どこか違う
気分が晴れないまま、トラブルの元凶を解決して会社に戻った。夜にもう一度現場に確認に行かなくてはならず、事務処理を片付けるためだ。朝に野口さんから指示されたモノをまとめ、そのまま野口さんに渡す。
「まったくっ!こんな短時間で終わるんなら、経理困らせることなんて、なかったのに」
ブツブツ言われて、頭を下げた。
「坂本さんにも謝っといてよ!萩原君のせいで、午前中に仮計上できなかったんだから!大体、デイリーの作業でしょ!」
矢継ぎ早に言われた上に、明らかに俺が悪い。野口さんが忙しくキーボードを打って、経理に「終わりました」と内線するのを見ていた。
「俺の仕事も、他の人のみたいに野口さんが管理してくれるといいのに」
「新人が何抜かすか。管理が全部自分でできるようになったら、請けたげるわ」
俺入社二年目なんですけど、まだ新人なんですか。新人なんだろうな、周り中ベテランばっかりだもん。でも、いつまで?
「次の新入社員が入って来るまで、俺って新人扱い?」
「そうやって考えるあたりが、新人」
意味わかんねえ!わかるのは、俺のレベルが低いって言われたことくらい。他の部署では野口さんより若い女の子が事務とってるし、ここにも若くて可愛い女の子・・・
「不満があるんなら、これから粗利計算まで自分ですることね。他の部署の営業は、全部自分で出してるよ」
頭、上がりません。っていうか、人の考え見透かす先輩、きらいです。
営業鞄を持ってブースを出ようとしたら、坂本が歩いてくるのが見えた。
「遅れてごめん。今、概算野口さんに出してもらったから」
いいえ、と硬質で小さい声の返事があった。前に戻ったような声だった。やっちゃったか?あれだけのことで?
「申し訳ありませんでした。怒んないでください」
頭なんて下げるのはタダ、口先三寸は得意技。謝るのなんて全然平気。坂本が顔をあげるのが見えた。
「私のせいで、野口さんに叱られたんじゃないんですか?」
「なんで坂本さんのせいよ、俺が手抜きしたんだから俺のせいでしょうに」
日本語だ。俺、日本語以外は喋れません。何で意味のわからないような顔をする?しばらく無言で俺を見ていた坂本は、また俯いて、小さな声で今度は「ありがとう」と言った。
ヤツアタリを詫びて礼を言われるってのもおかしな話で、なんだか腑に落ちない気分で現場に向かう。とりあえずクレーム対策を終えて会社に戻ると、社内は半分以上暗かった。日報を書いて、課長の席にメールしてから帰り支度をする。経理のブースももう暗い。坂本も帰ったんだな。
あんなに不安定でビクビクしてるのは、あの男のせいなのか。あんな風になるまで、何をどうされたのか知りたいわけじゃない。ただ、俺は坂本が笑うのが嬉しかったんだ。怯えた顔なんて、もう見たくない。
だって、坂本は綺麗なんだから。綺麗な女の子に綺麗なままでいて欲しいっていうのは、別におかしい感情じゃないだろ?
「あ、ありがとう。助かるなあ」
業者から送られてきたFAXを坂本から受け取りながら、津田さんが丁寧に礼を言う。坂本の顔がほんのりと綻ぶ。なんか悔しい。俺だって礼くらい言うし、コーヒーに誘った時は、ちゃんと笑ってたんだぞ。
「津田君には構えないよね、あの子」
野口さんが言う。
「そりゃもう、パパの包容力ってヤツに溢れてますから」
「沢城に聞いたぞお。暁君の服が俺の服よりも高いって言ったってえ?」
「言った!っていうか、瑞穂の奴、それを人に言うか!」
また、げらげら笑いあう野口さんと津田さんを見ながら、ちょっと考える。
あの男と俺は似ていなかった、と坂本は言った。じゃあ、俺にはどことなく構えて見えるのは、何故だ。なんでもかんでもストレートな津田さんが怖くないのは、俺も同じだけど。確かに引き継いだ客先でも、津田さんは元気かと聞く人は多い。そんなに人懐こい人でもないんだけど、身体が大きくて体育会系に見える津田さんは、意外に警戒心を起こさせない。
好みの問題だけ・・・か?
「萩原あ」
「隣の席で、わざわざ呼ばなくても聞こえます」
「だって呼ばないとこっち見ないじゃん」
「男の顔見たって仕方ないじゃないですか」
津田さんは用事がある時、必ず名指しで話しかけて、相手の方に身体ごと向く。
「顔見て話さないと、意思の疎通ができてるのかどうか不安なんだよ。暁君とだって、顔見て喋るぞ?」
「いや、一歳児は言葉わかんないでしょ」
「最近俺のこと、パパじゃなくて『てんてー』って呼ぶんだよね。大人は全部保育園の先生。なのに瑞穂にはママって言うー」
「仕事の話でしょう!」
脱線しかけた話を、元に戻した。
「フォレストハウスの担当な、仕事が早い分気が短いだろ。前回の物件で、おまえが施工中に顔出さなかったって文句言ってた」
「工事するのは業者じゃないですか。トラブれば連絡来るし」
「丸投げするのと任せるのは違うぞ。最終的には人間対人間なんだから」
津田さんは普段、説教がましいことは言わなし、似合わない。
「今回の塗装も、現場に顔出してれば壁の色に気がついてただろう?合理的じゃなくても、どこかで関係あるんだよ」
否定できないので、とりあえず頷く。
「それでなくても不誠実に見えちゃうタイプなんだからさ、気をつけた方がいい」
不誠実に見えるっていうのは、正直心外。ミスの少なさには自信があるし、津田さんみたいに他の部署に無理をさせることもない。大体ペーペーの俺のお願い事なんて、全部後回しだ。頭の下げ損。
「気にしてるってポーズ作るだけで、人間ってのは安心するんだよ。話す時に顔見るだけで、ずいぶん違う。そこ、気にしてみろよ」
「それ、苦手」
「ま、試してみ?坂本さんに」
「坂本?」
返事をせずに机の上を片付けた津田さんは、鞄を持って立ち上がった。
「今日、暁君のお迎え当番なんだ。お先にー」
言い捨てて撤退ですか、隊長!せめて意味合いをお聞かせください!
説教なんだかアドバイスなんだか、ただ単にからかわれたんだか。煙に巻かれたような気分で、津田さんの後ろ姿を見送った。
顔を見て話せ、だって?