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頼られたい

 やっぱり申し訳ないからと固辞する坂本に、大丈夫だと念を押した。

「本当に来てくれるの?私、行けなくても我慢できるのに。自分で蒔いた種なんだから」

「いいよ、どうせ休みの日の夜なんてヒマなんだから。近くで遊んでるから、辛くなったら電話すればいいよ」

 ちょっと押し付けがましいかなと思ったんだけど、坂本は行きたいのに不安だと言ったんだし、俺は多少なりとも不安を解消してやることができる。それならば、俺の遊びがてらの手間くらい、どうってことないじゃないか。坂本が申し訳なさそうな、それでいて嬉しそうな顔で俺に頭を下げる。

「萩原さんがいてくれて、本当に良かった。私一人じゃ、何もできない」


 有頂天になったのは、否定できない。この時点で津田さんの「構い過ぎるな」は頭の中から消えていた。坂本が感謝してくれたことが本当に嬉しくて、なんだか坂本を救ってやれるのが俺だけのような気がしていた。坂本がひっそりした笑みじゃない、心の底から楽しそうな笑いで俺と会話するようになれば、それだけで報われるような気さえした。俺の力でそうできるような。まったく、思い上がったものだ。


 一月のおしまいの週の坂本の同窓会は、大層楽しかったらしい。迎えに行った約束の場所で、坂本は頬を紅潮させて、その日の話題や仲の良かった友達との再会を報告した。

「大丈夫だったの。何かあったら萩原さんが来てくれると思ったら、落ち着けた。『知らない』って言葉も、ちゃんと我慢できたよ。ありがとう」

 普段よりも速いテンポで喋る坂本の髪をくしゃっと撫でた。

「全部、萩原さんのおかげ。どんなに感謝しても足りない」

 こんなに嬉しそうに頼りにしてくれるんなら、俺の何時間かなんて、取るに足りないものじゃないか。そうだろ?今まで見た中で一番明るい顔の坂本が、頭を下げる。

「大したことしてないよ。楽しくて良かったね」

 もっと、こんな顔が見たい。


 待ち合わせたファーストフード店から駅への雑踏を歩き、交差点で立ち止まると坂本が俺を見上げた。

「何かお礼したい。大したことできないけど」

「じゃ、これからラブホ」

「冗談じゃなくって、何か私にできること、ないかなあ」

 いや、あながち冗談でもないんだけど。信号待ちの混雑の中、坂本の肩を抱いて触れるだけのキスをした。逃げたり怒ったりしなかった坂本は、小さな声で「ごめんね」と言った。

「ずるいよね、私。頼るだけ頼ってて」

 いくらでも頼られたいのに。


 メールはいつの間にか定期便になり、時々とても不安定な坂本が、泣きながら電話をかけてくる。聞いているだけだ、アドバイスなんてないし。「モト君を見捨てた」っていうのは、何回聞いても慣れない。慣れないけれども、何回も聞いているうちにそれが核の部分だと理解した。あの男に未練があるわけじゃない、黙って殴られてた理由が欲しいんだ。正直言うと結構重い話を聞いて、うんざりすることもある。でも俺が聞いてやらなくちゃ溜めておくしかない坂本を、どうにかしてやりたい。


 決定打に至った暴力の話も、見当がついた。よく覚えていなかった部分(忘れたと言っていたけれど、脳がシャットアウトしていたらしい)も、カウンセリングで掘り起こしたらしい。

 戸棚の角に頭を打ち付けて、意識を失った女の上に乗る男。

 はっきりドン引きだったし、聞きたい話じゃない。聞いたのは二月二週目の会社の帰りで、朝から顔色の悪かった坂本を新橋駅まで歩いて送る最中だった。歩きながら喋らせて、整理するのを待つ。混乱気味くらいのレベルの時は、三十分も歩くと落ち着くことが多くなった。

「ありがとう。萩原さんがいなければ、多分仕事もできなくなってた」


 開発営業部の会議の後、その流れで夕食なんて言ってたら、営業推進室の筈の山口さんがしれっと混ざっていた。

「あ、後から三枝と坂本さんと、もう一人経理が来る。まだ残ってたから、女の子を差し入れ」

 確かに、女の子は野口さんだけだけどね。会議後の夕食だか飲み会だかわからなくなって、とりあえず真ん中に女の子を入れろなんて課長命令が出る。坂本は、俺の隣に座らせときたいんだけどな。

 何かあったときフォローしてやらなくちゃ。


 女の子たちが入ってきて、坂本が俺の顔を認めてほっとした表情をする。隣を詰めて合図しようとしたら、そこに野口さんが座ってしまう。

 邪魔なんですけど。他人の奥さんとなんて、飲みたくないんですけど。

「心配性のお父さんみたいに、娘の行動を見張っちゃダメよ、萩原君。娘が自立しはぐれるからね」

 心配性のお父さんって、俺?坂本は不安そうに、山口さんの隣で小さくなっていた。


 ちらちらと坂本の顔色を見ながら、梅割りなんか飲む。山口さんは坂本がショックを受けるようなことは、言わないと思うんだけどね。野口さんに視線を遮られて、話題がわからない。席の向かい側で津田さんが課長と話し込んでる。

 九時近くになって、坂本がそろそろ帰りたいんじゃないかと気が気でなくなる。


 立ち上がって声を掛けようと思ったところで、津田さんに逆手ぎゃくてをとられた。

「構い過ぎんなって言ったろうが」

「痛いっす!腕、折れるっ!」

「折れねえよ、これくらいで」

 体育会系の津田さんと一緒にしないで欲しい。ジタバタしてたら、坂本が携帯電話で時間を確認しているのが見えた。キョロキョロと見回してから、俺の方を向く。津田さんから腕を取り戻したら、今度は野口さんの邪魔だ。

「萩原君、カシスとグレフルの追加がまだか聞いてきてえ」

「自分で聞いて」

「何?あたしの言うことが聞けないって言うの?」

 これは聞かないと、余計にうるさいことになる。


 背中で坂本を気にしながら、十五分が経過していた。困った顔になっている坂本の隣に辿りつけない。俺が連れ出してやらないと、親の心配を気にしながら、ずっと帰れないじゃないか。

「萩原君、大根サラダとシシャモ追加して」

「こんな時間に食べると、太りますよ」

「なんですってえ?」

 あ・・・失言。ああ、野口さんと津田さんで俺を妨害してるわけだ。そんなに構い過ぎてるように見えてるのかな。だって手を貸してやらないと、ほら、向こうで困ったままじゃないか。


「あれ?そう?じゃ、気をつけてね」

 唐突に山口さんの陽気な声が聞こえて、コートを抱えた坂本が立ち上がった。

「お先に失礼します」小さな声で挨拶して、場を抜けようとしている。すっごく緊張した顔で、だけどパニックを起こしていないことは見て取れた。


 座敷の前で靴を履く坂本に近寄って、声をかける。

「大丈夫?一人で帰れる?」

 振り向いた坂本は、とても晴れやかな顔だ。

「ねえ、自分で帰るって言えたよ。緊張したけど、頑張った」

 小学生みたいな報告に、頬が緩んだ。思わず頭を撫でそうになって、いかんいかんと手を引っ込める。

「まだそんなに遅くないから、大丈夫。お先に」

 気が抜けて席に戻ると、津田さんと野口さんがニヤニヤしていた。


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