「お前の代わりなど、いくらでもいる」と婚約者に言われましたので、代わりの令嬢をご紹介いたします~五人目まで、全員お断りされたそうですが~
「お前の代わりなど、いくらでもいる」
婚約者のアルブレヒトは、母君と並んでそう言った。
「持参金の多い娘ならいいわ」
母君の声に、私は扇の骨を握り直す。細い骨の角が、指の腹に食い込む。ここはホーエンフェルス伯爵家の夜会だ。楽の音が途切れ、近くの人たちの顔がこちらへ向いている。
「え……?」
私は言葉を失い、大きく息をついた。
「かしこまりました。代わりがいくらでもいらっしゃるなら、私からご紹介いたしますわ。ご希望をお聞かせください」
「ふんっ。ならば、お前との婚約はこれで解消だ」
「はい。婚約の解消に同意いたします」
母君が扇を閉じ、こちらへ近づく。香水の甘い匂いが、母君より先に届いた。
「待ちなさい! 本当に……釣り合う方を連れて来られるの?」
「お会いになるのでしたら、お席をお借りいたします」
「いいわ。応接間を使いなさい」
母君は扇の先を広間の奥へ向け、閉じた扉を示す。
私はヘルミーネ。リンデンタール子爵家の娘、二十歳だ。
お茶会で隣の席を勧めた方々から、結婚の知らせが届くようになっていた。
誰と誰が隣り合えば、話が弾むか。幼い頃から、見ていればそれだけは分かる。扇の骨を押さえたまま、母君へ顔を戻す。
「翌日から一日一人ずつ、お連れします。未払いの内訳も、持参金で払うおつもりであることも、母君の口出しと長い自慢話も、先にお伝えしてからお誘いします」
「ふんっ。分かって来る方なら話が早いわ」
「明日の午後にお連れします。父には解消を知らせます」
「遅れずにね」
アルブレヒト様は母君の横で腕を組んだまま、こちらを見ない。楽の音が戻る。私は扇を開き、出口へ歩く。骨に指を添えると、握り込んでいたところがじんとする。
帰宅して父に婚約の解消を知らせ、知人へ使いを出す。その夜のうちに、面談を受けるとの返事が届いた。
◇
翌日の午後、応接間を訪れた一人目は、裕福な伯爵令嬢フリーデリケ様。妹の相手探しで王都に滞在中の兄も、付き添いで来ている。
兄のラウテンベルク辺境伯ヴォルフラム様は三十一歳と、彼女から聞いている。彼は付き添いの席に着くと、鞄も帽子も自分の手で置く。
母子は長椅子、令嬢は向かいの肘掛け椅子に腰を下ろし、私は脇の席に座る。窓から入る午後の光が、床へ長く伸びている。
「未払いは伺っていますが、それはどういったもの……でしょうか?」
「ふんっ、伯爵家としてそれ相応の身だしなみ、となれば金がかかるのは仕方ないからな」
その時、母君の隣から十二歳の弟パウルが顔を出す。栗色の前髪が、ぴんと跳ねている。
「女性への贈り物代、夜会の酒代。まだ全部残ってるよ。兄上はお嫁さんのお金で払うんだって」
「お前! 余計なことを!」
「兄さんの髪型、朝は噴水だよっ、ふふふっ」
パウルが指で前髪を立て、朝の形を示す。母君はそれを見ながら、弟の襟を丁寧に直している。
「正直な子を叱らないの」
「客の前だぞ」
フリーデリケ様は兄弟のやり取りを見届けてから、アルブレヒト様へ向き直る。今度は彼から目を離さずに尋ねる。
「私の持参金の使い道は、私も決められるかしら?」
「安心して俺に任せろ」
ふぅ、と深い息を吐くとフリーデリケ様が立ちあがる。
「私のお金の使い道を、私抜きで決める方とは結婚できません」
「えっ? おい! ちょ、ちょっと!」
ツカツカと帰路につくフリーデリケ様を、私は玄関まで後を追う。
「お、お待ちください!」
階段の下で彼女と向き合い、希望を聞き直す。
「家計を対等に話し合える方でしたら……いかがですか?」
「……。うーん、それでしたら。私も相談して決めたいのですよね」
「倹約家で、ご自分で家計の帳面を付ける男爵令息がいらっしゃいます」
「え? わたくし、その方がいいわ」
頷く拍子に、赤茶の巻き毛が弾む。
「ではまたご案内いたします。今日は申し訳ありませんでした」
「いえ、あなたのせいではございませんわ。では……」
侍女と乗り込んだ馬車が出ていく。
見送って顔を戻すと、辺境伯様はまだ玄関の石段にいて、私の隣に並んでいる。
「面白い!」
「……え?」
私は彼へ向き直る。灰茶の短い髪に午後の光が当たり、毛先が淡く透けて見える。
「妹の話を聞き直してくれて、助かった」
「ご希望は伺えました。お相手のお考えも確かめます」
「妹は帰したが、私はもう少しここにお世話になろう」
「お世話……とは?」
「なぁに、君とこの家の顛末を観させてもらうだけだ。まさか彼らも辺境伯の依頼は断るまい」
「そ、そうなんですね。それでは、お茶をお持ちしますか?」
「頼む」
応接間へ戻ると、母君が扉口からこちらを手招きしている。
「次も午後に。私の話を聞いてくれる淑女がいいわ」
「次の方を、ご紹介しますわ」
帰宅して使いを出す。夕には男爵令息から、新居の案を見せながら話をしたいという招きが届く。フリーデリケ様からは、喜んで受けるとの返事。次の面談の了承も届いた。
◇
翌日の午後、二人目はブリギッテ様。難点を聞いたうえで、面談に応じてくださった方だ。
辺境伯様も告げられた時刻どおりに来る。私の椅子にも手を掛け、そっと後ろへ引いてくれる。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
椅子を引く手を見ていたぶん、礼が遅れる。腰を下ろすと、母君の隣には今日もパウルがいる。
ブリギッテ様は背筋を伸ばし、アルブレヒト様の顔を見て尋ねる。
「お好きな曲は?」
「賑やかなものよ。この子も同じ」
答えたのは母君だ。息子の袖を手元で整えている。アルブレヒト様は口を開きかけ、言葉を出す前に母君を見る。
「恐れ入りますが、ご本人からお返事を」
「私が教えているでしょう?」
「母上は兄上の返事も知ってるんだよね?」
兄の手が弟へ伸びる。母君はパウルの肩を抱き、自分のほうへ引き寄せる。
「知ってるわ。パウルもそう言いたいのね」
ブリギッテ様がアルブレヒト様へ顔を戻す。濃茶の髪が襟足で揺れ、止まる。
「お母様とご結婚なさればよろしいのでは? わたくしは、これで失礼いたします」
椅子が床をこする音がする。
「あ、ちょ、ちょっと……」
アルブレヒト様が慌てて引き留めようとするが、ブリギッテ様は一顧だにしない。
私は席を離れる彼女と、廊下まで並んで歩く。
「どんな曲をお望みでしたか?」
「静かな曲を。聞き終えてから、感想を話し合える方がよいのです」
「宮廷楽団の楽長でしたら?」
「え? そんな方もご存じですの? その方でしたら、お話ししてみたく存じます」
紹介の了承をいただき、扉まで見送る。席へ戻ると、辺境伯様が茶器へ手を伸ばすところだった。
「辺境伯様、お茶にお砂糖は?」
「入れない」
「失礼いたしました。昨日もそうでしたか?」
「昨日はあなたが忙しくて、聞かれなかった」
私は砂糖壺の蓋を戻す。蓋の縁が触れ合い、小さな音がする。
「では、今日は覚えます」
「ふふっ、そうしてくれ」
砂糖は入れない。そう覚えてから、母子へ向き直る。アルブレヒト様は母君を一度見て、それから口を開く。
「次は美人のヴァレスカだ」
「もちろん、ご本人のお望みも伺いますわ」
帰宅して打診すると、夕には、好きな曲を尋ねた楽長からお茶への誘いが届く。彼女からは受けるとの返事。次の面談も決まる。
◇
翌日の午後、私は先に、辺境伯様が来る方へ目を向けている。馬車の音より前に、石段を上る足音で分かった。
「今日もいらっしゃったのですか?」
「嫌か?」
「そんな、めっそうもありません」
「今日はどうなるのか楽しみじゃないか」
彼は帽子を脱ぐと、私の隣へ目を向ける。空いた席のところで、その視線が止まる。
「席は昨日と同じでいいか?」
「はい。私の隣が、空いています」
三人目のヴァレスカ様も、難点を聞いたうえで来てくださる。黒い巻き髪を背に流し、向かいの席に着く。
母君の隣にはパウル。アルブレヒト様は椅子の背に腕を掛け、母君ではなく彼女を見ている。
「ねえ、あたしの話も聞いてくれる?」
「その前に俺の話だ」
彼は昨日の反省からか、とうとうと自分の話を始めた。
彼女は膝の上で手を重ね、話が終わるのを待つ。茶が冷め、時計の針が進んでも、アルブレヒト様の声は途切れない。窓の光が床を離れ、壁へ移っていく。彼女の手は、膝の上で重なったままだ。
「兄上、お客の番はまだ?」
兄が弟を睨む。母君はパウルの襟を直しながら、客へ顔を向ける。
「弟は退屈しているだけですのよ」
ヴァレスカ様は大きくため息をつくと、窓へ顔を向ける。
「失礼するわ。続きはあたし抜きでどうぞ」
「ちょ、ちょっと! まだ終わっていないぞ」
彼女は裾を上げると、テラスへの窓へ迷わず手を掛ける。
自慢話が一時間続き、ヴァレスカは窓から逃げた。
彼女の足が、テラスを進む。私も後を追う。日に温まった石の床から、足元へ熱が上がってくる。
「今日は申し訳ありませんでした。歩きながらのお話は、お好きですか?」
「あたしが道を選べるならね」
「遠乗りがお好きな騎士の方がいらっしゃいます」
「へぇ、騎士ね。いいわ。道はあたしが決めるケド」
頷きをいただき、窓から応接間へ戻る。アルブレヒト様の前の椅子は、空いている。辺境伯様の視線が私の裾へ下がる。目で示されたところに、埃が付いている。
「よその国の娘なら、俺の話も珍しいはずなんだ」
「それではご滞在中の方に伺います」
帰り道で、辺境伯様が足を緩める。夕方の風が街路樹を揺らし、葉の擦れる音が頭の上で続く。
「あなたの話を聞きたい」
「え? 私の話は、面談のことばかりですけれど」
「ふふっ、それでいい。どの面談から行こうか?」
「では、少しゆっくり参りましょう」
街路樹の音を聞きながら、緩くなった歩みに足を合わせる。
帰宅後に打診すると、夕には返事が届く。騎士の誘いには、道はあなたに選んでほしい、とあった。彼女はそれに行き先を返している。次の面談も決まる。
◇
五日目の朝、四人目として迎えたのは、隣国のレオノーレ様。淡い金の髪を編み込み、席に着いている。母君の隣には弟。私の隣には、辺境伯様がいる。
「結婚後も行き来したいのです」
「俺の妻が留守ばかりでは困る」
「異国に拘束されるのは困ります」
「それはわがままと言うものだ」
「ここは譲れませんわ」
アルブレヒト様は母君を見て、それから私へ向き直る。
「もういい、お前で妥協してやる!」
私は宙を仰いだ。
「妥協されなくて結構です。五人目をご紹介します」
「次は、実家の家計を預かった方になさい。使い道は私が決めます」
「兄上は、使う係?」
私は母君の指図に頷く。兄が口を開くより早く、母君はパウルへ顔を向ける。
「そうよ、パウルの言うとおりだわ。ほほほ」
レオノーレ様が椅子から立ち上がる。
「まだ私がいるんですのよ? 失礼しちゃうわ!」
「玄関までご一緒いたします」
廊下で歩みを合わせ、彼女が帰る先を確かめる。
「帰国後もお付き合いできる方をご紹介しましょうか?」
「ええ。私の話にも耳を傾ける方へ」
「同じお国から留学している子爵令息がいらっしゃいます」
「へぇ、いいですわね。では、帰る前にお会いします」
王都留学中の同郷の子爵令息へ打診すると約束した。
辺境伯様に子爵家まで送っていただくと、玄関で彼は帽子を胸に当て、私を見ている。
「お父上へ挨拶をしたい。取り次いでもらえるだろうか?」
「え……? わ、分かりましたわ」
父に紹介すると、彼は帽子を胸に当てたまま頭を下げる。私はその姿を見届ける。
◇
午後、同郷の令息は帰国後の交際を前提に面談したいと申し入れ、レオノーレ様も応じたとの報が届いた。
まだご紹介していない、家計を預かったことのある知人たちには、未払いの中身をすべて伝えてある。母君の新しい条件まで、残らずお伝えしてある。
しかし伯爵家へのお輿入れとはいえ、返事は芳しくない。責任と、お金の使い道を決める権利とを、共に持てる結婚がよい、というものばかり。面談を受ける方は、いない。
父の書斎から戻って来た辺境伯様へ結果を伝え、伯爵家へ向かう。玄関ではパウルが、私の後ろを覗き込む。
「お客は、後ろの馬車?」
「今日は、面談をお受けくださった方はいませんでした」
「そっか。じゃあ、兄上の前の椅子、今日も空いたままだね」
「ええ」
パウルは私たちより先に、応接間へ入っていく。
「兄上、五人目はいません」
次を指すアルブレヒト様の手が、途中で止まる。私は向かいの椅子へ目を移す。
「残念ながら、いらっしゃいません」
向かいの椅子は、空いたままだった。
母君が長椅子から身を乗り出す。
「ねぇ、あなたが戻ってきて。あなたなら、この子に合わせられるでしょう?」
「私の代わりはいくらでもいるそうですので」
「あれは言葉のあやだ! 一体何が不満なんだ?」
その時だった――。
おもむろに辺境伯様が付き添いの椅子から立ちあがる。
「あなたの代わりは居ないと思うが」
私の前へ回る。その琥珀の目が私だけを見ている。
「ヘルミーネ。私と結婚してほしい」
「えっ? え……?」「はぁ?」「なんとまぁ!」「うわぁ!」
いきなりの展開に私はどうしたらいいかわからず、ただ、その琥珀色の瞳を見つめていた。
「嫌か?」
「ち、父へのご挨拶は、そのためだったのですか?」
「あなたに求婚したいと伝えた。返事はあなたから聞くように、と」
父は、返事を私に任せたのだ。彼は手を開いたまま、待っている。パウルも口を挟まない。母君の扇も、動かない。
「あなたの希望を聞かせてもらえるだろうか?」
扇を畳む手が止まる。誰と誰が合うかは、いつも見れば分かると思っていた。でも、自分の望みだけは、聞かれるまで分からずにいた。
目の前で開かれた手を見る。扇の骨を押さえていた指が、ゆっくり緩む。私は顔を上げる。
「はい。お受けいたします」
差し出された手を取ると、指先に温かさが伝わる。
「な、なんだよ!」「なんてことかしら……」「きゃははは!」
私は重なった手を見てから、母君へ向き直る。
「私の代わりは、居ないそうですので。ふふっ」




