儀式的な何かを示すものなら、後々やっかいになりそうな予感がある。

 だが考えても仕方ない。指輪をハメよう。今は今、未来は未来。どうせ何をしようにも行動のアテはない。このまま、言われるがまま促されるままに従い、ガキの頃からの癖である状況把握で事態を捉え、無難な対応でうまく現状をやり過ごす。こうして最終的に帰路を確保し次第、無事帰国。当分はこの方針に――。

「÷・・÷・・÷・・すかー? どうですかー? 通じますかー?」

 にほんご? しかし? なんだこれ、頭に違和感が。 



1-5


「一旦、お部屋に戻りましょう。起きてもそのまま待っていてくだされば、こちらから伺ったのに……あ、片づけはこちらで済ませますから心配なさらず」

 この女、改めてマジマジと確認してもデカイ。ハイヒール履いているわけでもないのに、俺より頭半分ほど突出している。身長170ちょい程ある俺よりこの高さだから、推定190以上の身長はあるはずだ。それに体は細く、スラッしている。これぞ世に言うモデル体型。とても存在感がある、感覚として、立つ、という言葉より、建つ、と表記したほうが適切な気がする。まるでロボだ。

 それよりこの長身の女から受け取った指輪、不思議だ。指にハメた途端に女が使う異国の言葉を理解してしまう。どこ何が起きてそのような現象を起こすのか、仕組みが一切わからない。まったく、科学の進歩ってのはその領域まで発達していたのか。ひょっとしてこの女たちまさか、NASAか? 俺をこれから、世に公表していない機械か薬品を使って人体実験をするつもりではないのか。この指輪その実験の一つで……。

「そんな畏まらず力抜いて、楽にしてください。腰をかけて」

 いつの間にかソファーに落ち着いている。これは、俺がさっきまで寝ていたソファーだ。

 さて、現状把握。俺はテーブルとセットの二つの脇にて立ち止まっている。NASAの疑いある凸凹コンビの女二人、大きい方は相も変わらず作り物のような笑みでニヤニヤと俺を見ている。俺の事をいつ座るんだいつ座るんだ、と観察している。もう片方の小さいのは、部屋の隅にあったイスに座り、何もない部屋の天井の隅っこをじっと見ている。体が硬直したまま状態でじーっと見ている。もう何らかの薬品が投与済みなのかもしれない。変。不気味すぎる。

 さて、疑問。まずは、ここはどこなのか。次、指輪でなぜ会話ができるようになったのか。それと、なぜ指輪もなしで不気味少女が「どこ見てるのよう」と言えたのか。まさか、俺と同じ境遇、ここに連れてこられたクチか。

「どうか、しましたか?」

「あ……そうだ、座る前に少し聞きたいことがあるのだが」

「はい、どうぞ」

 さあどれから聞くべきか。ここはどこなのか、というのは後回しにしよう。この疑問の答えは、一番嫌な予感がする。なら、まず。

「じゃあ、この指輪。これを着けたことによってそっちの言葉がわかるようになった」

「はい」

 目線を一切外さないな。無性に避けたい衝動に駆られる、が、我慢。臆病風邪吹かせたらなめられるぞ。

「それはどういう仕組みだ」

「説明すると少し長くなりますが、よろしいですか」

「あー長いのか、なら後でいい。知らないくても、害さえなければそれでいい。もっと別に聞きたいことがある」しまった、ついつい天井に目線をやってしまった。

「では、こちらのお話を――」

「待て、もう一つ。そこの少女だ。あの子も俺と同じで、その、知り合いとか何かか? 俺が指輪を着けていないにも関わらず、なに見てるんだ、と叱責された。まさか、あの子もここに連れてこられたクチなのか」

「いいえ、そんなまさか。途中から様子を把握していますが、貴方の国の言葉は一度も使っていないはずです。あの子が発したのはただ一言だけです。“あー焼きサラダ食べたい”と」

 焼きサラダ? サラダを焼く……。

「それ、ただの野菜炒めじゃねえか!」

「正解です」



1-6


「いや、正解です、じゃなくてだな……」

「焼きサラダ食べたいは、彼女の口癖のようなものですのであまりお気になさらず」

 口癖……。昔からの仲か。

「じゃああいつは……あー、あえてあの子のことをあいつと呼ばせてもらうが、あいつは自分が落としたおぼんも拾おうとせず俺に拾わせて、俺にとっては全く知らない場所で出くわした謎の人物であるあいつを、俺がマジマジと怪しがっているところ気にもせず、無碍にただ、あー焼きサラダを食べたーいと。俺の存在より焼きサラダへの欲求が上と」

「はい、間違いないです」

 そして、ここまで大きな声を発していても、こちらを気にとめずあいつは相も変わらず天井の隅を見つめている。あれぞ無碍の極み。

 心配してすごく損した。ひとまず、落ち着けそうだ、座ろう。ソファーとソファーに挟まれるようにテーブル。テーブルの上に、さきほど落としたカップ三つを載せたおぼんが隅にある。俺は長身の女と対面する形で座っている。

「さあ、本題に入りたいところですが、ここは先に互いに自己紹介をしましょう。あなたは私たちの名前を知らないでしょうし、私たちもあなたの名前を知りません」

 やっぱり完璧な他人じゃないか。

「じゃあ、なんで俺がここにいるのかも知らないのか」

「そのことを含めて、これから説明いたします。時間はたっぷり用意してありますので、そう急かさず、ゆっくりと」

 なだめるような言い方だ。これから詐欺の話でも始まりそうだ。

「では私、ツナと言います。これから末永くよろしくお願いします」

「俺は井端達吾郎……ってちょっと待て、事切れそうな精神をフルに働かせてあんたの話をゆっくり聞いてやるつもりではあるが、末永くよろしくするつもりは一切ないぞ」

「これは早まった真似を……すいません」

 怖いな、油断したら間違いなく騙される。お?

「まさか、俺をここに連れてきたのは……」

「私たちです」

「今すぐ帰らせろ」

「無理です」

 おいおい理不尽極まりないな。

「無理……俺の意思はどこいったよ。無理なら俺を連れ出すな。人さらいだぞ、これは。紛れもなく拉致だ」そうだ、俺は拉致をされた。

 俺の言葉でツナと名乗った女の表情が曇り始める。

「勝手に、こちらの世界に引き入れた件に関しては謝ります。ですが、あなたの向こう世界での暮らしに影響出ないようにすると断言します」

 なに言ってんだこいつ。

「お前なあ、もうとっくに影響出てんだよ。ふざけてんじゃねえぞ、こちとら仕事途中だ。休憩も終わって、とっくに作業再開されてる頃だ。向こうでは、どうせサボり扱い……いいや、そうか。そういえばここはどっかの外国だったな。移動にだってそれなり長い時間が必要だ。だとすれば俺が二三日眠らされて、じゃあ下手すれば行方不明扱いか。ここまで連絡なしに間開ければ会社から俺の家族へと伝わり、警察沙汰にまで発展、世間は騒ぎになっていることだろう。あーあこりゃ大問題だ」

 ツナが目をつぶった。何も答えない。

 ……ちょっとまて、しまった、俺、更に窮地か。感情に任せて言いたいことを言ってしまったが、俺がどこかの裏組織に捕まっているとした場合、非常にまずい。映画だとこの後、調子こいた捕虜は銃を突きつけられて脅され、そしてこう言われる「お前に選択肢はない。大人しく従う方が身のためだ」と……。

 今、突発的に出たイメージを現在の状況に当てはめて、自分自身、恐ろしさに血の気が引いていくのがわかる。今までにかいたことない変な汗も流れている。ピンチだ。命の危機だ。人生の終わりか。

 次にこの女の目が開く先に、俺の生きた姿は映っていないかもしれない。



1-7


 まさかの想定がよぎるも、目の前で対峙する長身女には、敵意識も凶器も持ってなさそうに見える。赤いタイトなジャケットを羽織る下は白いワンピースの格好。物を隠せる場所は限られている。

 長身女よりもっと用心したいのが、相も変わらず天井の隅を見つめているあの少女である。先ほどの「どこ見てんのよ」の翻訳、焼きサラダ食べたい。この言葉、実は殺害願望を意図する言葉であったとした場合、非常に危険だ。焼きサラダ……そのスジの世界では命狩る的な意味の隠語だとすれば、あの状態こそ彼女の殺しスタイルなのでは。恐る恐る横目で確認するが、表情からは思考が全く読めない。一目でわかる異常性とセットで非常にひじょーに怖い。

 長身の女が深く息を吸う、吐く。唐突に行った行動が作った空気、何か言いそうだ。つい身構えてしまう。

「本当に申し訳ありません! 出来心だったんです!」

 意表をつかれた、深々と頭を下げて謝られた……。驚いた俺の顔はひょっとこに近し顔をしていよう。

「な……。あのな……」

 テレビよく見るような、捕まった万引き犯に謝られる店員はこんな気分なのだろう。こんなところで疑似体験するとは。

「どう言い繕おうか考えました。でもやっぱり、そうですね。目が覚めれば全く知らない世界。知り合いもいない。不安ですよね。私自身、悪気はなかったと言えば嘘になります。しかし、そのあなたが持っていたその本が、もしかしたら現状を変えてくれるかもしれないと思い、持ち主であるあなた様にご指導ご鞭撻を受けようと考えた次第。衝動的に連れてきてしまいました、本当にごめんなさい!」

 全く事態が掴めない発言、現在の俺の身に何が起こっているのかもわからないのに、謝られても非常に困る。

「あー……俺はだな、ただもう自分の家に帰られればそれでいいんだ。てっきり束縛、強要をしてくるものだとばっかり思ってな、いきなりそんな態度取られると対応に困る。とにかくだ、帰れるんだよな、俺は」

「そ、れは……」

 とりあえず俺が抱いている一番の希望を言ってみたが、相手は言いよどんでいる。まさか無理とか言い出さないよな。

「無理だよー。装置が壊れたから。壊れた、つまり動かなーい。そうつまり、動かない装置では君は帰れないのであーる」

 意外な方向からの声で、無情にも、最も恐れていた、無理という返答がきた。あの少女が言ったらしいが、その姿は依然として、天井の隅を見たままである。

 しかし、事態を知っているような口ぶり。真意を聞き出すしかない。

「おい、その装置とは何だ」

「チェルシー」

「……は?」

「チェルシー」

 会話が成立しない。チェルシーとは、わからん。瞬時に連想したものは、サッカーのビッグクラブだけだ。

「あのぅ……彼女の名前です。名前で呼んでくだされば、きっと応えてくれます」

 ああ、なるほど。おい、と呼ばれたのがお気に障ったと。ちゃんと名前で呼べと。

「チェルシーやー」

 謝られてから、やけに余裕が出てきてるな、俺。

「はぁーい」

「チョチョリーナぁー」

 何も返事なし。シカト。

「チェルゥーシー」

 ものすごく睨まれた。正しく呼ばないと気に入らない、タカキさんをタカギさんと呼んで怒られるようなものか。シビアだ。

「チェルシー」

「はーいー」

 最初呼んだ時よりよりトーンダウン、不機嫌な感じが出ているが……気にせず行こう。 

「装置とはなんの事だ」

「こっちとあっちをくっ付けるー」

「解説しますと、こちらの世界と異世界を繋ぐ為の装置です。補足して、その装置かなりの年月が経っていたらしく、使ってからすぐつながっていた道が収束してしまいまして、戻ってきた時には熱暴走の後、木っ端微塵に」

「え」

「つまりですね――」

 そうじゃないそうじゃない、なんだその微妙にSFチックな説明は。

「ここは日本以外のどこかの国ではないのか」

「日本ですか? あなたの故郷はそのような名前なのですね」

 どうも噛み合ってない気がする、俺は問いかけをしているんだ。

「ああそうか! すいません説明不足で。そもそも国うんぬん以前に、あなたの住む世界とこの世界は別……世界という言葉では曖昧ですね。あなたの住む空間次元からすればここが別なる次元となります。同じ舞台の上には存在しない、同じ空の下で繋がってないといえば……」

「えーとつまり、飛行機でビューンと飛んでも着かない場所にある、と」

「向こうでは飛行する機械があるんですか。でも、そうですね。たとえ空を飛んだところで絶対に着きません。この次元にいる限りは」

「まさかじゃあ、俺が家に戻る方法は……」

 ……沈・黙。

「今のところありません」

「うがぁーーー!」


 ホワイトアウトした頭を再起動した一発目の映像が、裏返ったテーブルと横ですっ転んで怯えるように頭を抱える長身の女。どうやらパニックになった俺は、我忘れ感情のままテーブルをひっくり返してしまった様だ。



1-8


 激怒した人は目の前にテーブルがあれば、本当に一徹ばりのちゃぶ台返しをするんだな。自分が自分に驚いている。


 帰れない。

 本当か。そもそも、ここ、本物か? 現状、成す術なし。力が抜ける、緊張の糸が切れた。

 あー、なんて名前だっけ。ツナか。マヨネーズかけたら美味しそうな名前だ。俺がひっくり返したテーブルを無言で直している。なんとなくだが、表情からして気を置いている。いや、元々か。


「おお、起きてるな青年」

 チェルシーとツナのちょうど中間ほど背丈の女が開いたドアの向こうに立っている。今のは彼女の声か。女性にしては重低音効いた声だ。

「なんだちょっとしたやんちゃか? オレも昔は荒れてたからな、わかるよ」 何がだよ。先輩風吹かす短髪女性、間違いなくこいつらの関係者だろう。

「手伝うよ」

「あ、いいって大丈夫」

 慎ましい友情が目の前に。助け合いのやり取りと俺がひっくり返した惨状を治す。空気察したが、俺、悪者になっていないか。バツが悪い。


 片づけが、終わる。何もしていない俺はますますバツが悪い。 

「まあ、ほら腹減ったから。メシ行こうメシ」

「うん、チェルシー」

 機敏だ。チェルシー、食い意地がありそうだ。

「みんな、今日は私がおごるよ」

 手を仰ぐ、私について来なふう……。ノリノリで出て行く、情緒不安定のけもある。そして一人で部屋を出て行く。あまり関わりたくない人種。

「青年。一緒にどうだい昼メシ、美味いもんは食って損ない。オレが保証する」

 当たり前に誘ってきた。

「俺は、遠慮しておく。昼メシはもう済ませてある。そっちがまだ食べてきてないなら、行ってきたらいい」

 さすがに、こいつらと一緒にメシを食う気分にはならない。何を食うのか、気にはなるが。

「そうか。オレ、ダグマーな」

 手……。ゴツイ名前。

「達吾郎」

「よろしく」

「ああ」

 一応の握手。我ながら随分と素っ気ない対応をしている。

「じゃあオレ達、一階の食堂にいるから。何かあったら来てくれ」

「ああ」

 既にもう一人、ツナはいない。ダグマーがあとに続いていく。

「タツゴロー。……フッ」

 振り返り、俺を呼び、手を一回振って爽やかに去る。なんだあのカッコつけは。刑事ドラマの名物上司か、ボスか。



1-9


 また部屋で一人となった。……ふう。

 さて、現状把握。

 まずだ、帰れない。工場どころか家にも帰ることが不可能の状況。国が違う、と想定していたら、世界が違う、次元がちがう。未だ信じがたいが、この世界は、地球ではない。規模が違いすぎる。いかん、整理ができない。

 つまり、俺は今は異世界に拉致をされ、帰るすべなく途方に暮れている。この建物、一・二・三階にある部屋の景色から眺める異国の景色。新鮮だ。貴重な体験である。コーヒー片手に、午後を優雅に楽し、めるほどの余裕は微塵も残らん。

 意味がわからん。訳もわからん。

 俺が選べる選択肢。あのツナという長身長髪の女の口ぶりだと、俺に頼みごとをしようとしていたと思われる。それを素直に請ける。

 彼女たちの頼みを聞き入れ、右往左往しつつしばらく見知らぬ世界で過ごす……。イメージが全く思い浮かばない。俺が抱いた彼女たちの第一印象は悪い。言動行動が奇抜の変な奴ばかり、少し接しただけでこの疲労感、恐らく向こうもうまく繕おうとしていたが、同じ気分であろう。後悔を抱いていてもおかしくない。今の時間に一体どんな事を話しているやら……。下手すりゃ、どうやってさよならしようかとか企んでいるかもな。

 もう一つの選択肢。一人で帰る手段を探す……。

 心の内、天秤はそっちに傾いている。何より今までの生き方、なるべく人に頼らず過ごしてきた。何より俺を拉致った犯人にすがる、その状況がいやに腹が立つ。不服である。

 前にテレビで見た無人島の生活のほうがまだまとも。味のある木製洋式の家具できめた部屋の中、ある程度古びて中途半端に背の高い建物が並ぶ街の雰囲気、田舎よりちょっと都会っぽいアメリカの街はこんな雰囲気ではないだろうか。流れで何の思いも胸になく無断で決まった単独でのアメリカの知らんとこへの留学をかまされた……だな。自分探してない旅。俺は今の自分で充分満足だ。目的ナッシング。娯楽が欲しい、現実逃避をしたい。あぁ、ゲーセン行きたい……。

<コンコン>

 ノック! 

「出前お届けに上がりましたー。すんませんけど、このドア開けてもらえますぅー?」 

 異世界なのに関西人が来た。



1-A


 喋り口調だけでわかる存在感持ったキャラクターまたも登場しそうだ。出前Aという名前のエキストラならあっさり終われようものなのに、この世界は出前に標準語を叩き込む意気込みはないのか。異世界だろ、日本ないだろ、関西ないだろうが。

 ドアを開ければ世間の鬼のような白の三角巾に給食当番のような割烹着を見事着こなし、両手におかもち。

「ハムサンドお待たせしましたー」

 コテコテの関西イントネーション。この指輪は勝手なデフォルメ機能が備わっている、と。

「ほな、失礼しますー」

 関西人にしてはテンションの低い、淡々と事をこなす。俺を軽くのけてはおかもちからハムサンドとコップ、水筒を手際よく配置する。手馴れている。

「おいあんた、頼んでいないぞ」

「チェルシーちゃんからの差し入れ。人から馳走はきちんといただかんとバチあたるで。ほれ、そこ座りぃ」

 ソファーを叩く、横に座れとな。

「仕事中だろ、戻らなくていいのか」

「ちゃんと食べるまで確認しとけーって言い使っとんねん。ほれ」

 初対面でこの態度。半目でテンション低い、モンスター級の図々しさも備えている。とっとと帰ってもらうとしよう。


 さて、サンドイッチ。

 小さめの丸型のパン、切り込みにレタスにチーズとハムを挟み、デミグラスのようなソースがかかっている。それが二つ。分析終了。これはきっと美味い。

「毒なんか入ってへんで。…………どや、うまいやろ」

「んむ、ああ……」

 無表情が少しほころんだように思えた謎の現象。変わってない、気のせい。

「首かしげてどうしたん」

「いや……」

「あんな、あの三人のことなんやけど……。アンタの事情は知ってんで、別次元から来た客人、思いつきで連れてきたっちゅうのはアレやし、アンタ自身も望まなかった来訪や。何もわからんのは怖いと思う、けどもう少し愛想よくしてもええんちゃう。あらゆるもんにも動じひんチェルシーにまで恐がられるなんてよっぽどや。一目見てわからんかったか? あの子ら、みんないい子や。みんな反省しとる。アタシは第三者やで、あんま踏み入ったこというのも筋違いやけど、ほんま頼む」

「……正直、悪い気はしているが」 

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