楽しんでる?
「今日は、ありがとうございました。お茶もご馳走様」
改札口で頭を下げた坂本に手を振って、地下鉄の入り口まで歩く。いつも、あんな風だったらいいな。あんな風でいてくれたら、いろいろ聞きたいことがある。
寝る前に読む本は、どんな本?ロードバイクって、普通の自転車よりも乗りやすい?他には、何が好き?今日俺が選んだ眼鏡は、本当に気に入った?映画でも一緒に行こうか。カラオケなんかどうかな。・・・俺みたいなタイプは、話しにくい?
「あれ、坂本さんって目が悪かったっけ」
「はい、いつもはコンタクトなんですけど、ちょっと目の調子が悪くて」
津田さんと坂本の会話を聞く。その眼鏡は俺が選んだんだよ、なんて思いながら、キーボードを打つ。似合うだろ。
「津田さんの奥さんは可愛いから、競争率が高かったんじゃないですか?」
「ああ、あれは本当に見た目だけなの。キツいわ、可愛くないわ。俺、発注ミスしてファイルで叩かれてた」
「社内結婚だったんですか?」
「正確には、ちょっと違うけどね。ま、ここで終わりにしといて」
まだ話したそうな坂本が、しょぼんとする。休みの日に会ったから、共通の話題ができたみたいで嬉しかったんだろうなあ。学校の先生と話したくて、順番待ちしてる小学生みたい。
俺じゃダメかな。
「坂本さん、その眼鏡似合うじゃない。どこで買ったの?」
そう声をかけてみた。あはは、と坂本が笑い、それに驚いて何人かがこちらを見た。声をあげて笑う坂本を、知っている人は少ない。
「センスの良い人が、選んでくれたんです」
「そういう人とは、仲良くしといたほうがいいよ」
「そうですね、そうすればきっと楽しいでしょうね」
明るい口調で返事が戻ってくる。こんな風に、話したいんだよ。
「その人は、仲良くしたいらしいよ」
「光栄ですね」
だから、冗談じゃないんだって。今までの軽口を流し去ってしまいたい。
「飲みに行かない?」
「少しだけなら。遅くなると、家族が心配するので」
ああ、そりゃ心配するだろうな。警察に届けたんだったら、家族はある程度巻き込んだってことだ。
「遅くならないようにするから」
そんな風に誘って、一緒に会社を出ようとしたら、不思議そうな顔をされた。
「他の皆さんは、もう行かれたんですか?」
「他?いないけど」
「え?ふたりだけ?」
確かに人数言わなかったけどさ、あの誘い方は多人数じゃないだろ。
会社から少し離れた居酒屋にしたのは、誰かに会いたくないから。会社で異端視されちゃってる坂本は常に申し訳なさそうで、そこからでも開放したい。なるべくうるさくなくて、坂本が萎縮しないで話せる場所を選んだつもりだ。明るい話で引っ張って、笑わせる。
ねえ、本当に楽しんでる?
正直言うと、まったく自信はない。女の子と明るく軽く喋って、ついでに楽しく遊んでを繰り返していたのに。
二時間もしないうち、坂本が帰ると言い出す。
「まだ、八時前なのに」
高校生だって、そんなに早くは帰らないだろう。やっぱりつまらなかったのか、とがっかりした。
「母がね、私よりも神経質になってて。警察が事情聴取に来るまで、薄々気がついてても、知らなかったから」
それもそうか。そうだな、ストーカー犯罪の新聞記事は、結構多い。
「じゃあ、友達ともあんまり会えないでしょ」
「どっちにしろ、会ってないの。ずうっと疎遠になっちゃってたから」
連絡を禁じられてたんだっけ。
「だから、萩原さんが声かけてくれて、本当に嬉しいんです。野口さんや三枝さんにも優しくしてもらって、申し訳なくて」
「いいんじゃない?次に何かあった時に返せば」
辛気臭い話はしたくない。俺は坂本の笑った顔が見たい。
「萩原さんにもお礼とお詫びを・・・」
「じゃあさ、休みの日に遊んでよ。完全プライベートで」
「私と?本当に(と、力を籠めた)私と遊ぼうって」
「案外と疑り深いね。センスの良い人が仲良くしようって言ってんの」
坂本は俺の顔をしばらく見てから、ありがとう、と言った。
「誰かとちゃんと会話できるだけで、嬉しい。同情でも、嬉しい。ありがとう」
同情じゃないんだけどね。
「・・・下心。本日これからでも」
「いえ、帰ります。パターン見えますね」
はっきり話すようになったな。こっちの方がいい。
「おまえね、朝礼の後の会議室での相談事が・・・」
「いや、だって津田さんは保育園に迎えに行く都合もあるから、帰りはわかんないし」
すっげー呆れた津田さんの顔に、思わず下を向く。
「女の子を誘う場所なんて、萩原の方が知ってんじゃねえ?俺はそういう意味では無芸よ」
そりゃ女の子が遊ぼうって待ち構えてる時なら、行き先だってあるさ。だけど今回は、心情的にはまるまる俺の持ち出しで、坂本が怖がったり寂しかったりしなきゃいいと思ってる。そうやって考えたら、普段の遊び場所は不似合いな気がした。
「あのさあ、マジに女の子誘ったこと、ないんじゃないか?」
ないかも。ない。津田さんはくくっと笑って、それは結構屈辱的だけれども、悪い気はしなかった。
「何でも適当にできる要領のいいヤツって、俺は羨ましかったんだけどね。そんなにいいモンでもないらしいね、萩原見てたらそう思った」
ああ、努力型の津田さんには、返す言葉もございません。
「純情に免じて・・・って萩原には言いたくねえ言葉だな。ま、知ってることだけな」
どこにフラバのスイッチがあるのか見当がつかないうちに、人混みと刺激の強いところは危険。映画とか芝居とか、一見関係なさそうでも入り込んでしまうと激しく反応することがある。かといって、そればっかり気にすると本人自体が疲れきってしまうので、多少辛い顔をしてもパニックさえ起こさなければ、大丈夫。嫌だということには、無理強い厳禁。私が悪いなんて言葉は言ったそばから否定、反論がある時はまず肯定してから、自分の考えを述べる。
結構面倒・・・
「難しくないよ、相手の顔見てればわかるから」
「で、どこに誘えばいいんでしょう?」
「知らない。俺はそんな経験ないもん。知識として知ってるだけ」
あれ?経験者かと思ったんだけどな。
「最初、植物園に連れてったわ。俺は女の子がどんなとこ好きか、知らないしな」
場所の選択が津田さんらしいや。カラオケや映画と違って、妙に健康的だ。
「ヘトヘトになってたから、繁華街なんか連れまわしたくなかったし」
そこまで言いかけて、津田さんは口をつぐんだ。
「ま、健闘を祈る。 言いふらしたりはしないから、当たって砕けろ」
唐突に、津田さんの顔そのものが報告書だったことを思い出す。自分で提供するネタを作った気が、すごくする。