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スイッチ

 注意事項を思い出し、しかし冬に植物園ってのもどうかなーなんて考え出すとキリがない。ああ、身体を動かすのは好きだって言ってたな。しかし二人でボウリングってのも間抜けだし。

「江戸東京博物館、結構楽しいよ。美術館なんかも捨てがたいわねえ」

 ふーん、江戸博ねえ。行ったことない・・・ん?

「なんですか、いきなり!」

「あら?悩める後輩にアドバイス。なかなか純情君だったわねー」

 こっそり外出しようとする津田さんに、石を投げたくなった。面白がった顔のまま席について、野口さんのツッコミに正直に答えたに違いない。なんでこう、面白がりばっかり揃ってんだよ、この部署は!


 ご期待に応えてやろうじゃないの。誘って玉砕したら責任を追及してやるから、酒の一杯も奢れよ、先輩方。

 会社でひとりだけにこっそりと声をかけるのは、意外なほど難しい。給湯室に入っていく坂本の後ろから・・・なんて、まるでストーカーだ。

「あ、コーヒーですか?」

 サーバーを持ち上げた坂本が、微笑んでみせる。ありがとう、と紙コップを受け取る。えい!くそ!

「まだ何か?あ、ミルク?」

「じゃなくって。坂本さん、今週の土曜って空いてる?」


「おーっと、お邪魔。失礼」

 無粋に割り込んでくる声を、思わず睨みつけた。わざとじゃないでしょうね、山口さん。

「睨むなよ、萩原。坂本さん、俺にもコーヒーくれる?・・・あ、サンキュ。はいはい、失礼。萩原が怖いからね」

 絶対わざとの山口さんが、給湯室から出て行く。ちくしょうっ。気がそがれて、続けられなくなってしまった。かと言って給湯室から動く気にもならず、俺は立ったまんまだ。


「えっと、出入り口に立たれると、私が出られないんですけど」

 上目遣いで俺の様子を見ながら、坂本が動こうとする。

「空いてます」

「え?」

「空いてます」

 もう一度聞き返そうとしてから、脳味噌に届いた。

「どこかに誘ってくれようと、してるんですよね。私でも良いのなら、空いてます」

 赤くなるな、俺!


 何に興味があるか知らないから、時間だけを待ち合わせた。社内メールで携帯電話の番号とアドレスを送り、折り返して自分の携帯に「登録しました」と坂本からメールが入る。今日は木曜日、明日中に段取りを組まなくちゃ。

 帰宅してから張り切ってPCを立ち上げ、デート情報を検索した。夜の情報は、要らないや。いくつかピックアップして、会ってからお茶を飲みながら決めよう。すっかり気がついてしまったのだが、坂本は「自己主張が苦手」なんじゃなくて「自己主張することが怖い」なんだ。

 だから、ゆっくり話をしよう。今まで遊んできた女の子たちの話を、ちゃんと聞いたことなんてなかったけど、それは高い高い棚の上だ。


 今の時期だと、本当は夜にイルミネーションなんか見られると、盛り上がるんだけどなあ。まだ家族が心配してるって言うし、でも夕方くらいから少しなら、いいかなあ。

 東京駅で待ち合わせて、江戸博なんて言ったら下町の話になり、何故か浅草に行くことになった。

「俺、下町ってあんまり行ったことないんだけど」

「気が向きません?」

 心配そうに覗き込む坂本に、笑ってみせる。

「坂本さんの知っていること、教えてくれればいいや」

 仕事用のパンツスタイルと休みの日のジーンズは、あまりイメージが変わらない。


 おのぼりさんコースで浅草寺参りして、賑やかな通りをウロウロする。知らない街をウロウロするのはそれなりに面白くて、明るい顔つきの坂本も嬉しくて、つい「日本のお土産」なんかを見たりする。坂本は「どこに行きたい」なんて言ってくれないし、俺は場所がまったくわからないから、どこを歩いているのやら。

 立派な石碑が・・・と見ると「こち亀」で、指をさして笑う。鳩を蹴散らして、顰蹙をかう。ガキみたいな遊び方をして、酒もカラオケも何にもナシで、もちろんラブホなんてかすりもしない。

 そして、スイッチを一つ見つけた。


 人力車を見掛けて、粋だね、なんて言った時のこと。

「人力車夫って正式には、短い股引だったと思う」

 そんな坂本の言葉に、軽く返事を戻した。

「いいんじゃない?そんなこと、誰も知らないし」

 普通だろ?だから、そんなことに反応するなんて思わなかった。

「誰もじゃないわ。私は知ってるもの。覚えなければ、ずっと知らないままよ」

 強い言葉に反射的に反発しそうになって、顔を見下ろす。俯いてるから表情はわからないけど、ショルダーバッグの肩紐を握りしめるのが見えた。

 ムキになるようなことかよ、こんなこと。今まで楽しく・・・と、坂本の手が力の入れすぎで白くなっていることに気がつく。その手に触れようとした瞬間、坂本の身体はびくっと跳ねた。


「――怖く、ないよ。知らないことを指摘されても、怒らないよ」

 スイッチだ。怖くないことを確認するために口に出して、自分の言葉に過剰反応するんだ。同じようなことが、仕事中にもあったな。

「他の人に知らないって言われるの、怖い?」

 強張った薄い肩に、腕を回した。聞こえてるのかどうか、全然わからないけど。

「知らないことを教えてもらっても、怒ったりしないよ。怖がることなんかしてないよ」

 声が届いていなくても、ここで怯えてしまっている坂本を、置いて帰るわけにはいかない。コート越しにすら細い肩は、しばらくの間、動きもしなかった。


「ごめんなさい。帰ります」

 落ち着かせようと入ったファーストフード店で、差し出したコーラに手もつけずに、坂本は下を向いた。

「抑えられてると思ってたのに、こんな迷惑」

「大したこと、ないでしょ」

「でも、不愉快だったでしょう?」

 事実、大したことじゃない。怯えた坂本は、何回目かの俺の声に、顔をあげたんだから。

「泣き喚いたわけでもないし、俺に殴りかかったんでもない。無茶な言いがかりをつけてもいない。迷惑だって言えば、酔っ払って吐くヤツの方が、よっぽど迷惑」

「でも」

「ま、いいから。落ち着いてちょーだい」

 軽く聞こえるかな、軽く聞こえたほうが続けやすいんだけど。


「ここで帰られちゃうと、女の子に途中で帰られちゃうような、つまんない男だって言われてるみたいで、超迷惑」

 どうせ軽いヤツに見えるんだから、深く考えないで俺で遊んでくれよ。

「坂本さんの耳って小さいから、声を吹き込むのには都合がいいし。ただし、次はベッドの中でね」

「それは考えさせて」

「考えた結果、パスしても怒んないから」

 坂本の顔にゆっくりと赤みが戻ってくる。ほら、もう大丈夫。

「まだ、帰らないで。ちゃんと夜までに帰すから、もう少し遊ぼう?」

 こくんと頷く坂本に、机の下でガッツポーズ。


「行こうか」

 立ち上がると、カウンターの隣から坂本が俺を見上げた。ゆっくりと、やわらかく咲く白い花。

「ありがとう。誘ってくれて、宥めてくれて。野口さんから頼まれただけだとしても、嬉しい」

 はい?また何か誤解が。

「・・・野口さんから頼まれてなんか、いないんだけど。俺が自主的に誘ってんの」

「え!なんで!」

 男に誘われたことがないんだろうか?微笑が驚きの表情に変わってる。

「坂本さんのことを知りたいから」

 まさかファーストフード店で、高校生の告白まがいを口にするとは思わなかった。


「私なんか知ったって、つまんないばっかりですよ」

 なんでこう、卑屈な言葉がポンポン出るのかな。

「そんなの、話してみなくちゃわかんないもん。面倒じゃなきゃ、もうちょっと付き合ってよ」

「私は楽しいけど、なんか申し訳なくて」

「楽しいと思うんなら、一緒に遊ぼ。女の子、大好き」

 軽く軽く、坂本が考え込まないように、バカになれ。まだ「本来の坂本」と会ってないんだから。

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