駅までの道
「んー、事務職の正社員、会議なんだよね。坂本さん、帰りが一人になっちゃう」
「一人でも大丈夫ですよ、いつまでも申し訳ありません」
坂本と野口さんの会話に口を出したのは、ヘコんでいたからかも知れない。
「いいよ、俺が後ろからついてくから。もしも坂本さんが危害加えられそうになったら、止めればいいんでしょ?」
「なんか萩原君だとさ、じーっと後ろ姿観察してそうな気がするんだよね」
「勿論です。特にお尻の形」
野口さんとの軽口に、坂本がくすっと笑い声を洩らした。
あ、笑った。愛想笑いじゃなくて、おかしそうに笑った。ものっすごく悔しいことに、俺はそれがとんでもなく嬉しい。こんなことで何の抵抗もなく笑うんなら、もっとバカな話してもいいなーなんて、ちらっとガキみたいに思う。そしてその後、自分に向かって全力で否定して、仏頂面になった。
「みんな都合悪くて、だけど危険は回避させたいってことでしょ?俺はこれから帰るところだし、その前を坂本さんが歩いてても問題はないわけだ」
「申し訳ありません」
深々と頭を下げる坂本に、やっぱり距離を感じる。
「坂本さん、俺、同い年。敬語は止めようよ。面倒なことをするわけじゃないし」
瞬間、顔をあげた坂本と目が合った。なんて言うのかな、少し意外なものを見たような表情。
「俺、何か驚かれるようなこと言った?」
「いいえ、ご迷惑だと思っていたので。ありがとうございます」
やっぱり口調は固くて、俺は坂本の後ろを歩くだけの筈なんだけど、俺が危害を与える者じゃないって思ってくれているのか。
「実はまた最近、目撃情報があるの。気をつけて」
坂本がロッカールームに荷物を取りに行った時、野口さんからそっと言われた。しつこいヤローだな。そんなに執着するんなら、何故大事に扱わなかった?
「坂本さんには言ってないの。実家では妹が駅まで送り迎えしてるみたいだから、気にすると思って」
「気にしてない時に急に来たら、却ってショックじゃないですか?」
野口さんは考える顔になった。
「検討するわ。とりあえず、気をつけて」
しつこいヤロー、どころじゃなくて執念深いヤローだ。坂本が一人で歩くのを、待っていたに違いない。姿を認めた途端足が動かなくなった坂本に、後ろ1メートルから追いつく。俺は津田さんと違って、女の肩を抱くのに何の抵抗もない。触るのも嫌な女でなければ、むしろラッキーってな感じ。
坂本の肩は想像よりもさらに細くて薄くて、とても頼りない。
「無視、していいんでしょ?行くよ」
顔を見られちゃって開き直った男が、声をかけようとしたのを遮った。
「悪いけど、俺の彼女に気易く声かけないで。あんまりしつこいと、訴えるよ」
坂本の肩がびくっと震える。俺の声が怖いのか、彼氏の反応が怖いのか、とりあえず引き離さなくちゃいけないのはわかっているので、歩き出す。追って来ませんように。俺、喧嘩は嫌いです、弱いからね。
大丈夫、坂本はパニックを起こしてはいない。
地下鉄の入口で別れるつもりだったのに、後ろが不安で改札も一緒に抜けてしまった。
「萩原さん、銀座線でした?」
「いや、丸の内・・・銀座で乗り換えるから」
坂本は深々と頭を下げた。
「本当にご迷惑をおかけしました」
それから、ちょっと顔をあげた。
「似てませんでしたね」
「え?」
「なんで似て見えたんだろう。萩原さんとモト君、ちっとも似てなかった」
独り言みたいに、不思議そうな声だ。似ててたまるか。俺は女殴るようなヤツとなんか、似ていたくない。
「俺の方が格段にイイオトコだったでしょ?」
パニックを起こさなかったことに安心して、女の子を守ったって(大したことしてないけどね)高揚感で、かなり気分がいい。
「何か困ったことがあれば、また協力するよ」
調子よく請け負うような言葉が、口をついて出た。
「いえ、ひとりで凌げるようにならないと」
坂本はどこかが痛むみたいな顔で、俯いた。今まで通りのガードで、男はいつか諦めるだろう。
だけど坂本は、ずっとビクビクして、わけもなく殴られた記憶だけ抱えて、カウンセリングなんかにも通わなくちゃならなくて。
「我慢しなくたっていいじゃん。迷惑なら、そんなこと言わないよ。俺、そんなに人も良くないし」
ガラにもないことを言ってしまった。ちょっと良い人に見られたい、なんて欲はある。小学生が先生に褒められたいみたいにね。