↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

「お前の代わりなど、いくらでもいる」と婚約者に言われましたので、代わりの令嬢をご紹介いたします~五人目まで、全員お断りされたそうですが~

作者: くらたん
掲載日:2026/09/08

「お前の代わりなど、いくらでもいる」


 婚約者のアルブレヒトは、母君と並んでそう言った。


「持参金の多い娘ならいいわ」


 母君の声に、私は扇の骨を握り直す。細い骨の角が、指の腹に食い込む。ここはホーエンフェルス伯爵家の夜会だ。楽の音が途切れ、近くの人たちの顔がこちらへ向いている。


「え……?」


 私は言葉を失い、大きく息をついた。


「かしこまりました。代わりがいくらでもいらっしゃるなら、私からご紹介いたしますわ。ご希望をお聞かせください」


「ふんっ。ならば、お前との婚約はこれで解消だ」


「はい。婚約の解消に同意いたします」


 母君が扇を閉じ、こちらへ近づく。香水の甘い匂いが、母君より先に届いた。


「待ちなさい! 本当に……釣り合う方を連れて来られるの?」


「お会いになるのでしたら、お席をお借りいたします」


「いいわ。応接間を使いなさい」


 母君は扇の先を広間の奥へ向け、閉じた扉を示す。


 私はヘルミーネ。リンデンタール子爵(ししゃく)家の娘、二十歳だ。


 お茶会で隣の席を勧めた方々から、結婚の知らせが届くようになっていた。


 誰と誰が隣り合えば、話が弾むか。幼い頃から、見ていればそれだけは分かる。扇の骨を押さえたまま、母君へ顔を戻す。


「翌日から一日一人ずつ、お連れします。未払いの内訳も、持参金で払うおつもりであることも、母君の口出しと長い自慢話も、先にお伝えしてからお誘いします」


「ふんっ。分かって来る方なら話が早いわ」


「明日の午後にお連れします。父には解消を知らせます」


「遅れずにね」


 アルブレヒト様は母君の横で腕を組んだまま、こちらを見ない。楽の音が戻る。私は扇を開き、出口へ歩く。骨に指を添えると、握り込んでいたところがじんとする。


 帰宅して父に婚約の解消を知らせ、知人へ使いを出す。その夜のうちに、面談を受けるとの返事が届いた。


       ◇


 翌日の午後、応接間を訪れた一人目は、裕福な伯爵令嬢フリーデリケ様。妹の相手探しで王都に滞在中の兄も、付き添いで来ている。


 兄のラウテンベルク辺境伯(へんきょうはく)ヴォルフラム様は三十一歳と、彼女から聞いている。彼は付き添いの席に着くと、鞄も帽子も自分の手で置く。


 母子は長椅子、令嬢は向かいの肘掛け椅子に腰を下ろし、私は脇の席に座る。窓から入る午後の光が、床へ長く伸びている。


「未払いは伺っていますが、それはどういったもの……でしょうか?」


「ふんっ、伯爵家としてそれ相応の身だしなみ、となれば金がかかるのは仕方ないからな」


 その時、母君の隣から十二歳の弟パウルが顔を出す。栗色の前髪が、ぴんと跳ねている。


「女性への贈り物代、夜会の酒代。まだ全部残ってるよ。兄上はお嫁さんのお金で払うんだって」


「お前! 余計なことを!」


「兄さんの髪型、朝は噴水だよっ、ふふふっ」


 パウルが指で前髪を立て、朝の形を示す。母君はそれを見ながら、弟の襟を丁寧に直している。


「正直な子を叱らないの」


「客の前だぞ」


 フリーデリケ様は兄弟のやり取りを見届けてから、アルブレヒト様へ向き直る。今度は彼から目を離さずに尋ねる。


「私の持参金の使い道は、私も決められるかしら?」


「安心して俺に任せろ」


 ふぅ、と深い息を吐くとフリーデリケ様が立ちあがる。


「私のお金の使い道を、私抜きで決める方とは結婚できません」


「えっ? おい! ちょ、ちょっと!」


 ツカツカと帰路につくフリーデリケ様を、私は玄関まで後を追う。


「お、お待ちください!」


 階段の下で彼女と向き合い、希望を聞き直す。


「家計を対等に話し合える方でしたら……いかがですか?」


「……。うーん、それでしたら。私も相談して決めたいのですよね」


「倹約家で、ご自分で家計の帳面を付ける男爵令息がいらっしゃいます」


「え? わたくし、その方がいいわ」


 頷く拍子に、赤茶の巻き毛が弾む。


「ではまたご案内いたします。今日は申し訳ありませんでした」


「いえ、あなたのせいではございませんわ。では……」


 侍女と乗り込んだ馬車が出ていく。


 見送って顔を戻すと、辺境伯様はまだ玄関の石段にいて、私の隣に並んでいる。


「面白い!」


「……え?」


 私は彼へ向き直る。灰茶の短い髪に午後の光が当たり、毛先が淡く透けて見える。


「妹の話を聞き直してくれて、助かった」


「ご希望は伺えました。お相手のお考えも確かめます」


「妹は帰したが、私はもう少しここにお世話になろう」


「お世話……とは?」


「なぁに、君とこの家の顛末を観させてもらうだけだ。まさか彼らも辺境伯の依頼は断るまい」


「そ、そうなんですね。それでは、お茶をお持ちしますか?」


「頼む」


 応接間へ戻ると、母君が扉口からこちらを手招きしている。


「次も午後に。私の話を聞いてくれる淑女がいいわ」


「次の方を、ご紹介しますわ」


 帰宅して使いを出す。夕には男爵令息から、新居の案を見せながら話をしたいという招きが届く。フリーデリケ様からは、喜んで受けるとの返事。次の面談の了承も届いた。


       ◇


 翌日の午後、二人目はブリギッテ様。難点を聞いたうえで、面談に応じてくださった方だ。


 辺境伯様も告げられた時刻どおりに来る。私の椅子にも手を掛け、そっと後ろへ引いてくれる。


「どうぞ」


「……ありがとうございます」


 椅子を引く手を見ていたぶん、礼が遅れる。腰を下ろすと、母君の隣には今日もパウルがいる。


 ブリギッテ様は背筋を伸ばし、アルブレヒト様の顔を見て尋ねる。


「お好きな曲は?」


「賑やかなものよ。この子も同じ」


 答えたのは母君だ。息子の袖を手元で整えている。アルブレヒト様は口を開きかけ、言葉を出す前に母君を見る。


「恐れ入りますが、ご本人からお返事を」


「私が教えているでしょう?」


「母上は兄上の返事も知ってるんだよね?」


 兄の手が弟へ伸びる。母君はパウルの肩を抱き、自分のほうへ引き寄せる。


「知ってるわ。パウルもそう言いたいのね」


 ブリギッテ様がアルブレヒト様へ顔を戻す。濃茶の髪が襟足で揺れ、止まる。


「お母様とご結婚なさればよろしいのでは? わたくしは、これで失礼いたします」


 椅子が床をこする音がする。


「あ、ちょ、ちょっと……」


 アルブレヒト様が慌てて引き留めようとするが、ブリギッテ様は一顧だにしない。


 私は席を離れる彼女と、廊下まで並んで歩く。


「どんな曲をお望みでしたか?」


「静かな曲を。聞き終えてから、感想を話し合える方がよいのです」


「宮廷楽団の楽長でしたら?」


「え? そんな方もご存じですの? その方でしたら、お話ししてみたく存じます」


 紹介の了承をいただき、扉まで見送る。席へ戻ると、辺境伯様が茶器へ手を伸ばすところだった。


「辺境伯様、お茶にお砂糖は?」


「入れない」


「失礼いたしました。昨日もそうでしたか?」


「昨日はあなたが忙しくて、聞かれなかった」


 私は砂糖壺の蓋を戻す。蓋の縁が触れ合い、小さな音がする。


「では、今日は覚えます」


「ふふっ、そうしてくれ」


 砂糖は入れない。そう覚えてから、母子へ向き直る。アルブレヒト様は母君を一度見て、それから口を開く。


「次は美人のヴァレスカだ」


「もちろん、ご本人のお望みも伺いますわ」


 帰宅して打診すると、夕には、好きな曲を尋ねた楽長からお茶への誘いが届く。彼女からは受けるとの返事。次の面談も決まる。


       ◇


 翌日の午後、私は先に、辺境伯様が来る方へ目を向けている。馬車の音より前に、石段を上る足音で分かった。


「今日もいらっしゃったのですか?」


「嫌か?」


「そんな、めっそうもありません」


「今日はどうなるのか楽しみじゃないか」


 彼は帽子を脱ぐと、私の隣へ目を向ける。空いた席のところで、その視線が止まる。


「席は昨日と同じでいいか?」


「はい。私の隣が、空いています」


 三人目のヴァレスカ様も、難点を聞いたうえで来てくださる。黒い巻き髪を背に流し、向かいの席に着く。


 母君の隣にはパウル。アルブレヒト様は椅子の背に腕を掛け、母君ではなく彼女を見ている。


「ねえ、あたしの話も聞いてくれる?」


「その前に俺の話だ」


 彼は昨日の反省からか、とうとうと自分の話を始めた。


 彼女は膝の上で手を重ね、話が終わるのを待つ。茶が冷め、時計の針が進んでも、アルブレヒト様の声は途切れない。窓の光が床を離れ、壁へ移っていく。彼女の手は、膝の上で重なったままだ。


「兄上、お客の番はまだ?」


 兄が弟を睨む。母君はパウルの襟を直しながら、客へ顔を向ける。


「弟は退屈しているだけですのよ」


 ヴァレスカ様は大きくため息をつくと、窓へ顔を向ける。


「失礼するわ。続きはあたし抜きでどうぞ」


「ちょ、ちょっと! まだ終わっていないぞ」


 彼女は裾を上げると、テラスへの窓へ迷わず手を掛ける。


 自慢話が一時間続き、ヴァレスカは窓から逃げた。


 彼女の足が、テラスを進む。私も後を追う。日に温まった石の床から、足元へ熱が上がってくる。


「今日は申し訳ありませんでした。歩きながらのお話は、お好きですか?」


「あたしが道を選べるならね」


「遠乗りがお好きな騎士の方がいらっしゃいます」


「へぇ、騎士ね。いいわ。道はあたしが決めるケド」


 頷きをいただき、窓から応接間へ戻る。アルブレヒト様の前の椅子は、空いている。辺境伯様の視線が私の裾へ下がる。目で示されたところに、埃が付いている。


「よその国の娘なら、俺の話も珍しいはずなんだ」


「それではご滞在中の方に伺います」


 帰り道で、辺境伯様が足を緩める。夕方の風が街路樹を揺らし、葉の擦れる音が頭の上で続く。


「あなたの話を聞きたい」


「え? 私の話は、面談のことばかりですけれど」


「ふふっ、それでいい。どの面談から行こうか?」


「では、少しゆっくり参りましょう」


 街路樹の音を聞きながら、緩くなった歩みに足を合わせる。


 帰宅後に打診すると、夕には返事が届く。騎士の誘いには、道はあなたに選んでほしい、とあった。彼女はそれに行き先を返している。次の面談も決まる。


       ◇


 五日目の朝、四人目として迎えたのは、隣国のレオノーレ様。淡い金の髪を編み込み、席に着いている。母君の隣には弟。私の隣には、辺境伯様がいる。


「結婚後も行き来したいのです」


「俺の妻が留守ばかりでは困る」


「異国に拘束されるのは困ります」


「それはわがままと言うものだ」


「ここは譲れませんわ」


 アルブレヒト様は母君を見て、それから私へ向き直る。


「もういい、お前で妥協してやる!」


 私は宙を仰いだ。


「妥協されなくて結構です。五人目をご紹介します」


「次は、実家の家計を預かった方になさい。使い道は私が決めます」


「兄上は、使う係?」


 私は母君の指図に頷く。兄が口を開くより早く、母君はパウルへ顔を向ける。


「そうよ、パウルの言うとおりだわ。ほほほ」


 レオノーレ様が椅子から立ち上がる。


「まだ私がいるんですのよ? 失礼しちゃうわ!」


「玄関までご一緒いたします」


 廊下で歩みを合わせ、彼女が帰る先を確かめる。


「帰国後もお付き合いできる方をご紹介しましょうか?」


「ええ。私の話にも耳を傾ける方へ」


「同じお国から留学している子爵令息がいらっしゃいます」


「へぇ、いいですわね。では、帰る前にお会いします」


 王都留学中の同郷の子爵令息へ打診すると約束した。


 辺境伯様に子爵家まで送っていただくと、玄関で彼は帽子を胸に当て、私を見ている。


「お父上へ挨拶をしたい。取り次いでもらえるだろうか?」


「え……? わ、分かりましたわ」


 父に紹介すると、彼は帽子を胸に当てたまま頭を下げる。私はその姿を見届ける。


       ◇


 午後、同郷の令息は帰国後の交際を前提に面談したいと申し入れ、レオノーレ様も応じたとの報が届いた。


 まだご紹介していない、家計を預かったことのある知人たちには、未払いの中身をすべて伝えてある。母君の新しい条件まで、残らずお伝えしてある。


 しかし伯爵家へのお輿入れとはいえ、返事は芳しくない。責任と、お金の使い道を決める権利とを、共に持てる結婚がよい、というものばかり。面談を受ける方は、いない。


 父の書斎から戻って来た辺境伯様へ結果を伝え、伯爵家へ向かう。玄関ではパウルが、私の後ろを覗き込む。


「お客は、後ろの馬車?」


「今日は、面談をお受けくださった方はいませんでした」


「そっか。じゃあ、兄上の前の椅子、今日も空いたままだね」


「ええ」


 パウルは私たちより先に、応接間へ入っていく。


「兄上、五人目はいません」


 次を指すアルブレヒト様の手が、途中で止まる。私は向かいの椅子へ目を移す。


「残念ながら、いらっしゃいません」


 向かいの椅子は、空いたままだった。


 母君が長椅子から身を乗り出す。


「ねぇ、あなたが戻ってきて。あなたなら、この子に合わせられるでしょう?」


「私の代わりはいくらでもいるそうですので」


「あれは言葉のあやだ! 一体何が不満なんだ?」


 その時だった――。


 おもむろに辺境伯様が付き添いの椅子から立ちあがる。


「あなたの代わりは居ないと思うが」


 私の前へ回る。その琥珀の目が私だけを見ている。


「ヘルミーネ。私と結婚してほしい」


「えっ? え……?」「はぁ?」「なんとまぁ!」「うわぁ!」


 いきなりの展開に私はどうしたらいいかわからず、ただ、その琥珀色の瞳を見つめていた。


「嫌か?」


「ち、父へのご挨拶は、そのためだったのですか?」


「あなたに求婚したいと伝えた。返事はあなたから聞くように、と」


 父は、返事を私に任せたのだ。彼は手を開いたまま、待っている。パウルも口を挟まない。母君の扇も、動かない。


「あなたの希望を聞かせてもらえるだろうか?」


 扇を畳む手が止まる。誰と誰が合うかは、いつも見れば分かると思っていた。でも、自分の望みだけは、聞かれるまで分からずにいた。


 目の前で開かれた手を見る。扇の骨を押さえていた指が、ゆっくり緩む。私は顔を上げる。


「はい。お受けいたします」


 差し出された手を取ると、指先に温かさが伝わる。


「な、なんだよ!」「なんてことかしら……」「きゃははは!」


 私は重なった手を見てから、母君へ向き直る。


「私の代わりは、居ないそうですので。ふふっ」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。