第9話 最凶の襲撃者1
それから数日が経ち、今夜はスーパームーン。
魔物が活性化し、どこかにムーンゲートが現れる夜だ。
スーパームーンの周期は一年と少し。
あの事件以来、一度はこの夜があったはずだが、近くにムーンゲートが開きはしなかった。
しかし今日は、メーディアの胸に、どこか押し込められない不安が巣食っていた。だからこそ、サティエルにも注意を促していた。
「今日は、特に警戒するように!」
まるで、風の囁きすらも耳障りに感じるほど、研ぎ澄まされた空気の中──
夜の間、遠方にムーンゲートが開いた痕跡があった。しかし、特に何か起きたということは感じられなかった。
──だが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
朝になり、メーディアとサティエルは周囲の様子を見回りに出かけた。
湿った朝靄に包まれる森。その静寂が、やけに不自然に思える。
「……何か、おかしい」
メーディアが小さくつぶやく。
小鳥のさえずりも、風の音もない。まるで、森全体が息を潜めているようだった。
ぞわぞわ──
背筋を走る嫌な予感に、メーディアはふと空を見上げた。
そして、見つけた。
空の高みに、黒い点。いや、黒き影。
それはゆっくりと、だが確実にこちらへ向かっていた。
「まさか……!」
メーディアの声がわずかに震える。
「サティエル、逃げなさい」
サティエルも不穏なものが近づいてきたのは理解できていた。
しかも、明確にこちらに向かってくる。
だとしたら、メーディアと二人で対処したほうがいいと結論付けた。
「一緒に戦う」
「無理だ。あれは、私たち二人でどうにかなる相手じゃない。お前だけでも逃げなさい」
「あれが何か知ってるの?」
「あれは、邪竜ファーブニル。おそらく私を狙って来た。だから、おまえは――」
世界を震撼させた大邪竜。かつて師ジューベーやメーディアら『暁の牙』によって封印されたはずの存在。
そう言われても、一人だけ逃げるわけにもいかない。
サティエルはもう一度言う。
「一緒に戦う」
メーディアはその瞳を見て、頷いた。
「わかった。ただ、勝てる見込みはほとんどないよ」
「うん」
邪竜ファーブニルが目前に迫る。
「我を封じた魔法使い、見つけたぞ。随分と魔力が衰えたな」
重低音のような声が、空から降り注いだ。
「貴様……どうやって封印を破った? あれにはまだ効力があったはずだ!」
「ハハハ、ムーンゲートが封印に重なった。そこからこじ開けた」
「そんな偶然が……最悪だ」
「話は終わりだ。長年の恨み、晴らさせてもらおう」
ファーブニルの喉奥に赤熱の魔力が集まり空中から火炎ブレスが放たれる。
メーディアが魔法を唱える。
「グランド・ウォーター!」
水の上級魔法が地面から湧きあがり炎にぶつかる。だが──
水は瞬時に気化し、巨大な爆風となって辺りを包んだ。
二人はなんとかそれを躱したが、爆風だけで致命傷になりかねない威力だった。
──その直後、再びファーブニルの口が炎で輝く。
今度こそまずい。
サティエルはメーディアの前に躍り出て、覚えたばかりの魔法を発動させた。
「アルティマータ」
掌から放たれる蒼白い輝き。
それは、閃光となってブレスを霧散させた。
衝撃すらない。
サティエル自身が、その威力に息を呑んだ。
「すごい……」
その背後から、メーディアが反撃の魔法を放つ。
「ストーム・ランス!」
嵐の槍がファーブニルに直撃する──かに見えた。
だが、何かに弾かれたように、魔法は逸れ、効果をなさなかった。
「チッ……ドラゴンバリアか……」
気功術なら通るか、そう思うも、相手は空中。
風を切って飛ぶ竜を、気功術で狙うには地上に降ろす必要がある。
「メーディア婆ちゃん、アレを地上に落とせる?」
サティエルの問いに、メーディアは小さく頷く。
その間に邪竜ファーブニルはサティエルたちを直接狙うのではなく周囲に炎を吐きそれを狭めてきた。
逃げ場を失いつつある中、メーディアが鋭い声で指示を出す。
「消火と叩き落としを同時に行く。準備して!」
張り詰めた空気を裂くように、彼女が詠唱を始める。
「ウォーターハンマー!」
上空から、唸りを上げて巨大な水球が現れた。重力に従って、圧倒的な質量を持った水の塊がファーブニルの頭上めがけて落下する。ファーブニルが気付いたときにはもう遅い。そのままの勢いで水に押し流され、のけぞるような体勢のまま高度が下がった。
その隙を見逃さず、サティエルが気功蹠で宙を駆ける。
接近を察知したファーブニルが、鋭く爪の生えた左手を振るう。しかしサティエルは迷いなく身をひねり、その腕をすり抜けるように回避――隙のできた右胸を狙う。
「気功掌!」
その一撃は、竜の厚い鱗を震わせた。刹那、空を劈くような凶悪な咆哮が響く。しかし次の瞬間、ファーブニルの右手が唸りを上げて振り抜かれ、サティエルの体を弾き飛ばす。
「ぐっ……!」
地面との衝突音が響いた。その衝撃により地面がわずかに陥没する。
同時に、メーディアの魔法で降り注いだ大量の水が炎に熱せられ、湿った熱気が一帯を包い、湯気となってまるで霧の中にいるかのように真っ白に染まっていた。




