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言い訳に過ぎない

 野口さんのチェシャ猫笑いを満足させるのは、非常に心外だ。にもかかわらず、朝の八時に俺は新橋駅内幸町側出口に立つ。

 いや、朝一でアポとってる会社が新橋にあってね、俺って真面目だから一時間前に駅に着いてるわけ・・・

 前半は本当だ、後半は脚色だけど。坂本がどれくらいのタイミングで駅から出てくるのか知らないし、うまく捕まるかどうかもわからない。大体、会ってどうするっていうんだ。会社に行けばいるのに。


「どうしたんですか、こんなところで」

 後ろから声をかけられて、飛び上がりそうになった。待ち伏せだ、これ。中学生みたいな待ち伏せ。今更ながら恥ずかしくなって、どう言い訳したものやら、言葉が吹っ飛んだ。

「あっ俺っ今から営業っ!坂本さんは何で新橋?」

 すっげー間抜け。


「あの、驚かせてごめんなさい。私、毎朝新橋駅から歩いてるんです」

「へえ?なんで?」

「筋力アップのためと、あと」

「あと?」

 坂本は少し言い淀んで、それは朝らしくない話題かも知れないけど、力強かった。

「自分を取り戻すため・・・なんちゃってね」

 照れ笑いで締めたけど、多分今までで一番綺麗な表情だ。あろうことか、見惚れた。


「じゃ、行きます。萩原さんも頑張ってくださいね」

 大きなストライドで歩き出した坂本の後ろ姿を見送る。細い肩に小さなリュック、仕事用のパンツスタイルだけど、新しい白いウォーキングシューズ。怯えてて不安定で、だけどすごく綺麗だ。坂本は自分をどうにかしようと思ってる。

 努力と根性、一生懸命なんて言葉は、本当にウザいんだろうか。あんな風に自分を奮い立たせて戦おうとする人間を、ウザいと思えるほど偉いのか、俺は。自分が必死になったことなんかないクセに。


 坂本が必要なものを俺も持ってるなら、俺も協力くらいできるだろう。存在をわざわざ肯定されなくちゃならないくらい、自分を否定し続けるなんて尋常じゃないことを強いられたんだ。ああ、これは言い訳に過ぎないと自分で知ってるさ。

 俺は「本来の坂本」とやらに会いたい。



 面倒なことは嫌いなんだよ。面倒なことなんてしなくたって、今まで充分満足してたんだ。坂本はものすごく面倒で厄介だ。そして、俺に気がない。

 つまり、俺から近付こうとしない限り、近くはならない。今更「女の子にどう声をかけたら良いのか」なんて悩むとは、思わなかった。経理部の残業の日を狙ってみても、派遣の坂本は余程忙しくなければ残業にはならない。帰りに待ち合わせって感じでもない。いきなり休日に誘って断られたら、翌日気まずい気がするんだけど。


「ねえねえ、来週末ヒマ?」

 野口さんにいきなり話しかけられた時、頭が留守だった俺は咄嗟に本当のことを答えた。

「予定はないですねえ」

 答えてしまってから、野口さんの趣味を思い出す。

「まさか、花がどうこうってイベント?」

「あたりーっ。アドヴェントクリスマスイベントにご招待ーっ」

 机に突っ伏す。

「カンベンしてください。花なんてわかんないし、女ばっかでしょ?」

「大丈夫、津田君も来るから。津田君は奥さんにくっついて必ず来る。それに、今回は製菓サークルと手芸サークルもコラボしてるから、独身の女の子、よりどりみどり。男が来ればみんな喜ぶ!来て!」


 しらばっくれようと思ってたのに、津田さんにまで念押しされて、待ち合わせしなくてはならなくなった。ま、いいか。津田さんの「可愛い奥さん」ってのも見たいし、イベント自体が面倒な場所じゃないから、ヒマ潰ししてやろ。金がかかるわけでもないって言ってたし、独身の女の子よりどりみどり・・・いやその。だってねえ。面倒なことにのめりこむより、明るく楽しい男女交際を望みたいじゃん。


 駅で津田さんと待ち合わせて、イベント会場に向かった。身長差30センチの夫婦と、人見知りの子供。津田さんの奥さんは噂通り子供がいるようになんて見えなくて、笑顔が可愛らしい。素直に感想を述べたら、「見た目だけね」と津田さんが返し、奥さんに叩かれていた。会社じゃわかんないけど、やっぱり生活を持っている人なんだな、と納得する。


 会場に到着して、野口さんに挨拶。確かに女の子が多くて、華やか。

「沢城、体験講座受けてく?全部実費だけだよ」

「えー?全部やりたーい。暁君が飽きちゃうしなあ。お花だけにしとこうかな」

「あ、じゃあ次の回、予約入れとく」

 野口さんが出した受付用ノートを見るともなしに覗いて、知っている名前を発見した。

 坂本葉月。

 坂本が来てんの?


「何?萩原君も体験講座?」

「いや、俺は本当に結構ですから!」

「あーら残念。フラワーデザイナーの男の人、案外と多いのよ」

 野口さんが笑いながらノートを受付に戻したとき、坂本がなんだか毛糸の塊を持って登場した。

「あら、萩原さんも来てたんですか?」

「野口さんに強制されたの!枯れ木も山の賑わいだって」

 坂本の後ろで、野口さんがにやりと笑う。やられたっ!


 津田さんとプレイスペースに行き、赤ん坊の集団を眺める。何のために来たっていうんだ、まったく。

「津田さんの奥さんって、ウチの会社にいたんですよね?結婚したから辞めたの?」

「いや。辞めたのとつきあいはじめたのが、同時くらいかな。仕事ができて可愛気なくて」

「ふーん。純愛騒動って聞いたのに」

 津田さんは難しい顔になって、黙った。言ってはいけないことだったのか、ただ照れただけなのか、判断に迷うところだ。

「それ、瑞穂には口に出して言うなよ」

 真面目な顔になった津田さんに念を押されて、思わず頷く。ちょっと怖い。津田さんが持ってるPTSDの知識って、もしかしたら奥さんと関係があるのかも知れない。聞いても津田さんは、けして答えないだろうことは、顔を見ればわかる。


「さて、そろそろ戻ろうか。展示見ないと失礼だろ?暁君、おいで」

 まだ遊びたそうにしている子供を腕に抱えて、津田さんはイベント会場に向かう。花なんて本当に興味はないんだけど、会場に行けば坂本がいる。楽しむためだけに動く坂本は、どんな顔をしているんだろう。

 少なくとも、ここには坂本に冷たい態度をとる人間はいない。もちろん、支配しようとする人間もいない。少しは、伸びやかでいるのだろうか。


 何人かでテーブルを囲んで、花の首を切ったりハリガネを巻いたりしている。野口さんが先生らしく、ぐるぐるまわってはアドバイスしてるみたい。

「マーマー」

「ちょっと待ってようね。ママ、お花きれいきれいしてるからね。ほら、暁君もお花見ようねえ」

 意外と(!)パパぶりが板についている津田さんが、子供に花だの手芸品だのを見せてまわる。

 坂本がド真剣な顔で、何やらしているのが見えた。小さなナイフの使い方が危なっかしい。次々と出来上がった人が野口さんに手直ししてもらっている中で、明らかに作品になっていない。花首を持って、あっちに向けたりこっちに向けたりしている。

「坂本さん、手の温度で花が疲れちゃう。捌いたら、すぐオアシスに挿してあげて」

 野口さんの言葉に困ったように頷く坂本は、なんだか可愛らしかった。


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