表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/33

やっと笑った

 坂本がどこかおかしいと思ったのは、俺だけじゃなかった。

「喜怒哀楽が激しいって言うか、視界が狭いって言うか。絡み難いのよね、あんな子だっけ?」

 女の子たちからは、何回か聞いた。

「うるせえんだ、派遣のクセに。やたら細かいところで感情的になって」

 男からも聞いた。坂本の評判は、著しく悪くなった。


「コピーを使った後は、リセットしてください。後の人間が気がつかないで、何枚もコピーしちゃいますから」

 会議資料をコピーした後、入れ違いでコピー機の前に立った坂本に注意された。

「悪い、忘れた。でも、使う前に気がついてくれたんだからいいじゃん」

 悪意のない普通の返事・・・だと思う。

「気がついたから良かっただけでしょ!気がつかなければ三十枚もコピーしてたところだわ!」

 いきなりの剣幕に、口が開いた。

「ごめん。なおしといて」

 そんなに声を荒げるようなことしたかよ、と思いながら、女の子相手に言い返す気はないので、とりあえず詫びてコピー室を出た。


 なんだか腑に落ちない。他人の茶碗まで洗っちゃう坂本が、白い梅みたいな坂本が、あんな言い方はおかしい。取り返しのつかないミスをしたっていうんならともかく。

「坂本さん、最近変じゃないですか?」

 野口さんに話しかけると、「まあね」と軽くあしらわれた。どう見ても、おかしいのに。


 給湯室で、紙コップを指先で小さく引きちぎっている坂本を見る。指の先が白くて、大変な力が入っていることがわかる。なんかちょっと鬼気迫る感じで、いつもなら見て見ぬフリをするところ。

 ―基本的に他人のこと、どうでもいい人だもんね。

 いや、気になることは気になってんだぞ。

「何か怒ってるの?」

 言葉にすると、その後につきあわなくちゃならない気がして、声に出してなかっただけだ。声に出しちゃったけど。


「なんでもないんです、ちょっと」

「ちょっとにしては、ずいぶん細かくしたねえ」

 お軽いのは俺の信条、どうでもいいような仕草で自分のコーヒーを入れる。

「腹に溜めこむと、身体に悪くない?王様の耳はロバの耳で、聞こうか?」

 坂本は俯いてまだ紙コップをちぎっていた。


「ごめんなさい。この頃、感情の抑制がきかないんです。怒ってる内容なんて、ないんです」

 手は休まらず、ゴミ箱から違う紙コップを拾ってちぎり始める。

「落ち着いたら席に戻ります。ありがとうございます」

 頭は冷静なのに感情だけが昂っている、そんな印象で、なんか痛々しい。

「いいんじゃない?普段の坂本さんは気ばっかり遣ってるし。それくらいでバランスとれるって」

 なるったけ深刻にならないように、それだけ言って給湯室を出た。良かったのか悪かったのかは知らない。


 坂本がひとりで歩いているのを見て、つい後ろから声をかけた。

「どうしたの?誰かと一緒に帰らないの?」

「お断りしたんです。そろそろ自分だけで大丈夫だと思って」

「ヤツは?」

「この前萩原さんが、俺の彼女なんて言ってくれたから、私もそう言おうと思って」

 坂本はふふっと笑った。

「新しい彼がいれば、彼も迂闊には引き摺ったりできないでしょう?」


「じゃあ信憑性高めるために、お茶にでもつきあって貰おうか」

「噂通りですね。私、話すのヘタですよ」

 なんの噂だか、想像はつくんだけどさ。社内の女の子を持ち帰ったことはないぞ。

「大丈夫ダイジョーブ。俺が坂本さんの分まで喋るから」

 チェーンのコーヒーショップに入り、オーダーを決めるためにメニューを眺めた。


「決まった?」

 坂本は困った顔でメニューを眺めていた。

「萩原さんは何をオーダーするんですか?」

「俺?ストロング。何がいい?奢るよ」

 しばらく迷った顔をした坂本は小さく、同じで、と呟いた。トレーを受け取って席まで運び、向い合せに座る。一口飲んでから、坂本は大量にミルクを入れた。

「もしかして、強いコーヒー苦手なんじゃないの?」

 坂本は困った顔をして、しばらくしてからこくんと頷いた。


「ごめんなさい」

「いや、謝られるようなことじゃないけど。優柔不断な方?」

 あ、俯いちゃった。なんだかまずいことを言ったらしい。

「判断してから、口に出すのにタイムラグがあるんです。ごめんなさい」

 あ、まずい。落ち込ませちゃった。楽しく会話するつもりだったのに。


「ゆっくり考えるのは悪いことじゃないでしょ?俺は決まったモノ頼んだだけだもん」

「ありがとうございます。気を遣わせちゃってますね、私」

「女の子に気を遣うのは、下心だもん。今日、一緒に帰る?」

 坂本はふっと目をあげた。

「本当に日常的に言うんですね」

 それから、やっと笑った。


 ――笑った。俺を見て、笑った。

 やっと、俺に笑顔を向けた。自分の動悸をもてあますほど、嬉しくなった俺がいた。


 本当に初デートの中学生みたいだ。坂本の興味を引きそうな話題を、次々に繰り出しては空回りしてる。坂本は口数は多くなくて、俺の話を一生懸命聞いてくれるんだけど、楽しませているのかどうかわからない。

 コーヒーショップに入って三十分程度だった。そろそろ、と坂本が言い、一緒に立ち上がった。


「萩原さん、丸の内線じゃないんですか?」

「銀座で乗り換えるよ」

 駅まで一緒に歩いて、なんとなく別れがたい気になった。坂本の薄い肩はやっぱり頼りなくて、次に何かあったら壊れちゃうんじゃないかと心配になる。楽しく遊べる相手じゃないぞ、ものすごく厄介なトラブルを抱えてる相手だぞと、自分に警告する。

 津田さんの口ぶりだと、まだ全然解決なんてしてない、らしい。



 そして、俺は不機嫌だった。フォレストハウスの女顔の担当に設計折込の不備を突かれて、急遽塗装が必要になったから。坂本が運悪く野口さんの席にいなければ、何でもなかった。

「萩原君、工事支払いの概算、出てる?」

「業者請求が来てないところが何件かあるんですよ。とりあえず、今急ぎで行くところがあって」

「じゃあ、見積もりから額面だけ拾いたいんだけど」

「帰ってからやりますって。口頭で額面聞いてるところもあるんで」

「メモにも残してないの?」


 野口さんは正しい。俺は、一分一秒を争って出かける必要はなかった。だから、ただ不機嫌だっただけだ。

「急いでるんですって!経理だけの都合で動けませんよ!」

 あっと思ったときには、坂本の顔は真っ白になっていた。

「すみません、ごめんなさい」

 小刻みに震え始めた坂本を椅子に座らせ、野口さんは「もういいわ」と手で俺を追払った。俺か?今、坂本を怯えさせたのは、俺?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ