そう見えてる?
中学生かよ、俺。女の子に朝の挨拶されて、ドギマギしてる。坂本はすっかり表情が明るくなって、もうすっかり立ち直ったのだと思えるくらいだ。野口さんも「帰りもそろそろ大丈夫かな」とか言ってるし。
突発の休みのなくなった坂本は、気が利くことと仕事が丁寧なことで、派遣は継続になっていく筈だ。
「本当に大変なのは、この先」
津田さんがぼそっと言った言葉は、あんまり意味がわからない。男と別れて、もともとの性格がわかる程度に落ち着いて、何よりもやつれた感じはなくなった。
「パニック起こすような恐怖って、根深いと思うよ」
津田さんが何を調べてどう対処したのか、聞いちゃいけない気がして、何も聞けないけど。噂に聞くしっかり者の可愛い奥さんと一歳の子供、幸せお気楽なマイホーム・パパは、違う場所を見ている。
「知らないんなら、覚えてよ!」
坂本が社内で大きな声を出したのは、はじめてだったかも知れない。相手は隣の部署の営業、坂本が伝票を掴んでいるのが見えた。
「うるせーな。経費のコードなんて覚えてらんねーんだよ」
俺より二年先輩、常に女の子よりも優位に立ちたいタイプ。
「知らない、なんて知らないことが当然みたいに!」
おいおい、どうした?なんて、まわりが注目する中、坂本は自分の感情を抑えこもうと必死になっているように見えた。
事務の女の子が「どうしたのお?」なんて声をかけてる。自分で手に負えない感情を持て余したままの顔の坂本は、動きもせずそこに立っていた。
「ヘンな女!これっくらいのことでムキになっちゃって。頭、おかしいんじゃない?」
「言いすぎだよ。自分の不備を棚にあげんな」
津田さんが立ったままの坂本の背を逆に回しながら、その場から引き剥がした。
「言い方はちょっと強かったけど、坂本さんは間違ってないだろ」
目をやると、坂本の顔色が白いことに気付いた。
「給湯室でコーヒーでも飲んでおいで、坂本さん。ちょっと落ち着こう」
津田さんに言われるがままに給湯室に進む坂本を、追ってしまったのは何故だ。
給湯室まで行くまでもなかった。坂本は、通路の脇にぺたんと正座していた。
「歩けないの?」
こくんと頷く坂本の細い腕を掴んで立たせると、よろけて壁に手をついた。ああ、足が竦んじゃってるんだ。一緒に給湯室まで歩き、パイプ椅子を持ってきて座らせた。怒っていた筈なのに、言い返された言葉が怖かったんだろうか。
サーバーから紙コップにコーヒーを注いで差し出すと、強張った両手がそれを受け取った。黙ってゆっくり口に運ぶのを確認する。こくんと飲み込むのが見えた。
「もう大丈夫?じゃ、ゆっくり落ち着いてね」
そこに居ちゃいけないような気がして、給湯室を出ようとすると、小さな声で侘びの言葉が聞こえた。
大声で怒るようなことじゃなかった。坂本はあんな言い方をするような人間じゃない。いくら女の子贔屓だからっていっても、あれはどう考えても坂本が圧倒的にヘンだ。何か虫の居所が悪かったとか、そんな感じなんだろうか。
白い顔に怒りの表情はなかった。腕を掴んで立たせた時も、抵抗する気配なんてなかった。津田さんは黙って仕事をしている。何も聞けない。
「萩原あ」
見積書をPDFで送付した津田さんが、横の俺に顔を向けた。
「こっちで出来ることは、あんたのせいじゃない、あんたは悪くないって言い続けてやることだけ」
「え?なんですか?」
野口さんが向かい側で吹き出すのが見えた。
「俺の時の山口さんと野口さんの気持ちが、ようやくわかったわ、俺」
「津田君の方が更にわかりやすかったけどね」
津田さんと野口さんがげらげら笑い、俺一人で取り残される。そうか、坂本のことでアドバイスくれたのか・・・って、何で俺?俺、そう見えてる?
久しぶりに学生時代の友達何人かと会って、飲んだ。女の子も何人か顔を覗かせて、大騒ぎ。
いいねえ、このノリ。何の憂いもなくただ遊べる場所。
「・・・でっさあ、その男が私のこと叩いたのよ、いきなり!あったまに来たから、バッグで殴り返して、メアド即削除と着信拒否!」
「叩いたって、どうやって?」
思わず、身を乗り出して聞く。
「こう、肩の辺をどんっと。ちょっと仕事に難アリだねって言っただけなのに」
彼女は坂本と違って、細くもなければ弱そうでもない。
「叩いたくらいじゃ壊れないと思って、ふざけただけなんじゃないの?」
「いっくら丈夫だって、男に押されりゃよろけるっつーの。力なんか入ってりゃ転ぶっつーの。それがわかんない男なんて、もともとそんだけの価値!萩原、まさかそんなことしてないでしょうね?」
「俺がするわけないでしょー。女の子の味方だもん」
「味方か敵か紙一重だけどね。ま、そんなことしたらテイクアウトはできないもんね」
「じゃ、叩いたりしないから、テイクアウトされる?」
よくよく聞くと、職業を思いっきりバカにしたらしいと判明し、酔った彼女が肩を押されてよろけたことも判明し、まあバッグで殴られた彼は不運だったが、それで殴り返さないのは男にとって普通の感覚だと思う。俺だって、たとえば俺より目線が上の津田さんに殴られたら、怖い。
「俺みたいに優しいヤツにしときなさい、一緒に帰ろ?」
「萩原、見境ナシ?あたしはハズミで寝た男に友情抱けるほど慣れてないんだけど」
「え?俺たちに友情なんてあったっけ?」
「大体萩原は、優しくはない。他人の話なんて、マジで聞いてないでしょ。基本的に他人のこと、どうでもいい人だもんね」
じわじわと効いてくるパンチを、腹に一発喰らったような気になった。俺って「他人のことはどうでもいい人」に見えてんのか。
俺、へこんでいい?みんなそんな風に、俺のこと見てるわけ?確かに真剣には聞いてないかも知れない。大抵のことは俺とは関係のないことだし、はっきり言うとドウデモイイ。でも、その人自体をドウデモイイと思っているわけじゃない。病気すれば心配するし、金が無くて困ってるヤツに肉を食わせたことだってある。
それとは別なこと、なのか?