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任期終了でも

 派遣期間は残り二週間を切ったけれども、社内で話し相手の少ない坂本に、送別会なんて開かれない。それでも野口さんとか三枝さんとかが少しずつ連れ出しているようで、楽しそうなメールもちらほら来る。そして本人も気が付いていないことの報告を、野口さんから聞く。

 到来物のお菓子を「女の子だけね」と配るのは、よくある話だ。大抵の場合「残ったものがあればいただきます」のスタンスだった坂本が、箱に手を伸ばしたという。

「パウンドケーキなら、オレンジピールが好きです。でも、他にこれが欲しい人がいれば」

「大丈夫、早いもの順だから」

 野口さんの言葉に、とても悪戯っぽい顔をしたらしい。

「坂本さんって、もしかしたら活発な人なのかも」

 野口さんが言う。


 活発なのは、時折見える顔で予測がついてた。ロードバイクのサークルも、自転車店に紹介された場所に一人で行ったらしい。同じ趣味の友達がいたわけではなく、自分の興味があることなら自分で動くタイプなんだな。そこに「爽やかなスポーツマン」の筈の「モト君」が入会したところから、坂本はああなっちゃったわけだ。

 話が合って、二人で行動することが多くなって、二人だけの方が楽しいと、一緒に脱会するまでは異常じゃなかったって聞いた。交通事故のようなものだけど、まわりの人間に、それは見えない。そして俺の予測だけど、それまでの活発さを思えば、殴られてるなんて予測する人はいないだろう。

 もしかしたら、俺の周りで坂本の他にも、居たのかもしれないな。人間が壊れるのって、案外とあっけない。


 三月終わりの日曜日に、坂本自慢のロードバイクを見せてもらう。

「あれ?体の線丸出しのジャージじゃないの?結構楽しみにしてたのに」

「あの格好で街を歩けって言うの?それは、いくらなんでも・・・」

 身体を動かすと気持ちも動くのか、坂本の顔はとても晴れやかだ。週の半ばには、社内には居なくなってしまう坂本は、今度こそ事情を知る人間が誰もいない場所に、一人で行かなくてはならない。

「また、誰かに迷惑をかけたら、どうしよう」

「そしたら、電話して。で、泣くのは週末まで待ってて」

「待ってるの?」

「そ。じゃないと、弱みにつけこめないから」


 ロードバイクを貸してもらって、自分も走ってみる。

「俺も、乗ってみたいかも」

「結構値が張るものだから、ちゃんと乗ってあげないと勿体ないよ」

「初心者用に考えてくれる?」

 嬉しそうに頷く坂本は、会社が変わっても俺と、続けて会ったりするつもりなんだろうか。できれば、週末ごとに。



 ものすごくあっさりと坂本の派遣終了の日が来る。朝礼で一応の挨拶をして深々と頭を下げていたが、誰かが特に反応したというワケでもなく、つまり派遣社員が任期を終えただけだ。

 最終日の定時に、俺は現場に居た。最後に「お疲れさま」の一言くらい言ってやりたかったが、結局メールしただけ。翌日には次の派遣先の面接があるとのことだ。


「今度は大丈夫。何かあっても土曜日まで頑張る」

「頑張りすぎるなよ。疲れちゃったら、連絡するんだぞ」

 そんな会話があったのは、おしまいの日に新橋駅から歩いて一緒に出勤した時だ。会社の特定の女の子なんて、何かあったら逃げられなくなると思っていたのに、我ながら大した変化だ。そちらの面倒よりも、時間が惜しいが先に立った。どんなに不安定でも、これからは俺が先に気付いてやる事はできないのだ。


「同窓会から、高校時代の友達と連絡取り始めたの。いいね、気楽なお喋りって」

 気楽なお喋りの内容に、興味はある。俺も坂本と、もっとそんな話がしたい。そう思いながらしみじみと顔を見てしまった。

「何を見てるの?」

「いや、可愛いなと思って」

 朝っぱらから何言ってんだ、俺は。津田さんが忠告してくれた時に気が付いていれば、この時期にはもう、バカ話ができていたかも知れない。

 会社が近くなり、朝礼の挨拶のために、坂本の顔が少しだけ緊張する。

「大丈夫。挨拶するだけなら、怖いことなんてないから」


>明日から、私を知っている人がいない。怖い。

 メールはいつも通りの時間で来たんだけど、追いかけるように電話が来た。

「どうしよう。緊張のあまりパニック起しちゃったら」

「起こさない。もし起しちゃったら、あいつのせいにしちゃえ」

「そうだね。私は悪くなかった」

 自分じゃないモノを責めることは、坂本にはまだ難しい。電話じゃ、頭を撫でるわけにもいかない。

「土曜日、花見しようか」


 桜の盛りには何日か早い千鳥が淵を、ぶらぶら歩いた。坂本は面接の後に次の派遣先が決まり、翌々の月曜から出勤するという。

「今度も、いい人がいるといいなあ。エア・トラッドでは、みんなにお世話になったのに、お礼もできなかった」

 実際に坂本に関わったのはほんの数人で、大抵の人間は無関心だった。それでも数人が親身になったことで、坂本はずいぶん救われたんだろう。

「大丈夫かなあ、私」

「逆にさ、誰も知らないんだから、キャラ作っちゃえばいいじゃん。ドSな女王とか」

「それ、素でできるかも」

「・・・げ」


 薄いコートになった坂本の肩はやっぱり細くて、時折揺れる視線はまだ不安定だ。

「千鳥が淵の桜、はじめて。満開になったらすごいんだろうね」

「そう言えば、桜坂でも今週はイベントだ」

 坂本がちょっと上向いて、俺の顔を確認する。

「行こうかな。行っていい?帰りに待ち合わせてくれる?」

 坂本からの誘いの言葉ははじめてで、ちょっと面食らった。頼りなくても、ちゃんと自己主張してるじゃないか。

「うん。仕事終わってから、おいでよ。待ってるから」

 俺だけでいいかどうかなんて、確認しなかった。誰かを誘って欲しいなんて主張は、聞きたくない。


 春の淡い日差しの中で、坂本がアルトの声で静かに話す。押し倒すのは、もっと後でいいや。梅の花みたいに控えめな微笑みじゃなくて、大きな口をあけて笑えるようになってからで。

 でも、その細い指くらい、握ってみてもバチはあたんないよな。ポケットに突っ込んでた手を出して、坂本の手を探った。

 おそるおそる握った手は、ひんやりとしていたけれど、やわらかかった。


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