無自覚が自覚に
女の子同士でケーキを食べに行く、なんて集団で帰って行く。その何分か後に、坂本がひとりでロッカールームから出てくるのを見た。
「あれ?坂本さんは一緒じゃなかったの?」
坂本の顔が曇って、失言だったことに気がつく。パニックを起こした頃に同情的だった面々は、長引く不安定さに飽きたのだ。
「俺もたまにはケーキ食べたい。男ひとりってのもなんだから、つきあってくれる?」
「同情しないでください。何でもないんですから」
紋切り口調の返事が戻った。
「じゃなくって、またコーヒー飲みに行こうよ。今度は甘いもののあるとこ」
坂本の口がへの字に結ばれた。
「そんな風に、かまわないで。みんなが私を敬遠したがってることなんて、自分でよく知ってるんだから」
怒りに似ている口調に、つい言い返した。
「みんなじゃないだろ?野口さんも三枝さんも、他にも気にしてる人が――」
「迷惑だって思わないわけないじゃない!」
強い口調の否定。また、どこかおかしい。
「いろんな人に迷惑かけて、私がバカだっただけなのに」
あ、こんなところで泣くなよ、頼むから。きょろきょろしてたら、ラッキーなことに津田さんが通りがかった。
「萩原、会社の女の子泣かせんなよ?」
人聞きの悪いことを言う。
「違いますって。坂本さん、落ち着いて。俺は迷惑じゃなかったから」
「あ、そういう話?じゃ、俺も言っとく。迷惑ってのは、気に入らない人にしかかけらんないの。好意のある相手なら、関わりたいもんでしょ?坂本さんに迷惑なんてかけられてない」
俯いた坂本に一気に言って、津田さんはさっさと自分の席に戻っていった。俺はまだ、その場を離れられない。
「津田さんも言ってたでしょ?また、コーヒーつきあってよ、ね」
顔を上げてもくれないし、頷いてもくれなかったけど。
「残業がない日に誘うから」
そこまでは言っておかなくちゃならなかった。誘ってどうしたいんだか、自分にもわからないけど。
前フリしといた分、仕事帰りに坂本を誘うのは楽だった。ただし、営業推進室の三枝さん(色気皆無)ごとだけど。
「萩原さんがケーキ奢ってくれるって聞いたから、便乗。ご馳走さまー」
それから坂本が見てない時にこっそり、「お邪魔さま」と片眉をあげて笑った。野口さんが乗り移っているかのようだ。給料前なんですけど。
ケーキ屋なんて知らないから、女の子ふたりの後ろを歩く。一駅分だらだらと歩かされて、クラシックな外観のケーキ屋に着いた。有名店だって話で、ショーケースの前は結構な混み方をしてる。二階の客席に案内されてまわりを見ると、仕事帰りのOLばっかり。
「あたしねー、チーズケーキと・・・」
「複数っ?三枝さん、酒だけじゃなくて甘いものもイケる口?」
「基本は押さえといて、後は一口ずつ味見しようよ。イマドキ男子はスイーツにも詳しい」
三枝さんが、真剣にメニューに取り組む坂本に声をかける。
「ここね、どれ頼んでも失敗ないから大丈夫。どうせ自分のお財布じゃないしー」
「・・・三枝さん、何気に鬼畜。給料日まであと一週間切ってるって、わかっての所業?」
三枝さんは坂本と同じ派遣会社だったらしい。今、三枝さんは正社員になっちゃってるけど、事務所で何度か顔を合わせているそうだ。馴染みがある分、坂本は心持ちリラックスしてる。俺とふたりじゃ、また下を向いていたかも知れない。これは却ってラッキーだったな。財布には少し痛いけどさ。
喋るのは主に三枝さんと俺で、坂本は聞き役。だけど、会話にはちゃんと参加している。時折、小さく笑い声を立てる。笑った声が嬉しくて、もっとバカな話をする。
三枝さんは意外にツッコミ上手で、色気のないねーちゃんだってだけで興味がなかったことを、少し後悔した。結局ふたりがかりで坂本を笑わせ、実は俺はあんまり好きじゃないケーキを女の子ふたりが食べた。
「こんなに笑ったの久しぶり。ご馳走になって笑わせてもらうなんて」
店から出て地下鉄に向かう途中で深々と頭を下げられ、こっちが恐縮してしまった。
「他の女の子にはナイショね。大勢で来られると負けるから」
びしっと敬礼した三枝さんが「これから彼と待ち合わせ!」なんて抜けて行って、坂本とふたりで地下鉄に乗る。
「銀座線じゃありませんよね?」
「何回か訊かれたよね」
「丸の内、でしたっけ。ここから乗っちゃえば良いのに」
地下鉄の線がクロスしていて、確かにその駅からは丸の内線も銀座線も使うことができた。
「女の子と帰った方が楽しいじゃない」
答えながら、無自覚が自覚に変わったことに気がついた。 女の子ならってわけでもない。坂本と電車に乗りたいんだ。
軽口でしか女の子を誘ったことがない。考えてみればまだ高校生の頃、はじめてつきあった女の子とすら、映画の話題で盛り上がったときに「まだ見てないんなら、俺と一緒に行こう」なんて誘ったのだ。相手が好きだと言ってくれたのを幸いに、自分がどうとか考えずに寝た。寝ちゃえばそれなりに情も湧くし、そういう年頃だからそれなりに執着もしたさ。その後も、継続してつきあったっていうのは全部同じパターン。
・・・成長したのは仲良くなるテクニックだけか?
「萩原、最近合コンの話、聞かないなあ」
津田さんにいきなり話をふられる。
「行ってないっす。飽きちゃったっていうか、女の子もパッとしないし」
「パッとしないのは、萩原の頭の中じゃない?不特定多数相手に飽きたんだろ?」
何か面白がってる津田さんの言葉は、無視してやることにする。
「不特定多数より、安定した特定の方が楽しいぞ」
津田さんの純愛騒動ってのがどんなもんだか知らないけど、まっすぐな津田さんはまっすぐに好きになって、まっすぐに相手のことを考えたんだろう。折れちゃうことなんて怖がりもしないで。
「いろいろ大変な相手みたいだけど、話してるうちに見えてくるんじゃない?」
「何がですか?」
「今、お前が頭に思い描いた相手」
言い捨てて、津田さんは席を立った。向かい側で野口さんが吹き出すのが見えた。俺の頭の中身、どこかにこぼれてるわけ?
「そこまで憮然とした顔しなくたってぇ」
野口さん、俺、そんな顔してるんですか。
「良いこと教えとくわ。坂本さんは最近毎朝、新橋駅から歩いて通勤」
「げ。通勤時間が三十分延びるじゃん」
「夜遅い時間のウォーキングは、まだ怖いからって言ってた。親元暮らしだから、朝忙しいこともないだろうしね」
うーん、朝三十分くらいなら、無理できるかも・・・なんてPCに向かって考えて、ふと目をあげたら野口さんがチェシャ猫笑いをして見せた。