曰く、興味津々
コピー機に絡まった紙を外してた坂本が、小さく「もうっ」と呟く。紙片が破れて、機械に噛んでしまったらしい。
「迂闊に触ると火傷するよ。ちょっと見せてみ?」
営業鞄から軍手を出して、坂本と場所を代わって紙片を引っ張った。奥の方に小さな紙が入り込んじゃってて、取りにくい。
「これでリセットできると思う。どうぞ」
「ありがとうございます。今日、コンタクトしてなくて」
「眼鏡かければいいのに」
「いくつも割っちゃって・・・この位置だと、萩原さんの顔がやっと見えるくらい。もう割ることもないだろうから、眼鏡にしてもいいな」
言葉尻を捉えるようだけど、もう割ることもないって断言できるのは、自分で割ったんじゃなくて割られたからじゃないか?聞いちゃいけないんだろうけどさ。
「俺、メタルな赤いフレームで、レンズの小さい眼鏡かけてる女の子、好き」
「え?金縁のバタフライ形で、弦にラインストーンのチェーン垂らそうかと思ってるんですけど」
大真面目な顔で、おかしな返事が戻ってきた。しばらく考えてから、何を言われたのか気がついて、笑いがこみ上げてきた。
「教育ママ眼鏡?」
「似合いそうでしょう?」
言った本人が先に吹き出してる。冗談、言うんだな。ちゃんと冗談が言えるんだ。自分の冗談に、声出して笑えるんだ。
それがこんなに嬉しいなんて、自分が一番意外だ。
「もう定時過ぎてるでしょ、残業?」
「いえ、コピー済んだら帰ります」
コピー機から吐き出された紙を、とんとんと机の上で揃え直しながら、坂本は返事した。
「じゃ、晩飯つきあわない?俺、今晩遅くなりそうだから、先に腹に何か入れないと」
嘘だ。見積り二通作るだけ。
「私の顔見てご飯食べても・・・」
「女の子が向かいに座ってると、生きてて幸せな気になんの。応援だと思って、つきあって」
やや強引に承諾させて、席を片付ける坂本を待った。
残業を抜けて早目の夕食、なんて理由をつけたんだから、当然居酒屋じゃなくて喫茶店だっていうのはご愛嬌。同じもので、なんて言う坂本に、メニューを渡す。
「ゆっくり決めていいから。自分が好きなものが、わかんないんじゃないでしょ?」
先日の中華料理の時に気がついたけど、ちゃんと「これ」っていうのは明確にあるんだよな。それを主張しないだけ。意を決したように顔を上げた坂本のオーダーを聞いて、店の人に伝える。
「ごめんなさい、時間がかかって」
「ん?のんびりテンポの女の子、好き。せっかちな子も可愛いけど」
「つまり、全部?」
「いや、容姿と年齢の制限はアリ。坂本さんはどっちもセーフ」
ほら、笑え。坂本が派遣期間を終えたとき、辛い顔ばっかりしてたななんて、思いたくない。坂本の声は澄んだアルトで、相槌を打つときは小首を傾げる。
「坂本さんって休みの日は何してるの?」
「前はね、サークルに入って、ロードバイクのツーリングなんかに参加してたんだけど」
「ロードバイク?自転車?」
あまりの意外さに口が開いた。
「もう、サークルも抜けちゃったし、バイクもメンテしてない。ぼーっとしてます」
「坂本さんって意外にアクティブな人?」
「身体を動かすのは、嫌いじゃなかったわ。思い出さなくちゃ」
もしかしたら今目の前にいる坂本って、全然違う人間なんじゃないか?俺が知っているのは「怯えたり不安定になっていたり」の坂本だけだ。自転車でツーリングするイメージなんて、全然ない。なんだかわかんないけど、今の会社の中で「本来の坂本」を知っている人間はいないわけだ。仕事上は知らなくても、不自由ない。
不自由ないのに俺ってば、これが湧き上がってくるなんて・・・曰く、興味津々。
先に夕飯を済ませてしまった手前、見積りを二通作ったからと帰ることができなくなって、遅れ気味だった事務処理を片付けることにする。お先に、と部内の人間が帰って行き、開発営業部の島は、俺一人になっていた。ふうっと溜息を吐く。
次はどんな口実で話しかけようか。
派遣期間が終わるまでに、メアドくらい・・・ん?連絡したいのか?たとえば連絡して、外で会って、カラオケかなんか一緒に行って。それで何がある?
調子良く話を合わせてその気にさせて、ホテルに連れて行くのか?薄い肩を押さえて、組み敷く。そうしたいのか?良い気分にさせて、内容のない話だけで盛り上がって、それで気が合いそうなら何度か会う。重くなったら、他の女の子に気を移す。坂本と、そうしたいのか。
襲い来る自己嫌悪の波を、頭の上でバタバタと払う。俺って、結構サイテー。
笑えよ、坂本。
「昨日はご馳走さまでした」
朝、すれ違いざまにぴょこんと頭を下げた坂本の後ろ姿を目で追う。怪我は良くなったんだな。今日は表情も明るかった。ほっとしつつ、認めざるを得ないことをやっと認める。「本来の坂本」がどんな女なんだか、見てみたい。
そして見てしまったら多分、俺の感情は引き返せない。
PCの前でぼーっとしていたら、寝てしまったらしい。
「物件情報がなきゃ、ルート営業にでも行けバカ!」
課長から後頭部に張り手をもらった。
「遊んでて遅くなったんだろ。路肩に車停めて寝るんじゃないぞ」
遊んでたんじゃありません。昨夜眠りそびれたんです。言い返そうとして、野口さんが向かいに座っていることに気がつく。恰好のネタになりそうなことは、口が裂けても言えない。