社交辞令じゃない
「ダメ、私、センスないです・・・」
ギブアップした坂本の目の前の小さな籠には、花が半分程度しか入ってない。
「んー、次の回になっちゃうしな。じゃ、私が仕上げちゃうよ?」
野口さんが無造作にナイフで花を捌くのを、坂本は申し訳なさそうに見ていた。
「坂本さん、こういうのって考えちゃダメ。自分が挿したいように挿すの。」
ああ、それは今の坂本には難題かも知れないな、なんてちらっと思った。
「あたし、これから休憩でお茶タイム。一緒に行こ?」
野口さんが有無を言わせない勢いで、俺他三人をイベントホールのティーラウンジに引っ張って行く。津田さんの奥さんと坂本は、体験講座とやらの作品つき。席に座ると、坂本が持っていた毛糸の塊を引っ張り出した。
「私、こっちも時間で終わらなかったんですー。本当に不器用で。編み方、わかんなくなっちゃった・・・」
「指編み?手、広げて糸かけてみて?」
なんて津田さんの奥さんが、坂本に熱心に教えているうちに、飽きた子供がぐずぐずと泣きはじめた。
休憩時間が終わるという野口さんと、子供がぐずりはじめた津田夫妻がティールームを出て行く。
「じゃ、俺ら帰るわ。坂本さん、また明日」
取り残されたのは、毛糸と格闘している坂本と、俺。
「萩原さんも、つきあってくれなくて良いですよ?私、これ仕上げてから」
「いや、ヒマだからいいけど。何ができるの、それ?」
「羽みたいなふわふわなマフラーに・・・なりませんね、これ」
自分の手元を見た坂本が肩を落とし、諦めますと呟いた。仕草に、笑いがこみ上げる。
「坂本さん、字は綺麗なのに桁外れに不器用?」
「いえ、そんな筈は・・・はじめてだからです」
「体験講座って、はじめての人が受けるんじゃないの?」
からかいたくなったのは、目の前の坂本の顔が、会社にいる時よりもずいぶん幼かったからだ。
「じゃあ、萩原さんが編んでみて」
拗ねた顔で、毛糸を俺の目の前に突き出したのがおかしくて、笑ってしまった。
「俺、編み物なんて一生できなくても困んないし」
「私も困りません」
意外に意地っ張りなのか?俺の笑いに引き込まれたみたいに笑顔になった坂本が嬉しくて、俺はますます笑う。多分、外側から見たら阿呆だ。
少なくとも自分が楽しく遊べる相手じゃない女を、楽しくさせようなんて思ったのは、はじめてだ。ああっ!畜生!俺が今まで阿呆だと思ってたヤツらの仲間入りだ。
イベント会場を出て駅まで歩く途中、坂本は陽気だった。クリスマス準備に入った街はどことなく賑やかで、普段よりも少しカジュアルな坂本は、確かにアクティブな性格なのかも知れないと思う程度には、ハキハキと喋る。深い秋のビル風は強くて、街路樹から落ちた枯葉の欠片が坂本の髪に絡みつく。とってやろうと頭に手を伸ばした時、坂本がびくっと身体を固めて肩を竦めた。とっさに何の仕草か判断に迷い、顔を見てしまった。
「――叩かれると思った?」
顔を取り繕おうとして失敗した坂本が、俯く。
「自分より力のない人を、叩こうなんて思わないよ。何もしてない人を、叩いたりもしない」
「私の喋り方か気に入らなかったのかと」
緊張した声に、溜息をつきそうになる。喋り方が気にくわないだけで手を振り上げたら、世界中犯罪者だらけだ。
「普通はね、そんなことで怒ったりしません。それに坂本さんの声、すっげー好み」
「本当に、調子いい」
調子いいのは否定しないけど、本音だぞ。
駅に到着しても、まだ三時にもならない。
「ねえ、映画でも見ない?」
「私と、ですか?」
心底驚いた顔をされて、こっちの言葉が出なくなった。
「萩原さんなら、これから誘っても、出てくる女の子がいるんじゃないの?」
えーっと。いや、坂本を誘ったんだけど。
「ありがとう。今、会社の中で私と普通に話してくれるのは、少しの人なのにね。萩原さんも、気を遣ってくれなくて良いですよ。私は派遣だから、三月までの契約しかありませんもん。つまらないでしょ、私?」
こんなに連続した言葉を坂本から聞いたのは、はじめてだ。しかも、間違ってる。
返す言葉を選んでいるうちに、坂本がどんどん階段を降りてしまうので、一緒に降りてしまった。
「萩原さん、ホームが違いません?」
とぼけているのか、それとも本気で社交辞令に過ぎないと思っているのか。
「社交辞令じゃなかったんだけど」
「何ですか?」
「社交辞令じゃなかったって言ったの」
そんなに驚いた顔すんな!とんでもないこと言った気になるから!
「それって」
坂本が言いかけたところで、次の列車を知らせるアナウンスがある。
「映画じゃなくてもいい。坂本さんが行きたい場所」
黙り込んだ坂本の前で、電車のドアが開いた。
坂本の肩を押して電車に乗ってしまったのは、ただの勢いだ。何の考えもない。呆気にとられた顔の坂本に、何を言えばいいやら、わからない。
「意外と衝動的?」
笑ってくれたのが、救いだ。
「本当は声をかけてもらうの、嬉しいんです。お喋りできる相手がいないから、野口さんのサークルに入れてもらおうかなと思ったんですけど」
「悪いけど、向いてないんじゃない?ナイフで指切り落としそうだったじゃない」
「私も実は、そう思った」
「このまま、まっすぐ帰っちゃう?」
そう聞くと、坂本は考える顔になった。
「本当に、私を誘おうと思ってくれてるの?」
「坂本さんさえ嫌じゃなきゃね。お茶は飲んだばっかりだから、それ以外がいいなあ」
「私、つまんないですよ?」
「つまんないかどうかは、俺が決める。俺がつまんないかどうかは、坂本さんが決めて」
ちょっと勝手な言い分だね、坂本が他人の感情ばっかり気にしてるの知ってて。だけどそうしないといつまでもこのまま、俺は坂本を知りたいような知りたくないようなって、中途半端な気分で落ち着かない。
「ワカリマシタ。行き先はお任せします」
「・・・ラブホ?」
「それはパスで」
寒いから外をウロウロってわけにも行かず、結局適当なファッションビルの中の喫茶店に入った。
「見たいお店、あればつきあうよ?」
「特に欲しいものはないんです」
「眼鏡とか。金縁教育ママ眼鏡」
思い出して、言ってみた。
「ああ、そうですねえ。寝る前に本読みたい時とか、あると便利なんですよね」
じゃ、見るだけ見ようなんて、カジュアルな量販店に行くことにする。俺は目が悪くなったことはないので、眼鏡屋がどんなもんだかよくわからない。
「赤いメタルなフレーム、とか言ってましたっけ」
「その通り。ちょっとかけてみて」
眼鏡に萌えるなんて趣味はないんだけど、明るい色のフレームは、坂本の顔に薄く残った憂鬱を緩和させるように見えた。
「あ、似合う。じゃ、次はこれ」
女の子の買い物なんて、いやいや付き合ったことしかなくて、こんな風に何かを見立てるなんてはじめてだ。浮かれてるんだな、俺。坂本がレンズの度数の検査している間も、ずっと隣に立っていた。
「彼氏さんも、どうぞその椅子を使ってください」
「あ、いや、彼氏じゃないんですけど」
なんだか本当に阿呆な顔で、注文書を記入する坂本を見ていた。